大陸暦1962年――無能の王女6


 その日の就寝前、荷造りをした。

 とはいえここでの生活は物を必要としない。それに加えて、ここに入れられたときになにも持ってこられなかったこともあり、私物も少ない荷造りはものの数十分で終わってしまった。

 これなら明日、出発する前でも全然間に合ったな――そんなことを思いながらベッドに腰を下ろして、そのまま寝転がる。

 この殺風景な天井を見るのも明日の朝までだ。そう思うと少しばかり寂しさを感じる。四年も住んでいれば、こんな狭い部屋でも少しは愛着というものを覚えるらしい。

 それでもここを離れることについては別に嫌だとは感じていない。修道院なんてどこもやることは同じだろうし、私の現状も変わるわけでもない。変化があるとすれば寝泊まりする部屋ぐらいだ。

 ただここにいる見習いはある意味、私の存在に慣れていた。

 何年経っても気は遣ってくるけれど、不快な目を向けてくるけれど、それでも感じる視線は最初のころに比べれば弱くなっている。無能な王女への興味も大分、薄れている。

 だけど新しい修道院となると、そこが振り出しに戻ってしまう。また当分の間は強い好奇な目に晒されることになる。そこだけが憂鬱だった。

 ため息をついてから上体を起こし、靴を脱いでベッドにあがる。そして頭からシーツを被った。

 今日の泊まり当番はビクトリアなので彼女が明かりを消しにくる。その彼女と顔を合わせたくないので私は寝た振りをする。

 ビクトリアはあれから私を見かける度に、愁いを帯びた目でこちらを見てきた。

 ……私は人の表情を読むのが得意だから、彼女が裏表のある人間でないことぐらいはわかっている。王女だからという根本な理由はあれど、彼女がリリルたちと同じく自分を心配する気持ちに嘘がないことも。

 でも、それでもどうしてか反抗心を抱いてしまう。

 彼女の前では特に感情が上手く、制御できない。

 それは彼女が、父の息がかかった人間だからだろうか。

 私は父の身代わりとして、彼女を見ているのだろうか。

 だとしたら本当に、最低だ。

 自分の気持ちを発散するためだけに、人に辛く当たるなんて。

 なにも悪くない人を、泣かせるだなんて。

 本当に最低で、そんな自分が自分で嫌になる。

 鬱々としながらシーツの中で身を丸くしていると、やがて扉を叩く音がした。

 そのあと扉が開き、数秒の間があったあと部屋の明かりが消える。

 それにまた胸が締め付けられるのを感じながら、私は瞼を閉じた。



 出発は昼食のあと、午後の授業が始まってからだと朝に起こしにきたビクトリアが言った。そのとき彼女はいつも通りに振る舞っていたけれど、その顔はどこか元気がなかった。

 私は午前中、規則に倣って過ごした。礼拝も授業も出た。それは別にビクトリアのためというわけではない。ここで過ごすのも昼までだし、最後ぐらいは出てやるかぐらいの気まぐれな気持ちだ。

 午前中、見習いの様子はいつも通りだった。まだ私が移されることを知らないからだ。礼拝や朝食でビクトリアがそのことを発表したら面倒だなと思っていたけれど、そこは彼女も空気を読んでくれたらしい。あのビクトリアでも、私がみんなに好かれていないことぐらい流石に知っているはずだから。そのお陰で見習いも私もお互いに、上辺だけの見送りの言葉をかけたりかけられたりする必要はなくなって助かった。

