ヤトの姉、ハクさんの場合

 ハクが記憶を失って倒れていたヤトを見つけたのは、今から数年前のことだ。


 ――そう、ハクとヤトは血のつながった姉妹ではない。

 周囲からは本当の姉妹であると信じられているが、実際には何のつながりもない赤の他人なのだ。


 ハクは、幼い頃に両親が行方不明となり、孤児になった。

 結果両親が学生時代に所属していたエージェント組織「闇札機関」に保護され、その一員となった。

 正確に言えば、当時闇札機関の盟主であったレンの母親が保護したところ、ハクがその恩返しとしてエージェントになりたいと志願した形だが。

 周囲はむしろ、ハクにそこまでのことは求めていなかった。

 しかし、一人になってしまったハクにとって、それは自分の居場所を作るために必要不可欠な行為だったのだ。


 やがてハクは成長し、エージェントとしての報酬もあって一人で生きていけるようになった。

 そんな時だ、ヤトを見つけたのは。


 ヤトは公園のベンチに腰掛けて、世界から切り離されたかのように眠りについていた。

 初めてヤトを見た時、ハクはその光景に思わず見惚れてしまったほどである。

 さながらそれは、世界を救ったヒーローが平和になった公園のベンチで力尽きているかのような。

 そんな印象さえ抱かせる光景だった。


 理由は二つ、ハクが発見したヤトは傷だらけだったこと。

 そして、その手に一つのデッキが握られていたこと。

 それらは、ヤトが記憶を失う以前に経験したことを物語っていた。


 やがて、ヤトは目を覚ました。

 記憶を失い、自分の名前しか覚えていなかった彼女に、ハクは手を差し伸べた。

 両親を失い、一人で生きていくしかないと思っていたハクにとって、ヤトは無視できない存在だったからだ。

 最終的に、闇札機関の助けもありハクとヤトは姉妹になった。

 それが、二人の抱えている秘密だ。


 記憶を失ったヤトは、そもそもこの世界の人間であるかすら解らない。

 もっと言えば、人間であるかすら定かではないのだ。

 だから、最初のうちはこの世界に馴染むのに随分と苦労した。

 お金の使い方も、スマホの使い方も、生活のルールさえわからない。

 それでも少しずつ努力して、ヤトは“普通の少女”になっていったのだ。


 それを見ていたからこそ、その苦労を隣で支えていたからこそ。

 ハクはヤトには普通の少女のままでいてほしかった。

 当たり前の生活を、当たり前に送ってほしかったのだ。

 普通に中学校に通って、何の危険もなく生きていく。

 そんな世界を、ハクは作りたかったのだ。


 しかし、運命はそんなハクの願いを踏みにじるようにヤトをファイトの世界へといざなっていく。


 もとより、ヤトは特別な存在だ。

 傷だらけで倒れ、記憶を失っている少女が特別でないわけがない。

 だから、何れヤトはなにか大きな事件に巻き込まれる。

 そういう覚悟はハクもしていた。

 だからこそハクは、エージェントとしてヤトを守る必要があった。


 しかし皮肉にも、ヤトに待ち受けていた最初の運命は、ヤトとは関係ないところからやってきた。

 ダークファイト組織“ハウンド”。

 ハクとヤトは、ハウンドの幹部に襲われてしまったのだ。

 ハクがレアカードを持っていたから、何より闇札機関のエージェントだったから。

 狙われたのは、ヤトではなくハクだった。


 そして、ハクは敗れ……悪の手に堕ちた。

 洗脳され、多くの人を傷つけてしまった。

 その中には、ヤトも含まれていて。

 しかも、ハクを救ったのはエージェントになったヤト自身で。

 結局ハクは、ヤトをエージェントの世界に巻き込んでしまった。


 そしてエージェントになってからのヤトは、とても充実しているように見えた。

 カードショップ“デュエリスト”の店長とも親密になって。

 店員のエレアとは、まさしく親友と呼べる仲になった。


