第7話 二匹
ベイカーと二手に別れた俺は、敵の背後に回ろうと駆け出す。上体を前傾にして姿勢を低くすれば、背丈が低いのもあいまって、視認しづらいだろう。
一気に詰め寄りたいところではあるが、あちこちに死体や瓦礫が散在し、足場が非常に悪い。さらに
一方のベイカーは残った
「狙うは喉元…………鎖骨上部から横一閃……」
脳裏に数瞬先の動きを描く。
「魔力は木剣に
手近にあった家屋の外壁を駆け上がる。屋根に到達してもトロールの腰より低い。残り少ない魔力を左足に
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
大きく飛翔した俺は高揚のあまり叫んでしまった。慎重に行動していたがすべてが台無しだ。
それでも叫ばずにはいられなかった。己を奮い立たせる為に。
子供が雄叫びをあげたところで、
気づかれる前に右肩に飛びつき、勢いそのままに魔力を帯びた木剣を突き刺す。首筋から喉仏にかけてぱっくりと切り裂かれ、鮮血が吹き出した。
──グゴッゲヘェェェェェェェェェェ──
声にならない声が轟き、
手ごたえを感じつつ離れようとしたが、つと我に返る。魔物を倒す方策ばかり思案していたので、倒した後の事を何も考えていなかった。巨体が崩れる前に退避したいが、
「ったく、無茶すんなよ。
「……ベ、ベベベイカーさん?」
呆気に取られて声がうわずった。
落下の
「英雄に怪我をさせるわけにはいかないからな」
「………………ありがとう……ございます」
間を開けて感謝の意を伝える。ありがたい、確かにありがたいのだが、素直に喜べない。二度と抱かれまいと心に誓ったのにもう破ってしまった。固く盛り上がった胸板の感触が生々しく、軽く吐き気を催す。
すぐにでも逃げ出したいところだが、雰囲気的に申し出しにくい。しばらくこのままでいるしかない。
「ん、その顔はなんだ?。心配すんな。後は俺たちに任せておけ。報酬はきっちりとあいつらから貰ってやるよ」
「すいません……」
ベイカーの勘違いはそのままに、形だけの謝罪を述べた。
夜明けにはまだ遠く、胸中も暗いままだ。
ただし視界に広がった凄惨な光景だけは“終わった”と、簡単には片付けられない。
「……
「これが俺たち奴隷の生き様よ。恨んでも憎んでも仕方ねえ。
ベイカーは俺をおろすと豪快に笑った。異世界では現世の倫理観とは多少異なるのかもしれない。
それに奴隷の寿命は短い。長い人でも40歳ぐらいだ。死んでいった仲間を愛おしむ暇などないのかもしれない。
「ここらを片付けたら朝になっちまうな。面倒だがちゃっちゃとやるしかないぜ」
「……はい、そうですね」
俺もつられて笑おうとしたが、ベイカーの拳が震えているのを目にする。違わない。何も違ってなどいない。人の死を慈しむのはどの世界も同じのようだ。
いたたまれなくなり、この場から一刻も早く離れたい気持ちになる。これ以上ベイカーを直視したくはない。俺に気を遣う必要なんてないのに──。
「ベイカーさん、本当にありがとうございました。これで母さんが助かります」
「リブに会ってもお前が倒したなんて言うなよ。いずれバレるとは思うが、過信して魔物に突撃されたらかなわんからな」
「リブさんは恐いもの知らずですからね」
「…………ザック、ありがとうな。お前がいなかったらこの集落は全滅したかもしれねえ。本当に感謝している」
ベイカーは手を差し出す。節くれだった漢の手だ。
「はい、お手伝いできて僕も嬉しいです」
少々気恥ずかしいが戦士とは程遠い紅葉のような手で応える。純粋な気持ちとは程遠いが、この場所を守る一助にはなれたはずだ。
「では、僕はこれで失礼します」
「言葉遣いといい、戦いといい、お前はリブと同じ6歳か?。普段お前と話すことはなかったが、年上を相手にしているような気分だぜ」
「な、なな、なにをおっしゃっているのかよく分かりません。かか、母さんの教育の賜物ですよ」
「そうか……オリアナはおっとりしていてスパルタなのか?」
「ああみえて凄い教育熱心なんです!。か、隠しているだけですよ」
「親子揃って隠し事か?。秘密の一つや二つは誰にでもあるが、あまり隠し事はするなよ。俺たちは力を合わせて生きていかなきゃならんからな」
