大陸暦1962年――人形の少女3


 そのあとは結局、夕方まで真面目に過ごす羽目になった。

 それもこれも全部、ユイの所為だ。

 午前中の掃除が終わったあと、もうなにもする気が起きなかった私は自室に戻ろうとした。するとそれにユイは迷うことなく付いてきた。これから授業があるのにも関わらずだ。

 流石に授業のサボりまでは付いてこないだろうと思っていた私は思わず『授業をサボることあるの』とユイに訊いた。そしたら彼女は『ありません』と答えた。これまで規則正しく真面目にやってきたのに、私の世話のためだけにそれを捨てようとするなんて、本当に意味がわからない。

 掃除のように私に構わず行きなさいと言っても無駄だろうことはもうわかっていたので、私は仕方なく授業に出た。教室ではユイは当り前のように隣に座ってきて、そしてご丁寧にも教本を開いてここからだと教えてきた。そこはもう習った場所だった。どうやらレスト修道院よりも授業の進行が遅いらしい。だから余計に授業は退屈なものとなり、やっぱりサボればよかったと何度も思った。

 それから昼食に自由時間に、さらにはお手洗いにまでユイは付いてきた。

 もちろん付いて来ないでと何度も言った。お手洗いのときは特に強く。流石に中まで入ってこないにしても、外で待たれるのも落ち着かない。でもマクレアの言い付けのほうが優先順位が高いのか、私の言うことなんて全く聞く耳を持たなかった。

 それに苛立ってまたマクレアにも文句を言いに行ったけれど、彼女は出かけていなかった。そのとき院長室にいた副院長のリエナに『世話役なんて必要ない』と訴えても、彼女は『私の一存では決めかねますので、明日また院長に仰ってください』と取り合ってくれなかった。

 そんなこんなで打つ手はなく、夜の礼拝まで参加して自室に戻ってきたのが今だ。

 気力を使い果たした私は、ベッドに腰掛けて寝転がっていた。そしてぼんやりと天井を見ていたところ、なにやらごそごそしていたユイが視界の端に入ってきた。


「お風呂に行ってきます」


 見るとその手には着替えを持っている。

 そうか、お風呂の時間か。

 ユイは私の返事を待つことなく部屋を出て行った。

 一日中、付きまとっていた人間がいなくなり、やっと一息つく。

 ユイと私はお風呂が別々だ。彼女はほかの見習いと一緒に大浴場を使い、私はレスト修道院のときと同じく個人風呂を使っている。

 マクレアのことだから個人風呂を使うことを許してくれないかもと思っていたけれど、そこは意外にもすんなり許可が下りた。昨日でユイもそれを知っているので、だから一人でお風呂に行ったのだ。


 …………よし。


 私はベッドから勢いよく上体を起こすと立ち上がった。そしてワードローブから外套を取り出し、それを着て外に出る。向かう先は裏門だ。

 マクレアは外に出るのならば裏門を使えと言っていた。それが外に出る私を未然に防ぐための罠の可能性もあるけれど、一度ぐらいは試してみてもいいだろう。駄目ならば以前のように壁を乗り越えればいいだけの話だ。もうそれが出来そうな大木の目星も付けている。

 私は人に見られないよう慎重に進みながら外庭へと出た。そしてそのすぐそばにある裏門に近づく。裏門の外側には二人の衛兵がいて、二人は私に気がつくと小さく頭を下げた。


「お出かけされるのですね」


 衛兵の一人がそう言って、門を開いてくれる。


「……ありがとう」


 流石にそうすんなり開けてもらっては、お礼を言わざる得ない。


「いえ、お気を付けて」


 少し拍子抜けをしながら、私は歩き出した。

 ここからお店への道は自由時間に図書館の地図で確認したのでわかる。

 ルコラ修道院はルスト修道院よりも壁近へきちかに近い。だからいつもの大通りまでの距離が短く、以前は休み休み走って一時間近く掛かっていたのが三十分ほどでお店についた。

