大陸暦1962年――外出禁止


 自室に届いていた替えのベッドシートを取り替えてから、私はベッドに身を投げた。


「それで、外出禁止ですか」


 ユイが自分のベッドシーツの皺を丁寧に伸ばしながら言う。

 私はベッドにうつ伏せに寝転がったまま「そう」と答えた。先ほど替えたばかりのシーツは暖かくてお日様の匂いがする。それが心地良くてこのままひと眠りしたい衝動に襲われたけど、もう少ししたら夕食なので我慢した。


「どこの誰だか知らないけれど全く、いい迷惑よね」


 しかも女性ばかりを狙うなんて陰湿にもほどがある。


「そのような事件がこの近くで起こっているとは知りませんでした」

「そういえば貴女って本は読むけれど、新聞は読んだりしないわね」


 ユイはうなずくと、シーツを整え終わらせてから自分のベッドに腰掛けた。


「新聞を読むの嫌いなの?」


 私の質問にユイは目を伏せる。

 このように彼女が目を伏せて黙るときは思考を巡らせているときだということは最近、返事が返って来るまで根気よく待ってみてわかった。でも以前は本当に滅多にしなかったその仕草を、最近はよく見る。どうやら先日に私が言ったこと『わからないことがあれば突き詰めてみたら』という助言をちゃんと実行してくれているらしい。

 それに気づいてからは私も急いたり話を終わらせたりせず、返事が返ってくるまで待つようになった。

 やがてユイは瞼を閉じると視線を上げて口を開いた。


「叔父と暮らし始めたころ」


 そこで一旦、言葉が止まった。その一言で昔に関することだったのかと、訊いたことを後悔する。聞くのが嫌なのではない。それを彼女に話させるのが不憫だからだ。


「うん」


 でもここで止めても不自然なので、相槌で先を促す。


「新聞を見ていたら、叔父に取り上げられたことがありまして」

「どうして?」

「辛くなるから見ないほうがいいと」

「あぁ」


 おそらくユイの家族が殺されたときの記事でも載っていたのだろう。


「それから新聞は読んでいません」

「そうなんだ」私は体を起こしてベッドの上に座る。「それは辛かったわね」


 そう言うと、ユイが小首を傾げた。


「辛い」

「家族のかたきにそんな気遣いをされて」


 叔父の行動が本当にユイを気遣ってのことか、はたまた気まずく感じてそうしたのかはわからない。でもどちらにせよ私がユイならばその原因である貴方がそれを言うのかと、どの口が言うのかと憤っていたと思う。いや、温厚そうなユイだってきっと恨みの感情の一つぐらいは抱いたに違いない。

 けれどたとえ当時のユイがなにを思っていたとしても、彼女はその感情を押し殺したのだろう。感情を殺してでも生きなさいというお母様の言い付けを守って。それが辛くないわけがない。


「辛い」


 ユイが再度、つぶやく。そうなんだろうかと自分に確認するように。

 その感情はあまり深掘りさせないほうがいいかもしれないと思い、私は少し話題をずらした。


「それなら事件の話とかはしないほうがいいかしら」


 これまでにもその手の話題は出したことがあるのだけれど。

 ユイは視線を下げたけれど、またすぐにこちらを見た。


「大丈夫です」

「わかった」


 ユイも自分の感情に自覚がないとはいえ、心の動きは漠然と認識しているらしい。

 今のは反応が早かったので、それについてユイの心は特に動きをみせなかった、つまりは嫌ではないと私は判断している。


「殿下は本は読まれないですが、新聞は読まれるのですね」


 最近はユイに付き合って図書館に寄ることがあるのだけれど、私が本を借りたことは一度もない。


「読み始めたのは本当に最近だけど」

「そうなんですか」

「うん。ここに移る前にリリルに勧められてね。最初はあまり気が進まなかったんだけど、読んでみたら思いのほかハマっちゃって。ほら、授業では過去から近代までの歴史は学ぶけれど、今まさに世の中で起こっていることなんて教えてくれないでしょう?」


 ユイがうなずく。


「新聞にはそれが載っているから面白いのよね。それにそれを知ることによって外界から隔絶された生活を送っていることも少しは忘れられるし、それだけでなく自分が今この時代に生きていることも実感できるというか……ちょっと上手く言えないんだけど」

「わかる気がします」

「ほんと? それなら貴女も読んでみたら? あまり気分のよくない記事も多いけれど、少しはかわいい話題も載っているわよ」

「かわいい話題」

「えぇ。最近だとそうね……花屋の幸運犬の記事が私は好きかしら。新規開店から半年経っても客足が伸びない花屋にあるとき痩せた子犬が迷い込んできてね。その子を店主が助けて飼うようになったんだけど、それがもう人懐っこい子で。その愛らしさがお客を呼び込んで、今ではその地区の花屋で一番の人気店に。それを店主はその子が幸運を運んで来てくれたんだって言ってたわ。写真も載っていたけれど、愛嬌のある可愛らしい小型犬だったわよ」