「はい、僕もそう思います!」
調子よく返事する。ベイカーはなおも話しを続けるが、小言が段々と多くなってきたので、適当に相槌を連打する。
しばらく続きそうな気がしたが、第三者の介入により、すぐに中断した。
「すまないがこのままアベドンの正門前まで行ってくれないか?」
横から割って入ったのは国境警備隊の女性兵士だ。他の兵士が怖気ついている中、前線で指揮を執っていた人物だ。全身を銀色の
「“シャノン”副隊長か…………兜ぐらい脱いでから話せ。声がくぐもって聞き取り
ベイカーはため息交じりに言った。目上に対して失礼だが、これには同意せざるを得ない。終わったかと思った矢先の新たな指示だ。詳細が分からぬともただ事ではないだろう。
シャノンと呼ばれた兵士は兜脱ぐ。結いあげた髪と可憐な素顔が
「伝令役によるとトロールがもう一体出たらしい。我ら警備隊が応戦しているが、あまり状況は芳しくない。君たちも疲弊していると思うが、急いで現地に向かって欲しい」
感情の籠もらない機械的な口調。丁寧ではあるが淡々として人間味がない。
「母さんは!?。みんな無事なんですか!?」
気が動転して俺は強く問い質す。嫌な予感が的中した。集会所は村の正門近くにある。
「……魔剣使いの子か。君には是が非でも手伝っていただきたい」
「だから無事なのか!。母さんは身体の調子が悪くて動けないんだ!」
「ザック、落ち着け。お前が騒いでいると話が進まん」
ベイカーは俺の肩に手を置き諫める。
「心配ではないのですか!。リブだっているかもしれないのに!。早く、早く行かないと!」
「ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァック!」
ベイカーは一喝する。凄まじい声量に鼓膜が破裂して脳汁が出そうだ。
「勇敢で冷静なお前はどこにいった?。オリアナが心配なのはわかるが、まずは落ち着け」
「…………すいません、感傷的になってしまいました」
「リブが到着していればエレンがいる。あいつは頭は悪いが、腕っぷしはなかなかのもんだ。オリアナに惚れているようだし、死んでも守ってくれるさ」
「はい……そうだといいです」
疲労のせいか取り乱してしまった。我ながら情けない醜態を晒した。
「話を続けてくれ、シャノン」
「ああ……正門近くにいるトロールは、ここの
「ならそいつを叩けば本当に終わりだな」
「その通りだ。しかし我々は多くの仲間を失っている。集会所にいる君たち家族の安否はわからないが、緊急時に備えて兵士を幾人か配備している。問題が起きた場合は適切な対処をしているはずだ」
シャノンはそういって頭を下げ、
「君たちの助力なくして魔物を退けるのは不可能だ。村の守りは君たちと我々が連携して護衛しているが、我々の大半は村の防壁内だ。外側でどんなことが起きても、素知らぬふりをするだろう。綺麗ごとを言うつもりはない。君たちを守るには君たちしかいないのが現実だ。正門を突破されて住民に危害が及べば、あの領主が何をしでかすか見当もつかない。ずいぶんと身勝手な話だとは思うが、力を貸して欲しい」
真摯に申し出る。国境警備隊の副隊長ともあろう人が、奴隷に対して礼節をもって接するなど思いもよらない。横柄な態度と威圧的な物言いが、国境警備隊だと思っていたが、考えを改める必要がありそうだ。
「だってよ、ザック。勘違いすんなよ。こいつぐらいしかまともな奴は他にいないからな。さっきの戦いを見ていたからわかるだろ?。隊長は臆病者で引きこもり。その他全員は腰抜け揃いだ」
「…………そういうこと言って大丈夫ですか?」
「問題ない。事実だ」
「ええ……シャノン副隊長まで…………」
俺は困惑して答えに窮する。
「さあ、ちょっくら行ってくるか?。トロールの一匹や二匹、ちゃっちゃと片付けてこようぜ」
「はい、すぐにでも行けます」
「私もここの指揮を他の者に任せてから向かいます。君たちの力を信じていますよ」
シャノンはここへ来てようやく表情を緩む。俺たちとの交渉に気を張っていたのだろう。
微笑むシャノンを後にして、俺たちは急いでアベドンの正門前へと向かった。
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