117 エレアが店員ではなくなる日
二つのことに、俺は気付いた。
一つはエレア自身解っているだろう、エレアに足りないものは自覚。
今の日常を守りたいと思っていることを自覚することだ。
俺とエレアの日常は、俺の運命故に余りにも平穏だった。
多くの人がファイトの中に身をおいて、明日を守るために戦う中で。
俺達はそうじゃなかった。
だからこそ、エレアは強く思ってこなかった。
思ってこなかっただけで、エレアは今を守りたいと思うくらい、今が大切だったのだ。
自覚してしまえば後は単純だ。
守りたい今を守ろうと思えるなら、今という幸福も受け入れられる。
「――店長、私やっと解りました」
「ああ」
そうしてエレアは、胸に手を当てて微笑む。
その姿は、どこまでも可憐で――あの時と、変わらない。
「私は、もうとっくに幸福を受け入れていたんですね」
確かに、エレアはそう言った。
絡みついていた鎖は、もうすでに彼女を縛っていない。
ただ絡みついていただけのそれを。
ようやく、振りほどいて。
エレアは自分を受け入れた。
「――――」
俺は、何も言えなかった。
理由は二つ。
一つは、エレアが幸福を受け入れたことに俺自身が喜んでいたから。
二年、二年だ。
それだけの間、俺はエレアを待ち続けてきた。
エレアを支えるために、ずっとずっと。
その事を、苦に思ったことは一度もない。
それでも、俺は。
そのことが、あまりにうれしくて仕方がない。
ああ、俺はこんなにも――
「……店長、店長どうしたんですか?」
エレアがこちらを覗き込んでくる。
俺が答えないからだろう。
そしてその瞬間、どうしても俺の鼓動が跳ねてしまうのだ。
――そうだ、俺が何も言えないもう一つの理由。
見惚れているんだ。
今のエレアに。
月光に照らされて、凛と立つ彼女の姿に。
どうしようもなく、惹きつけられてしょうがない。
余りにも、美しく。
余りにも、愛らしく。
余りにも、俺を魅了する。
今まで、こんなことは一度としてなかった。
俺はエレアが好きだし、その思いは本物だ。
だけど、こんなにもドギマギすることはなかった。
せいぜい、少し照れてしまうくらい。
それは多分、俺が自覚してなかったからだろう。
俺がエレアを好きになった理由を。
だから俺は――好きという感情だけで、エレアを見ていたのだ。
いや、それはそれで別にいいんだけどさ。
「それで、えっと。……伝えたいこと、でしたっけ? それでしたら私もあるんですけど……と、とりあえず店長からどうぞっ!」
「……あ、ああ」
話を戻す。
それと同時に、俺も意識を切り替えた。
エレアの伝えたいこと。
それが何なのかは、もうとっくにわかってる。
あの時、エレアは言ったんだ。
『いつか私がエレアになったら、その時は私の方からその言葉の続きを言わせてください』
そして同時に、
『そ、それに……ですよ? 告白は、先に好きになった人の特権って言うじゃないですか!』
――と。
だから、今の彼女が言いたいことは決まってる。
解りきっている。
対する俺も、言いたいことははっきりしている。
「俺の運命については、エレアも知ってると思うけど」
「……? えっと、大きな事件に直接関われないアレですよね?」
「ああ、そうだ。その事に対して、思うところなんて今更ないんだけど、単純な事実として」
俺の特性、世界を揺るがすような事件には関われない。
完全に関われないわけじゃない、せいぜい一度ファイトする機会があるという程度。
そう、一度だけだ。
どんな事件でも、俺は一度しかファイトしない。
「例外があったんだ。一度しかファイトできないっていう、その運命に」
「そ、それって、まさか」
「ああ。エレアの時だけ、例外が発生してる」
どうやら、エレアもその事を意識したことがあったらしい。
きっと答えは出なかったのだろうけれど。
俺も今、どうしてそんな例外が発生したのか。
ようやく理解できたところだけれど。
「理由は、とても単純なものだったんだ。運命っていうのはこの世界に確実に存在していて、それは非常に強い力を持っている」
俺の前世にはなかったもので。
だからこそ、如実に存在すると俺が自覚するもの。
運命。
運命力と言い換えてもいい。
そしてそれは――
「でも、それは決して曲げられないものじゃない。運命は、人の手で変えられるものだ」
――如何様にも変質する。
非常に強固で、変えがたいものだけど。
人の強い意思によって、運命は変わる。
いや、むしろ。
運命が人の意思によって変わることを望んでいるのか。
「そ、それって……つまり?」
「俺が運命を捻じ曲げたんだよ、俺の人生で初めて。あの時俺は、俺の運命を変えようと思ったんだ」
正直に言えば、俺はこれまでの人生で運命を変えることができなかったかといえばそうではない。
ダイアが大きな事件に巻き込まれた時、ダイアが俺に相談していれば俺の運命は変わっていた。
俺自身が、ダイアの変化に気付いていれば、俺の運命は変わっていた。
そんなことが、俺の過去には何度かあった。
けれども俺は、そこで運命を変えようとはしなかった。
思うところがないではない。
世界を巡る戦いで、誰かの助けになりたいという気持ちもなくはない。
それでも、俺は。
なんとなく感じていたのかも知れない、俺が大事件に関われない運命であることは。
善いことであるのかもしれない、と。
そんな俺が、運命を捻じ曲げた。
あの時、あの夜、あの事件だけは。
だったらそれは、いったいどんな理由だ?
