第8話 火恨

 ──なにもかもを失った。

 猛る火の粉を前にして紅蓮の炎が瞳に映る。

 「止せ、お前まで死ぬ気か!?」

 「すまねぇ……俺がいながら…………本当にすまねぇ」

 「ざっくぅ…………いっちゃ……だめだよぉぉぉ」 

 何者かが必死に俺を止めようとする。まとわりついてきて鬱陶しい。

 あの炎々に愛しい人がいる。大丈夫。きっと生きている。かけがえのないこの場所で待っているはず。

 「オリアナ………………」

 抑揚のない、空虚な呼び名が零れた。

 あなたを守る為だけに生きてきたというのに──。




 どうしてこうなってしまったのだろうか。反芻に反芻を重ねても答えが出ない。

 気づけば両手は血に染まり、足元の木剣は折れていた。たしか、集会所を襲っていたトロールに逆上したせいだ。我を失い、木剣で足と腕の腱を斬り、身動きが取れない状態で両目を何度も突き刺した。あまりにわめくので、歯を砕き舌を抜いた。木剣はその時に折れてしまい、残りは拳で何度も殴りつけた。


 ──オリアナさんは無事だ──


 エレンからそう告げられた時、ようやく我に返った。トロールと国境警備隊の兵士が交戦している最中に、集落の子供を連れて逃げ出したそうだ。エレン自身も同行したかったが、上役の命令で離れることもできず、また、逃げ遅れた怪我人や病人を放ってはおけなかったそうだ。

 俺は天にも昇るような喜びを感じた。この世の全てに感謝したと言っても過言ではない。


 行き先を聞くと一目散に駆け出した。伏し目がちでこちらを覗く住人の視線が気になったが、些末なことだ。我が家に母さんが待っている。それだけで十分だ。

 「母さん………………」

 感情に流されぬよう唇を噛む。押しとどめていないと、腹の底から出てきてしまいそうだ。

 「ごめん……なさい…………私のせいで……オリアナ叔母さんが…………」

 腰にしがみつたリブが必死に謝る。違う、お前のせいじゃない。そう言いたいのにどうしても喉元で止まってしまう。

 「子供ガキ達を最後まで守ってくれたのはオリアナだ。集会所にいた奴らは何人かやられちまったが、子供ガキは全員無事だ。風魔法で逃げ道を作ってくれなきゃ全員死んでいたぜ」

 ベイカーが俺の横に立ち優しくさとす。そういえばここに到着した際、集落の子供達が身を寄せ合うようにしてうずくまっていた。リブもその中にいたな。


 とても尊い行いだ。己の身を犠牲にして大勢の人を助けた。しかし、俺はそんな結末望んでない。例えみんなを犠牲にしてでも生きていて欲しかった。

 火勢は徐々に弱まり、熱を帯びていた我が家は静かに音を立てて崩れていく。

 白煙に燻されたのか、眼から熱い雫が頬を伝う。




 遠方から馬の蹄の音が聞こえてきた。

 「魔物の襲来は終わった!。負傷しているものは声をあげろ!。すぐに手当に向かうぞ!」

 聞き覚えのある声。シャノンが周囲に呼びかけているようだ。

 「遅れて申し訳ない。皆、息災でなによりだ」

 馬上からシャノンが声をかける。兜はとうに脱いだのか、汗だくの素顔があらわになっていた。

 「私が到着した時にはすでにトロールは事切れていた。その為、一度隊長に報告せねばならず遅れてしまった。集落の外れに向かったと聞いていたが──ここで何かあったのか?」

 すぐさま馬上から降りたシャノンはベイカーに訊ねる。

 「ふぅ、どう答えりゃいいかな…………」

 頭をかいて困った顔をする。

 「棲家が燃えているようだが、大切な物でもあったのか?」

 「まあ……そうだな…………」

 「これでは回収も難しいだろう。大方おおかた焼かれてしまっただろう。気の毒だとは思うがここにいても埒があかない。一度休んでから明日にでも──」

 「村にある高台から火を放ったんだ!」

 憎々しげにエレンは叫ぶ。

 「ここにはな、オリアナさん……ザックの母親と子供達が大勢いたんだ!」

 「な、なんだとっ!?」

 「お前らが寄ってたかって火炎魔法をばらまいた挙句、ここら一帯は火の海だ!。子供達は難を逃れたが、オリアナさんだけはあの中に……くそっ…………なんでこんな酷いことをしやがって…………」

