【030】福成亭の夜
福成亭は昼夜がある街マップに存在している。
その庭からお座敷に、砂月は入った。入り口からは入らないようにしている。いつもそこには、ずらりと【胡蝶の夢】の黒スーツ姿のギルメンが並んでいるからだ。ギルド衣装というわけではなく、ギルメンの内の三割程度がスーツ姿で、それなりに偉い立場らしい。
季節感の無い大陸だが、ハウトシティは秋に属しているようだ。
いつ来ても紅葉が綺麗だ。
池には竹が水を落としていて、その度にカツンと音がする。
開け放たれていた襖から、靴を脱いで中に入り、黒い漆塗りの卓を見る。金粉で蝶が描かれている。静森はいつも掛け軸が敷いてあるがわに座るので、卓を挟んで隣室への襖の前の座布団に砂月は陣取った。時刻は三時半だ。予定を認識している場合は、砂月は早く来る。ボスに集中していると、本当にその限りでは無いのだが。
しかし十六時、十七時、十八時と過ぎていき、空が薄闇に包まれて、その後暗い夜空に変わっても、静森は訪れなかった。
「慣れちゃったよな、本当これにも」
用意されていた急須から、朱い酒盃に日本酒を注ぎ、砂月はゆっくりと呑んでいた。酒の肴にお膳も用意されていた。第三木曜日は膳ではなく料理の皿が並べられるのだが。
静森がやってきたのは、19:48のことだった。
「待たせたな」
「うん。とっても待ったよ。かなり待った」
ほろ酔い気分で砂月は両頬を持ち上げる。ペースが遅く少量しか呑んでいないため、酔っているわけではない。砂月の声に苦笑し、静森が座す。
そして酒盃を手に取ったので、砂月が酌をした。
「同盟のための下準備と最後の打ち合わせをしてきたんだ」
「そうなんだ?」
「ああ」
そう言うと静森は、礼を述べてから盃を呷る。
「早速だが、【おどりゃんせ♪】と【胡蝶の夢】で、ギルド同盟を組みたいんだ」
「うん? それってどんな機能なの?」
「同盟時の【条約】は、双方のギルマスがサインした条件となる。変更時も、ギルマス両者が揃って修正サインをすることになる。代理を立てる時には、それぞれのギルドで手続きがあるそうだ」
「ギルマス同士が、それぞれのギルドを代表して、なにかを決めるってこと?」
「そうだ」
「具体的には?」
「たとえば、俺が考えているのは、『アイテムの相互支援』だ。【胡蝶の夢】から正式要請があれば、【おどりゃんせ♪】は提供する。【胡蝶の夢】は提供を受けられる。逆もしかりだ。【おどりゃんせ♪】の場合は、大量に必要な低レベルmobがドロップする生産素材などを、一気に入手可能になる」
それを聞いて、砂月はとてもいい案だと考えた。
「最高じゃん」
「だろう? こういった決まりを作っていきたいんだ」
「いいよ。他には?」
「それは同盟を組んでくれるという認識でいいんだな?」
「ああ……うん。そうだね」
砂月は頷いた。やる事が無いと嘆いていたのだから、こうして出来たことは望ましいし、新しい事にはチャレンジしてみようと思った。
「よかった。ありがとう、砂月」
すると静森は柔らかく笑った。とても嬉しそうに、両頬を持ち上げて、優しい色を目に浮かべている。ちょっとぐっとくる、胸に響く笑顔だった。思わず照れそうになった砂月は、盃を呷り自分自身を誤魔化す。
「そ、それで? 他には?」
「他には、【譲渡規約】を定めたいんだ」
「【譲渡規約】って?」
「率直に言って、通常入手が困難なランクの装備やアイテムを、砂月がばらまくのが怖い。だから、渡す前に渡す相手を相談して欲しいんだ」
「あー……確かに俺、クレクレとかにも気分であげちゃう方かも。静森くんが管理してくれるなら安心だけど、フレには自分の判断であげたいから、フレには譲渡していいことにして? 俺、フレ少ないし」
「いいだろう、条約詳細にそれは加える。ただ、【プリン評議会】に入ったと言うが、あそこの全ギルメンに配るような事はあるか?」
「うーん、分からない。とりあえず、フレなのはマスターのチョコさんだけだよ」
「そうか。しかし……【胡蝶の夢】に来てくれても本当にいいんだからな? 残りあと1枠だろう?」
「気持ちはありがたいけど。うーん、【プリン評議会】は脱退も自由だし、分からない」