 闇札機関での活動も、ヤトの性に合っていたのだろう。

 ヤトはファイターとしても、見違えるくらい強くなった。

 きっと今のヤトなら、秘密がヤトに牙を剥いたとしてもそれを乗り越えられる。


 ――そう感じたからこそ、ハクの心の中には闇があった。

 一つは、ヤトを守ろうとした結果、ヤトを巻き込んで傷つけてしまったこと。

 そしてもう一つは、結果としてヤトの生き方を束縛してしまったこと。

 そんな二つの心の闇は、ハクですら気づかない奥底で少しずつ芽吹き始め……とある悪魔のカードを引き寄せてしまう。


 はずだった。



 はいここで、我らが店長がドン。



 本来、ハクはふとした拍子に一枚のカードを拾うはずだった。

 <仮面道化マスカレイド ヴォーパルバニー>。

 それは、ハクが拾った時点では悪魔のカードではない。

 あくまで、悪魔のカードに“なりかけ”のカードである。

 だからこそハクもそれを拾ってしまい、持ち帰る。

 そうして、ハクの心のなかにあった心の闇を<ヴォーパルバニー>がほじくり出し、ハクを悪堕ちさせるはずだったのだ。


 が、しかし。

 その時点で悪魔のカードでないということは、店長の”バグ”の対象である。

 悪魔のカードに関する事件に関われない特性と、事件が発生する直前に事件を排除してしまう特性が誤作動を起こすアレだ。


 しかも<ヴォーパルバニー>にとっては運が悪いことに、その頃「伝説のカードの噂」が街に広がっていて。

 その噂は、店長の耳にするところになる。

 そして店長は、言ってしまえば神の使いのような存在だ。

 そんな店長には、悪のカードを浄化してしまうゴッド的パゥアーがその身に宿っている。

 というか、「古式聖天使」のオーラが勝手に悪のカードを浄化してしまうというか。

 それが悪魔のカードであれば、流石に浄化されることはない。

 しかし、悪魔のカードになりかけのカード程度なら、効果てきめん。


 これはもう、店長が拾った時点でそのカードが<伝説の仮面道化 ヴォーパルバニー>になるのはあまりに自然な成り行きだろう(非常に力強い断定)。


 ――かくして、ハクの闇落ち展開はウルトラC的大回転の末どこかに吹き飛び。

 後には、その際にハクが纏うはずだった闇落ち衣装だけが残った。

 それこそが、現在「月兎仮面」が身にまとっている衣装である。


 この衣装、<伝説の仮面道化 ヴォーパルバニー>を持ち帰ったハクが、次の日目を覚ますと目の前に置かれていた衣装である。

 本来なら、<ヴォーパルバニー>がハクを闇落ちさせた際に着せる予定だった衣装だ。

 しかし、闇のカードでも何でもなくなってしまった<ヴォーパルバニー>にそんな力が残っているはずもなく。

 ただ、衣装だけを残すしかなかったのだ。


 そして、闇落ちしていなければ基本的にハクは痴女である。

 店長の導きにより、心の奥底にこびりついていた闇もどこかに行ったハクは、心置きなくその破廉恥な衣装を身にまとった。

 <伝説の仮面道化 ヴォーパルバニー>を手に入れたのもなにかの思し召し。

 かくしてハクは、正体を隠して辻ファイターとして行動することにした。


 それこそが、「月兎仮面」。

 ここ最近、店長達の暮らす街を騒がせるヘンテコ辻ファイターの一人である。

 本来ならハクは、その正体を知り合いに知られるつもりはなかった。

 だって、さすがのハクも知り合いにこの姿を見られるのは恥ずかしいから。


 しかし、運命はそんなハクの願いを踏みにじるように、ハクを正体バレの世界にいざなっていく。


 店長という、ある意味でハクが最も知られたくなかった知り合いに、その正体が知られてしまったことで。

 事件は大きく動き出す。

 ファイトに負けたハクが、真実を語りだすその直前。

 ヤトが、その場に通りかかってしまったのだ――

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