大陸暦1962年――手紙


「美味しい」


 食べたクッキーが美味しくて、思わず感想を口に出していた。


「お口にあってよかったです」


 それにそばに立っているリエナが応える。ユイほど無感情ではないけれど、彼女の声音もなかなかに平坦だ。


「どこのクッキーなの?」

「近くの商店街のです」

「前食べたのより美味しいわ」


 これまでも何度かクッキーを買ってきてくれたのだけれど、今日のは一番美味しいと感じる。


「私もここのはよく買います」

「リエナって甘いもの食べるんだ」

「人並みに」


 珍しくリエナが小さく微笑む。少し気恥ずかしそうに。人並みにと言ってはいるけれど、その反応からして結構、甘いものが好きなのかもしれない。

 私はクッキーをまた一つ摘まんで食べる。うん。甘すぎずしっとりとして実に自分好みだ。その美味しさに先ほど用務員の女性との会話で、少しばかり感傷的になっていた気持ちが吹き飛ぶ。あれこれ悩んでしまったときには糖分を摂取するに限る。


「よく買うってことはこの辺に住んでるの?」

「商店街の近くの星教せいきょうのアパートメントに住んでいます」

星教せいきょうってアパート持ってるんだ」

「はい。星都せいとの各地に。安価で借りることができますので卒院したての修道女は大抵、アパートメントをお借りします」

「へぇ。部屋って広いの?」

「そんなには。ですが一人暮らしには十分な広さです」

「ふぅん」


 と、なんてことのない雑談をしていると、恒例のように執務机のほうからため息が聞こえてきた。


「なんか、仲良しになっていません?」


 どことなく拗ねるような感じでマクレアが言う。


「仲良しって、普通に会話しているだけじゃない」

「私にはそんな素直な感じで話してくれないじゃないですか」

「それは貴女が私を怒らせるようなことばかり言うからでしょ」


 マクレアが考えるように小首を傾げる。まさか、自覚がないのか。息をするように人を煽ってるのか。嘘でしょ。こわっ。

 マクレアは早々に考えるのをやめると書類を見た。


「あんまり食べ過ぎると夕食が入らなくなりますよ」

「大丈夫。おやつは別腹って言うでしょ」

「そんなの嘘ですよ。食べたらみんな胃に行くんですから」

「いつもいい加減のくせに、なんでそこは真面目に答えるのよ」

「嘘の知識を持ってもらってはよくないと思いまして。そもそも胃もわかります?」

「わかるわよ」


 治療学を学んでなくたって、それぐらいは知っている。


「それよりもさ、よく畑にいる女性の用務員いるじゃない?」

「女性の」


 マクレアが小首を傾げる。

 そういやあの人とは何度か話をしているのに、名前を聞いたことがない。


「年配の人なんだけど」

「リア様のことかと」リエナが言った。

「あぁ」マクレアがうなずく。

「様?」


 これまでここで紅茶を飲んでいたとき、二人が用務員の話をしていたのを聞いたことがあるけれど、リエナはそのときさん付けで呼んでいた。


「リア様はご引退なされる前は、色付きを授かるほどの高名な癒し手いやしてだったのです」


 私の疑問にリエナが答えた。


「色付きなんだ」

「いえ。辞退されたそうです」

「どうして?」

「自分には身に余るものだと」

「謙虚じゃない。誰かさんと違って」


 マクレアを見るも、彼女は涼しい顔で微笑み返す。


「それで、彼女がどうかしたのですか?」

「彼女って、普通の人よね」

「普通とは」

「なんていうか……祝福とかを持ってるとか」


 祝福とは生まれながらに特別な能力を持つ人間のことだ。

 人間は神が生みだしたものだから特殊な能力も神から授けられたもの、すなわち祝福であり、それを生まれ持つ者は星教せいきょうでは祝福者と呼んでいる。


「あぁ、殿下もなにか言われましたか」

「もってことは」

「彼女は祝福者ではありませんよ。ですがなにかと不思議なことを仰るのは確かですね」


 やっぱりそうなんだ。


「貴女もなにか言われたことあるの?」

「いえ、なにも」


 マクレアは一拍、置いて答えた。

 これは言われたことあるな。マクレアがあの人にどう言われたのか少し興味があるけれど、否定したところからするに訊いても答えてはくれないだろう。


「不都合なことを言われたからといって、当たらないであげてくださいよ」

「お年寄りに強く当たるほど性格終わってないわよ」

「悪い自覚はあるんですねぇ」

「貴女も持ったほうがいいわよ」

「私ほど性格のいい人間はいませんよ」

「よく言うわよ」


 そこで会話が途切れたので紅茶と菓子を楽しむ。

 その間リエナは院長室を出て、少しして手紙を手に戻ってきた。それをマクレアは受け取ると、一つずつ宛名を改めながら執務机に二分していく。自分宛とそうでないものをわけているのだろう。

 その置かれた手紙をリエナはまた手に取ると、どこから取り出したのか紙ナイフで封を切った。そして中身の手紙をマクレアに渡す。それをマクレアは読んではまた仕分けに戻る。

 その様子を紅茶を飲みながら何気なく見ていると。


「あぁ、殿下。星城せいじょうからお手紙が届いていますよ」


 とマクレアが言った。

 お兄様か……と私はため息をつく。

 お兄様からの手紙が届くのはここに来てこれで二度目だ。一度目はユイに用事で部屋に訪れたマクレアが軽い感じで渡してきた。もちろん受け取るだけ受け取って読んではいない。

 マクレアから手紙を受け取ったリエナはそばまでやって来ると、紙ナイフを手紙に当てた。


「手紙ぐらい自分で開けるけど」


 そう言うと、リエナがはっとした。それから申し訳なさそうに手紙を差し出してくる。


「すみません」


 手紙を受け取って修道着のポケットに収めた。まぁ、お兄様の手紙は読んでないから開けないけど。


「あれでしょ? マクレアが一人で手紙も開けられないからその癖が出たんでしょ」


 私は嫌みったらしい笑みを作ってマクレアを見る。

 これまでにも同じ場面に遭遇したことがあるけれど、そのときも先ほどのようにリエナが手紙の封を全て開けてあげていた。


「一人で手紙が開けられないなんて、赤の聖女さまは随分と育ちがいいのね」


 育ちがよくても普通、手紙の封は自分で開けそうなものだけれど。


「もしかして食事をみんなで食べないのも、一人で食事も食べられないからとか?」


 私がここに来てからマクレアは一度も、見習いと食事を共にしたことがない。

 それに関してはいつも食事を共にしていたビクトリアが例外なのか、マクレアが普通なのかはまだわからないけれど、彼女を弄るのに使えるかなと思って私はそれを口にしてみた。

 それにマクレアはすぐには反応しなかった。ただじっとこちらを見てくる。

 もしかして怒った……? と思っていると、マクレアがにっこりと微笑みを浮かべた。


「えぇそうなんですよ。私はリエナがいないとなにもできないぐらいに、育ちがいいのです」

「へぇ。そうなんだ」


 それが嘘だということはわかった。

 だって彼女にしては珍しく、わかりやすい作り笑いだったから。

 そんな私たちのやり取りを、リエナはどことなく気まずそうに見ている。このやり取りが自分きっかけに始まったからだろう。でもいつもマクレアと皮肉を言い合っていても顔色一つ変えないリエナが、今回に限って変化を見せたのは少し違和感を覚えた。


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