第7話 二匹

 ベイカーと二手に別れた俺は、敵の背後に回ろうと駆け出す。上体を前傾にして姿勢を低くすれば、背丈が低いのもあいまって、視認しづらいだろう。

 一気に詰め寄りたいところではあるが、あちこちに死体や瓦礫が散在し、足場が非常に悪い。さらに巨大なジャイアントトロールが暴れるたびに地面が揺れるので、思うように動きが取れない。


 一方のベイカーは残った奴隷なかまと共にトロールの注意を引いてくれていた。棍棒を振りまわして派手に暴れているように見えるが、あくまでも牽制だ。相手の間隙を突いて横たわった負傷者を救出している。

 「狙うは喉元…………鎖骨上部から横一閃……」

 脳裏に数瞬先の動きを描く。

 「魔力は木剣にいている……ここからだと届かない…………なら──こうするか……」

 手近にあった家屋の外壁を駆け上がる。屋根に到達してもトロールの腰より低い。残り少ない魔力を左足にそそぎ、ありったけの力を込めて屋根を蹴る。

 「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 大きく飛翔した俺は高揚のあまり叫んでしまった。慎重に行動していたがすべてが台無しだ。

 それでも叫ばずにはいられなかった。己を奮い立たせる為に。



 

 子供が雄叫びをあげたところで、巨大なジャイアントトロールは気にも留めない。それよりも足元に群がるベイカー達にご執心だ。

 気づかれる前に右肩に飛びつき、勢いそのままに魔力を帯びた木剣を突き刺す。首筋から喉仏にかけてぱっくりと切り裂かれ、鮮血が吹き出した。


 ──グゴッゲヘェェェェェェェェェェ──


 声にならない声が轟き、巨大なジャイアントトロールは猛り狂う。首元を両手でおさえ、必死に止血しようとするも、深くえぐられた傷口から血があふれ出す。自身の身に何が起こったのか理解できない様子だ。


 手ごたえを感じつつ離れようとしたが、つと我に返る。魔物を倒す方策ばかり思案していたので、倒した後の事を何も考えていなかった。巨体が崩れる前に退避したいが、巨大なジャイアントトロールの上背はかなり高い。魔力は枯渇。肉体強化は不可能。骨の一二本を覚悟する。


 「ったく、無茶すんなよ。玩具おもちゃの切れ味をとくと見せてもらったぜ」

 「……ベ、ベベベイカーさん?」

 呆気に取られて声がうわずった。

 落下の最中さなか、体勢を整えようしていた矢先、横から衝撃を受けた。ベイカーが俺の体を掴み、地面に叩きつけられる前に救ってくれたようだ。

 「に怪我をさせるわけにはいかないからな」

 「………………ありがとう……ございます」

 間を開けて感謝の意を伝える。ありがたい、確かにありがたいのだが、素直に喜べない。二度と抱かれまいと心に誓ったのにもう破ってしまった。固く盛り上がった胸板の感触が生々しく、軽く吐き気を催す。


