大陸暦1962年――人形の少女2


 礼拝堂から真っ直ぐ食堂に行き、食事が乗ったトレイを持って昨日教えられた席につく。

 昨日の夕食もそうだったけれど、献立はレスト修道院と似たような感じだ。味付けも共通のようで相変わらず薄い。部屋の広さと同じく昨日はこれにも落胆を覚えた。


「それではいただきましょう」


 そう言ったのは院長のマクレアでも副院長のリエナでもない。別の先生だ。

 昨日もマクレアは私の紹介をしたあとすぐに食堂を後にしていた。どうやら彼女はここで食事を摂らないらしい。ビクトリアは修道院にいるときには欠かさず見習いと食事を共にしていたので、そこには少し驚いた。まぁ、もしかしたらビクトリアが例外で、マクレアが普通なのかもしれないけれど。


「母なる緑の大地の恵みと、父なる青き海原の恵みに感謝を――」


 みんなが食前のお祈りをする中、隣のユイを見る。歌とは違いお祈りはちゃんと声に出しているようだ。なんかよくわからない。


「――いただきます」


 いつものように最後だけ口にすると、それを皮切りに食堂は一気に賑やかになった。

 食堂にいる見習いたちが各々自由に、普通の声量で会話をしながら食事をしている。ここでは食事時にお喋りを自粛するという暗黙の規則はないらしい。それはここにいる子の生まれによるものだろうか。それともあの軽そうな院長の影響だろうか。もしくは院長がいない開放感がそうさせているのだろうか。

 そんな賑やかな中、自分に話しかけてくる見習いは一人もいない。

 まだ昨日の夕食時は初対面だったのもあり、色々と話を振られたり訊かれたりはした。でもそれに私が素っ気なく対応したことで回りも察したのだろう。もしくは話しかけたくないぐらいに嫌われたか。それはそれで好都合だ。気を遣われながらあれこれ話しかけられるのはこちらも面倒だし、お互いのことを考えればこれが一番いい。

 私はユイに横目を向ける。昨日の夕食のときもそうだったけれど、彼女も話しかけられたり、誰かの会話に交じることはない。一人黙々と食事を続けている。もしかしてユイも嫌われているのだろうか。それで嫌われ者同士、仲良くとか思ってマクレアが私の世話役にしたとか。……なんかあの人ならありえそうな気がする。

 それにしても話し声も賑やかだけど、食器と食器が接触する音もなかなかに大きい。音が立つのは食事作法がなっていないからだ。昨日はそれが耳障りに感じたけれど、そのあと考えてみたらそれも仕方がないかと思った。

 ここの見習いは生まれからして、食事作法をまともに習ったことがない子が多いはずだ。見る限り同年代や上の見習いは大分様になっているけれど、近くの席の一番下の子らしい見習いは姿勢が悪かったり逆手でスプーンやフォークを持っている子もいる。それを下の子のそばに付いている先生が正しく直してあげたりもしているけれど、ここに入ってから数ヶ月経った今でも直っていないってことはまだ癖で戻ってしまうのだろう。

 そんな様子を見ていると、少しいたたまれない気持ちになった。

 そういう環境に生まれてしまった彼女らに同情も覚える。

 なに不自由なく育ってきた子ばかりのレスト修道院では生まれることのなかった感情だ。

 私はまたユイを窺う。なにかとこちらを見てくる彼女だけれど、流石に食事は前を向いて食べている。その作法は、綺麗だ。私から見ても指摘する箇所はなにもない。

 食事だけではない。ユイは所々の所作も綺麗だった。

 一礼にしても、歩き方にしても、細々こまごまな動作にしても、ほかの子から垣間見える粗雑さが彼女からは全く感じられない。それどころか気品すらも感じる気がする。

 彼女は孤児や貧しい家の生まれではないのだろうか――。

 つい食べる手を止めて横目でユイを見ていると、ふいに彼女がこちらを向いた。私は慌てながらも平然を装って前を向く。そして横からユイが見てくる中、何食わぬ顔で食事に戻った。