 話を聞いていたユイの顔がかすかに緩んだ気がした。


「犬、好きなの?」

「家でも飼っていましたから」


 答えではないようでいて私には肯定に聞こえた。ユイもきっと無意識だと思う。


「なにけん?」

「猟犬です。狩りが趣味だった父がフルテリアから買ってきました」


 フルテリア竜王国は緑と動物が豊かな土地が多く、国内の半分が草原で占められている。そのため狩猟も盛んで、猟犬の産地としても有名だ。


「ユイも狩りに行ったことがあるの?」

「同行は何度か」

「もしかして一人で馬に乗れたりもする?」

「走らせるぐらいでしたら」

「いいなあ。私、馬に乗ったこと一度もないのよね。子供のころ絵本で馬に乗っている人を見て乗りたいって何度かねだったことはあるんだけど、お母様にもう少し大きくなってからねとはぐらかされちゃって」


 いや、お母様のことだから私が大きくなればきっと約束は守ってくれただろう。病気にさえならなければ……。

 ふいにお母様のことを思い出し、しんみりしてしまっていると。


「よろしければお教えしましょうか」


 とユイが言ってきた。


「え」


 驚いてユイを見ると、彼女もどことなく驚いているように見えた。いや、顔はいつも通り無表情ではあるのだけれど、不思議とそう感じる。もしかして自分が言い出したことに、自分で驚いているのだろうか。


「それって卒院してからってことよね?」

「そう、なりますね」


 私たちが卒院するまでにはまだ二年ちょっと時間がある。だから今からお願いするには随分と先の話になるのだけれど……。

 私はユイの顔を観察するようにじっと見る。

 ユイがマクレアに全てを話したのはもう四年も前のことだ。

 その四年もの間、叔父と離れて静かに暮らしてきたことにより、私という今までいなかった異物が生活に入り込んだことにより、ユイの心境にもなにかしらの変化があった可能性はある。

 だけどそれらは心の問題の解決にまでは至っていない。依然と不眠症であることがその証拠だ。今でもまだユイの中には多からず少なからず、マクレアに話したときのような気持ちが残ってはいるのだと思う。

 それならば先の約束は悪いものではない。だってそれを守るために、無意識に自分を危険に晒すような行動は取れないだろうから。


「本当にいいの?」


 ユイは目を伏せてからすぐにこちらを見た。


「はい」


 相手の行動を縛る目的での約束なんて本当はしたくはないのだけれど、今の反応の早さから見るにこの約束は彼女の心の負担になるものではないだろう。ユイの心が嫌がっていたら少しでも考え込んではいただろうから。それならばいいかとも思う。


「なら、教えてもらおうかしら」

「はい」

「約束よ」

「はい」


 そこで会話が途切れたので私はまたベッドに寝っ転がった。ユイは身近に置いていた本を手に取り読み始める。

 私は天井を眺めながらユイを横目で窺った。彼女は相変わらずの無表情で本に目を走らせている。

 先日、ユイが初めて笑ったあのあと、私は寝るまでずっと落ち着かない気持ちだった。

 だって彼女の笑った顔があまりにも、その、衝撃的だったから。

 それも仕方がないと思う。元々ユイは顔が整っているのだ。そんな顔で笑われたら誰でも驚くというか動揺するというか心が乱されるというか、ともかくそうなる。

 その所為でピアノには身が入らないわ、音は間違えるわ、挙句の果てに疲れているとユイに勘違いされて早めに部屋に連れ戻されるわと散々だった。折角、眠れないユイのために誘ったのに。

 そんなわけでその日は日付が変わる前には寝床に入ったのだけれど、すぐには眠れなかった。体感で一時間以上は思考がぐるぐるしていたと思う。ユイが初めて笑ったこと以外にも、その日は色々とありすぎたから。

 それでも私が眠りに落ちるまでユイの寝息が聞こえることはなかった。

 ユイを見ていると、ふいに彼女が顔を上げた。それと入れ違いで私は視線を天井に移す。

 視界の端に映るユイは数秒ほどこちらを見たあと、また本に視線を落とした。気づかれていないことに安堵しながら、またユイに横目を向ける。

 あの日から気づけばユイを見ていることが多くなった。

 会話しているときは別として、こうして彼女がなにかをしているときはつい窺うように見てしまう。

 そしてその無表情を見ながら、どうしたら不眠症を治してあげることができるだろうか、そしてまたあの顔が見られるだろうかなんて考えてしまっている。

 あの笑った顔がもう一度、見たいだなんて思ってもしまっている。

 ……本当、ここに来てからというもの、彼女は私の心をかき乱してばかりだ。

 そのお陰であまり、自分に構っている余裕がない。


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