第16話
あの天真爛漫で面倒見の良い桜田のおばさんが、六条院十和子先輩の叔母?六条院先輩の母君は、法事で何回か顔を合わせたことがあるだけで、性格までは存じ上げないが、いかにも旧宮家の奥方という佇まいの、ほっそりとした美人だ。ただ、先輩と違い、今風に良く言えば、クールビューティー、率直に言うと冷淡な印象を与える人だったと記憶している。そんな人が、あの素朴で、いつも元気に笑っている桜田のおばさんと腹違いとはいえ姉妹だったとは。
まじまじと写真を視ていると、私の顔色が変わっていたのか、長人様が声をかけて下さった。
「大丈夫か、文福の倅」
「はい。大丈夫です。この人は、桜田ベーカリーの奥さんで、母が生前、仲良くしていた方なんです。とても明るくて大らかな方なので、あのいかにも旧宮家の奥方風な六条院夫人と姉妹とは思えなくて驚きました。桜田ベーカリーのお嬢さんは茶道部の部長で、東久迩の大姫と私はクラブの後輩です」
そう言いながら、まだ近くにいた敦人兄様に写真を渡した。
「まぁ、生まれも育ちも違うし、十和子嬢も美和子嬢も、それぞれの母親に似ているから驚くのも当然だよ」
先ほどから、ぷりぷりしていた西条侯爵までが気遣う様に私の方を見ていた。
「よく知っていると思っていた人の過去や秘密を知るのはショックだよね。分かるよ。男女関係なく、一緒にいて楽しい人が一番だと思うよ。そして、深入りしない、執着しない。束縛しないし、されない。これが南条の人付き合いのルールだよ。はい、薫君。これ飲んで落ち着こうか」
南条侯爵が、薄茶の入った茶碗を渡してくれた。
「えっ、いつの間に?」
「私、割と茶道の心得はあるんだよ。女性関連の相談事はいつでも頼ってくれていいよ」
いや、女性関連と言われても、近所のおばさんだけどな。別に失恋したわけでもないので、気遣ってもらう必要はないし、第一、茶道の心得がどうして女性関連の相談事になるのか全く謎の思考回路だ。
それでも、南条侯爵が、ちょっと垂れた目を細めて愉快そうに話してくれるので、つられて笑って啜ったお茶は意外にも、めちゃくちゃ美味しかった。
「すごく美味しいですね。私が点てたものよりも、ずっと味わい深いです」
「うん。瑞祥の特級茶葉は、他の抹茶と違って、お湯の温度と注ぎ方に美味しく頂くコツがあるんだよ。今度、教えてあげる」
この人は、仲間内から、女性に後ろから刺されろだの、女性の生霊が千体憑いているだのと、ロクでもないことばかり言われているが、こういうところが男女問わずに好かれる理由なんだろうな。とてもチャーミングな人だ。
「昔、お付き合いしていた茶道の大家のお嬢さんに教わったんだ」
そして、間違いなく八人の女性と同時にお付き合いをして、あの東久迩響子に土魔法で強化した腕で殴られ、嘉承頼子に焼かれたという伝説を持つ息子を育てた父親だとも思った。
「西条侯爵、桜田のおばさんが、お姉さんの嫁ぎ先の六条院家を経済的に支援しているんですか」
「うん。あのパン屋、なかなか羽振りがいいみたいだよね。節美様の御利益かな」
どこまで調べ上げているんだ。喜代水五条から節美まで、そこそこの距離があるのに、桜田家が、うちではなく節美稲荷大社に毎日のように参拝しているなんて、私だって御使い様から伺って最近知ったばかりなのに。
「博實、続きは後にするぞ。六条院が来た」
長人様が、すっと目を細めた。長人様は、口調は荒いが、その所作には出自の良さが分かる品がある。ただ、涼し気に整った顔立ちで目力があるせいか、目を細めると、その公家らしからぬ体格もあいまって獰猛な雰囲気になり、本人の自覚の有無に関係なく、周りを威圧してしまう。これは、長男の敦人兄様も同じだ。
「打ち合わせ通り、佳比古が頼子と一緒に娘に近づいて拉致をする。誠護と博實は、何かあったらすぐに対応できるように、気づかれないように後ろで待機。牧田のいるところまで戻れば、後は楽勝だ。陛下がお越しになる前に片付けるぞ」
牧田さんというのは、嘉承家の家令で、嘉承家に二人だけいる家人の一人だ。何で天下の大公爵家の家人が二人だけなのか。何で、牧田さんのいる家に戻れば楽勝なのか。色々と思うところはあるが、嘉承に関する疑問の答えは1400年間、「それが嘉承家だから」の一択だ。妖の気紛れ並みに、その根拠は常人の理の範疇を越えたところにあって、私の理解など及ぶはずがない。
「十和子先輩とは、生徒会という共通の話題がありますから、上手くやりますわ。佳比古おじさま、周りの女性たちに話しかけて時間を取ったりしないでくださいね」
それまで静かに座っていた頼子姫が、いつもの堂々とした態度で南条侯爵に釘を刺した。
「あははは。頼ちゃんという西都一の美姫が隣にいるのに、他の女性が目に入るわけがないよ」
そして、南条侯爵も、いつもの軽妙な調子で頼子姫に応じると、突然現れた火の矢が、その額にぷすりと刺さった。
「あだだだだだだだっ。熱いってば。博實、その物騒なもの、ほんっと良くないからね」
