114 過去:いつか私がエレアになるまで ①
俺はダイアとのファイトに勝利した。
負けられない理由を胸に秘めて。
そしてその帰りに、ダイアは俺に問いかけたのだ。
「……いつから、彼女のことが好きになったんだ?」
俺の負けられない理由は、言うまでもなくエレアだ。
エレアが負けないでと言ったから、俺は負けられなくなった。
どうしてそう思ったか、その感情の出所は……今更語るまでもないよな?
いや、気恥ずかしいってだけなんだけどさ。
「……いつ、好きになったか?」
「そうだ。まぁ、単なる好奇心程度の質問なんだが」
「それなら……正直、解らんとしか言えないな」
具体的に、この瞬間好きになった……という瞬間はない。
仮にエレアが俺を好いてくれているなら、そのきっかけは間違いなく帝国のファイターを撃退した時なんだろうが。
俺の方は、なんというか。
「……まぁ、数ヶ月も一緒に仕事をしている異性だからな。しかも、お互いに悪感情のない」
いつの間にか好きになるのも、致し方ないというかなんというか。
「いや……君に限ってはおそらく君自身が意識しようと思わない限り、数ヶ月一緒に異性と働いても意識することはないと思うが」
「……お前にだけは言われたくないな」
否定できないところはあるものの。
それは俺に限った話ではないだろうが……!
「とにかく。……一番の理由は、俺がエレアとずっと一緒にいたいと思ったから……だと思う」
初めてエレアと話をした時から、ずっと感じていたことだ。
エレアは俺に遠慮しない。
いや、店員として……というか、
人として、多くの人が俺に対してする遠慮をエレアはしない。
「店長は、ファイターとしての威圧感がすごいからな」
「それこそダイアにだけは言われたくないんだが……まぁ、そうだな」
多くの人が俺と話をする時。
遠慮……というか、正確には敬意を払うのだ。
強者に対する敬意だ、それは多分ファイターとしての本能みたいなものだと思う。
エレアにはそれがない。
悪い意味ではないぞ。
敬意を持ったうえで、気にせず踏み込めるのがエレアのいいところなのだ。
これは、エレアが異世界人だから遠慮しないというわけではない。
以前攻め込んできた帝国のファイターも、俺のことを見下してはいたが強者と認めていた。
多分、エレアの生来の気風なんだろう。
「俺の周りに、そうやって遠慮なく話しかけてくれる人間はダイア達だけだった。そこに、こうしてエレアが加わった……まぁ、それが理由なんだと思う」
「なるほどな」
ダイアはそうやって頷くと、話を切り上げて店を立ち去るようだ。
俺達は挨拶をして別れる。
別に、今生の別れというわけでもない。
どころかダイアのことだ、ダークファイターの一件が片付いたことで、今後は頻繁にウチへやってくることだろう。
常連客が一人増えるのは、ありがたいことだな。
「ではな。ずっと一緒にいたいと思うなら、もう少し踏み込んだほうがいいと思うぞ」
「……ああ」
最後に、ダイアはそうやって去っていく。
俺はダイアに手を振って見送った。
そんなダイアが去った後――俺は振っていた手をおろして。
「……ずっと一緒にいたいからこそ、踏み込めないこともあるんだよ」
と、そんな事をポツリとこぼした。
□□□□□
それから、俺は店に戻ってエレアと夕飯を食べる。
ここ数ヶ月で、一気にエレアは家事の腕を上達させた。
料理に関しては、特に熱心に取り組んでいる。
「エレアは、料理をする時……楽しそうだな」
「そうですか? そうかもしれません。理由はいくつかありますよ、楽しいのもそうですけど……料理は明確に上達すれば生活の質があがりますからね」
家事といっても、料理は掃除や洗濯とは一線を画している。
掃除や洗濯も生活の質はたしかに上がるが、一定のところで頭打ちになるからな。
「料理は、上限がありません。目指そうと思えば、プロとして食べていけるくらい上達できます。……まぁ、流石にそこまで目指すつもりはないんですが」
「……俺からすれば、エレアはもう十分すごいけどな」
流石に、エレアの料理が一番美味いとは言えなかった。
そもそもエレアは料理を習っている人間が俺の母親なせいで、味付けも似ているからな。
そりゃ俺の好みに合うのも当然だ。
「店長にそう言われると、私も嬉しいです。……よし、できました。一緒にいただきましょう」
「ああ、そうだな」
二人で手を合わせて、いただきますという。
こうするのは、この方がエレアがこの世界に馴染みやすいだろうという考えあってのこと。
習慣って、大事だからな。
そうやって、二人で夕飯を食べる。
今日の夕飯は……きつねうどんだ。
「お揚げを甘々にしておきました……!」
「なるほど……美味いな」
二人でうどんに舌鼓を打ちつつ。
そうしていると、エレアが不意に俺の方を見た。
少しだけ、ためらう様子を見せてから。
俺が大丈夫だと無言で促すと、エレアは口を開く。
「……今朝、帝国から一通の手紙が届きました」
――それは、
どうやら、目を覚ましたら枕元に手紙が置いてあったらしい。
帝国の異世界に転移する技術を利用したのだろう。
「手紙?」
「はい、ただ悪い報告ではなかったのと……今日は、店長にとって大事な日のようだったので」
タイミングを見計らっていた……と。
確かに、今日はダイアが店にやってくる日だ。
ダイアも忙しい。
だから必ず訪れるとは言えなかったので、エレアには伝えていなかったけれど。
エレアも、俺の雰囲気から今日何かが起きることは察していたのだろう。
そして今、その用事が終わった夕飯の席で、エレアが報告をしているわけだ。
「……帝国が、革命で斃れたそうなんです」
おおう。
それはなんというか、確かに悪い話ではない。
