第5話 難敵

 エレンにはリブの護衛役に徹してもらう。怪我をされては困るのだ。当人は俄然がぜんやる気だが、 ここは我慢してもらうしかない。不満げな顔をしているが──。 


 「こいつは……ホブゴブリンじゃねえか!?。こいつも一撃か!」

 エレンは倒した魔物の死体を見つつ感嘆の声をあげる。

 「すこし固くて大きいだけですよ。皮膚の色も多少違いますが、暗い夜だと違いはよく分かりませんね」

 「……本当に6歳か?。素手でやれる子供なんて見たことねえぞ」

 「それなりに鍛えてますから。警戒される前に仕留めるのがコツです」

 謙遜しつつ息絶えたホブゴブリンの鼻を石包丁で削ぐ。魔物を倒した証明として取らなければならない。布製の手提げ鞄に入れてエレンに手渡す。

 「随分と面倒だな。まだ小刀ナイフは持てないのか?」

 「はい、金属は触れるだけでちょっと…………皮を巻いて握ってもだめみたいです。刃物じゃなければ大丈夫なんですが、よく分かりませんね」

 俺は苦笑する。




 まさか異世界で、謎の金属アレルギーが発症するとは思いもよらなかった。環境汚染が進んだ前世の世界ならまだしも、ここは大自然に囲まれた豊かな地。排気ガスを撒き散らす自動車も、煙突からけむりを出す工場もない。


 思い返せば確かに違和感はあった。他の子と比較して、明らかにもやしっ子だった。病気に罹りやすく体も小さい。奴隷──貧乏生活を強いられる中、極端な栄養失調が要因かもしれない。体が鉛のように重く、常に魔力を循環させていないと歩くのもままならない。故に魔力操作は嫌でも上達する。

 多少改善はしたものの、おかしな金属アレルギーだけは未だに治る目途がつかない。奴隷として生まれ、さらにポンコツな肉体まで授かった。超ハードモードである。


 「普通転生したら、神様からチートの一つや二つ頂いて然るべきではないか?。そうでなくても貴族、いやせめて一般人として生まれたかった。こんなに苦労して鍛錬を積んでも、魔力量はリブの足元にも及ばない」

 俺は両目に魔力を集中して嘆く。リブからうっすら立ちのぼる白い狼煙は、自分と比べて倍以上ある。エレンに至ってはさらに数倍だ。

 「私が可愛いからってなにじろじろ見てるのよ!。オリアナ叔母さんを助けたいのなら早くしなさい」

 いちじるしい勘違いをしたリブは顔を赤らめる。

 勘違いは仕方ない。それは誰にでもある。しかし後半の発言は不適切だ。母さんは叔母さんと言われるほど歳を取ってはいない。発言の撤回を強く求める。

 「……………………そうだね。あらかたここは済んだから移動するよ」

 しかし俺は調和を第一に優先する現実主義者リアリスト。心の中に押し殺し、表には出さない。決して血糊のついた棍棒が怖いとかそういう理由ではない。


 ゴブリンが3匹にホブゴブリンが1匹。これが現時点での成果だ。

 通常の襲撃は10匹そこらだ。今回の規模はどれほどか予想もつかない。しかし歴戦の戦士どれいが集う、このアベドンでは、桁がひとつ増えてもさしたる差はない。国境警備隊の支援もあり、戦いで負傷する者がいても、死者が出ることはまずない。

 付近から聞こえる魔物の断末魔や咆哮が減ってきているので、意外と早く終わってしまうかもしれない。

 「《大牙の狼(ファングウルフ)》の群れでも来ないかな?。あれなら毛皮も高く売れるのに……」

 俺はなるべく大人たちがいない箇所を探して駆けまわる。見つかれば集会所に強制的に送られて、後できつい説教が待っているからだ。



 

