大陸暦1962年――からの王女


「それよりも殿下。一度、星城せいじょうに顔を出されてはいかがですか?」

「なによ突然」


 仕返しかと思ってマクレアを見るも、彼女の顔にはいつものうさんくさい微笑みや、人をおちょくるような嫌らしい笑みは浮かんでいない。なんというか普通にこちらを見ている。


「修道院に入ってからまだ一度も、星王せいおう陛下とお話をされたことがないのでしょう?」

「あるわよ……二年前に」


 お母様の五回忌のときに。


「まともにお話をされていたら、お戻りになってから食事も摂らず部屋に引き籠もった挙句、夜に修道院を抜け出したりはしないと思いますが」


 ……ビクトリアか。随分と詳細に話してくれてるじゃない。


「殿下が拗ねてらっしゃるのは、星王せいおう陛下のお気持ちがわからないからでしょう?」

「別に、拗ねてないし」


 そう反論しながらも、その声は自分でもわかるぐらいに頼りなかった。

 マクレアは私の言葉なんて無視するように、話を続ける。


「そのお気持ちに整理をつけたいのならば、一度、星王せいおう陛下と話し合うべきです」

「どうせ訊いたって答えてくれないわよ」


 お兄様に手紙で訊いてもそうだったのだから。


「直接、お訊きになったのですか?」


 それを見透かすようにマクレアは言った。


「一度でも直接、確かめようとなさいましたか?」

「……」


 なにも答えられず黙っていると、マクレアが大きく息を吐いた。


「全く、そうやって行動もせずただここでふてくされていても、現状は変わりませんよ」

「貴女には関係ないでしょう……!」


 私は手に持っていたカップを思わず机の受け皿に強く置くと、ソファから立ち上がった。それから早足で扉に向かい勢いよく開ける。すると目の前にはユイがいた。どうやらいつの間にか授業が終わっていたらしい。私はユイを横に押しのけると、その場から離れた。

 通路には授業終わりの見習いがいたので人目を避けて外庭に行く。

 最近になって気づいたことだけれど、外庭はあまり見習いには人気がないらしい。休憩時間になってもここに人がいるのはほとんど見たことがない。でも絶対ではないので私は外庭に人がいないのを確認してから、花壇に隠れるように膝を抱えて座った。そして膝に顔を埋める。

