第6話 魔剣

 篝火に照らせれた大型の魔物──巨大なジャイアントトロール。

 巨漢から繰り出される強烈な一撃に、歴戦の奴隷は吹き飛ばされ、紙くずのように舞う。後方にいる国境警備隊の兵士は、喚くばかりで前に出ようとさえしない。狼狽えているのが手に取るようにわかる。

 荒れ狂うトロールは仲間のゴブリンもお構いなしだ。適当に掴んだゴブリンを口に放り込む。骨肉の砕ける音と短い断末魔が聞こえた。

 暴虐の限りを尽くす権化に為す術もなく、勇敢に立ち向かう戦士達はことごとく散っていく。


 「圧倒的じゃないか……」

 辛うじて踏みとどまれたのは不幸中の幸いだ。以前魔の森アビスフォレストで目撃してから、トロールと戦うことを想定して模擬訓練シミュレーションはしていた。でなければ腰を抜かして気絶していたかもしれない。

 深呼吸──冷静に事態を把握。焦りは禁物だ。


 「兵士が残り10、俺たち奴隷は20ぐらいか。臆して逃げた奴も含めても、かなり少ないな」

 ざっくりと見積もる。死体は多過ぎて数える気にならない。

 「……死ねば補充、ただそれだけだ」

 冷めた目でつぶやく。俺たちに自由に生きる権利などない。上からの指示があれば特攻するだけだ。

 「逃げるわけには………………そう決めたはずだ」

 額にかいた汗を拭う。あれだけ走っていても、汗のひとつもかかなかったというのに。今になって全身から汗が噴き出す。

 

 「お前、オリアナんところの坊主か?」

 激戦の最中、一人の奴隷がこちらに気づく。逆立った金髪と岩のような巨躯。巨大なトロールほどではないが威圧感がある。自分よりはるかに大きい棍棒を担いで詰め寄ってくる。