 今日は途中までが初めての道ということもあり、物珍しく辺りを見ながらほとんど歩いていたので走ればもっと早くにつくだろう。

 お店に入るとカウンターにはいつもの三人の姿があった。


「ようルナ」


 そう言ったシンの横でソルトが軽く手をあげる。私は手をあげて返すと、空けてくれた席に座った。


「今日、少し早いじゃない」リリルが言った。「ちゃんとご飯、食べてきたの?」

「えぇ。夕食も食べたし礼拝も出たわ」


 リリルが首を傾げる。ここに来るときはだいたい夜の礼拝には出ない。それは彼女も知っている。それなのにいつもより早く着いたことが不思議といった様子だ。

 それはリリルだけではない。シンもソルトも同じ疑問を顔に浮かべている。

 そんな三人をおかしく思いながら、私はネタばらしをした。


「修道院を移されたの」

「移されたって……あ、もしかしてルコラにか?」

「シン、知ってるの?」

「まぁ、そりゃ? 大きな修道院だからな」


 シンにしてはどこか歯切れが悪い、気がする。


「ルコラなら近いし、よかったじゃない」


 それに怪しむ前にリリルが言った。


「まぁ、それはよかったんだけど」

「なにかあるの?」

「部屋が二人部屋になったし、世話役もつけられたし、前より自由がきかないというか。お陰で今日一日、真面目に過ごす羽目になったわ」

「なんだよルナ。世話役がいるぐらいで真面目になるなんてらしくないじゃん」

「仕方が無いでしょう? サボろうとしたらそれにまで付いてこようとするんだから」

「なかなか面白そうな子じゃない」リリルが笑う。

「面白くない」


 マスターがいつもの人参ジュースを出してくれたので、お礼を言ってそれを一口ぐびっと飲む。


「いい飲みっぷりだ」ソルトがぼそりと言った。

「まるで仕事終わりのおっさんみたいだぞ」


 からかってくるシンに「うるさいと」肘で小突く。


「いいことがあるとしたら、ここに来ることを許されてることぐらい」

「へぇ? 院長が許してくれたのか?」

「そう。ビクトリアとは正反対でほんっといい加減な人でね」


 そう言うとなぜかシンとリリルが笑った。その笑い方に少し引っかかりを感じたけれど、話を続ける。


「気を遣われないのはいいにしても、なんか私の扱いがぞんざいだし、院長の癖にサボろうとしても全然止めようとしてこないし、挙句の果てには平気で人を煽ってくるし、ほんと性格悪いったらありゃしないわよ。あれで色付きっていうんだから笑うわよね。色付きの選出って性格を考慮しないのかしら」


 リリルが苦笑しながらちらりとマスターを見る。マスターはいつものように寡黙にグラスを磨いている。もしかしてこういう話、好まないのだろうかと思っていると、シンが「まあまあ」と私をなだめるように言った。


