第2話 病魔

 風が吹けば飛びそうな我が家は、集落からすこし離れた所にある。

 奴隷の中でも新参者で、人目につかない場所──深淵の森近くの方が何かと都合が良い。

 室内は気を使っているので、外観に比べ清潔だ。かといって、寝具と数点の食器がある程度で家具等は一切ない。大きな家財と言えば、自分と同じぐらいの水瓶みずがめが部屋の隅に陣取っている。


 「気分はどう?」

 ザックは手荷物を置いて訊ねる。

 「大丈夫よ。昨日より調子が良いわ。それにさっきまで“リブ”ちゃん達が遊びに来てくれたのよ」

 オリアナは身を起こして微笑む。絹のような銀髪がふわりとなびく。

 「えっ、が来てたの?。うるさいからもう来るなって言ったのに……」

 思わず問い返す。リブは集落にいる女の子で、見た目は可愛いが、性格は生意気で、何かとちょっかいを出してくる面倒な奴だ。いつも子分を引き連れ、我が物顔でやって来る。

 自分より数日早く生まれたというだけで、リブ姉様と呼ぶよう強要するのは如何にも子供らしい。納得はいかないが。


 「昔はあんなに仲が良かったのにどうして?。今日もあなたが来るのを待っていたのよ?」

 不思議そうな顔をする。この表情が天然なのか惚けているのかわからない。

 「……一度たりともないよ。リブが勝手についてくるから適当に相手をしてただけだよ」

 真っ向から全否定。どこをどう見たら仲が良いと映るのだろうか。もう老いが始まっているのかと心配になる。


 「すぐ食事の支度をするから。母さんは料理ができるまで横になってて」

 「私も手伝うわ。ずっと寝たままだと逆に体に悪いし──」

 寝床から立ち上がろうとするが足元がおぼつかない。

 「ほら、まだ寝てないとだめだよ」

 慌てて介抱する。調子が良いと言っているが、青白い顔では説得力に欠ける。

 「ごめんなさい、まだ6歳になったばかりなのにザックがしっかり者で助かるわ。本当に私の子供なのかと疑っちゃうわ」

 「……冗談言ってないでおとなしくしててね」

 心臓が一瞬止まった。間違いなく母さんの子ではあるが、中身は良い歳した中年のおっさんだ。口調も出来る限り幼く演じてはいるが、不安が常につきまとう。

 水瓶に溜めた水を柄杓ですくい、取っ手が外れそうな鍋に入れる。手荷物から食べ物を取り出して鍋に放り込む。左手に鍋を持ち、右手の人差し指から火を出す。小さい炎だが、料理を温めるには丁度いい。




 ここでは前世の世界とは違い魔法という概念がある。高度に情報化された近代文明は、今のところ見当たらない。農業や牧畜といった前時代的な様相を呈している。しかし魔法という点に関しては一線を画し、素晴らしいものだと聞き及んでいる。

 誰しもが使えるわけではないが、魔法技術の発展は国を上げて奨励されているそうて、素養の在る人間は召しあげられ、それなりの地位が約束されるらしい。

 奴隷がどこまで成り上がれるかははなはだ疑問ではあるが、奴隷同士の会話では信憑性に乏しく、最悪捨て駒扱いされる可能性の方が高い。たださえ村民の盾となっているのに、これ以上の奉仕は御免被りたい。


 「具材もあらかじめ切ってもらったんだ。その方が早く出来るからって」

 鍋底に火をかざしながら俺はオリアナの様子を伺う。

 「“エレン”さんに後でお礼を言わないといけないわね。いつもお世話になってるようですし、時々様子も見に来てくれるのよ」

 「そうなんだ。とても気前の良い人だよね」

 適当に相槌をうつ。エレンとは精肉店の店主の名だ。そういえば自分の想いを伝えて欲しいと言っていた気がするが、忘れたことにする。大変申し訳ない。

 「そこのカーネーションもエレンさんが持ってきてくれたのよ」

 オリアナは嬉しそうに語る。寝床のすぐ横に小さな出窓があり、窓枠の上に白磁の花瓶が置いてあった。そこに数本の赤色のカーネーションが生けてある。

 「…………あの親父、花言葉を知っててやってるのか?。年齢差を考えろよ」

 溜息交じりにつぶやく。花言葉は純粋な愛。余談だがエレンと母とではひと回りも歳が離れている。鼻で笑い飛ばしたくなるが本人は至って真剣だ。母の言う通り世話にもなっているので邪魔だけはしたくない。応援もしないが。