 「“ベイガー”さんは無事だったんですね」

 目線を合わせるにも一苦労だ。どれだけ食べたらそうなるんだ。軽く2mは越えてるぞ。

 怪訝な顔を浮かべていたベイカーは、すぐさま俺を叱りつけた。

 「こんなあぶねえところに来やがって!。夜遊びも大概にしろよ!。怪我したくなかったらとっとと帰れ!」

 大人の立場として当然の主張だ。これに対して反論の余地はない。

 「すいません、集会所にリブさんが見当たらず、エレンさんと一緒に探していました。ご友人のお話によると、ご自宅に戻ったの事で──」

 「なに!?。リブたんが、いや、リブがどうして自宅に行く必要がある!。俺が出る前に子分と一緒に行くって言ってたぞ!」

 ベイカーは棍棒を放り投げ、俺の両腕を挟むようにして持ち上げる。

 「ぐぅふっ……べベベイカーさん、い、痛いです!?」

 「見つかったのか?。え、見つかってないのか?。どうなんだ?。さあ、さっさと言え、言ってくれ!」

 ベイカーは目を見開いて問い質す。両脇が万力のように締めつけられる。

 「う、腕に魔力を集めてもまだ足りない!?。馬鹿力なんてものじゃない!。化物かっ!!」

 「その青い顔色……ま、まさか、リブの身になにかあったのか?」

 「だ、大丈夫……で、す……え、エレンさんと……いっしょ……に……戻り……ま……」

 「エレンの奴と一緒なのか!。じゃあ無事なんだな?」

 「はい……ぶっ、ぶじ……で……すぅ」

 胸骨が軋み、肺を圧迫されて息が詰まる。生まれてこの方、こんなにも痛みを感じたことはない。ゴブリンがトロールに貪られた光景がちらつく。


 「そうか、それを聞いて安心した。悪かったな、手間を取らせて。後で俺から言い聞かせておくぜ」

 「はぃ……おねがぃ……し……」

 声を出そうにも肺はしぼんだまま。俺は酸欠の金魚のように口をぱくぱくとさせる。  

 視界がぼやけていく。ベイカーのいかつい顔だけが、黒く沈んでいく意識の中でいつまでも残った。




 「……っうぷ、気持ち悪い」

 俺は体の痛みとともに目が覚める。

 「起きたか?」

 すぐ近くでベイカーの声がする。

 「ベイカー……さん?。ここは……………す、すいません、すぐに降ります!」

 意識がはっきりしてくると、裏返った声で返事をする。こんな事態になるとは想定していない。

 気分が悪い原因はベイカーの胸に抱かれていたからだ。魔物からの攻撃を避ける度に、上下左右に揺れ、車酔いに近い感覚を引き起こしたようだ。なんてひどい目覚めだ。


 「悪いな、力の加減ができなくてよ」

 「はい……次からは手加減をお願いします」

 俺はすぐさまベイカーから離れ、自らの足で地に立つ。一秒たりともいたくはない。

 「僕が意識を失ってどれほど経ちましたか?」

 「せいぜい数十秒だ。子供ガキにしちゃあ十分早い。リブなら数分経っても起きてこないからな」

 「……………………リブさんも大変ですね」

 「……しょっちゅう妻にも怒られる」

 ベイカーはしょんぼりとうなだれる。集落の長としての勇ましい姿しか見ていなかったので、へこんでいる姿は新鮮だ。


 巨大なジャイアントトロールとの攻防は続いている。しかし残っている奴隷は精鋭揃いだ。自分がここに到着してから犠牲者はさほど増えていないようだ。

 「……戦況に変わりはないようですね」 

 「前線を維持しているだけだからな。やられた奴は治療に回して、他の仲間と入れ替えているだけだ。死人は減ってきたが想像以上に面倒臭い奴だぜ 」

 俺に配慮してくれているのか、ベイカーは詳しく話してくれた。

 「相手がデカすぎてな。致命傷を与えられねえ。俺たちは殴るか叩くかしかないからな。不便でしかたねえぜ」

 「あの不平等な規則ですね……」

 ベイカーの不満げな言葉に同意する。確かにあの巨体を覆う厚い脂肪は厄介だ。叩いた程度でどうにかなるとは到底思えない。




 奴隷には様々な制限が課せられている。反撥はんぱつされても容易に対処できるように厳しく管理されている。その中でも特に厳しい制約は、

一、奴隷は刃物を所持できない。

二、奴隷は魔法の行使を禁ずる。

三、奴隷は一定の範囲から出てはいけない。

四、奴隷は身分の格差がある場合、婚姻を結べない。

五、奴隷は如何なる理由においても逆らってはいけない。

 の五つだ。通称、『鉄鎖てっさの五原則』と言われていて、例外として調理道具や狩りを行う場合は刃物の使用は可能だ。これも許可制だが。

 そして奴隷を適切に管理する為に、四肢のいずれかに腕輪か足枷を強いられる。規則が破られた場合、赤く光り、多大な苦痛を与える呪いがかけられている。違反者は洩れなく極刑行きだ。ほぼ死刑か運が良ければ死ぬまで牢獄暮らしだ。

 満8歳になると支配者から否応なくされるので、




 奴隷の身分だとしても易々と死にたくはない。最後まであらがい続け、悔いのない人生を歩みたい。

 俺は左腰に隠していた木剣をおもむろに取り出す。子供が遊び道具として使用するちゃちなものだ。

 「ベイカーさん、相手の注意を引いてもらえますか?」

 「おいおい、冗談は止せ。そんな玩具おもちゃでどうする?」

 「…………策はあります」

 短く返答する。傍目から見れば英雄ごっこに興じる無鉄砲な子供。蛮勇を履き違えた命知らずだ。

 左手に握った木剣に右手は刀身に添えて目を瞑る。

 ──剣は腱にして拳也──

 心の中で反芻する。決して焦らず心は平静を保ち、湖面に浮かぶ自分を想像する。鼓動は脈打ち、全身へと広がり、やがて波紋のように広がっていく。揺れては返す小さな波は、果てのない水面をいつまでも揺らし続ける。

 そこへもうひとつの存在──木剣を意識する。枯葉のように舞い落ちた木剣は、湖面の波紋を反響させ、寄せる波を起こす。波と波とが干渉し合い、互いを打ち消すようにして、湖面は静寂に包まれる。

 己と木剣に垣根はない。身体の一部として混じり溶け合い、魔力が滑らかに伝わっていく。


 「こ……これはっ!?」

 ベイカーが驚嘆の声をあげる。 

 木剣は青白く輝き、闇夜を切り裂くようにして光を放つ。

 「あまり長くは保ちません。一太刀できめます」

 「お前をつかんだ際、魔力操作が変態じみていたからな。そんな芸当……いつ覚えた?」

 「母さんを助けるために必死に覚えました。どうしても聖水が必要なんです」

 「聖水って……あの病に効くって噂のか?。眉唾だと思っていたが、到底子供の手に入るような代物じゃないが?」

 「あいつを──トロールを討ち取れば買えますよね?」

 悪戯っぽく笑う。

 「お前…………リブを山車だしにしてここに来たな?」

 ベイカーはすべてを悟って嘆息する。流石は集落の長。エレンと違って頭の回転が速い。

 「のオリアナが許すわけねえもんな。クソっ、子供ガキの手を借りるなんて腹が立つぜ」

 ベイカーは腹立たしいのか棍棒で自分の頭を叩く。

 「危なくなったらすぐに逃げろ。お前が死んじまったらオリアナに顔向けできねえ」

 「ありがとうございます。ベイカーさんも気をつけてください。リブさんの泣き顔も見たくありませんから」

 一丁前に減らず口を返す。頭を軽く小突かれたが了承はしてくれたようだ。


 準備は整った。後は敵を屠るだけだ。

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