第3話 襲撃

 魔物襲撃ディザスターはすぐに来た。

 次の日の真夜中──荒々しい鐘の音が鳴り響く。国境警備隊の見張りが異常を見つけたようだ。


 「……いつもより早い」

 俺は即座に起きて支度を始める。

 出窓からのびた月明かりで手元がよく見える。事前に準備していたのでさほど手間もかからない。   

 「いつもより大きい音ね。気をつけて避難所に行きましょう」

 オリアナも目を覚ます。慌てることなく落ち着いた様子だ。

 「一人で歩けそう?。つらいようだったらすぐに言って。抱えて行くよ」

 「大丈夫よ。すぐそこだから問題ないわ」

 「母さん、遠慮しないでね」

 「ありがとう。すこし恥ずかしいけれど、その時はお願いするわ」

 オリアナは微笑む。月光にあてられた神秘的な姿。蒼白の顔色とあいまってこの世のものとは思えないほど美しかった。

 「隙をみて抜け出さないと……」

 猶予はない。枯れ木のような痩せた体躯は、そよ風でも折れてしまいそうだ。

 手近のランプに火を灯し、俺は母を連れて目的地へと向かった。




 野外に出ると、集落の中央から声が上がり始めた。聞き耳を立てると魔物襲撃である事は間違いないようだ。

 自分たちがいる周囲一帯は魔物の気配は感じない。集会所に向かうまでは安心できそうだ。我が家は立地上、外敵から襲われる危険性が高いので、いつも逃げる際は注意をおこたらない。

 「お、オリアナさん、ご、ご無事でしたか?」

 数歩もいかない内に精肉店の店主がこちらに向かって走ってくる。

 「……早すぎだろ」

 俺は母親の手を取りながら怪訝な表情を浮かべる。予想はしていたがこの素早さは賞賛に値する。

 「エレンさんも御無事でなによりです」

 「さ、さあ、夜道も危ないですし、一緒に行きましょうか?」

 「ええ、そうですわね。そうそう、前にいただいた素敵な花瓶とカーネーション。とても素敵な贈り物をありがとうございました」

 「は、はい!。お、オリアナさんの方がもっとお美し──」 

 「母さん、先を急ぐよ」

 俺は二人に割って入るようにして先を急ぐ。こんな所で世間話をしている場合ではない。

 エレンの横を通り過ぎる際、

 「……他の方たちは?」

 オリアナに聞こえないよう小声で話す。

 「何人かは魔物を追い払うよう指示したが、残りはいつも通り隠れてるぜ。力づくだと後々面倒なんだよな」

 「……草むらのあちこちに身を潜めてますね。後で僕から警備隊の方に報告します」

 同じ男として情けない。ここにいる奴隷はアベドンの村を魔物から守るために存在している。戦いを放棄すれば不必要と判断され、処罰されかねないというのに──愚かな行為だ。


 そして俺たちが集落から離れて住んでいる最たる理由でもある。

 既婚未婚に拘らず、男衆がこぞってオリアナに付きまとうからだ。事あるごとに近づこうとする輩を、俺は知恵を絞り適切に対処している。トラップを仕掛けたり、奥様方あいかたに密告したり、金銭を使って大人の力を借りたりと様々だ。オリアナの着替えをのぞこうとする不埒な者もいるので、集落の治安維持の為、国境警備隊に通報もしている。


