【019】半チュートリアル世界のログアウト

 ――ついに優雅がログアウトする日が訪れた。

 前日は三人でいつもより豪華な料理の数々を前に、再会が楽しみだと話しながら散々語り尽くした。


「じゃあな。先に行ってる。まぁ、俺から見れば次の瞬間にはお前らもいるってことなんだろうが」


 優雅はそういうとログアウトした。

 ログアウト時、それはモンスターが消滅する時に似た様子で、体は粒子となり溶けるように消えていった。いつまでもその姿があった場所を砂月は見ていた。すると隣に立っていた静森が、そっと手を繋いだ。


「大丈夫だ、まだ俺がいるだろう?」

「うん。それに俺、別にぼっちは平気だけどな」

「砂月が言うと信憑性がありすぎて怖い。少しは寂しがってくれ、俺がログアウトする時は」

「静森くん心配性だよね」

「砂月に関しては、と、付け加えておく」

「あはは」


 そんな話をしてから、二人は視線を重ねて、どちらともなく微笑した。

 こうして【半チュートリアル世界】には、砂月と静森の二人きりとなった。

 やることはといえば――そう変化があったわけではない。

優雅が加わる前と同じように、二人で連戦をしたり、素材を集めたり、生産をしたり。

 優雅が加わって少ししてからのように、二人で寝台に入ったり。

 キスをして体を重ねて、あるいはせずにダラダラと二人で惰眠を貪る日もあった。

 なんでもないような毎日は長閑で、別れの時が来るとは、少なくとも砂月には思えなかったし、砂月は別れてもすぐにまた再会できるのだからとあまり気にしていなかった。


 しかし日増しに静森が遠くを見るような目をすることには、砂月も気づいていた。なにせ好きな相手のことだ。見逃すほどには鈍くはない。だが、聞くに聞けない。この世界には己達しかいないのに、静森のがわから相談されることがないという状況は、即ち言いたくない話なのだろうと推測することも容易だったから、踏み込めずにいた。


 刻一刻と、静森のログアウト時期も近づいてくる。

 この日砂月は、おでんを作りながら、おたまを握って、もち巾着を見ていた。

 すると、後ろから不意に静森に抱きすくめられた。


「砂月」


 耳元で名前を呼ばれる。視線を向けると頬にキスをされた。


「愛してる」

「俺も」

「ずっとそばにいたい」

「いるじゃないか」

「――【真世界】でも、そばにいてくれるか?」

「それは状況次第としかいえない。だってさ、人がいっぱい増えるんだよね? 多分。そうしたら他の人と遊ぶ……っていうのか? な? わからないけど、他の人とパーティを組むこともあるかもしれないしさ。それは静森くんだってそうだよな?」

「ああ、そうだな。分かっている、それは仕方のないことだと」


 どこか切なそうな瞳をした静森を目にし、砂月は慌てた。


「でも俺的には、静森くんとはいっぱい会いたい。俺、恋人とは会いたいほう!」


 気分を切り替えるようにそう声を出す。

 すると静森の腕に力がこもった。


「どのくらいの頻度で?」

「え? ええと……そ、そうだなぁ。月に一回くらい?」

「俺は毎日でも会いたい。だが、そうか、月に一度……そうか……」

「え、え? 俺少なかった? 週に一回の方が良かった? 毎日って言った方が良かった?」

「砂月、もしあちらに言って状況が落ち着いたら、一緒に暮らさないか?」

「うん? いいよ。静森くんが俺の家に引っ越してくるってこと? 今も住んでるようなもんだと思うけど」

「二人で家を建てて一から始めたい」

「なんだかそれってプロポーズみたいだね。【ゾディアック戦記】には結婚システムは無かったけど」

「【真世界】の法制度は知らないが、俺としてはプロポーズのつもりだ」

「っ!」

「生涯砂月と寄り添いたい」

「て、照れる! 照れるだろ! 不意打ち!」

「返事は?」

「勿論おーけーです。それ以外ないです」


 砂月が頬を染めながら述べると、静森がより強く腕に力を込めて抱きしめた。それから二人は唇を重ねて、キスをした。結果温まりすぎた鍋の中では、餅が融解した。


 そのようにして、静森がログアウトする日が訪れた。

 前日は、ずっと抱き合っていた。

 何度も何度も体を貪られた砂月は、寂しさに浸ることを許されず、代わりに体に存在感を刻みつけられる。そして翌朝、腕枕をされながら目を開けた。すると静森が優しい顔をして笑いながら、砂月の髪を撫でていた。


