大陸暦1962年――無能の王女2


 遠巻きに見てくる見習いたちを疎ましく感じながら横を抜けようとすると、その中の一人がこちらに近寄ってきた。


「おはようございます。イルセルナ殿下」


 彼女は私のそばで立ち止まって、どことなく優雅な一礼をした。

 それに続くように、後ろの三人も挨拶をしながら一礼をしてくる。

 まるで三人を従えるように目の前に立つこの見習いは、同期のソフィだ。

 彼女は星教せいきょうの貴族とも言える神家しんけの人間で、なんでも代々、この国のどこぞの街の教会長を任されている家柄の出らしい。

 そんなことに全く興味がない私がそれを知っているのは、彼女に訊いたからではない。本人から勝手に聞かされたからだ。

 ソフィとは私がここに捨てられて一年間、同室だった。

 彼女は健気にも父を信じていた少女に、訊きもしないのに自分の家族のことを話してきた。誇らしい父親のことを、優しい母親のことを、可愛らしい弟たちのことを、それはもう楽しそうにべらべらと喋った。挙句の果てに家族から手紙が来ない私の目の前で、家族からの手紙を嬉しそうに読んだりもした。本当、嫌がらせにもほどがある。

 あのころはまだ私も純粋だったので、ソフィへの感情よりも悲しい気持ちのほうがまさっていた。消灯後に向かいのベッドで寝ている彼女に気づかれないように、声を殺して泣いた。

 でも今ははっきりと自覚している。私は彼女が嫌いだと。

 私はソフィの顔を見る。本人はごく自然に微笑んでいるつもりだろうけれど、その微笑みと目には蔑みが浮かんでいる。


「おはよ」


 それに気づかない振りをして、私は軽く挨拶を返した。

 わざわざ見下されている相手に返事をする義理はないのだけれど、無視をしようとしてもその度に母の顔が思い浮かんでしまう。挨拶は大事だと、幼い私に優しく言い聞かせていたあの顔が。

 だから母に免じて挨拶はする。とはいえ態度にこれでもなく気怠さが滲み出ていただろうけれど。

 私はソフィの反応を見る前に――見ても苛つくだけなので――横を通り抜けて洗面所へと入った。起床時間からまだそんなに経っていないのに、なんとも真面目なことでそこにはすでに多くの見習いがいる。その誰もが私に気がつくと、先ほどの見習いたちと同じ表情を浮かべ挨拶をしてきた。

 いっそ無視をしてくれたほうが楽なのに――これまで何度も思ったことをまた思いながら挨拶を返し、洗面台の前に立つ。

 こんなところに長居はしたくないので、手早く洗顔や歯みがきをして髪を整える。そしてそれが終わるとさっさと洗面所を出た。

 すでに身支度が済んだ見習いたちとすれ違いながら、自室へと戻る。

 机に洗面道具を置くと、少し迷ってからまた部屋を出た。

 今日はこれから朝の礼拝の時間だ。

 最近は全然、朝も夜も礼拝には出ていない。今日も最悪の夢を見て祈る気分ではないけれど――むしろ祈りたい気分になったことがない――それそろ参加しないとビクトリアがうるさい。

 あのおっとりとした感受性豊かな院長は、声を荒げて怒ることはなくとも私の素行に逐一、気持ちを揺るがされる。放っておけばいいものを、なにかと構ってきては心配してくる。しかもその心配が一定量を超えてしまうと、泣きながら私を諭そうとしてくる。そこまで行くと流石に私も手が付けられない。

 だからたまにビクトリアが満足する行動をする必要がある。

 それを怠って二週間前も泣かせてしまっているから尚更に。


 礼拝堂に入ると、すでにそこにいたビクトリアが私を見ていかにも嬉しそうに微笑んだ。それに気まずさを感じながら一番後ろの長椅子、礼拝席の左の端に座る。次々と入ってくる見習いの視線を無視し、礼拝が始まるのを待つ。

 ここの礼拝堂は今いる見習い全員を収容しても席が余る。だから好き好んで私の隣に座ってくる見習いはいない。座っても反対側の端に座るぐらいだ。そのほうが私も気楽でいい。

 やがて見習いと先生が揃うと、ピアノの前に座っている先生が曲を弾き始めた。

 ここにあるのはアップライトピアノなので音の響きはグランドピアノに劣る。それでも幼いころから聴き慣れたその音色は、荒んだ私の心にもすんなりと入り込んでくる。ほんの少し気持ちも、落ち着かせてくれる。