「なんにせよさ、ここに来やすくなったんだからいいじゃん」

「そりゃ、そうだけど」

「つってもほどほどにしとけよ? あんまり毎日だと外出禁止になるかもしれねえからな」

「わかってる」


 そこでふとした感じでリリルが後ろに振り返った。

 私も釣られて後ろを見る。するとお店の扉がゆっくりと開いた。

 この時間にほかの客が来るなんて珍しい――そう思いながら見ていて、入ってきた人物に驚いた。


「……こんな所までつけてくるなんて」


 口から出た声は、自分でもわかるぐらいに苦々しいものだった。

 そう。そこにいたのはユイだった。


「あの子がそうなんだ」


 私とは正反対に、リリルの声は明るい。


「折角、来たのだから一杯いかが? 奢るわよ」


 そしてそんなことまで言い出す。

 ユイはゆっくり扉を閉めるとこちらを向いて言った。


「私は未成年です」


 相変わらず表情と同じく声に感情がこもっていない。


「安心して。マスターは未成年にお酒を出してくれないの」

「そうですか。ですがすみません。私は殿下をお迎えにあがっただけですから。殿下、帰りましょう」

「嫌よ」

「許可なしでの外出は規則違反です」

「許可は取っていないけれど、私がここにいることぐらいマクレアは知ってるわ」

「それは聞いています」

「ならなんで来たのよ」

「殿下をお迎えに」

「だーかーらー、マクレアが知ってるって貴女も知ってるんでしょう?」

「はい。ですが許可なしでの外出は規則違反ですので」


 ……なんか、話が堂々めぐっている気がする。

 気がするではない。めぐっている。

 苛立ちで頬がひくつく私とは対照的に、リリルたちはなぜか楽しそうだ。いや、なんでよ。


「もう、規則規則うるさいわね。規則なんてものはね、破るためにあるのよ」

「どういう理屈だよ」シンが突っ込んでくる。

「なによシン。なんなら貴方も修道士になってみる? きっと数日も持たないわよ」

「いいや、一日も持たないな」

「早起き苦手だものね」とリリルが笑う。

「それは遅くまで起きてるからだ。早く寝れば早く起きられる」とソルト。

「て思うじゃん? それが違うんだよなぁ。俺の場合は早く寝ても早くは起きられないんだよなぁ」

「シン、昔から夜型だもんね」

「そうそう」

「と、も、か、く」


 私はみんなの話を遮るようにそう言うと、ユイを睨み付けた。


「おそらくあのマクレアなら、私の規則違反で世話役の貴女に管理責任を問うたりはしないから。だから帰って。私は帰りたいときに帰るから」

「ですが」

「帰って」


 口をつぐんだユイがこちらをじっと見てくる。だけどやがて視線を下げて礼をすると。

「失礼します」と言ってお店を出ていった。


 扉が完全に閉まるのを見てからカウンターに向き直る。

 そしてちびちび人参ジュースを飲んでいると、リリルが苦笑を漏らした。


「少し、冷たいんじゃない?」

「この調子で一日中、付け回されたら冷たくもなるわよ」


 これが可愛らしい子犬ならばまだしも、相手は人間だ。

 それも無表情の人形のような人間で、私の意思など関係なく付け回されたとあったら、邪険にもしたくなる。


「でもよ、悪い子には見えなかったぜ。まぁなんか妙に落ち着いた子だったけど」

「落ち着きすぎてるのよ。私がなにを言ってもあんな調子だし、人の言うことも聞かないし」

「今、聞いてたじゃん」

「今、初めて聞いたの。朝から何度も付いて来るなと言い続けてやっとね!」


 私は人参ジュースを一気に飲み干すとカウンターに置いた。


「溜まってるな」ぼそりとソルトが言う。

「溜まりもするわよ。彼女のことがなくとも今日一日、見習い全員から物珍しそうな顔でじろじろと見られたんだから。なによ。無能者マドリックがそんなに珍しいのかっての。私は珍獣かなにかっての」


 もっと飲みたい気分になりコップを掴むも、生憎、中身は空だ。だから手持ち無沙汰にコップを指でなぞる。すると徐々に高ぶっていた感情が落ち着いてきた。……いや、落ち着いただけではない。どうしてか気持ちがすっと落ち込んでしまう。


「……本当、毎日疲れる」


 その所為でついぽろりと心情を吐露してしまっていた。


「もうずっとここにいたい」


 私は俯いた。三人の反応を見るのが少し怖くて。私が本気でそう言っているのではないことぐらい三人はわかってくれてはいるだろうけれど、それでもやっぱり困らせてはいるだろうから。

 少しの沈黙のあと、そろそろ『冗談よ冗談』と笑い飛ばそうかと考えていたらリリルが「ルナ」と名を呼んできた。気持ちおそるおそる顔を上げてリリルを見る。すると彼女はこちらを向いて優しく微笑んでいた。


「私たちは貴女のことを気に入ってるし、こんな場所でよければいつでも来てくれていいと思っている」

「なにがこんな場所だ」


 マスターのいつもの突っ込みに、リリルは肩をすくめて苦笑すると話を続けた。


「でもね、折角、自分に関わろうとしてくれている子を、あのようにはねのけるのは良くないわ。もちろん悪い意味で関わってくるのならば話は別だけれど、あの子がそういうつもりではないことは貴女にもわかっているでしょう?」


 ……それは、わかる。

 あの無表情が演技ではないことぐらいは。

 損得を考えて私に近づいているわけではないことぐらいは。


「でも彼女はただマクレアの、院長の言いつけを守って世話役に徹しているだけよ。自分から望んで私に関わっているわけじゃない」


 どうしてか拗ねるような口調になってしまう。


「だとしても普通、こんなところまで来てくれるかな? しかも今日一日、貴女に色々と言われたあとで」


 思わずぐっと口を結んでしまう。


「それでも彼女は来てくれた。そこは――うん。そうね、偉そうな言い方になってしまうけれど、評価してあげてもいいんじゃない?」


 それに私はなにも答えることができず、ただ空になったコップを指でなぞっていた。


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