 「花瓶までくださって本当に奇特な方ね。いつもお顔が真っ赤なのはお酒の飲み過ぎなのかしら?。もっとお話をしたいのだけれど、すぐに帰られてしまうからお忙しいのね」

 「ど、どうだろう?。仕事で嫌な事があるから、お酒を飲む機会が多いのかもね」

 エレンに同情を禁じ得ない。緊張しすぎるあまり顔が赤らんだのか、それとも飲まないと会いに来れないのか、どちらかだろう。これは確信をもって言える。

 「凄く汗をかいていたの。本当に大丈夫かしら。私の病気が移らないか心配だわ」

 「……早く良くなってお礼を言いに行こう。きっと母さんが会いに行けばそれだけで喜ぶよ」

 ありきたりの言葉を連ねる。エレンの涙ぐましい努力を聞いているとこっちまでやるせなくなる。母さん、すこしは男心を理解してくれ──と。


 食材にほど良く熱が入り、料理を器に移す。肉と香草の匂いが交わり、食欲を刺激する。

 「お野菜と肉のスープね」

 「なんの肉かはわからないけどね。野兎を渡したらすぐにこの肉を渡されたから。多分魔物の肉だと思うけど……」

 「野菜もいただいてお世話になりっぱなしね。美味しいならなにも心配要らないわ」

 「……そうだね……エレンさんを信じるよ」

 間違いはないと思うが、それでもどんな肉を使っているかは教えて欲しい。動物系の魔物なら良いが、虫系の魔物なら美味しくても食べたくはない。

 オリアナを抱き起こして料理を盛った器を手渡す。

 「無理しないで一人で食べられなかったら言ってね」

 「ザックは心配性ね」

 「楽観的な母さんとつり合いが取れていると思うよ」

 「ふふっ、難しい言葉を使うのね。どこで覚えてきたのかしら?」

 「村のみんなと話をしていると色々と教えてくれるから」

 「変な事を覚えてないでしょうね?。私が臥せってから《魔物災害ディザスター》はまだ来てないけど、もしも起きたらすぐにリブちゃんと一緒に隠れるのよ。魔物と戦うのは大人になってから。他にも危ない事をしてはだめよ」

 「うん、分かってるよ、母さん」

 寝床の脇に座り、首を縦に振る。

 「……目を離すとすぐにいなくなっちゃうから心配だわ」

 「だ、大丈夫だよ。母さんとの約束は守ってるから」

 オリアナの憂いを帯びた瞳に言葉が詰まる。浅はかな考えなどすべて見透かされそうで、視線を外す。



 

 オリアナは日を追うごとにやせ細っている。さっき抱き起こした際もあまりの軽さに驚いた。 

 胸元に黒い茨の紋様が浮き出る原因不明の奇病──悪魔の爪跡。

 痛みはなく、体重が徐々に減少し、最後は骨と皮だけになって死んでしまう。老若男女問わず、奴隷が最も多く発症するそうで、ここ5年間で10人ほど亡くなった。

 感染源は不明だが治療法はある。大都市にある教会で洗礼を受ければ治るらしい。その際は目玉が飛び出るような寄付金が必要で、奴隷の身分では一生真面目に働いても手が届かない額だそうだ。


 しかし諦めるのはまだ早い。他にも治療法はある。同じく教会で作られた聖水を継続的に飲めば同じ効果が得られ、発症した奴隷の幾人かはこの方法で助かったそうだ。

 「……次の魔物災害ディザスターで一稼ぎすれば聖水が買える」

 頭の中であれこれと算段する。見た目は6歳の子供でも、前世の知識と経験がある。上手く立ち回れば、戦わずともおこぼれにあずかるなどいくらでもやりようはある。

 「絶対に治してみせる……」

 強い決意をにじませる。神に救いの祈りを──馬鹿げている。奴隷といえども善良な人間。ましてやオリアナがどうして奇病にさいなまれなくてはならないのか。こんな仕打ち、ありえない。あってはならない。

 

 この安寧を決して壊させはしない。

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