115 過去:いつか私がエレアになったら ②
――エレアは変わった。
こっちの世界に来た頃と比べて、明るくて、可愛らしい。
素敵な女性になったと思う。
以前のエレアが悪いというわけではないけれど。
いや、むしろアレも可憐で、素敵だとは思うのだけど――いや違う、そんな話はしてない。
大事なのはエレアが望んだ方向に、エレア自身が進んでいるということだ。
とにかく、エレアはエレアが変わりたいと思っていて。
そして事実変わりつつある。
そのことが悪いことなワケがない。
むしろ歓迎すべきことだ。
それでも――
「……――わた、し……店長のことを、好きになっても、いいですか?」
エレアはまだ、その変化を受け入れられていない。
今まさに、エレア自身がかつてのエレア――誰かに所有されることを当たり前としていたころの認識で俺にそう呼びかけているからだ。
それは、彼女の罪悪感が拭われたとしても変わることはなかった。
その言葉に。
しばらく、二人の間で沈黙が続いた。
そして、俺はゆっくりと吐息を零しながら聞いた。
そもそもどうして、エレアがこんな話を始めたのか。
きっかけは――
「……ダイアとの話、聞こえてたか?」
「……ごめんなさい。入口での店長とダイアさんの話、聞こえちゃって」
「ああ、いや。それはいいんだ。エレアの偵察能力をダイアは知らなかっただろうしな」
エレアの偵察能力が、不意にダイアと俺の会話を小耳に挟んでしまったのだろう。
その中で、ダイアが俺に「どうしてエレアを好きになったのか」、聞いた。
きっかけはそこだ。
「まぁ……その、なんだ。俺はエレアと一緒に居れて嬉しいと思ってる。これからも一緒にいたいと思ってる。それは事実だ」
「……あぅう」
直接俺の口から自分に対する好意を聞かされて、エレアは顔を真赤にした。
つい先程、「好きになってもいいか」と聞いたばかりだというのに。
自分がそれ以上にストレートなことを口にしていると、エレアはきっと気付いていない。
まぁ、そこが可愛いんだけど。
後で気付いた時に、更に赤面するところとかな。
……俺までのぼせ上がってないか?
ともかく。
「俺の気持ちは……多分、これからもずっと変わらない。エレアと暮らして数ヶ月。俺の人生は前より更に豊かになった。きっと、これからもっといいものになっていくと思う」
「う、ぅう……」
「きっと……エレアもそうなんだろう」
エレアはこれから、もっともっと幸せになっていくべきだ。
もっともっと幸せになっていってほしいと俺は思ってる。
誰にはばかることもない、エレアが感じていた罪悪感は、もう拭われた。
後は、エレアがそれを受け入れるだけだ。
「……でも、私は」
「まだ、自分を受け入れられそうにない?」
「…………はい」
小さく、エレアは頷いた。
「私が前に足を踏み出そうとするたび……私の感情を口にしようとするたび……どうしてもそれがとまっちゃうんです」
「それは……恐れや躊躇いが原因なのか?」
「……わかりません。でも、胸の奥が締め付けられるようになって……苦しいんです。とっても……とても」
「エレア……」
俺には、エレアの感覚がわからない。
他人の心なんて、察することはできても理解することは永遠にできないんだろう。
それがどれだけ愛しいと思う人でも。
それが、世界の当たり前というやつだ。
だからこそ、人は争い……傷つけ合うのだから。
――一つだけ、方法がある。
「エレア、夕飯を食べ終わったら……ファイトしないか?」
「えっと……フィールドを使って、ですか?」
「いや、そんな大層なもんじゃない。リビングでいいさ、ここのテーブルもモンスター投影機能はあるからな」
イグニッションファイト。
そう――この世界には、カードがある。
カードを通して語り合った言葉だけは、誰にも偽れない本物だ。
この世界には、ファイトがある。
とても、幸運なことに。
「……わかりました」
少しだけためらいがちなエレアの言葉。
俺達はもうほとんど残っていなかったうどんを食べきると、二人でそれを片付ける。
その間、言葉はなかった。
デッキを用意して、ファイトを始める。
お互いに向かい合い、沈黙が広がる。
「……エレアが、幸福を受け入れられないのはわかってる」
「……はい」
「エレアの経験を考えれば、それが仕方のないことだってことも」
申し訳無さそうなエレアに、俺は続ける。
「それでも、一つだけ変わらないことがある」
「……えっと、それは」
「――俺の気持ちだ」
「っ、」
エレアが、息を呑んだ。
俺も、少しだけ言葉を止めて呼吸を整える。
そして――
「答えは求めてない、今はまだ答えを出さなくたっていい。エレアが、答えを出せるようになったと思ったときでいい」
「それは……本当に、いつになるかもわかりません、よ?」
