大陸暦1962年――無能の王女3


 星都せいとの北区画の中心街と、裕福ではない人たちが暮らす壁近へきちかと呼ばれる場所の境目にそのお店はあった。

 お店と言っても近くにある飲食店のように、店先に看板などは一つも出ていない。外観にお店っぽさはあるのだけれど、雨戸は閉めきられているし、入口の扉にも窓が付いていないのでどう見ても営業中には見えない。

 だけど私はそんなこと気にせず、扉を開けて中に入った。

 落ち着いた色合いの魔灯まとうで照らされている店内には四方に客席が四つ、そして中央奥にはカウンターがある。客席には誰もいないけれど、カウンターには人の姿がある。

 少し高めの椅子に座ったその三人は、それぞれこちらを見た。

 男性二人に女性一人という顔ぶれだ。

 その中の一人、真ん中に座っている男性は私を見ると、少年のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「来たな。不良娘」


 続いて左に座っている眼鏡の男性が無言で軽く手を挙げ、右にいる女性が微笑む。


「不良少年に言われたくない」


 私の返しに不良少年は楽しそうに笑うと、男性二人が左に席をずれてくれた。私は空けてくれた席に座る。

 ここは一見いちげんお断りの、常連客かその紹介でのみに開かれたお店だ。

 そしてこの三人はこのお店の常連客になる。

 最初に声をかけてきた男性がシン。歳は私の二つ上の十六だ。

 その奥に座る眼鏡をかけた男性がソルト。歳は十八。

 そして私の右に座る紅一点がリリル。歳は十七だ。

 三人は壁近へきちか出身の昔馴染で、いつも仕事の合間にここを溜まり場にしている。

 その仕事というのは星教せいきょうや修道院に関するもの、というわけではない。

 お互いに共通の知り合いがいる、というわけでもない。

 こんな感じで本来、私と三人を結びつける接点はなに一つない。

 そんな縁もゆかりもない私たちが出会ったのは、二年前のことになる。

 あの日は母の五回忌――星礼しょうれい参りに参加するために、二年振りに星城せいじょうに帰った日だった。

 そのとき二年振りに会った父にかけられた言葉にむしゃくしゃしていた私は、昼前に修道院に戻ってからずっと自室に引きこもっていた。

 それを見かねたビクトリアが自室まで食事を持ってきてくれたけれど、私はそれを食べず夜に初めて修道院を抜け出した。そして当てもなく走っているうちにたまたま辿り着いたのがこのお店だった。

 走り疲れて、さらにはお腹も空いていた私は、このお店の前――看板が出ていないのでそのときはお店とも思っていなかった――で座り込んだ。すると少しして、このお店にやってきた三人に声をかけられたのだ。

 今日のように個人的な外套を身に付けていたので三人は最初、私を家出少女かと思ったようだった。だから家に帰るようにと言われたけれど、父とのことで気持ちが投げやりになっていた私は、本名を名乗って捨てられたから家に帰れないと答えた。それをシンは冗談だと思って笑い、そしてお腹が空いていると知るとおごってやると言った。