それに、侵略者が二人で止まったあたり、なにかおきたんだろうとは思っていたが。
まさか革命が起きるとは。
「それは……よかった、というべきか?」
「はい。素直に私も嬉しいです」
嬉しくはあるが、実感の湧いていなさそうな反応だ。
まぁ、知らないうちに斃れていたのであれば、そうなるだろう。
「……私、ずっと自分だけが幸せになっていることに、罪悪感を覚えてました」
「仕方ないだろ、この世界に向こうの世界へ転移する技術はない」
もしもあったら、こぞってファイターは向こうの世界に乗り込んでいただろう。
帝国に苦しめられている人々が許せないという人も、単純に強いファイターと戦えるならそれでいい人もこの世界には山程いる。
それができないのは、単純に技術的な問題だ。
「それでも……できることはないのかって、ずっと思ってたんです」
「それは……」
少なくとも、今のエレアに何かをする余裕はない。
ただでさえ、自分がこの世界に馴染むだけでも一苦労なのだ。
もちろん、やろうと思えばできることはいくらでもあるけれど。
「でも、今の私にできることって……私じゃなくても、いいんですよね」
――それをするのが、エレアである必要はない。
実際、今も刑事さんが帝国の侵略者が現れないか、網を張ってくれている。
あくまで“網を張る”程度のことだが、何かあれば必ず俺とエレアの元にも情報が届くようになっていた。
そして、それ以上の手立ては存在しない。
今、俺達や刑事さんにできるのは、向こうの出方を見ることだけだ。
「……手紙には、こう書かれていました」
だが、こうしてエレアの元に手紙が届いた。
少しだけ、エレアの声音が変化する。
どこか罪悪感をにじませた声音から、少しだけ穏やかなものに。
そうしてエレアは、手紙の内容を語りだす。
エレアがこの世界で過ごし始めてから……正確に言うと、エレアの次の侵略者がこの世界にやってきて撃退されてから。
帝国は、少しずつ崩壊していったそうだ。
原因は様々だが、送り込んだ尖兵が二度も続けて敗北したことで、帝国の権威が揺らぎ始めたのが根本的な理由らしい。
もともと、強硬な支配を長く続けていたことでいろいろな事に無理が生じていた。
きっかけ一つで、帝国の牙城が崩れるのも時間の問題だったという。
そうして帝国は打倒されたわけだが、手紙の送り主は最初の尖兵であるエレアのことを気にかけていたらしい。
そりゃそうだ、二人目の尖兵は送り返されたのに、エレアはそうじゃないんだから。
「その人は私の上官で……私に、というか……下の人間に優しくしてくれる唯一の人で……私にとってはお姉さんのような人でした」
そりゃあ気にもかけるわけだ。
そんな上官は、革命軍の主要メンバーの一人だったらしい。
んで、その上官の女性は帝国が倒れて、いろいろなことが少しだけ落ち着いた後。
異世界に送られたままになってしまっていたエレアに、メッセージを送りたいと考えたらしい。
そして、メッセージにはこう記されていた……と。
「貴方が生きていることが、私にとって革命を成し遂げた最大の理由だ――と」
どういうことかといえば、こうだ。
エレアは、こちらの世界にやって来る際着ていた軍装に、発信機のようなものを取り付けていた。
その発信機が生きている限り、エレアの生存は向こうから確認できるわけだ。
もちろん、発信機が破壊されている可能性はある。
だが、そうではないということは。
「……その反応がある限り、私はこの世界で安全に暮らせている、と」
上官の女性はそう考えたらしい。
そりゃそうだ、エレアの存在を危惧するなら、発信機はいの一番に破壊しないといけない。
この世界でそれをしなかったのはする必要がなかったのと、反応を残していたほうが向こうの動きが読みやすいからだ。
どちらにしても、この世界に余裕がないと取れない選択肢である。
「少なくとも帝国なら、私は殺されていたと思います」
だが、そうでなかった以上。
上官の女性はエレアが無事に――幸福に暮らせていると信じていたのだという。
そのことが、上官にとっては大きな革命のモチベーションとなったのだ。
そして、革命が終わった後、反応をたどって手紙を送ることもできた……と。
だから――
「なら、エレアは……幸福になってよかったんだな」
――誰も否定できないくらい。
エレアは、幸福になるべき存在だった。
「…………はい!」
それまで、泣き出しそうだったエレアが、涙を流して頷く。
俺にこうして報告したことで、エレアも心のなかで一つの区切りがついたのだろう。
それから、しばらくエレアは涙を流し。
「あの……店長」
エレアは、涙を拭った。
「私……幸せになっても、いいんですよね」
エレアにはこれまで、故郷を置いて自分だけが幸せになってはいけないという強迫観念があった。
それは決して間違いではないけれど、エレアを縛り続けてきた鎖だ。
「ああ」
それが、取り払われた。
そのことを、俺は肯定する。
それから、再び沈黙が満ちた。
エレアは何度も言葉を紡ごうとして、けれども失敗する。
「店長、私……わた、し……」
エレアの言いたいことは、理解している。
理解しているからこそ、俺から言えることはない。
エレアの言葉を、根気強く待ち続ける。
なぜか?
そんなの、決まってる。
――エレアは、幸せになってもいい。
それは事実で、エレア自身誰よりもわかっていることだ。
そして、だからこそ。
「――わた、し……店長のことを、好きになっても、いいですか?」
エレアはまだ、鎖を振りほどけていない。
自分を縛り続けてきた鎖を、体に巻き付けたまま。
彼女は未だ、その場にうずくまっていた。
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