第9話 逃走

「ザック!。こっちこっち!」

 リブが懸命に声をかける。

 「早くしないとあいつらにやられちゃうわ!?」

 時折、こちらを振り返りながら前を走る。   

 「…………そうだね」

 俺は適当に相槌を返す。小さな手に引っ張られて無理やり走らされる。正直ほっといてほしい。

 「ザックを助けなさいってパパと約束したもの!。騎士を守るのも主の務めよ!」

 リブは嬉しそうに話す。夜通し起きているせいか過剰に興奮しているようだ。主君を護るべき騎士が助けられてしまうとは、なんともおかしな話ではあるが。

 「守る……か…………」

 リブとの会話はうわの空だが、その言葉だけが妙に頭に残った。




 魔の森アビスフォレストに足を踏み入れてからどれほど経っただろうか。

 鬱蒼うっそうと生い茂る森の中を突き進み、似たような景色が延々と続いていた。

 ぼんやりと思い浮かぶのは、金髪デブサドゥ卿 を殺すつもりで刺した後、ベイカーさんに怒鳴られ、エレンに馬上から引きずり下ろされ、シャノンが叫んでいた。地べたに倒れた俺をリブが泣きながら介抱し、いつの間にか集落から逃げ出していた。身の回りで起きた出来事ではあるが、現実感はない。 


 「……暗いな」

 心を映したかのように現実の世界も陰鬱としている。

 朝日を迎えてからだいぶ過ぎたはずだ。だが空を覆うようにして樹木が乱立しているせいで視界はすこぶる悪い。走る分にはたいした問題ではないが、魔物からの奇襲を受けたらひとたまりもないだろう。

 前人未踏の地──ここはまさしくともいえる。


 「…………ここで十分だ」

 俺はリブに静止を促す。

 「どうしたの?。もしかして疲れちゃった?」

 走るのを止めてリブは返答する。

 「息を切らしているのはリブの方だよ。木の根や石ころを避けて先頭を走るのはかなり気を遣うからね。すこし休もうか?」

 「……そうね。確かにザックの言う通りだわ!」

 リブは俺の手を握ったまま地べたに座る。

 「手を放さないと座りづらいよ……」

 「だめっ!。ザックと離れると迷子になっちゃう!」

 「……すでに僕たちは迷子だよ。これから帰るには苦労すると思う」

 「帰る?。どこに帰るの?」

 リブは首を傾げる。なにを言っているのと言わんばかりの表情だ。

 「アベドンの集落に戻る」

 至極短く答えた。




 俺もリブの隣に座る。腰を据えると緊張が解け、疲労が一気に全身に押し寄せた。魔物との実戦経験は過去に幾度となくしたが、木剣に魔力を注ぎ、長時間の戦闘、強敵トロールを相手にしては初めてだ。この幼い身体でよくやれたと自負したい。

 「ど、どうして?」

 「リブをベイカーさんに……親元に帰す」

 「どうして!?。ここまで来たのに?」

 「ごめん、逃げてきた直後は頭が混乱してて……冷静になって考えてみたらリブが僕の巻き添えになる必要はないからね」

 「……でもあいつらに見つかったら殺されちゃうかもしれない」

 「追手のこと?。それは心配しなくてもいいよ。ここは凶悪な魔物がたくさんいる場所だよ。国境警備隊の人たちは怖がって誰も来ないさ。中には勇敢な人もいるかもしれないけど、昨日の戦いでそれどころじゃないよ」


 追ってくるはずがない。対巨大なジャイアントトロール戦において、兵士と奴隷の屍体が山のように積み上がっていた地獄絵図。思い出すだけで吐き気がする。

 「で、でも……ザックはどうするの?」

 「状況次第かな。とても偉い人を刺しちゃったから。リブがすんなりとベイカーさんの所に戻って、安全が確認できれば、僕は一人で逃げるよ。それが無理なら…………罪を償うしかないね」

