大陸暦1962年――呼び出し
翌朝、起こしにきたビクトリアの目は赤くなっていた。
その原因が私なのは明らかだった。昨夜、私のことで泣き腫らしたのだろう。
そんな顔でいつも通り微笑む彼女の姿に胸が痛んだけれど、私はそれを見ない振りをした。
それからしばらくは、大人しくしていた。
ビクトリアのほとぼりが冷めるまでと、あとは雨期で雨続きだったのもあり、礼拝はサボりつつも外出はせず、そこそこ真面目な見習い生活を送った。
その間、修道院に来て以来、初めて新聞を読んだ。
修道院の新聞はみんなが読めるように図書館に置いてある。だけど人目があるところでは読みたくなかったので、夜に図書館から過去数日分の新聞を自室に持ち込んだ。
新聞にはリリルが言っていた通り、修道院の外のこと――国内外のことが載っていた。これまで歴史の授業ぐらいでしか外のことに触れてこなかった私には、今まさに外で起こっていることが載っている新聞は新鮮かつ刺激的で、面白かった。
でも、流石に記事の全部が面白かったわけではない。中には心痛む記事も多かった。事件に関することだ。
この
それを知って、全く父はちゃんと治安維持に目を向けているのだろうか、とここぞとばかりに君主批判をしてやった。そして次いで、そんなことも知らなかった自分を、恥じた。
それから新聞は毎日、読むようになった。
私は昔から本を読むのが好きではないので新聞もそうだと思っていたのだけれど、どうやらそれは思い違いだったらしい。
私は読むこと自体が嫌いなのではない。
分厚い本を読むのが好きではないのだ。
それは自分の、変なところで几帳面な性格が原因だろう。
私は昔から本に手を付けると、読み切らないと気が済まないところがあった。それがどんなに面白くないものでも、読み飛ばしとか中途半端で投げることがなんだか気持悪くて、どうしてもできなかった。
そのお陰で子供のころに
その点、新聞は本みたいに分厚くはないし、内容も記事ごとに完結している。
その記事にしても上手く簡潔に文章がまとめられているので、たとえ興味のない記事に手を付けてしまったとしても本ほど苦痛は長く続かない。そこが本よりも気楽でよかった。
そうしてリリルが勧めてくれた新聞が、慢性な修道院生活で唯一の楽しみとなり始めたころ、雨期が完全に明けた。
今夜辺りにでも久々にお店に行こうかな――そう午後の自由時間に自室の机に頬杖をついて、少し心を弾ませながら思っていたら部屋の扉が叩かれた。
「イルセルナ殿下。いらっしゃいますか」
ビクトリアではない。ほかの先生だ。
「なに」
私は椅子に座ったまま答える。
「院長がお呼びです」
外にいる先生はそれだけ言うと、部屋前から離れていった。
それで久々に上がっていた気分が一気に落ちこむ。
私はため息をついて、座っていた椅子から立ち上がり自室を出た。
ビクトリアに呼び出されるときは大抵、いいことがない。
そのほとんどが兄からの手紙だ。
兄といっても私の本当の兄ではない。
この国の王太子であり、十二も歳が離れたアーヴィンは父の兄の子だ。
兄は生まれてすぐ母親を亡くし、そして王太子であった父親も兄が幼いころに病死した。
それをなにを思ってか、当時まだ独身であった父が兄を引き取ったのだ。
だから本当は従兄弟という間柄になるのだけれど、一人っ子である兄は私を実の妹のように可愛がってくれた。母と一緒によく遊んでくれた。
でも、そんな優しい兄でも、私が修道院に入れられるのを止めてはくれなかった。
手紙が届いたのもここに入ってから一年以上、経ってのことだ。
その最初の手紙にはまず、これまで連絡しなかったことへの謝罪が記されていた。その理由は書かれていなかったけれど、おそらく父の許しが得られず手紙を出すことができなかったのだろう。
そのころは私もまだやさぐれて時間が経っていなかったこともあり、今さらなんだと思いながらもすぐに返信を書いた。
父の仕打ちに対しての説明を求め、今思えば本当に呆れるけれど帰りたいとも記した。全てを諦めた癖に、手紙が来た途端にそこに希望を見出すなんて、往生際が悪いにもほどがある。
案の定、兄の返信は当時の私の期待に沿うものではなかった。手紙には父の考えを説明することはできないこと、父の許可なく私を連れ出すことができないこと、そして極めつけはそこで頑張ればきっと父もその願いを聞き届けてくれると記されていた。
それに私は落胆しながらも、兄との手紙のやり取りは続けた。けれどなにを訊いても返ってくるのは代わり映えのない言葉ばかりで、私は次第に兄からの手紙が嫌になった。
結局は兄も父と同じだ。
いずれ王位を継ぐ身に、無能者の妹など邪魔なのだ。
私は父だけでなく兄からも見棄てられたのだ。
父のときと同じくそこに行き着いた私は、それから兄の手紙に返信をしなくなった。
それでも兄は今でも月に一度は手紙を寄こしてくる。最後の返信にもう手紙は寄こさなくてもいいと記したのに、送ってくる。その目的はわからない。最後の返信を出したときから一度も、兄の手紙は読んでいないから。
今日もどうせ兄からの手紙だろう。そろそろ送ってくるころだから。そう思うと気が重かった。
「殿下。お呼び立てして申し訳ありません」
院長室に入ると、ビクトリアがいつもの決まり文句で私を出迎えた。それから手でソファに座るように促してくる。すぐ済むような用件でもソファを勧めてくるのはいつものことだ。
こんなところで反抗しても仕方がないので素直にソファに座ると、ビクトリアも向かいに腰を下ろした。
ここ最近、大人しくしていたこともあり、ビクトリアの様子は普段のものに戻っていた。その顔にもいつも通り、柔和な微笑みを浮かべている――。
「……?」
そう思った矢先、私は違和感を覚えた。
いや……違う?
いつもよりわずかに、微笑みが強張っている気がする。
そこに浮かんでいるのは……なんだろうか。
申し訳なさ、だろうか。
「今日は殿下にお話がありまして」
怪訝に思いながらビクトリアを見ていると、彼女はそう話を切り出してきた。
って話? 手紙ではなくて?
「なに」
「急で申し訳ないのですが
「え」
予想だにもしなかったことに、流石の私も驚いた。
「隣の北区画、もう少し
「なんで、突然」
自然と言葉がつっかえた。……思いのほか、動揺しているらしい。
「そちらのほうが殿下が通われているお店に近いですし、殿下にとってもそのほうがよろしいかと」
近ければ行きやすいし、長く滞在できるからそれは普通に助かるけど……それなのに、喜んでもいいことなのに、なぜか私の胸の中にはじわじわと暗いものが滲み出てきていた。
「……それだけの理由で、私を移すの?」
その気持ちに反映されるように、声音も自然と暗いものになる。
「本当は貴女も私が疎ましくなったんじゃないの?」
「そうではありません。これは――」
ビクトリアは焦って否定しながらも、途中で口をつぐんだ。
まるで言えないことでもあるとでもいうように。
本心を隠すかのように。
「……やっぱりそうなんだ」
私はソファから立ち上がるとビクトリアに背を向けた。
「殿下」
「言われた通りどこにでも行くわ。今のところ私にはほかに行く場所なんてないんだから」
そう言い捨てて部屋を出た。
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