「構わないさ。俺はずっと待ってる、いつまでも、ずっと……な」
「ぁ、う」
エレアが、いよいよ何も言えなくなってしまう。
口をパクパクさせて、顔を真赤にさせて。
俺の方も少しだけ気恥ずかしくなって、顔を逸らして頬を掻く。
沈黙は、数秒だった。
俺は一つ息を吐いてから――
「エレア、俺は君のことが――」
「――待ってください!」
その言葉を、エレアが止めた。
視線を落としたまま。
瞳は髪に隠れて覗けない。
うつむいたまま、エレアが続ける。
「だ、め……だめ、です。店長。だってそれは……店長にそう言ってもらっちゃったら」
「……」
「私……安心しちゃって、もう一歩も動けなくなっちゃいます。でも、それは……ダメだと思います」
……そうか、と俺は頷く。
確かに、そうだ。
俺がエレアに気持ちを伝えてしまったら、エレアはそこで満足してしまうだろう。
無論、それでもエレアは前に進んでくれると俺は思うが――
「私、は……店長と、一緒が……いいんです」
――エレアは、それではダメだと思っているようだ。
そして、それは正しい。
正しいことだ。
だから俺は、エレアの言葉を待つ。
「だから、店長。私が――」
エレアは、顔を上げた。
泣きそうな、けれども嬉しそうで、幸せそうで。
「いつか私がエレアになったら、その時は私の方からその言葉の続きを言わせてください」
誰よりも雄弁な、告白の言葉を口にしたのだ。
今はまだ、それはただ気持ちを伝えただけだけど。
エレア自身がそれを告白だと受け入れていないけれど。
それでも、間違いなくそれは。
彼女なりの、気持ちの吐露だ。
「そ、それに……ですよ?」
「なんだ?」
「告白は、先に好きになった人の特権って言うじゃないですか!」
「言うかなぁ?」
私は言うんです、とエレアは恥ずかしそうに宣言する。
「私は、店長に私がエレアだと言ってくれた時……あの時から、店長を想ってます! だから、私のほうが先に店長を好きになったんです!」
「エレア……いや、いいけど」
言っちゃったよ、好きになったって言っちゃったよ。
ま、まぁいいか。
それに関しては俺も人のことは言えないんだし。
エレアがいいなら、いいんだろう。
うん。
「ほ、ほら店長! ファイト! ファイトしましょう!」
「お、おう……なんか、ファイトの前にもう話したいこと全部話しちゃった気がするけど」
「だったら、ファイト始めてから話せばよかったじゃないですか!」
それはそうね。
とにかく、俺たちはどこかドタバタとした雰囲気で、ファイトを始めるのだった。
□□□□□
と、まぁ。
これが俺とエレアの関係に関する全て……だと思う。
もちろん、他にも色々と話していないことはある。
開店初日の閉店後にエレアと二人でフィールドを使ってファイトしたこと。
ネッカ少年が初めて店にやってきたときのこと。
他にも、いろいろだ。
でも、まぁ。
とりあえず俺とエレアは、まだ付き合っていない。
でもそれは、ただ付き合っていないだけだ。
あの時、俺とエレアの気持ちは確かに通じ合った。
俺はエレアのことが好きだし、エレアは俺のことが好きだ。
ただ単純に、エレアがそれを受け入れて、前に進むのを待っていただけ。
だからまぁ他人から指摘される通り、付き合っていないのもまた事実。
何より俺自身も、気恥ずかしさでヘタれてるところはあったしな。
それでも、エレアは間違いなく前に進んだ。
先程のエキシビションは、エレアが前に進んでいなければできないものだった。
だからこそ、あと一歩。
もう一つ、先に進むための何かがあれば、そのときこそ。
エレアは真の意味で、今の自分を受け入れられるのではないだろうかと思う。
ああ、でもしかし。
エレアが前に進むための何か。
俺達に足りていない何かとは、一体何なのだろう。
そしてダイアは問いかけてきた。
どうして俺はエレアが好きになったのか。
ダイアにとって、俺の「いつのまにか隣りにいるのが当然になっていた」という答えが、正解じゃないのなら。
俺の答えは、どこにあるんだろうな――――?
そう思いながら、俺はエレアの下へ辿り着こうとしていた。
□□□□□
夜闇にうごめく陰一つ。
端から見て、その姿は亡霊めいた陰にしか見えない。
すくなくとも、“彼”が誰であるかを、判別できる人間はそういないだろう。
そもそも彼はこの世界の存在ではないのだから。
――ようやく、ようやく戻ってきた。我は、ここで……
その陰の名は――カイザス。
かつて、この地に降り立った侵略者。
その、成れの果て。
暴虐だったころの栄華など見る影もない。
帝国皇帝の――残り滓だった。
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