 「償うって……じゃあザックはどうなるの?」

 リブの不安に満ちた瞳がこちらを覗く。握られた手がいっそう強くなる。

 「それは……」

 答えるまでもない。奴隷が貴族に楯突いたのだ。例え村を救った英雄と称えられても、結果は変わらない。

「……せめて一瞬で刎ねてくれればまだましだ」

 ぼそりと呟く。あの金髪デブサドゥ卿のことだ。もしも生きていれば斬罪の前に酷い拷問をするかもしれない。

「いやっ、いやいや、戻ったらザックは死んじゃう!」

「大丈夫……なんとなるなるさ」

「なんとかなるわけない!。ザックはオリアナ叔母さんのところに行きたいとか考えてるんでしょ!?」

 リブはわんわんと泣き出す。


 「あっ………………あまり大声で泣かないで。近くに魔物が潜んでいるかもしれないし、そうでなくても寄ってくるかもしれないから」

 心を見透かされたような気がして一瞬言葉に詰まる。

 「わだじゔあじゃっぎゅといっじょじゃなぎゃやだぁぁぁ!!」

 「リブ……ここは魔の森だよ。ベイカーさんでさえ一人で入ろうとは決してしない危険な場所なんだ」

 「じゃっぎゅはじゅよいぃー!」

 「トロールより強い魔物が出たら僕でもわからないよ。こんな奥の方まで来たことがないし……」

 「ぐすん……とりょーるよりちゅよいみゃもの?」

 「例えば…………巨大な竜とかだったらお手上げかもしれない」

 リブの頭を撫でながら諭すように語りかける。

 「この森に竜がいるという話を聞いたことがあるだろう?。遥か昔、神とともに悪しき者を打ち倒したという伝説の魔物だよ」

 「パパが嘘をつく子供は竜に食べられるって言ってた」

 「竜はそんなことしないとは思うけど嘘つきはよくないね」

 「ザックは嘘をつかない?」

 「そうだね、正直に言うと僕はリブを護る自信がないんだ」



 

 リブをしばらく宥めつつ周囲に気を配る。一帯から魔物の気配を感じる。様子を見ているのか、まだ襲っては来ないようだ。

 放心していたことで注意力が散漫だった。

 「……僕は弱い。母さんを助けることができなかったとても弱い人間だ」

 「あれは違うわ!。火をつけたのはあいつらだよ!?」

 「なにも違わないよ。もっと早く魔物を倒していればリブもみんなも危険な目に逢わずに済んだはずだ」

 「だけど……」

 「さっさと仕留めて戻っていればこうはならなかった。なのに自分の功績を認めてもらいたくて、余計な手間をかけてしまった」

 俺は撫でる手を止めてゆっくりと立ち上がる。つられるようにしてリブも腰を上げる。

 「あの貴族は絶対に許せない。あいつの命令さえなければ母さんは死なずに済んだんだ。だけど、僕自身にも責任が無いわけじゃない。慢心していたのも事実だし、魔の森アビスフォレストの近くに住んでいたのも間違いだった」

 「そんなことない……」

 「ベイカーさんがどんな想いでリブに任せたかはわからないけど、もうこれ以上悲しい思いをするのは嫌なんだ。だからリブ、僕と一緒に村に帰ろう」 

 「…………………………うん」

 リブはしばし沈黙した後に頷く。

 「そんな悲しい顔しないで。まで元気がないよ」

 「えっ、ちょっ、隠してたのにっ!」

 リブは俺から手を放し両手で頭を隠す。お団子髪は逃走の最中にほどけてしまいい、中から可愛らしい獣耳が顔を出した。

 「恥ずかしがる必要ないのに。僕は猫耳が好きだよ」

 「ザックが好きでも嫌なの!。みんなと違うし、恥ずかしいから!」

 顔を真っ赤にして頬を膨らませる。




 リブのお母さんは獣人だ。リブが小さい頃はうちによく遊びに来ていたが、一昨年前くらいからとんと顔を見ることがなくなった。魔物を狩りに行くといって出ていってしまったらしい。ベイカー曰く、生来の風来坊らしい。それ以上の事は頑なに教えてはくれなかったが、少なくとも自由に行動できるので奴隷の身分ではないようだ。

 といっても半年に一度は夫や子供の様子を伺いにひょっこりと帰ってくる。さっぱりとした性格で、男女問わず人気があり、男性陣からの熱い視線はオリアナと二分していた。   

 長身ですらりとした手足と立派な猫耳が印象的で、どことなく気品のある女性に感じた。


 「じろじろ見られるから……ママとは違って私はちんちくりんだって馬鹿にされるもの……」

 「気にすることないよ。リブも数年もしたらお母さんように綺麗な女性になるよ」

 「本当に?」

 「君の騎士である僕が保証する」

 「そ、そうかな?」

 「主はもっと堂々と構えていればいいのさ。他人の言葉なんて気にする必要はないよ」

 「……ありがとう、ザック。なんだか恥ずかしくなくなってきたわ!」

 はにかんだ笑みを見せる。両手をおろし再び俺の手を取る。

 「パパのところに戻りましょう!」

 「来た道はリブにしかわからないから頼りにしているよ」

 「任せて!」

 どんと胸を張るリブはいつもの調子に戻ったようだ。猫耳も元気よくぴんと立った。

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