父と兄は、嘉承一族が出てくれば安心だと喜んでいたが、果たしてその言葉を鵜呑みにしていいのだろうか。
長人様の声で、一瞬だけ緊張感が走ったが、南条侯爵と西条侯爵のじゃれ合いのせいで、微妙な空気のまま報告会が一旦終了した。同時に【風壁】が解かれ、壁の外にあった空気が雪崩れ込むように辺りに流れて来て、梅雨間近の湿気が、もわりと肌に纏わりついた。長人様だと思っていたが、驚いたことに術者は、敦人兄様だった。【風壁】というのは、風の魔力持ちが一番に習うそうだが、その強さによって強度が変わるのはもちろん、術者の制御力で、空間内の居心地の良さに影響するらしい。
術が解かれてから気づいたが、敦人兄様の【風壁】の中は、確かに心地が良かった。制御の鬼と呼ばれる長人様を、風の魔力では凌ぐのではないかと噂される人だけある。恐ろしいな、嘉承は。神の御使いも恐れる魔王の系譜を直接肌に感じ、遅ればせながら、全身にぞわりと鳥肌が立った。
「文福の倅、お前と東久迩の大姫は時影の側を離れるな。いいな」
魔王に否と言える人は、西都どころか、この帝国にはいないだろう。不敬ながら、陛下でさえ、嘉承と意見を異にするとなると、その前に注意深くお考えになるはずだ。
「はい、長人様」
せっかく野点要員として潜り込むことができたのに、後ろで見ているだけというのは残念だ。しかも、時影兄様という護衛付きとなると、今日、ここにいる意味がないどころか、ほとんど足でまといと言われているようなものだ。
この強大な魔力を誇る集団の前では、私の力など、先ほど敦人兄様からもらった仁丹サイズの魔力粒くらいに小さい。嘉承一族の前では無いに等しい魔力で、それを常に視力に代替えしている私では、確かに足でまといにしかならない。分かってはいても、悔しいもんだな。
「父様、薫さんも一緒に六条院のお姉様に挨拶くらいさせてくださいな。今日は、父様もおじさま達もいらっしゃいますし、人でなしの兄様と、ロクでもない取り巻きだって、そこそこ役に立つでしょうから、大丈夫でしょう?」
突然、頼子姫が私の二の腕をがっつりと掴んで長人様の方に引っ張り、お伺いを立てた。東久迩響子の実妹が、南条家の織比古兄様の二股ならぬ、八股疑惑に巻き込まれてからというもの、彼女たちの嘉承一族の次代たちに対する言動は、思わず同情してしまうほどに塩辛い。
「ダメだ」
「父様、そもそものところで、今回の件は、薫さんが、茶道部の桜田美和子先輩に憑いていた生霊に気がついて判明したわけですし、六条院のお姉様の状態ついては、御使い様からのお言葉を薫さんが受けたからですのよ」
長人様と頼子姫の会話を傍で聞きながら、嘉承一族がにやにやしながら私の方を見ているのが分かった。
「薫さんだって。うひゃひゃひゃ」
「青春だねぇ。甘酸っぱいねぇ」
「何か、好かれちゃってるじゃないの~」
「頼ちゃんは、子文福みたいなのがいいのか。意外だなぁ」
頼子姫が、長人様を説得しようとしている後ろで、勝手に盛り上がる嘉承一族には、呆れるだけだが、私なんかとセットであれこれ言われては、頼子姫が迷惑だろう。侯爵達に止めて頂こうと口を開きかけたところで、突然、巨大な火柱が轟音とともに立ち上った。
火柱!敵襲か。いや、六条院先輩は水の魔力持ちだ。誰か他に闇落ちしているのか。
突然の火柱の出現に混乱していると、次の瞬間、炎の鱗を纏った龍の如く勢いよくうねった大火が、そのまま皆を飲み込んだ。
一体、何が起きているんだ。目の前の長人様と頼子姫は動じることなく、火柱の方を見てもいなかった。
「あだだだだだだだっ。ちょっと頼ちゃん、熱いってば」
すぐに南条侯爵が、まるで緊張感のない様子で、煙の中から出て来た。あれはそんな気軽なレベルの「熱い」と言えるような代物だったろうか。そういうのは、出されたお茶が思ったよりも熱かった時など、日常の些細なことで使われる表現であって、巨大な火柱に襲われた後で出るような言葉ではないはずだ。
「おいこら、サブ子、おじさま達だけ狙えよ。俺達は何も言ってないだろうがっ」
これまた、煙の中から仁王立ちで現れた敦人兄様が、鬼のような形相で頼子姫に怒鳴っている。
「敦ちゃん、酷い言いぐさだなぁ。こういうのは連帯責任って相場が決まってるでしょ」
「冗談じゃないですよ。いつも俺達を巻き込むのは止めてください」
今度は、西条侯爵が、ぱんぱんと服についた煤を払いながら、こともなげに、敦人兄様に話しかけた。
何なんだ、この連中。あの火柱は、間違いなく火の深奥の【爆炎】だ。普通は大惨事を引き起こすし、術者は魔力器官が壊れるはずだぞ。目の前で起きたことに、理解が追い付かず、ただただ呆然としていると、長人様が、私の肩をがっしりと掴み、獲物を定めた猛獣のような顔でにやりと笑った。
「さすがは、【火伏】だ。頼子の火にも全く動じずに、堂々としたもんだな。よし、お前、頼子と一緒に六条院の娘を捕獲してこい」
・・・は?
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