第10話 銀竜
リブの記憶を頼りに来た道を戻る。代わり映えのない樹木が続いているのですこし心配だ。
来た道を戻ればさほど時間はかからないはずだ。子供が手を繋いで走ったていど。正午までには戻れるだろう。
多少迷ったところで俺も少なからず土地勘はある。狩猟や訓練で何度も魔の森に足を踏み入れている。焦る必要はない。魔物に襲われない注意深く進んでいこう。
「忘れていた…………不幸は続くものだったな……」
自分の考えの甘さに辟易する。同時に「つくづくついてないな」という感情が湧いて出る。
疲れているとはいえ、ゴブリン程度の魔物なら充分対処できる。木剣は手元には無いが、地面に落ちている木枝でも代用可能だ。適当に拾って使えばいい。耐久性は格段に落ちるが無いよりましだ。
──我ガ娘“セディス”ノ餌ニチョウド良イ──
不快で威圧的な声が森全体に響く。姿形は何処にも見えない。
心臓を掴まれたような感覚に陥り、肉体が硬直する。
「…………魔物が退いていく?」
けっこうな魔物がいたはずだが、瞬く間に気配が消失した。この声に驚いて逃げてしまったのだろうか。
「だ、誰?」
リブはつかさず俺の腰にしがみつく。さっきまでの威勢が嘘のようだ。
──オトナシク死ンドクレ──
背後からどす黒い殺気を感じ、咄嗟にリブを庇う。
「ゔっ!」
両腕に痛烈な痛みが走り思わず声が漏れ出る。受け流そうとするも衝撃が強すぎて上手く捌ききれない。
俺は紙くずのように弾き飛ばされ、数メートル先の木の幹に衝突した。
「ぐべっ!!」
受け身が取れず背中に電撃が走る。
──首ヲ掻ッ切ッタツモリダッタガゾンガイシブトイネェ──
敵の不満そうな声が脳内に響く。
「…………り、リブは!?」
朦朧とする意識に負けないよう歯を食いしばる。両腕からおびただしい血が流れているがそれどころではない。
リブの安否が最優先だ。
目と鼻の先にリブはいた。
「リブ、リブ、大丈夫ですか?。返事をしてください!」
声をかけたが返事はない。どうやら気を失っているようだ。見た感じでは外傷はなく、軽い脳震盪かもしれない。
すぐに介抱し、この場から一刻も早く逃げ去りたい。日が暮れてしまうと
夜行性の魔物は慎重で森から出ることはない。しかし森の中で狙われたら最後、確実に命を落とすといわれている。好き好んで立ち入る者はいないので、詳細は不明だが、”グリフィン”や“”ミノタウロス”、”ハーピー”などの凶悪な魔物がいるらしい。
「……これが……………………大きいな」
瞬きすらできずに息を飲む。金縛りにあったように指先まで硬直する。
──ハヨウ我ノ娘ノ
筆舌にし難いほどの圧倒的な
巨大な両翼、白銀の鱗、鋭くとがった鈍色の爪と牙。蒼く光る双眸は焔を
「これが……伝説の竜?。フラグを立てたつもりはなかったが……不運にもほどがある……」
虚勢を張らないと正気が保てない。震えすら許されない威圧感がある。
──雄ノ子ハアマリ美味ソウデハナイナ。雌ノ子ハ肉ガ柔ソウダ──
俺の前に超大な竜が現れた。
警戒を怠ったつもりはない。しかし眼前には見紛うことのない白銀の竜が顕現した。
「……無茶苦茶な魔力だな」
虚を突かれた思いだがそうも言ってはいられない。鑑定する為に両目に魔力を集中するのもすぐに匙を投げる。
比較にならない。ここまで桁外れだと自分を疑いたくなる。
大きさは
「魔物が逃げ出したくなる気持ちがよくわかる」
意識を失っていた方が幸せだったかもしれない。
呼吸だけはできる。
大きく口で息を吸い込み、できるだけゆっくりと息を吐く。心音に意識を集中し、下腹部──丹田に力を入れる。
強者と相対した際に必ず行うよう、前世の頃に教わったことを想起する。
「……コンビニの店長怖かったな。昼夜シフトを組むくせに、欠伸ひとつで注意力散漫だって説教して。三徹、四徹とかよくやってたけど、労働基準法違反で訴えてやれば良かった」
愚痴も多分に含まれる。
「一緒に働いていたお爺さんはまだ元気かな?。色々と指南してもらったけど、まさかこっちの世界で役に立つとはな。お年寄りの話は聞いておくものだと痛感するな」
全身に流れる血液をイメージし、魔力を隅々まで行き渡らせる。硬直した筋肉が徐々に弛緩していく。
「……剣術の師範とか言ってたっけ?。それでも八十歳近くでコンビニバイトって虚しすぎるだろ」
とても良い方だったが歳のせいか物忘れが多く、お客さんと揉めることが度々あった。その都度、俺がフォローに入ったのをよく覚えている。
「いつかは正社員……就職氷河期世代を何度悔やんだろうか」
意識を内に
敵が強いほど己を見失ってはいけない。戦いの基本は冷静。肉体が熱を帯びても心頭は滅却させる。
近場の小枝を拾い素早く立ち上がる。
──賢シイナ。マダ我ニ歯向カオウトイウノカ──
「往生際が悪いのは俺の唯一の美徳でね。今わの際まで歯向かってやるさ」
精一杯の強がりをつく。心身ともに満身創痍で両腕は皮一枚繋がっているだけ。
リブの元に歩み寄り銀龍の眼前に立つ。改めてその大きさに舌を巻く。銀龍の足の爪一枚と自分が同じくらいだろうか。
──愚カ也。力ノ差モ分カラヌ坊デモアルマイテ──
「どうせ逃がしてはくれないだろ?。ならさっさと来いよ、蛇野郎」
思いつく限りの悪態をついてみた。
銀龍は大きな口を開く。鮮やかな口腔内に光が集まり収束していく。
膨大な魔力の塊を嫌でも感じる。あれが放たれたが最後、塵一つ残らないだろう。
「………………おい、俺たちの血肉が欲しいんじゃないのか?」
近接戦で始末されると踏んでいたが誤りだったようだ。
──加減ハスルサネ。
「為す術なしか…………」
恐怖に打ち勝ったところでどうしようもない。飛び道具は卑怯だ。
この間、リブを担いで逃げようと画策する。
「……間合いが近すぎる」
逃げ切る前にやられてしまう。
持っていた小枝を投げ捨て、肉体を限界まで強化、一撃に備える。万にひとつもない奇跡に縋るのは嫌だが他の方法が思いつかない。無駄だとわかっていてもそれしかない。
せめてリブだけでも──その想いだけが一縷の望みだ。
「さあ来いよっ!!」
──愚カ、実ニ愚カ也──
視界が光に覆われる。
絶望の刹那、オリアナの笑顔が脳裏にちらついた。
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