どうして俺は、運命を捻じ曲げた?
捻じ曲げようと思うくらい強い感情は、いったいどこから溢れ出た?
答えは、一つしかなかった。
「――――一目惚れ、だったんだと思う」
あの時。
初めてエレアと出会った時。
彼女を助けた時。
眠りについた彼女は、俺の腕の中で確かに微笑んでいた。
安堵したような、心底救われたような顔。
先ほど、幸福を受け入れたと伝えた時に浮かべた笑みと同じように。
何もかも、あの時と一緒だ。
月が俺達を照らす中、店の前で俺とエレアは話をしている。
奇しくもエレアの着ている衣装まで、あの時と同じ完全武装のものなのは、そういう運命ってやつかもしれない。
「――――え? …………な、あ、あ」
エレアの顔が、急速に赤くなっていく。
俺の言葉を、その意味を、理解したからだろう。
俺だってそうだ。
心臓がいやにうるさい。
視界が、やけにせまい。
俺にはもう、エレアしか映っていない。
だから伝えた。
伝えなくてはいけないことを、まっすぐに。
「エレア、俺は君が好きだ」
世界は、時計の針が進むのを止めた。
この一瞬を永遠に切り取って、俺達を取り残してしまうかのように。
そんな錯覚を覚えるくらい、そこは静かな世界だった。
「…………な、なんで」
「エレアが言ったことだろ? 告白は先に好きになった人の特権だって」
「で、でも……私。そんな、いきなり……ずるいですよ」
エレアの顔が、一瞬だけ笑みを浮かべたものに変わる。
それからずるい、と彼女が口にして。
同時に、涙を溢れさせていく。
やがて彼女は泣き出して、涙を零す。
零した涙とおなじくらい、彼女は俺をずるいと言った。
「ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、です」
そうしてエレアは、その場に崩れ落ちた。
俺は手を差し伸べようとしたけれど、エレアはそれを拒否して更に涙を零す。
「ずるいんです。だって、言ったじゃないですか。貴方からそう言われてしまったら……私は一歩も動けなくなっちゃう……って」
「……でも、今のエレアはそうじゃない、だろう?」
「……」
「今のエレアなら、もう歩き出せるはずだ」
そう言って俺は、エレアに手を差し出す。
かつて、俺が彼女をエレアだと言った時と同じように。
その時は俺がエレアを引き上げた。
けれども、今度は――
「私、幸福になっちゃいけないと思ってました。……でも、そんなことは全然なくって。必要なのは私がその幸福を受け入れられるかどうかだけ」
「そうだな」
「そして私は……その幸福を受け入れました。今の私は、確かに歩き出せると思います」
でも、と彼女は顔を上げた。
「でも、私は知りませんでした。本当の幸福って、こんなにも幸せで……素敵なことなんだって」
笑みを浮かべている。
微笑んでいる。
エレアは、心の底から幸せそうに笑っていた。
「あまりにも幸せすぎて、一人じゃ歩き出せそうにありません」
「だったら俺が、隣にいるよ。隣で歩いて、ずっと離れない」
「それなら……安心して、私も歩き出せると思います」
そうして彼女は、俺の手を取る。
俺に支えられながら、それでも自分の力で立ち上がる。
そのまま、俺達は――
「好きです、ミツルさん。これからも、ずっとずっと――」
抱き合って、お互いのぬくもりを、確かめ合う。
「私と――エレアと一緒に、歩いてください」
俺とエレアは結ばれた。
月明かりが照らす夜空の下で、初めて出会った時と同じ場所で。
俺とエレアが恋に落ちた、この場所で。
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