 その甲斐あってか、ここ1年は下火になり、肉屋店主エレンの助力もあって鳴りを潜めている。エレンも正直鬱陶しいが──。

 「うら若き未亡人はいつの時代も生きにくい」

 「何か言ったか?」

 「いいえ、何もでありません。エレンさんと一緒だと心強いです!」

 「そ、そうか?。そう言ってくれると嬉しいぜ」

 「はい!。いつも助かってます!」

 子供らしいお世辞を言う。どうせなら変な気を起こしている男衆覗き魔も魔物とまとめて追い払ってくれないだろうか。下心なしで。

 「母さんの再婚相手はお金持ちだ。貴族か商人か、可能なら王族もいい。奴隷同士では絶望の未来しかえがけない」

 俺は心の底からそう思った。




 集会所が見えてくると、あちこちで忙しなく人が動いていた。怒鳴る者や、悲鳴をあげる者、 戦いの雄叫びをあげる者など、混沌としている。

 集落の中央には井戸があり、その横に石造の建物が集会所だ。ここは普段、寄合などで使用する施設で、危険が及んだ場合が避難場所として活用している。

 建物の中に入るとすでに子供や老人、病人がごった返しになっていた。

 「……足の踏み場もないな」

 逃げてきた人数から今回の襲撃は規模が大きいようだ。普段いない国境警備隊の兵士も入口に配置されていたので、まず間違いないだろう。

 一通り見回していると幼い女の子が数人寄ってきた。

 「ザックぅ、たいへんだー、どうしよー」

 「ふぇぇぇん、姉様がぁ、姉様がぁ」

 「みゃものがくゆ……ちゃいへん……じゃっちゅはどうしゅる?」

 おさげ髪の女の子を筆頭にわらわらと寄ってくる。皆一様に慌てているようだが、要領をえない。

 「リブの子分……いや、お友達か。何かあったのかな?」

 「そういえばリブちゃんが見当たらないわね。いつもなら駆け足であなたに会いに来るのに」

 オリアナは泣いている女の子を抱きあげてなぐさめる。

 「ぅぐすっ、んっ、ねえさまぁ……どこぉぉ」

 「ふぁあぁぁ…………みょうにょみゅい……おやしゅみにゃしゃい」

 「おい……まさか……リブに何かあったのか!?」

 俺は最悪の事態を想像する。あって欲しくはないが、この非常時、可能性は十二分にある。

 おさげの女の子が言いづらそうに下を向く。 

 「うんとねー、あのねー、おといれー、おうちにもどるってー」

 「と、トイレに?」

 「ここだとはずかしいからってー、かえるのー」

 「…………ここは男女共用で仕切りが無いな……」

 「うん、ねえたまいやだってー、あたちもはずかしー」

 赤くなった顔を両手で塞ぐ。


 おいおい、まだ6歳の女の子だぞ。繊細デリケートなお年頃にはまだ早く、そんなことをいっている状況ではない。 男心がわからない母親オリアナのように、俺も乙女心は理解不能だ。

 ただ一つ言えることは──心配して損した。

 「となると──ひとりで戻ってくるのは危険だな」

 いかにも神妙そうな面持ちで顎に手をあてる。これは千載一遇の機会チャンス。渡りに船だ。

 「母さん、僕が迎えに行ってきても良いかな?。リダの家はここから近いし、魔物が来るまでしばらくかかりそうだから」

 これを口実に小銭稼ぎと洒落込もうじゃないか。


 「だめです。大人の方に頼んでもらいなさい」

 歯牙にもかけずオリアナは即答する。ここまでは想定通りだ。

 「それじゃあエレンさんと一緒なら行っても良いかな?。僕一人だと不安かもしれないけど、エレンさんがいれば安心でしょ?。それにリダはエレンさん一人だと怖がるかもしれないし、駄々を捏ねてここに来ないかもしれないよ」

 まるで相手の心情を気づかうようにいった。無論リダの性格など知らないし、知りたくもない。俺が知っている彼女は我儘で自己中な女の子だ。

 「リブちゃん……確かにそうね…………でもあなたを行かせるわけには…………代わりに私が行くのが──」

 「お任せください!。必ず二人とも無事にお戻りするよう約束します!」

 エレンが鍛え上げた胸を叩き力強く言った。単純で扱いやすい。このアベドン一の優しき愚か者だ。


 リダを早く迎えに行くべきなのは事実だ。この集会所も時間と共に人が多くなっていく。そうこうしている内に本当に最悪の結果を招いてしまうことは避けたい。

 オリアナは悩んだ末に小さくため息をつく。

 「……寄り道しないで戻ってくること。約束をしっかりと守るのよ」

 「母さん……ありがとう」

 「……誰に似たのかしら。リダちゃんが心配だからってあなたが危険を犯す必要なんてないのよ。そういうことは大人に任せておけばいいのよ。落ち着きが足りないのはいつものことだけど、叱っても変な理屈をこねて言い返されちゃうから困るのよね。ご近所でお話が達者な方なんていたかしら?。今度お会いしたらあまりザックに変な知識を与えないようお願いしましょう」

 「行ってきます!」

 オリアナの小言が続きそうなので急いで踵を返す。説教はいくつ歳を取っても聞きたくはない。例え最も大切な人、母親オリアナであってもその限りではない。

 駆け出した背中からエレンの慌てる声が聞こえる。

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