第9話 赤い悪魔
三人から指導してもらった日から、あっという間に一ヶ月が経過した。
魔法の方は本当に順調そのものなのだが、問題なのはティファニーの指導。
初日に宣言されていた通り、この一ヶ月間本当に木剣すら握らせてもらっておらず、ただひたすら初日から行っているランニング。
そしてティファニーに追いつかれたらスクワットか腹筋を百回というの鍛錬を、一ヶ月間狂ったように繰り返している。
毎日が地獄のようであり、体力がついたと感じ始めてからも余裕で追いついてくるティファニーに苦しめられ、散々体をいじめ倒し倒されてきた。
ただ、そのお陰もあって丸々の肉団子のようだった体は、平均的なデブくらいにまでは体重を落とすことができた。
自ら食事制限を課していることもあって驚異的な減量に成功しており、この生活をあと三ヶ月続ければ平均体重まで落とすことができるはず。
目に見える結果がしっかりと出て、先も見えたとなったらやる気が出そうなものなのだが、あと三ヶ月もこの朝の地獄のトレーニングをこなさなくてはいけないと思うと……正直心は折れかけている。
せめてランニングとスクワットor腹筋以外のことをやらせてくれれば、多少は気が紛れるんだけどな。
目が覚めたばかりなのに、俺は現実逃避で昼から始まる魔法指導のことばかり考えながら、足だけはしっかりと中庭へと向かって動かした。
中庭に着くと、ティファニーの様子がいつもと少し違う感覚を覚える。
好きという感情はとうに消え去り、廊下ですれ違う度に背筋が伸びてしまうほどトラウマを植え付けられているのだが、その分些細な変化も見逃さないように見ているため、俺はティファニーの小さな変化に気づくことができた。
「おはようございます! 髪を切りましたか?」
「……は? 急になんだ?」
「いえ! 髪が短くなったことが気になりましたので!」
声は大きく元気よく、そして指導中は敬語で話すことをこの一ヶ月間で叩き込まれた。
指導中以外やオールカルソン家の前では逆に敬語は禁止のため、その使い分けだけが非常に難しい。
「いつもそんなところまで見ているのか?」
「申し訳ございません! 似合っていましたので、つい聞いてしまいました!」
「少し切ったってだけで髪型自体は同じだろ。まぁいい……それより知っていたか? 今日で私がエリアスに指導を初めてから一ヶ月が経った」
「知っております! ご指導して頂きありがとうございます!」
「数日……いや、一日で投げ出すかと思っていたんだが、まさか一ヶ月も続くとはな。毎日のように飽きもせず、私を夜伽に誘う馬鹿息子だと思っていたが、ここまでの根性があるとは予想外だった」
「ありがとうございます! 全て師匠のご指導の賜物です!」
「ふふ、師匠か」
ティファニーは軽く俯きながら笑ったのだが、俺と出会ってから初めて純粋な笑顔を見せてくれた気がする。
俺をいじめ倒している時に見せる悪魔のような笑顔しか見ていなかったこともあり、その純粋なその笑顔を可愛いと思ってしまった。
いくら悪魔のような指導を強いてくると言っても、ティファニーの容姿は抜群に良い。
理性は可愛いと思うなと全力で止めにくるのだが、本能が可愛いと思ってしまっている状態。
「…………よし。体も大分絞れたようだし、今日から剣の指導をしてやる」
「えっ、いいのですか!?」
「ああ。その代わり、五周逃げ切れることができたら――だ。安心しろ、いつものように一分のハンデはくれてやる」
天国から地獄へ叩き落された気分。
この一ヶ月間逃げ切れたことは一度もないため、不可能に近い条件。
「あの……何を使ってもいいんでしょうか?」
「駄目だ。いつもと同じようにアイテムや魔法の類は禁ずる。己の力だけで走れ」
こうなったら……死ぬ気で走るしかない。
いつもは本気だったが、今回は死んでもいい覚悟で走る。
剣術の指導が始まるのと始まらないのとでは、俺の今後の人生に大きく関わる。
大福のような頬を思い切り叩き、俺は気合いを入れた。
「分かりました! 絶対に逃げ切ってみせます!」
「せいぜい全力で逃げるんだな」
ボスのような台詞を吐き、いつもの悪魔のような笑みを見せたティファニー。
軽いストレッチを行ってから、俺はスタート位置についた。
「それじゃ始めるぞ。スタート」
ティファニーの合図と共に俺は走り出す。
体力は関係なく、この一ヶ月間で鍛えられた根性で走るだけ。
中庭を走り始めて三周。
後のことを一切考えずに全力で走ったことで、喉はカラカラで頭は真っ白。
呼吸も地上で溺れているぐらいの状態だが、そのお陰もあって四周目を回った段階でティファニーとの差は半周ほどある。
足も棒のようになっているが、ここまできたらもう千切れても関係ない。
そこからは逃げ切るためだけ残っている力を振り絞って全力で走ったのが――単純な脚力がティファニーと俺とでは違う。
半周あった差をグングンと一気に詰められているのが分かり、残り四分の一に迫ったところで足音が聞こえる位置まで追いつかれた。
ただ、ここまで来たら……何が何でも絶対に追いつかれる訳にはいかない。
腕を振って無理やり足を動かし、見えているゴールに向かって死ぬ気で走る。
ゴールラインが見え、あと数歩でゴール。
――そのタイミングで……俺を嘲笑うかのように追い抜いたティファニー。
俺もゴールをしたのだが、限界を超えて走ったこともあり、踏み込んだ足に力が入らず勢いよく転倒。
丸い体では勢いを殺し切れず、何回転もしながら体全体に擦り傷を作り、俺は青い空を見上げて啜り泣く。
「ふふ、ふふふ。あと少しだったのに残念だったな」
俺を見下ろすティファニーは、過去一番の悪い笑顔を浮かべていた。
……ぐぞ。死ぬほどムカつくのになんで可愛いんだよ。
「…………ぐやじいッ!」
「……ぷっ、あーはっは! エリアス。お前、最高に面白いな!」
俺の泣き顔を見て、今度は腹を抱えて笑い出した。
この所業を見て、エリアスに匹敵する性悪なのではと思ってしまう。
「あー、面白かった。……いいだろう。私に追いつかれたが、笑わせてもらったから今日から剣術の指導をしてやる」
「………………へ? い、いいんですか?」
「ん? エリアスが嫌ならまた走らせるだけだが――どうしたいんだ?」
「もちろん剣術の指導です! 今すぐにお願いします!」
鞭で思い切りひっぱ叩かれ、その傷口に塩を塗りたくられた後に最高級の飴をもらった感覚。
ついさっきまで魔王のようにしか見えていなかったティファニーが、今や可愛い大天使にしか見えていないのだから……飴と鞭というのは恐ろしい。
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