 前奏が終わると、ピアノに声が重なった。

 星の歴史や神をたたえる賛美歌、星歌せいかだ。それを礼拝堂にいる全員が歌っている。

 まだ歌詞を覚えきれていない下の子は星書せいしょを見ながら、上の子や先生はお腹のあたりで手を組んで伏し目で歌っている。

 誰もが歌に集中していて、私が口だけ動かしていても気づくものは一人もいない。

 最初こそは家に帰るためにと頑張って歌ってはいたけれど、そうしたところで現状が変わらないと気づいてからは一切、歌うことがなくなった。それがなくとも元々、歌は苦手なのだ。


 そうして気怠い礼拝を乗り切ったあとに向かうのは食堂だ。

 ここは学年ごとに席が決まっているので、食事が乗ったトレイを受け取って指定の場所に座る。

 朝食はだいたいパンにスープ系にサラダに果物だ。

 家に比べれば質素なものだけれど、不味いということはない。野菜は修道院の庭で作っているもので新鮮だし、パンも焼きたてなので普通に美味しい。ただスープの味付けが気持ち薄味なのは気になる。それはスープだけではない。ここの食事はなんでもそうだ。おそらく健康志向な味付けなのだろうが、少し物足りなく感じる。それに加えてお肉が主要な献立が滅多にないのも、お肉好きの私としては辛い。


「全員、揃いましたね」


 食堂の前のほうに座っているビクトリアはそう言うと、目前に手を組んだ。それを見て食堂にいる全員が手を組む。私も一応はそれに倣う。


「では食前のお祈りを」


 その言葉を合図に、食堂にいる全員が一斉に口を開いた。


「母なる緑の大地の恵みと、父なる青き海原の恵みに感謝を。その命を我が身の糧とし、いずれ星へと還りて新たな命となろう。いただきます」


 私は最後のいただきますだけを言ってからパンを手に取る。

 そしてそれをちぎって食べながら、いつもの如く思った。

 神なんてとうの昔にいなくなったのに、なんでお祈りなんてするのだろうと。

 そう。星教せいきょうが信仰する二神はもう、この世界にはいない。

 二神ともおおよそ三百年前に起こった封星門ふうしょうもん戦争を境に、お隠れになったからだ。

 それが争いを繰り返す人々に愛想を尽かして消えたのか、はたまた死んだのかは、明らかにされていない。そこは三百年経った今でも、宗教学者が論争を繰り広げている部分だ。

 ただ、当時の記録によると戦争を生き残った人々の多くは、どのようにしてかはわからないけれど、それを悟ったのだという。

 神はもう、この世界にはいないのだと。

 それでも星教せいきょうはいつか神がお戻りになると、お隠れになっても世界を見守っていると信者に説いている。

 私もそれに関してはなんとも思わない。

 神がいろうがいなかろうが、なにを信じるか信じないかは人の勝手だ。

 私も母が敬虔な信者だったことから、幼いころから星教せいきょうには慣れ親しんできている。なので星教せいきょうには反感を抱いていないし、嫌いなわけでもない。

 それでもやっぱり、もういない存在に祈るのだけは違和感を覚える。

 食事に対して敬意と感謝を抱くのならば、作った人といただく命に対してだけでいいのではと思ってしまう。……まぁ、いない神に祈るのも人の勝手だと言われれば、それまでなのだけれど。

 黙々と食事を進める。耳にはカチャカチャと食器と食器が接触する音と、控目な話し声だけが聞こえてくる。普通に雑談する見習いはいない。食事中の会話を禁じられているわけではないけれど、先生たちもあまり喋らないので見習いも自然とそれに倣っているといった感じだ。

 静かな朝食が終わったあとは、世の中のことと修道女になるための知識を叩き込まれる授業の時間だ。

 不良修道女の私でも、授業にはなるべく出るようにしている。それは誰のためでもない。自分のためだ。幼いころのようになにも知らない子供のままでいるのは嫌だから、仕方なく授業は受けている。

 でも今日はサボると先日から決めていた。

 それは前回の授業が終わったところから予測するに、今日の授業内容が星王家せいおうけに触れることだからだ。少しでも自分に関することや、魔法に関する授業の場合は、見習いだけでなく先生ですらも気まずそうな顔をする。それがうっとうしいので、次の授業内容が予測できそうな場合には授業に出ず、自室で自習をすることにしていた。