 それでここでご飯をご馳走になって事情も話し、三人は修道院まで送ってもくれた。

 私の話を真剣に聞いてくれながらも素性については半信半疑だった三人も、衛兵に呼ばれて飛んで出てきたビクトリアの態度でやっと私が王女だと信じた。

 それから私は時折、修道院を抜け出してはここに来るようになった。

 三人は私が王女だとわかっても、態度を変えることはなかった。

 王女ではなく、一人の人間として私を扱ってくれた。

 修道院に入れられて以来、そんな風に普通に接してくれる人は初めてで、私はそれがとても嬉しかった。


「ルナ。久しぶりね。元気にしてた?」


 右に座っているリリルが言った。三人は私のことをルナと呼ぶ。そう呼んでとお願いしたわけではなく、彼女がそう呼び始めたのが切っ掛けだ。

 ルナは家族にも呼ばれていた愛称なので最初は少し複雑だったけれど、今はなんとも思ってはいない。むしろイルセルナや殿下と呼ばれるよりは壁がなくて断然いい。


「元気にしてたらこんなところに来ない」

「なにがこんなところだ」


 カウンター向こうにいる大柄で体格のいい男性が、低い声でそう言った。

 彼はこのお店のあるじだ。名前は知らない。みんなマスターと呼んでいるので私もそうしている。普段は必要以上のことは喋らない寡黙な人なのだけれど、お店のことをいじられると今のように突っ込みを入れてくる。だいたいのことは受け流すのに、なぜかそこは譲れないらしい。

 このいじりは私たちの間では定番のようなもので、マスターの反応に三人と目を合わせて笑う。

 マスターは赤い液体で満たされたコップと、小皿に載ったピーナッツを私の前に置いた。

 私はマスターにお礼を言って、出された飲み物を飲む。中身はみんなのようにお酒ではない。人参ジュースだ。リンゴも含まれているから甘みもあって美味しい。

 私だけジュースなのはまだ未成年だからだ。大通りで飲む人たちの顔ぶれを見れば飲酒法なんてあってないようなものだけれど、真面目なマスターはなにがなんでも未成年にはお酒を出してくれない。少しだけと言っても『まだ早い』と一蹴されてしまう。だから今年に成人したシンもやっと飲めるようになったと喜んでいた。

 因みに見習いの身でお金なんてないので、支払いは出世払いにしてくれている。

 それは私から言い出したことではない。マスターからの提案だ。

 なんでも三人も昔はそれで飲食をさせてもらっていたらしい。そして今、日々の注文に少しずつ上乗せしながら返済中なのだとか。しかも期限も利子もなしだと言うので、一見いちげんお断りだけでなくそんな慈善活動じみたことをしていてお店は大丈夫なのかと訊いたら、マスターは『大丈夫』と一言だけ言っていた。

 私もマスターにお金がないことを断ってここに居させてもらっていたとはいえ、注文できず申し訳ない気持ちはあったので、その言葉を信じてありがたく好意に甘えさせてもらっている。もちろん立場を盾にして踏み倒すつもりはない。卒院したらどうにかして支払うつもりだ。