素直に砂月は答えた。先の予想はまだつかないのが本当のところだ。
「そうか。それと……他は、【有事の際の相互支援】か。簡単にいえば、片方のギルド単独では困難なボスやレイドを、共闘して倒す」
「うん、おっけ。いいよ、分かった」
「最後に【情報共有】だ。新しい事が分かったら共有する」
「今まで通りだよね?」
「そうなるな」
静森はそういうと酒盃を置き、急須を手にし、今度はこちらが空になっていた砂月の盃に酒を注ぐ。
「これを条件に、ギルド同盟を組んで欲しい」
「了解。どうやるの?」
「ポラリスタウンに新NPCが出現して、そこで用紙アイテムを貰えるんだ。既に貰ってある。こちらに署名してくれ。ここまで挙げた条件は既に記入済みだ。詳細は今書き足す」
静森が先に書き足した。
用紙の下方にキーボードがついていたので、それで入力していた。一見すると羊皮紙なのだが。続いて受け取り、砂月がサインした。
その直後、まるでギルドレイドの午前一時の成果報告のように、視界に銀色のラインが走った。
『No.1 - ギルド同盟【おどりゃんせ♪】・【胡蝶の夢】』
音はしなかった。だが確かに視認出来た。そしてそれからすぐ【menu】から閲覧できる【ギルド情報】に【同盟ギルドリスト】が加わっており、そこに【胡蝶の夢】と表示されているのが分かった。視線でそれを選択すると【条約】として決定事項が並んでいた。
「よかった。俺は誰よりも先に、砂月のギルドと同盟を組みたかったんだ。それは支援が欲しいからじゃない。同盟を組んだのが早い順に、条約の優位性が高くなるからでもない。砂月が誰かと関係する時、その相手の選択肢に俺が含まれてるならば、それは俺でありたいと思うからだ」
「静森くん……」
時々静森の独占欲を感じる気がして、砂月は嬉しくなる。
「砂月、それと一つ頼みがある」
「なに?」
「暫くは、他のギルドとは同盟を組まないで欲しいんだ」
「プリン評議会? チョコさん達は、俺が別のギルドに入ってるって知らないよ」
砂月が不思議そうに首を傾げると、真面目な顔に戻った静森が険しい眼差しで首を振る。
「――【LargeSTAR】とも。優雅のギルドとも組まないで欲しい」
「どうして?」
「あいつも、装備を関連ギルドにばらまきかねないからだ。それも治安を悪化させるような連中……力でねじ伏せて人々を怯えさせるような連中にも、だ。優雅自体は悪くなくても、周囲の判断能力に疑問がある。これは決して、【胡蝶の夢】のがわに装備の優位性を保ちたいからではない」
「勿論優位性とかは疑ってないけど……うーん。確かに、チョコさんが襲われかけたことを考えると、一理あるね」
「では――」
「断るよ」
「っ」
「俺は、俺のギルドのことは、自分で決めるから」
砂月が断言すると、少し辛そうな表情をした後、静森が項垂れるように肩を落としてから、顔を上げて苦笑した。
「そうか。出過ぎたことを言った。ただ俺の先程の言葉は、参考としてくれ」
「うん。確かに一理あると思ったから、もし優雅くんに打診される事があれば、それは相談する。第一、条約の優位性というのがあるのなら、俺が優雅くんにフレとして装備提供をするんなら兎も角、優雅くんのギルドにまとまった数を渡す場合は、【胡蝶の夢】に相談しないといけないんじゃないの?」
「まぁ、それはそういう事だ。もし次に【LargeSTAR】と同盟を組んで、【装備相互支援】の条約を結んだとしても、強力なレア装備に関しては、【胡蝶の夢】との相談の場を設けてもらう事になる」
「了解。それはさっき条約を結んだ時に理解してたし」
酒をゆっくりと飲みながら砂月は頷いた。
それからまじまじと静森を見る。
「考えてみると、ギルマス同士として話すのは初めてだね」
「そうだな。俺の中で砂月は誰よりも信頼できる己のギルマスでもあり、別ギルドのギルマスでもある。恋人とは別のベクトルで、俺はそう思っている」
信頼されているのだと実感し、砂月の胸が温かくなった。
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