 そうして午前中が終わって昼食後に自室で待っていると、午後の授業が始まってからビクトリアが迎えにきた。


「殿下。お迎えの馬車が参りました」


 扉を叩いてそう言った彼女に返事をせず、私は扉を開ける。

 ビクトリアは私が手に荷物を持っているのを見ると、なにか言いたげな顔をしながらも歩き出した。扉を閉めてその後ろに付いて行く。

 お互いに無言のまま辿り着いた修道院の正門には、一台の有蓋ゆうがい馬車が止まっていた。


「殿下。どうかお体にはお気をつけて」


 馬車に乗り込もうとした私に、ビクトリアがそう声をかけてきた。

 私は肩越しに振り返る。彼女は心配げに、それでも微笑みを浮かべている。

 それにどう答えるべきなのかは、わかっていた――わかっていたのに私はなにも口にできず、馬車に乗り込んだ。

 扉が閉まると馬車が走りだした。

 窓の外は見なかった。

 それでも馬車が見えなくなるまで見送るビクトリアの姿が、脳裏に浮かんで離れなかった。



 心が重いまま馬車に揺られていると、ほどなくして目的地へと着いた。

 体感としてはそんなに時間は経っていない。レスト修道院からそこまで距離は空いていないようだ。

 御者により扉が開いて、私は馬車を降りる。そして目の前の光景を見て少し驚いた。

 馬車が止まった正面広場も、奥にある建物も、明らかにレスト修道院よりも広くて大きかったからだ。

 私は軽く辺りを見回してから正面に視線を戻す。

 そこには少し距離を空けて一人の女性が立っていた。

 年齢は二十代半ば――おそらくビクトリアと同じくらいか上だろう。格好からしてここの院長なのは間違いない。

 彼女はこちらに歩み寄ると、目の前で立ち止まって一礼をした。


「よくぞおいでくださいました。私はこのルコラ修道院の院長を任されております、マクレア・ハスティンと申します。どうぞよろしく」


 マクレア? マクレアって確か。


「色付きの」


 星教せいきょうには色付きと呼ばれる修道士と修道女がいる。

 色付きは星教せいきょうの最高指導者である星導師せいどうしから与えられる、星教せいきょうでは最も名誉ある称号だ。主に実力者や星教せいきょうが行なっている慈善活動などで多大な貢献をした人物に送られるらしい。

 その色付きにはそれぞれ星導師せいどうしから希望した色が与えられており、このマクレア与えられた色名は赤色。

 ゆえに彼女は赤の聖女マクレアと呼ばれていた。

 赤の聖女マクレアのことは星教せいきょうの授業で習ったので少しは知っている。

 貧しい地域である壁際への慈善活動や、犯罪の被害者家族の慰問にも積極的に取り組む、星教せいきょうでは指折りの癒し手いやして――治療士――の一人だと。

 そして今では担い手が減ってきているらしい高位治療魔法の使い手、神星しんしょう魔道士だということも。

 神星しんしょう魔道士――その言葉を見聞きすると、どうしても気持ちが鬱屈してしまう。

 この国、星王国せいおうこくセンルーニアは稀代の神星しんしょう魔道士であった初代星王せいおうルーニア・セレンが興した国だ。

 そしてその初代星王せいおうは古代大戦の英雄、せい六英雄の一人であり神星しんしょう魔法の始祖リュムの子孫でもある。

 そんな大層な血を引いている星王家せいおうけに生まれた人間は、大小あれど例外なく魔法素養に恵まれていた。特に女児は神星しんしょう魔法の高い素養を持って生まれる確率が高いとされている。

 その証拠にもう亡くなったけれど父方の祖母、先代の星王せいおうも高位神星しんしょう魔道士だったし、歴代の王女の中には初代星王せいおうの生まれ変わりとまで称されるほどの素養者もいた。

 そう、これまではそれが普通だったのだ。

 私が生まれるまでは――。


「はい。そうです」


 鬱々した私の気持ちとは裏腹に、マクレアはにっこりと微笑んだ。

 なんというか……ビクトリアとは違い微笑みがうさんくさい。

 だけどそこから私に対する負の感情は読み取れない。

 見えないのではない。わからないのだ。

 いくら私が表情から感情を見抜くのが得意とはいえ、それは誰にでも可能というわけではない。

 中にはそれを隠すのが上手い人もいる。取り繕っていたり、なにかを隠しているまではなんとなくわかるにしても、表情から感情を見抜けない人が――。

 これまでの経験からしてそういう人は大抵、大人だった。それはおそらく大人の多くが処世術としてそれを身に付けたからだろう。そしてそれが見破れないのは、私がまだ人生経験が乏しい子供だからというのもあるのかもしれない。

 それでも喜怒哀楽や負の感情など、見てわかりやすい感情が読めないことは今まで会った人の中には一人もいなかった。

 でもマクレアはそれが見えない。

 私に対して良い印象を持っているのか悪い印象を持っているのか、全く読み取れない。その微笑みがうさんくさい――なにか裏がありそうだ――ぐらいしかわからない。

 それが見破れないことに、なんとなく悔しい気持ちになる。

 だからどうにかして感情を読み取みとれないかと試みていると、マクレアが「まずはお部屋にご案内します」と背を向けてさっさと歩き出した。私を待つ様子は全くない。仕方なく彼女に駆け寄り後ろに付く。周囲にはちらほらと大人の姿はあるけれど、見習いは一人も見当たらない。レスト修道院と同じならば授業中なのだろう。