「ということはそれまで元気だったのか?」シンが訊いた。

「その逆。ビクトリアが泣くから来たくてもこられなかったの」

「あぁ、あの院長先生か」シンが笑う。

「ほんと、心配性で困るわ」

「でも、心配する気持ちはわかるけれど」リリルが言った。

「それはどうせ私が王女だからでしょ」


 思わずふて腐れるように言ってしまうと、リリルが柔らかく苦笑した。


「もちろんそれもあるだろうけれど、でもほかの見習いの子が貴女と同じことをしても、あの人なら普通に心配すると思うな」

「確かに、院長先生めっちゃ人がよさそうだったもんな」シンが言った。「初めてお前と会って修道院まで送ったときも、お前を見て膝から崩れ落ちてたし」


 そう。あのあと泣くビクトリアをなだめるのに大変だったのだ。


「あんまり泣かせると可哀想だ」


 それまで静かにお酒を飲んでいたソルトが真顔で言った。

 怒っているのではない。どんなときでも彼は基本的にこんな感じだ。


「だから当分、大人しくしてたじゃない」私はピーナッツを口に放り込んで食べる。「なによソルト、もしかしてああいうのが好みなの?」


 からかい半分に言うと、ソルトは顔色一つ変えず「魅力的だと思う」と肯定した。


「マジかソルト。年上好きだったのか」シンが驚く。

「歳は関係ない。自分は感情表現が苦手だから、感情が豊かな女性は見ていて面白い」

「へぇ……でもビクトリア、指輪してるしおそらく結婚してるわよ」

「あぁ。知ってる。残念だ」


 ソルトは真剣に言葉通り残念がると、お酒を一口飲んだ。


「ソルトが失恋したところで」


 シンの言葉にソルトからぼそりと「そこまでいっていない」と突っ込みが入る。


「ルナは浮いた話ねえの?」

「あのねぇ。女だらけの修道院でどうやったらそんな話が出てくるのよ」


 私の言葉にシンが、ちっちっち、と舌を鳴らしながら人差し指を揺らした。


「ルナ。愛に種族や性別は関係ないんだぜ」

「どしたのこれ」


 得意げなシンを放っておいてリリルを見る。


「先日、知人の小さな劇団に招待されて三人で見に行ったんだけど、それが両生類な異星人と人間との悲恋物語でね」

「すごい題材ね」

「ね。それでそれを見たシンが号泣しちゃって」


 そのときのことを思い出すかのように笑うリリルに、シンが「めっちゃ泣けただろあれ!」と抗議する。


「へぇ。シンて涙もろいんだ」

「ば、馬鹿。そんなことねぇよ」


 シンは声を上擦らせながら言った。嘘をついているのが丸わかりで思わず笑いそうになる。普段は素直すぎるぐらいに素直なのに、そこは認めたくないらしい。涙もろいって男性からしたら恥ずかしいのだろうか。


「劇が良すぎただけだって。な? ソルト?」


 ソルトはわずかに眉を寄せると「斬新で、面白かった」と答えた。

 こういうとき彼は話を合わせるタイプではないので、その劇が面白かったことは間違いないだろう。泣けるかどうかは別として。


「でも実際、修道院みたいな閉鎖空間だと、シンの言うとおり性別関係なくそういうことあるんじゃない?」


 リリルが少し話を戻した。


「まぁ、それらしい子を見たことはあるけれど……でも私には関係のないことだわ。そもそもそれ以前に無能な王女にはみーんな近寄りもしないし」


 近寄ってくるとしたらあの憎たらしいソフィぐらいだ。


「それは肩書きではなく、そんな顔ばかりしてるのがいけなのだと思うけど」

「顔?」

「ルナ。もう少し表情を緩めてみたら? そうしたらきっと人も寄ってくるよ」

「別に私は人に寄ってきてほしいわけじゃないんだけど」

「もう。すぐそうやって仏頂面して。そんなんじゃ折角の可愛い顔が台無しよ」


 ふいにそんなことを言われて、つい黙りこくってしまう。するとシンが嫌らしい笑みを浮かべて顔を覗き込んできた。


「お、照れてる?」

「照れてない……!」


 私はピーナッツを食べると、気恥ずかしさを振り払うために話題を変えた。


「あーあ、早く卒院して自由になりたいわ」

「修道女って自由なのか?」シンが素朴な疑問という感じで訊いてくる。

「人に管理されることがなくなるんだからそうでしょ。いや、それ以前に修道女になるのも嫌なんだけど」

「それならお城に戻るの?」リリルが訊いた。

「それは……出来れば戻りたくない」


 卒院後の展望が全然ないことに気づき、自分で自分に呆れてしまう。

 それが顔に出てしまっていたのか、シンが励ますように軽く背を叩いてきた。


「んじゃさ、まだ卒院までええと……二年半だっけ? あるんだしさ、それまでになんかやりたいことを探してみろよ」

「やりたいこと」

「おう。修道女にもなりたくなくて城にも戻りたくねえってんなら、自分の力で生きられるようにならなきゃ。だろ?」

「それはその通りだけど、私に出来ることなんてあるかしら」


 無能者である私に。


「あるわよ」リリルが明るく断言した。「貴女がその気になればなんでもできるわ」

「なんでも、ね」


 ほかの人間に言われたら嫌みとしてしか聞こえない言葉も、リリルだと不思議とそのままの意味で受け取ることができる。それはおそらくその顔に嘘や気遣いなどが浮かんでいないからだろう。その言葉に裏はなく、彼女は本心でそう思ってくれている。

 この三人は私の体質を特別なものとして見ないからそこは凄く、ありがたい。


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