 エレンは嗚咽を漏らす。俺の肩を掴む力がいっそう強くなる。大きな手は裂傷で赤黒く膨れ上がっていた。

 「そんな馬鹿な!?。何かの間違いではないか!?」

 シャノンは怯みたたらを踏む。

 「間違ってなんかいない!。オリアナ叔母さんが私たちを助けてくれたもの!。動けないから先に行きなさいって……ぅうっぅぅぅぅぅぅ」

 すすり泣くリブにベイカーは優しく頭を撫でる。

 「こいつらの言うことは間違っちゃいねえ。伝達の誤りで魔物が潜んでいたと勘違いしたんだろうな。夜襲の際によくある話だ。まあ、あっちゃいけねえ話でもあるが……」

 「で、では、我々は罪なき者を殺めてしまったということか!?。どうお詫びをすれば、一度上に掛け合って正式に謝罪の手続きをすべき──」

 「ミス・シャノン、謝罪の弁は不要だ。人もどきが一匹死んだだけです。補充すれば事足りますゆえ」

 シャノンの後方から太々ふてぶてしい声が発せられる。




 横柄で不遜な態度で男が割って入った。出で立ちは見るからに豪奢で煌びやか。恰幅もよく、脂ぎった顔とカールした頭髪は馬毛より艶やかだ。高貴な生まれだと一目でわかる。

 「サドゥ卿……しかし…………」

 「兵を集めてただちに村の防衛に傾注したまえ。手当は我輩の私兵を優先し、人もどきは後だ。あぁ、なんて酷い臭いだ。久しく視察をしていなかったが、正解だな。生ごみに埋もれた方がまだましだ」

 ちょび髭を手で整えながら不満げに口にする。馬上から降りる素振りもなく、さげすむようにこちらを覗く。

 「くだんのの魔剣使いはお前か?」

金髪デブサドゥ卿が俺に声をかけた。無論答える気はない。その突き出た腹はトロールより醜い。


 そう言えばこの一帯を治める領主の名が“サドゥ・フォン・バイエル”と覚えがある。ちまたではバイエル辺境伯として名が通っている。

 「聞こえんのか?。ミス・シャノン、このけがらわしい子で間違いないのか?」

 「……はい、そうでございます」

 シャノンは恭しく一礼して答える。

 「ふむ、まだ年端の行かぬ子であるが──今のうちに手綱を握っておくべきだな。国からの人員補充も一ヶ月はかかる。魔物除けには丁度いいだろう」

 「ま、まさか、サドゥ卿!?」

 「こやつに『堕落の儀』を早急にしたまえ。簡略的で構わん。すぐに村の護衛につかせるのだ」

 「そ、それは早計ではありませんか!?。この小さな体でトロールを二体討伐し、アベドンを救ったのは間違いなくこの子です!。賞賛されこそすれ、奴隷の烙印をするなど承服しかねます」

 血相を変えてシャノンは食ってかかるように反論する。

 「義の女神『ヘカテ』の教えでは満8歳になってからだと覚えているが?」

 「は、はいっ、その通りでございます」

 「なら簡単な話だ。人もどきに年齢を数える知恵などない。我輩が今日をもって満8歳とする。さあ、こやつを拘束した後、さっさと始めたまえ」

 サドゥ卿は平然とした顔で暴言を放つ。シャノンは必死に抗議を続けるがまるで意に介さない。


 控えていた兵士は一斉に動き出して俺を拘束する。

 「やだぁぁ……ザックを苛めるなぁ!」

 「お、おい、これが貴族様が、人がすることかよ!?」

 リブとエレンは引き離されて右往左往する。ベイカーはじっと表情を変えず傍観している。

 「隊長まで……どうして…………この子は……称えるべき…………英雄です……」

 どうすることもできずシャノンは無力感から膝を落とす。

 「人もどきにしてはえらく従順だな。その謙虚な心根を忘れるでないぞ」

 なおも金髪のデブサドゥ卿はその醜い顔以上に罵倒する。

 「食い扶持が減って良かったではないか?。多少配給も色をつけてやる。せいぜい無駄死にしないようここを守りたまえ」

 「……………………うるさい」

 俺は兵士の隙を突いて抜け出す。もう限界だ。それ以上愚弄するな。押し殺した感情を抑えられそうにない。


 もう魔力は尽きている。それでも胸の内から湧き上がる衝動が体を突き動かす。

 「それ以上さえずるな」

 絶対零度の冷淡な声で独りちる。


 一陣の風が舞った。サドゥ卿の胸に折れた木剣が突き刺さる。

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