「今日でお別れだな。俺としては、目が覚めたその瞬間にお前とまた会えることを期待しているが」

「うん……」

「砂月。繰り返すが、優雅も言っていたが、なにも最後まで一人で残る必要はないんだ。いつでもログアウトできる」

「わかってるよ」

「――そうか。では、また」


 静森はそう言って頷くと、砂月の額にキスをしてから、シャワーを浴びに行った。

 そして着替えてから、ログアウトの時間を待った。

 砂月もローブを羽織って、静森の前に立つ。


「静森くん」

「なんだ?」

「愛してるよ!」

「っ、砂月のほうから先に言われたのは初めてだな。ありがとう。俺も、愛している」


 こうして静森はログアウトしていった。

 砂月は一人家のリビングに立ち、光の粒子が消えていくのを見ていた。

 そして残滓が消失した時、なんとはなしに天井を見上げた。


「……これで、この世界にも俺が一人だけになったのか……全然実感が無いや」


 そうは呟いたものの――その夜から、変化は露骨だった。

 一人きりの寝台が、寂しくてたまらない。

 目が覚めたとき、腕枕されていない現実には、胸が張り裂けそうになる。


「……まずい。思ったよりも辛い」


 砂月は装備を調え、外へと出ながら呟いた。


「寂しさを忘れるには――」


 ちらりとログアウトボタンを見たが、すぐに首を振る。


「ソロボスに限る! 倒しまくるぞー!」


 こうして砂月は、以後一人で様々なボスへのチャレンジに励んだ。またギルドでしか入れないクエストも、一人で臨み、一人で倒せるようだと気づいてしまった。確かに静森には会いたいし、優雅にだって会いたいが、時間は貴重だと砂月は思う。


 それはソロでボスに挑み、負傷して感じる肉体的な痛みよりも、寂しさで胸が痛むことの理由でもある。少しでも心に残る二人のためにできることを準備したいから、だから、耐えられる。【チュートリアル世界】においては今後の自分のためであったが、【半チュートリアル世界】において砂月は、他者のために頑張る決意を固めていた。


 確かに寂しかったが、二人の思い出を想起すれば、耐えられた。

 こうして、歳月は流れ、砂月もまたログアウトする期限が迫った。


「いよいよ明日かぁ」


 リビングのソファに座り、両手で麦茶の入るグラスを持ちながら、砂月は呟いた。


「思いつく限りの準備はしたし、再会……俺にとっては再会だけど、えっと……本当行ってみないと分からないなぁ、どんな状態になるんだろ?」


 首を捻ってみるが、行ってみなければ分からない。

 そう考えていた時、不意に声が響いてきた。


『いや本当さ、真面目にこっちでもぼっちをするとは思ってなかったよ、お元気ですか?』

「その声は――声の人だ!」

『神だけどね? うん。元気そうでなによりだ』


 老若男女のいずれにも聞こえるその声の持ち主に対し、砂月は尋ねた。


「ねぇ、ログアウトしたら、致命傷を負ったら死ぬんだろ?」

『そうだね。魂がきちんと人の体に定着するからね。もう移行期間は終わりだから』

「【真世界】にいったら、シナリオとかボスとかレイドとかってどうなるんだ? 無くなるのか?」

『――んとねぇ、ある。結論から言えば』

「そうなんだ?」

『さらにいえば、君達転移者から見れば、【新シナリオ】とか【新クエスト】とかにあたる、新しいモンスターやボスもいる』

「え!? めっちゃやりたい! 回したい! 絶対回す!」

『うん、それをこちらも期待して、転移者を募ったからね。君達のなすべきことは、全てのシナリオボスとクエストをクリアして、世界を救うことなんだからね』

「世界を救う? ごめん、ハードル上がったわ」

『そこでは普通、胸を期待で躍らせようよ? ね?』

「無理。俺はフレとかとまったり、ゲームに似たい世界で遊ぶっていう予定しかなかった!」

『その理解でほとんどあってるから大丈夫。ただねぇ、君はちょっと特異すぎるから、僕は残業することになって、たまに君を見て軌道修正させられることになったから、一応連絡先を教えておくよ』

「へ?」

『俺の名前がフレリスで光ってる時は、一応連絡可能だと思ってもらっていいけど、返事をするとは約束しないから』

「う、うん?」

『なお私の方から連絡したら必ず答えてくださいね?』


 一人称もバラバラで、性別がやはりわからなく思えてきたものの、砂月は頷いた。

 これが、ログアウト前夜の記憶である。


 翌日、砂月も【半チュートリアル世界】をログアウトした。

 これにて、【真世界】が始まることとなる。世界の時刻が今、流れ出す。



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