 月が雲に隠れ夜天が陰る。無為に時間だけが過ぎていく。

 「……ここは外れだな」

 焦っているのか無意識に舌打ちする。

 あれから魔物の気配さえない。当然だ。指揮者(リーダー)の的確な支持で皆が動いているのだ。人員が配置されていない箇所にいる可能性は極めて低い。さっき倒した魔物は取りこぼしで運が良かっただけだろう。

 「どうする……一か八か…………仕掛けるか?」

 考えを改めるべきか迷う。自分だけ罰を受けるのは構わないが、エレンとリブも巻き添えになってしまう。加えて森に入っていたことがばれるとお終いだ。


 「もう終いだ。さっさと戻るぞ」 

 追い着いたエレンは諭すように俺に声をかける。

 「エレンさん……」

 「……そんな顔をするな。前線に魔物がいるかもしれない。けど、他の奴らに見つかったら終わりだぜ。今回はこの成果だけで満足しろ」

 エレンは宥めるように言った。

 「ザッくぅ……わたしの……きしぃ……」

 リブはおんぶされたままうたた寝している。無理もない。子供ならとうに熟睡している時間帯だ。 

 当初に約束した刻限が迫りつつある。

 「ザック、時間切れだ。さあ、一緒にオリアナさんのところに戻るぞ」

 痺れを切らしたエレンは肩に手をかけようとする。

 「あ、母さん!」

 俺は不意に明後日の方向を指さす。

 「な、なに!。オリアナさんっ!」

 釣られるようにしてエレンが振り向く。

 その隙をついてすかさず逃亡を図る。足裏に魔力を集中させて音を立てないように注意する。爪先に集めて走るより遅いが、暗闇に隠れてしまえば追っては来れまい。

 「……今回だけは許してくれ」

 エレンには悪いことをした。リブを押しつけ、あまつさえオリアナに嘘をつかなければならない。損な役回りだ。

 エレンを裏切ってもやり遂げなくてはならない。これだけどうしても譲れない。




 前世で嫌というほど後悔をした。様々な場面で選択を誤り、その都度心が深く傷ついた。己の無力さに絶望し、死を望んだことも一度や二度ではなかった。

 だから後悔しない人生を歩みたい。強い信念を持ち、決して挫けず、前だけを向いて進みたい。

 この異世界に転生した、俺の唯一無二の想いだ。


 目的地に近づくにつれて違和感を感じた。

 戦士達の声に覇気がない。勇ましさよりも不安と動揺が多分に混じっている。建ち並ぶ住居を駆け抜けていく最中で、不審に感じる。

 視界が開けると、そこには有りえない光景が広がっていた。

 「……………………うそ……だろ?」

 驚きのあまり口から漏れ出た。予想の斜め上をいく展開だ。

 大量のゴブリンと人の死体が、辺り一面に散らばっていた。多くは奴隷だが、国境警備隊の兵士も混ざっていた。

 国境警備隊の兵士はすべからく板金鎧フルプレートアーマーまとっていたが、これは酷い。原形を留めずにどれも無残に潰されていた。

 「……リブには見せられないな」

 悲惨な惨状に胃液が喉元までこみ上げてくる。 


 そして死屍累々の先には、不気味に聳え立つ、恐ろしい姿があった。

 《トロール》──身の丈は常人の三倍を超え、厚い脂肪に隠れた筋肉は桁外れの膂力りょりょくを有する。皮膚の色は生息する地域によって様々で、アベドンでは茶褐色が一般的だ。草食でおとなしく、人里には滅多に降りてこない。だが、一度怒らせると手に負えず、小さな村であれば容易く壊滅してしまう。

 生まれてこの方、魔の森アビスフォレストで一度だけ目にしたことがあった。緩慢な動作で、危害を加えなければ何もしてこない、温厚な魔物だ。ゴブリンとは真反対の性格だ。

 「……森の奥にいる魔物のはずだが…………明らかに前に見た奴より大きい。巨大なジャイアントトロールかもしれない」

 迫力に気圧されて後退りしてしまう。

 賭けは失敗だったかもしれない。

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