 特に会話もないまま建物の二階に上がり、外に面した通路を進んで一番奥の部屋まで行く。そこでマクレアは立ち止まると、扉を空けて手で中を示した。


「こちらになります」


 私は中に入り部屋を軽く見渡す。部屋の間取りや広さ、そして左右対称の二人分の家具の配置までレスト修道院と全く同じだ。建物が大きいからあちらより少しぐらいは部屋が広いか、もしくは一人部屋があるのではと期待していたのだけれど……。


「相変わらず狭いわね」


 落胆を感じながら、それをマクレアに八つ当たりするように嫌みを吐く。

 ビクトリアなら困り顔を浮かべて謝ってくるところだが、マクレアはそうではなかった。


「ですよねぇ。私も見習い時代は本当に窮屈でたまりませんでした」


 そういう返しをされるとは思ってもいなかった私は、驚いてマクレアを見る。すると彼女はこれまた読めない微笑みを浮かべて『なんですか?』とでも言うように小首を傾げた。

 そんな彼女を無視して室内に視線を戻す。荷物を置こうと机を見ると、そこにはすでに本やら小物などが置いてあった。


「誰かいるの?」マクレアを見る。

「そりゃいますよ。二人部屋なんですから」

「一人で使いたいんだけど」

「却下です」


 即座にそう言ってきたマクレアを、私は不満をぶつけるように睨み付ける。けれどそれを彼女は意にも介せず話を続けた。


「同室の子は今、授業中なのであとで紹介します。さ、殿下は右側をお使いください。荷物を置いたら院長室でお茶でもしましょう」


 部屋の外からそれだけ言うと、マクレアは向きを変えて歩き出した。相変わらず私を待つ気はないらしい。

 私はため息をついて、荷物を置いてから彼女の後を付いていく。そうして辿り着いた院長室には一人女性がいた。眼鏡をかけた若い女性だ。


「殿下。紹介します。彼女は副院長のリエナ・ソルティです」


 執務机のそばにある棚の前でなにやら書類を見ていた女性は、マクレアに紹介されて軽く丁重に頭をさげた。その表情は……無表情だ。いや、無表情とは違うか。なんというか、顔から全身まで生真面目さが漂っている。それを見てどことなくソルトと似ているなと思った。


「彼女はここの卒院生で、卒院してからずっと副院長をしてくれています。とても優秀で助かっています」


 褒められてもリエナの表情は変わらない。


「さあどうぞ」


 勧められてソファに座ると、用意してあったカップにリエナが紅茶を注いだ。そしてそれらを私たちに出してから、軽く一礼をしてこちらも見ずに仕事に戻っていく。

 それに逆に気持ち悪さを覚えながら、カップを手に取った。この香りはアールグレイだ。


「お茶会以外で見習いにこういうの飲ませていいの?」


 見習いが紅茶を飲めるのは月に一度のお茶会ぐらいだ。そのときには紅茶だけでなく普段、食べられないお菓子も口にすることができる。

 それを見習いが楽しみにしない理由なんて無いわけで、それは私も例外ではないのだけれど、でも見習いと顔を合わせてお茶をするのなんて嫌だったので、その日はいつもビクトリアに自室に運んでもらっていた。


「それとも特別扱いされてる?」

「いいえ。私が飲みたかっただけで、殿下はそのついでです。気になるようでしたら飲まれなくて結構ですよ」


 さらりと答えてマクレアは紅茶を飲んだ。……なんだろう、ここに着いてから一度も想像していた返しが返ってこない。マクレアもリエナも私に気を遣うどころか、興味すらもないといった感じだ。もちろんそのほうが気が楽ではあるのだけれど、私を無能の王女と知った上で初対面からこういう扱いをされるのは初めてでなんだか調子が狂う。……まぁ、紅茶を飲めるのは久しぶりなので飲むけど。

 茶葉はレスト修道院と違うのを使っているんだな――などと思いながら紅茶を堪能していると、少ししてマクレアがカップを机に置いて言った。


「それでは、ここでの生活についてお話させていただきます。起床に就寝、朝夕の礼拝、食事や入浴時間についてはレスト修道院と同じなので改めてお伝えすることはありません。掃除や自由時間などは日によって変わりますので、それはまた同室の子にでも聞いてください」


 そうだった。一人部屋じゃないんだった。

 忘れかけていたことを思い出さされて、気持ちが重くなる。


「畑仕事については、する必要はありません」

「なんで。畑ないの?」


 レスト修道院には畑があって、週に何度か見習いが手入れなどをしていたのだけれど。


「ありますよ。レスト修道院よりも大きなものが。ですがここはレスト修道院よりも学ぶことが多いので、畑の手入れは用務員や先生が行なっています。見習いに手伝ってもらうのは収穫が重なったときぐらいです」