 すぐにでも逃げ出したいところだが、雰囲気的に申し出しにくい。しばらくこのままでいるしかない。

 「ん、その顔はなんだ?。心配すんな。後は俺たちに任せておけ。報酬はきっちりとあいつらから貰ってやるよ」

 「すいません……」

 ベイカーの勘違いはそのままに、形だけの謝罪を述べた。




 夜明けにはまだ遠く、胸中も暗いままだ。

 巨大なジャイアントトロールはまだ息があるようだが、放っておいてもいずれ息絶える。残存するゴブリンを掃討すれば、この戦いもようやく終わりを迎える。

 ただし視界に広がった凄惨な光景だけは“終わった”と、簡単には片付けられない。

 「……自惚うぬぼれと笑ってくれて構いませんが、もっと早くに力添えすれば良かったです。あまりに……あまりに犠牲になられた方が多過ぎます」 

 「これが俺たち奴隷の生き様よ。恨んでも憎んでも仕方ねえ。子供ガキが一丁前に同情なんてするな」

 ベイカーは俺をおろすと豪快に笑った。異世界では現世の倫理観とは多少異なるのかもしれない。


 それに奴隷の寿命は短い。長い人でも40歳ぐらいだ。死んでいった仲間を愛おしむ暇などないのかもしれない。

 「ここらを片付けたら朝になっちまうな。面倒だがちゃっちゃとやるしかないぜ」

 「……はい、そうですね」

 俺もつられて笑おうとしたが、ベイカーの拳が震えているのを目にする。違わない。何も違ってなどいない。人の死を慈しむのはどの世界も同じのようだ。


 いたたまれなくなり、この場から一刻も早く離れたい気持ちになる。これ以上ベイカーを直視したくはない。俺に気を遣う必要なんてないのに──。 

 「ベイカーさん、本当にありがとうございました。これで母さんが助かります」

 「リブに会ってもお前が倒したなんて言うなよ。いずれバレるとは思うが、過信して魔物に突撃されたらかなわんからな」

 「リブさんは恐いもの知らずですからね」

 「…………ザック、ありがとうな。お前がいなかったらこの集落は全滅したかもしれねえ。本当に感謝している」

 ベイカーは手を差し出す。節くれだった漢の手だ。

 「はい、お手伝いできて僕も嬉しいです」

 少々気恥ずかしいが戦士とは程遠い紅葉のような手で応える。純粋な気持ちとは程遠いが、この場所を守る一助にはなれたはずだ。


 「では、僕はこれで失礼します」

 「言葉遣いといい、戦いといい、お前はリブと同じ6歳か?。普段お前と話すことはなかったが、年上を相手にしているような気分だぜ」

 「な、なな、なにをおっしゃっているのかよく分かりません。かか、母さんの教育の賜物ですよ」

 「そうか……オリアナはおっとりしていてスパルタなのか?」

 「ああみえて凄い教育熱心なんです!。か、隠しているだけですよ」 

 「親子揃って隠し事か?。秘密の一つや二つは誰にでもあるが、あまり隠し事はするなよ。俺たちは力を合わせて生きていかなきゃならんからな」

 「はい、僕もそう思います!」

 調子よく返事する。ベイカーはなおも話しを続けるが、小言が段々と多くなってきたので、適当に相槌をする。

 しばらく続きそうな気がしたが、第三者の介入により、すぐに中断した。




 「すまないがこのままアベドンの正門前まで行ってくれないか?」

 横から割って入ったのは国境警備隊の女性兵士だ。他の兵士が怖気ついている中、前線で指揮を執っていた人物だ。全身を銀色の板金鎧フルプレートアーマーに包み、宝飾で飾った直剣を携えている。

 「“シャノン”副隊長か…………兜ぐらい脱いでから話せ。声がくぐもって聞き取りにくい」

 ベイカーはため息交じりに言った。目上に対して失礼だが、これには同意せざるを得ない。終わったかと思った矢先の新たな指示だ。詳細が分からぬともただ事ではないだろう。


 シャノンと呼ばれた兵士は兜脱ぐ。結いあげた髪と可憐な素顔があらわになり、一目で高貴な生まれだとわかる。

 「伝令役によるとトロールがもう一体出たらしい。我ら警備隊が応戦しているが、あまり状況は芳しくない。君たちも疲弊していると思うが、急いで現地に向かって欲しい」

 感情の籠もらない機械的な口調。丁寧ではあるが淡々として人間味がない。 

 「母さんは!?。みんな無事なんですか!?」

 気が動転して俺は強く問い質す。嫌な予感が的中した。集会所は村の正門近くにある。

 「……魔剣使いの子か。君には是が非でも手伝っていただきたい」

 「だから無事なのか!。母さんは身体の調子が悪くて動けないんだ!」

 「ザック、落ち着け。お前が騒いでいると話が進まん」

 ベイカーは俺の肩に手を置き諫める。

 「心配ではないのですか!。リブだっているかもしれないのに!。早く、早く行かないと!」

 「ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァック!」

 ベイカーは一喝する。凄まじい声量に鼓膜が破裂して脳汁が出そうだ。

 「勇敢で冷静なお前はどこにいった?。オリアナが心配なのはわかるが、まずは落ち着け」

 「…………すいません、感傷的になってしまいました」

 「リブが到着していればエレンがいる。あいつは頭は悪いが、腕っぷしはなかなかのもんだ。オリアナに惚れているようだし、死んでも守ってくれるさ」

 「はい……そうだといいです」

 疲労のせいか取り乱してしまった。我ながら情けない醜態を晒した。

 「話を続けてくれ、シャノン」

 「ああ……正門近くにいるトロールは、ここの巨大なジャイアントトロールよりふた回りほど小さく、通常の個体と同じだそうだ。侵入経路は不明だが、比較的守りの手薄な魔の森東端から、アベドンの中央に向かって単独で突き進んできたと思われる」

 「ならそいつを叩けば本当に終わりだな」

 「その通りだ。しかし我々は多くの仲間を失っている。集会所にいる君たち家族の安否はわからないが、緊急時に備えて兵士を幾人か配備している。問題が起きた場合は適切な対処をしているはずだ」

 シャノンはそういって頭を下げ、

 「君たちの助力なくして魔物を退けるのは不可能だ。村の守りは君たちと我々が連携して護衛しているが、我々の大半は村の防壁内だ。外側でどんなことが起きても、素知らぬふりをするだろう。綺麗ごとを言うつもりはない。君たちを守るには君たちしかいないのが現実だ。正門を突破されて住民に危害が及べば、領主が何をしでかすか見当もつかない。ずいぶんと身勝手な話だとは思うが、力を貸して欲しい」

 真摯に申し出る。国境警備隊の副隊長ともあろう人が、奴隷に対して礼節をもって接するなど思いもよらない。横柄な態度と威圧的な物言いが、国境警備隊だと思っていたが、考えを改める必要がありそうだ。


 「だってよ、ザック。勘違いすんなよ。こいつぐらいしかまともな奴は他にいないからな。さっきの戦いを見ていたからわかるだろ?。隊長は臆病者で引きこもり。その他全員は腰抜け揃いだ」

 「…………そういうこと言って大丈夫ですか?」

 「問題ない。事実だ」

 「ええ……シャノン副隊長まで…………」

 俺は困惑して答えに窮する。

 「さあ、ちょっくら行ってくるか?。トロールの一匹や二匹、ちゃっちゃと片付けてこようぜ」

 「はい、すぐにでも行けます」

 「私もここの指揮を他の者に任せてから向かいます。君たちの力を信じていますよ」

 シャノンはここへ来てようやく表情を緩む。俺たちとの交渉に気を張っていたのだろう。

 微笑むシャノンを後にして、俺たちは急いでアベドンの正門前へと向かった。

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