 賑やかな朝食が終わると朝の掃除の時間だ。

 レスト修道院では午後の掃除しかなかったけれど、ここは朝と午後にあることがあるらしい。敷地も広く、植えられた樹木や花が多いからかもしれない。

 壁近くで登れそうな木はあるだろうかと、観察しながら自室に向けて歩いていると、ぐいっと袖を掴まれた。……ユイだ。


「なに?」

「今日の掃除場所はそちらではありません」


 なんか久しぶりに話しかけられた気がしながら、その手を振り払って歩き出す。すると後ろから足音が付いてきた。


「なんで付いてくるの」私は歩きながら言う。

「世話役ですから」

「世話役だからってサボるのまで付き合わなくてもいいでしょう?」

「掃除、行かれないのですか?」

「そうよ」


 それに返しはなかった。それでもまだ足音は付いてくる。

 私はそれに苛立って立ち止まり振り返った。

 ユイも私の目の前で立ち止まる。その距離が思いのほか近くて少し驚いたけれど、それを顔には出さないようにして私より少し背が低い彼女を見た。


「貴女は行きなさいよ」

「殿下のおそばを離れずお世話をするよう、マクレア先生から言われています」

「だからといってサボるのまで付き合わなくてもいいでしょうって言ってるの」


 ユイは瞬きをしながら私を見てくる。

 なにも言わずじっと。

 いや、なにか言いなさいよ。

 口端が引きつるのを感じながら、私は前に向き直った。そして先ほどよりも早足で歩き出す。それでも後ろの足音は消えない。どれだけ歩いても付いて来る。次第に私は走り出していた。

 途中、見習いに見られながら、先生に注意されながら、修道院内を走る。

 運動神経がないのか、それとも走るのに躊躇しているのか、私の全力疾走にユイは次第に離されていく。そしてユイの姿が見えなくなったのを確認してから私は院長室に入った。


「あら殿下。人の部屋に入るときは扉を叩くか一声かけると教わりませんでしたか?」


 突然入ってきた私に驚いた様子も見せず、正面の執務机に座っているマクレアが言った。見たところリエナの姿はない。今日は彼女一人のようだ。


「貴女に礼儀は必要ないと思って」


 そう返してやりながら部屋のソファにどすっと座る。


「酷い言いわれようですねぇ。というより今、掃除時間なのでは?」

「サボり」

「あら、どうどうと」

「それより、なんなのあの子」

「あの子とは?」

「ユイよ」

「彼女がどうかしましたか?」

「どうかしましたかじゃないわよ。なんか朝からずっと付いてくるし、こちらがなんか言ってもなにも言わずじっと見てくるし、話したとしてもなんだか人形みたいな反応だし」

「気を遣われたり、詮索されるのはお嫌かと思いましたので、彼女ならお気に召しますかと思ったのですが。それともなんです? もっと相手をしてくれる子のほうが良かったですか? 案外、構ってちゃんなんですねぇ殿下は」


 あからさまな煽りに、眉根が引きつるのを感じる。


「……良い性格してるわね」


 それにマクレアはにっこりとうさんくさい微笑みを浮かべると、机に向かった。


「さあさあ殿下。私は今、燃やしてしまいたいぐらいに面倒な書類仕事を片付けている最中なのです。気が散るのでサボるにしても自室とかでしてください」


 そこは院長として注意しなさいよ……。

 これなら礼拝も真面目に出ることなかったかなと思いながら、ソファから立ち上がる。そして院長室の扉に手をかけたところで「あぁ殿下」と呼び止められた。

 肩越しに振り返る。マクレアはこちらを見ず、手にしている書類と向き合っている。


「例のお店に行かれるのならばここから歓楽街までは人通りのある道を通ってください。脇道にそれると治安があまりよくない場所もありますので。それと出るときはほかの見習いに見られないよう用心して裏門を使ってください。衛兵には話を通してありますから」


 それには私も流石に驚いた。ビクトリアがその辺の話をしている予想はしていたけれど、まさか普通にそれを認められるなんて。

 よほど私に興味がないのか、もしくは普段から適当なのか。……両方かもしれない。


「貴女、よく色付きになれたわね」

「優秀ですので」


 私の皮肉にマクレアは顔を上げて微笑むと、また書類に向かった。

 ため息が出ながら院長室を出て自室に向かう。するとその前でユイが待っていた。

 近づく私をユイがなにも言わずじっと見てくる。


「……なによ。言いたいことがあるなら言ったら」


 それにユイは少し視線を下げると、何秒か後にこちらを見て。


「ないと思います」と言った。


 ……まるで人ごとのような、変な言い方をする。

 それからまたユイは黙ってしまったので、私は二階の手すりから下を見た。

 下の中庭では見習いがおのおのホウキを持って地面を掃いている。掃除はもう始まっているらしい。それでもユイがここにいるということは、私が行かないと彼女も本当に掃除に行くつもりはないということだろう。

 マクレアからの言い付けとはいえサボりにさえ付き合うなんて、彼女には自分の意思というものがないのだろうか。

 ユイは相変わらずじっと私を見ている。

 それに私は睨み返すも、最後には無言の圧力に押し巻けてため息をついた。


「掃除どこ」

「行かれないのでは」

「貴女までサボられると私の所為みたいになるじゃない」


 ユイは数回、瞬きをすると、一歩前に出た。


「こちらです」


 先導する彼女に私は付いて行った。


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