 そうなんだ。土いじりはわりと嫌いではなかったので少し残念……って。


「学ぶことが多いって、レスト修道院より授業数が多いってこと?」

「そうです。ここでは主に貧しい家庭や孤児を受け入れて、癒し手いやしての育成を行なっています。なので普通の授業に加えて低から中学年には一般教養の授業が、全学年には治療学の授業があります」

癒し手いやして

「はい。治療士のことです」

「それぐらい知ってるわよ。そんなことよりもここにいる見習いは全員、魔法の素養者なの?」

「そうですよ。ですので魔法の素養がない殿下は治療学の授業に出られる必要はありません。その時間はご自由にお過ごしください」


 私の前では誰もが避ける話題をあまりにも自然に口にするものだから、私は呆気にとられた。そして続けて笑いが込み上げてくる。


「なにかおかしかったですか?」マクレアが不思議そうに小首を傾げた。

「あのビクトリアが私をここに放り込んだと思ったら、そりゃおかしくもなるわよ」

「どうしてです?」

「だってそうでしょう? よりにもよって無能者マドリックをこんなところに移すなんて、嫌がらせ以外のなんでもないじゃない」


 魔法素養者しかいない中で一人だけ無能者だなんて、惨めにもほどがある。


「なんだかんだ言って結局、彼女も私を見放したんだわ――」

「違います」


 その鋭い声に、思わず私は下げていた視線をあげた。

 こちらを見るマクレアと目が合う。

 その顔には先ほどまで浮かんでいたうさんくさい微笑みは消えていた。

 まるで感情をそぎ落としたような表情でこちらを見据えている。

 無表情とはまた違う、鳥肌が立つぐらいに冷たい顔で。

 その表情の変貌と、その目が湛える底知れぬ暗さに、私は気圧された。


「貴女が彼女を受け入れなかったのです」


 それに私はなにも反応できなかった。

 視線を動かすことも、声を出すこともできなかった。

 そんな私をマクレアはしばらく見ていたけれど、やがて目を閉じるとこちらを見て微笑んだ。


「まぁ、実のところ、私のほうから彼女に殿下をお預かりすると申し出たんですが」


 そう言ったマクレアの調子は元のものに戻っていた。


「貴女のことで心を痛めるビクトリアを見ていられなくて。彼女は私の修道院時代の後輩なのです。彼女、言っていませんでしたか?」


 問いかけられても先ほどの余韻に引きずられて、なにも答えられない。

 それをマクレアは気にすることなく、話を続けた。


「そんなわけで、あまりビクトリアを責めないでやってくださいな」


 にっこりとマクレアは笑うと、そのまま扉のほうに顔を向けた。


「あぁ丁度、終わったみたいですね」


 私も釣られて扉を見る。言われてみれば確かに外が少し騒がしい。おそらく授業が終わったのだろう。

 まだ先ほどの動揺が抜けきらないまま扉を見続けていると、少しして院長室の扉が叩かれた。


「どうぞ。開いてますよ」マクレアが答える。

「失礼します」


 そう言って中に入ってきたのは、見習い修道着の少女だった。

 背恰好からして年齢はおそらく自分と同じぐらいだろう。流れるように真っ直ぐな淡い金髪を肩上で切りそろえている。

 少女は扉を閉めると、伏し目がちでこちらに歩み寄ってきた。

 マクレアがソファから立ち上がり、そばに来た少女に手を向ける。


「殿下。紹介します。彼女が殿下の同室で、そして世話役となります。ユイ・レシェントです」


 紹介された少女は、教本を持っていない左手を胸下に当てて、深々と頭を下げた。


「ユイ・レシェントと申します。お目にかかれて光栄です」


 近くで聞いた少女の声は、これまで聞いたことがないぐらいに澄んだ声だった。

 一切の不純物が混じらない、透明な声――。

 だけどその綺麗な声からは、不純物どころか感情すらも感じられなかった。

 そこに違和感を覚えながら少女を見ていると、頭をあげた彼女と目が合った。

 どうせこれまでの見習いと同じ反応をされるのだろうな――そう思っていた私は、間近で彼女の顔を見て驚いた。


 私を見るその淡い緑色の瞳には。

 その白い顔には。

 声と同じく一切の感情というものが浮かんでいなかった。


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