 ……わかってる。

 マクレアの言うことが正論だってことは。

 正論を言われて腹を立ててる自分が子供だってことは。

 思えばビクトリアは私に一度もそういうことを言ってくることはなかった。

 いつも優しい言葉を、私に寄りそうような言葉ばかりかけてくれていた。

 それなのに私はいつも、それを冷たくあしらっていた。

 苛立つ度に、彼女に当たっていた。

 ふいにそのことを思い出さされて、自己嫌悪に陥る。

 マクレアに羞恥を晒したことよりも、過去の後悔のほうが私の心を重くする。

 そうして鬱々と膝に顔を埋めていると。


「殿下」


 どれくらいかして上から声が振ってきた。

 その声に驚いて、私は反射的に顔をあげる。

 そばにはユイが立っていた。こちらをいつもの無表情で見下ろしている。

 内に籠もりすぎていた所為か、彼女の接近に全く気づかなかった。


「なんでここが」


 私の姿は花壇に隠れていて通路からは見えないはずなのに。


「人に見られない場所を捜しました」


 その答えは少し意外だった。だってそう思ったってことは、私が一人でいたい心情だということをユイがちゃんと気づいたってことだから。


「なんの用よ」

「もうすぐ夕食の時間ですので」


 あぁ、夕食か。


「別にお腹、空いてないし」

「お具合が悪いのですか?」

「なんでそうなるのよ」

「食べられないということはそうなのでは」

「人間、具合が悪くなくとも食欲が出ないときはあるの」


 ユイはじっとこちらを見たあと納得するようにうなずいた。どうやらそういう経験はあるらしい。


「でしたら今日は夕食を食べられないと伝えてきます」


 離れようとしたユイの手を咄嗟に掴む。


「いや別に、食欲がないわけじゃないし……」


 ユイが不可思議そうに首を傾げる。


「あぁもう、今ちょっといじけてるだけなの。私はあとで食べるから先に食べてて」


 正直に言うもユイはその場を動かない。じっとこちらを見下ろしている。……駄目か。


「ここにいるなら人に見られるから座ってよ」


 仕方なくそう言うと、それには素直に応じて隣に腰を下ろした。そして私と同じように膝を抱えてこちらを見てくる。


「いつからあそこにいたの」

星城せいじょうに顔を出されては、あたりです」


 よりにもよってそこからか。


「なんで入らなかったのよ」

「切りがいいところまで待とうかと思いまして。盗み聞きするつもりはありませんでした。すみません」

「まぁ、別にいいけど……」そう何気なく返して私は、はっとした。「って誤解しないでよ。貴女ならその、人に言い触らしたりしなさそうだし、ていうかその前に言い触らす相手もいないだろうし、陰口もたたくようなこともしないだろうからって意味で、貴女だからいいって言ってるわけじゃないからね」


 つい早口でまくし立てるも、ユイは無表情で私を見ている。

 その顔を見ているとなんだか力が抜けて、ため息が出た。


「全く、あんなあからさまな煽りに乗るなんて子供よね、私も」

「お城に戻られたくないのですか?」


 独り言のつもりで言ったその言葉に、ユイが反応した。

 私は驚いた。ユイがそういう個人的なことを訊いてきたのは初めてだったからだ。


「……貴女、世間での私の蔑称、知ってる?」

「いえ」

からの王女」

「から、の王女」

「そう。持たざる者である無能者マドリックの蔑称である空っぽやもぬけの殻とかけての、からの王女。それを二年前、どうしてもお城に戻らなきゃいけないときがあって、そのときに聞いてしまったの」


 ――聞いたか? 王女が帰ってきてるらしいぜ。

 ――馬鹿。様を付けろよ。からの王女様ってな。

 ――それ全然、敬ってねえだろ。


「しかもそれを誰が言っていたと思う? 王族を警護する宮殿近衛騎士よ? ほんと笑っちゃうわよね」


 そのときも、上手いこと考えるなと自笑したぐらいだ。


「父には見棄てられ、王族を警護する騎士には出来損ないの王女だと笑われ、そんな人たちがいるところに帰りたいと思うわけがないじゃない」


 あそこには私を待ってくれている人も、必要としてくれている人も誰もいない。

 私には帰る理由がない。

 自分の家なのに、帰る理由が――。

 そのことに少し寂しい気持ちになりながら膝を抱えていると、横からじっとユイが見ていることに気がついた。


「……なに?」

「いえ」


 ユイがさっと目を逸らす。この子のこういう挙動は初めて見るかもしれない。

 というよりなんで私はこの子にこんな話をしたりしてるんだろう。

 別になにか欲しい言葉が返ってくるわけでもないのに。

 ……でも不思議と、少し気持ちが軽くなった気がした。

 似たような愚痴はビクトリアの前でも零したことがあるけれど、そのときはこういう気持ちにはならなかった。

 どうしてだろう……ユイが大げさな反応をしないからだろうか。

 ビクトリアのように私を憐れむような顔をしないから、だから惨めな気持ちにもならないのだろうか。


「――さて」


 言葉で勢いづけて私は立ち上がった。

 座っているユイがこちらを見上げる。


「流石にお腹が空いたわ。夕食を食べに行きましょう」


 どんなに悩もうがいじけようが、お腹が空くものは空く。

 それに空腹だと人は余計なことまで考えてしまう。卑屈な私も、余計に卑屈になってしまう。そういうときはお腹を満たすのが一番だ。

 ユイはうなずくと、立ち上がった。そして控目にお尻をはたいて土を落としている。こういう挙動も初めて見るなと思いながら、逐一そんなことに目が付く自分が気恥ずかしくなった。


「マクレア怒ってた?」


 その気持ちを誤魔化すようにユイに訊いた。


「いえ。ただ」

「ただ?」


 ユイが言葉を止めたので促すと、少し間を空けてから彼女は言った。


「反抗期の娘を相手にしている気分です、とは仰っていました」

「え。あの人、結婚してるの?」


 指輪してなかったと思うけど。


「存じません」


 ユイは首を振ってそう言った。


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