 自室で一人気楽な自習をし昼食を食べたあとは、掃除に自由時間に畑作業にと久々に規則通りにこなして、時刻は夕方となった。

 夕食が終わると、夜の礼拝に向かう見習いを尻目に私は自室へと戻った。

 それからなにをするでもなくじっと待ち、遠くに礼拝の音が聞こえてきたと同時に修道着の上に外套をまとい部屋を出る。

 辺りに人がいないのを確認し、外庭へと足を向ける。途中、見回りの衛兵がいるので隠れてやり過ごし、衛兵が離れると修道院の塀の近くにある大きな木に登る。そしてそこから修道院の高い塀へと飛び移った。

 初めてこれを試そうと思ったときは流石に無理だと思った。でもやってみたら意外と難なく登ることができて驚いた。

 どうやら私は視力だけでなく運動神経もいいらしい。

 家にいたころは体が弱くて大人しい遊びばかりしていたので、そのことには気づかなかった。まぁ、運動神経がいいところでこんなもの、無能者である私には現状から逃げ出すことでしか使い道がないけれど。

 塀の上から下を見ると、通りにはちらほら人の姿があった。

 私は静かにその人たちが通り過ぎるのを待つ。塀の上はそばの木から垂れ下がる葉っぱのお陰で私の姿が隠れているので、こちらに気づくものはいない。

 少しして完全に人がいなくなったのを見はからって、道に飛び降り走り出した。

 私はいつも通りの道を三十分ほど休み休み走り、大通りへと出る。

 するとこれまでまばらだった人通りが、一気に増えた。


 ここはレスト修道院から一番近い歓楽街だ。

 すでに暗くなっているこの通りには、仕事終わりにやってきたのだろう多くの人が集まっている。開け放たれた扉の中から人々の賑わいや音楽が聞こえてきて、店外の席ではジョッキを片手に楽しそうに飲んでいる人もいる。堅苦しい修道院とは大違いのその光景に、久々に口許が緩むのを感じた。

 その自由さには少し憧れるものがある。もちろん彼ら平民にも表には出していない悩みや苦労があるのはわかっている。だけどそれでも体質や身分のしがらみもなく、誰からも奇異や特別な目で見られない立場はやっぱり羨ましい。

 私はその人たちを横目に見ながら歩く。先を急ぎたい気持ちはあるけれど、ここは人通りが多く走っては人にぶつかってしまう可能性がある。だから人を上手く避けながらなるべく早歩きで進む。

 途中、通り過ぎる人からちらほらと見られるけれど、怪しむ人は誰もいない。

 それは今日だけではない。これまで何度ここを通りかかってもそうだった。

 無能な王女が修道院に入れられていることは、おそらく世間一般にも公表はされている。でなければいつまでも公の場に出てこない王女を国民は怪しむだろうから。

 でも周囲の迷惑も考えて、それがどこの修道院かまでは流石に出してはいないはずだ。

 顔にしても、公に出したのは七年前の母の葬儀のときだけだ。最近の私の顔を知っているのも、中央教会の教会長かレスト修道院の人間ぐらいだろう。だから外に出たところで私だと気づくものは誰もいない。

 それにこの時間帯ならば、自分ぐらいの年代の子も普通に見かける。近くに住宅街があるからだ。中には親について来ている子や、お店の手伝いをしている子もいる。なので歓楽街といえど、ここに子供がいるのはなにも珍しいことではない。修道院の人間とわかるような格好をしているのならまだしも、外套は修道院指定のものではなく個人的なものを着ているのでそこも抜かりない。

 長い大通りを抜けきる前に、道幅が狭い通りに入る。

 ここにも続けてお店は並んでいるけれど、大通りに比べたら静かだ。

 どこからか流れ聞こえる音楽も穏やかで、窓から見える店内の客の様子も落ち着いている。ここは大通りとは対照的に静かに飲食をしたい人が集まる場所といった感じらしい。この雰囲気も私は嫌いではない。

 人通りが大通りに比べて少ないここでは流石に子供の姿は目立つので、私はさっさと足を進める。

 そうして何度か角を曲がって進んだその先が、目的の場所だった。


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