第15話

「この桜田不動産というのは、喜代水五条にある桜田ベーカリーの主人の弟の経営する会社だよ。ほら、公達学園の給食のパンとか。あ、そうそう、私達が、昔、よく放課後に買い食いしていた、購買のカツサンド、覚えてるかな。あれ、桜田ベーカリーのパンだよ」


 西条侯爵の説明に、ようやく桜田ベーカリーが何か思い出した数人が、「ああ、あのパン屋か」と言って頷いた。長人様達も若いころは、買い食いをしていたのか。


「うん。で、桜田不動産だけどね、普通の不動産屋のような業務はしていなくて、本店を除く桜田ベーカリーチェーンの店舗の管理と経営をメイン業務にしているようだよ。桜田兄弟の兄は、気の良いパン屋の親父って感じなんだけど、弟は、どうも胡散臭いね。父親が存命していた頃から、実家と本店を抵当に入れて、桜田不動産は、銀行から融資を受けている。はい、これが、その書類の写し。見ての通り、父親の名前で契約されているんだけど、この日付に注目ね。この時点では、桜田兄弟の父親は西都大学病院に入院中で、ほとんど意識がなかったんだよ。主治医に確認も取ったよ」


 つくづく凄いな、嘉承の眼。桜田兄弟の弟が勝手に元実家の兄の家と店を抵当に入れたことは、桜田夫人から聞いていたが、こんな短期間に、証拠になりうる書類や契約書のコピーを取ってきて、証人まで見つけている。


「で、その胡散臭い弟のせいで、土地がなくなって、経済的に困窮した六条院家の麗しの姫が怒って、闇落ち間近になっちゃったの?そんな単純な姫じゃないと思うけどなぁ」


 南条侯爵が訝し気に西条侯爵に言うと、西条侯爵がにやりと笑った。小柄で人好きのする雰囲気の西条侯爵だが、多分、先ほどちらりと見せた顔の方が素顔だろう。悪い顔だ。


「さすがは、天下のスケコマシ。女性のことだけは、ちゃんと見ているね。そう。実は、六条院家と桜田家の間には、もっと長い間、ドロドロした愛憎劇があるんだよ。六条院の奥方は、南都の水の魔力を持った公家の出なんだけど、腹違いの妹がいてね。父親は認知はしたかったんだけど、奥方の悋気が酷くて、きちんと経済的に援助することさえ出来なかったらしくて、異母妹は、公家の姫としての暮らしどころか、毎日、食べるものにも困るほどに貧しい幼少期を過ごしたんだよ。学校も、中学をロクに卒業できたかどうか。早くから働いて、病気がちだった母親を助けていたそうでね。ところが、何と、今の六条院の家計を助けているのは、その異母妹なんだよ」


 西条侯爵の話に、東条侯爵が、「へぇ。出来た妹さんを持って命拾いしたな」と感心していたが、南条侯爵は呆れたような視線を向けていた。


「誠護、お前は単純で幸せだね。世の中に、そんな心の広い女性がいるわけないよ」


 さすがの都のスケコマシ、南条侯爵が言うと、言葉の重みが違う。


「うん。それは、佳比古の周りの女性達限定ということで、話を続けるよ」


 西条家の【火箭】が消えたので、また横槍が増えてきたが、西条侯爵は、もうガヤが入っても気にせず、さっさと流すことにしたらしい。嘉承一族というのは、お互いに容赦がないようで、仲が良いというのか、妙な連携が取れている不思議な集団だ。


「闇落ち疑惑の六条院の姫だけどね。実は良い縁談の話があったそうで、六条院家としては、その相手の家の経済力を借りて、傾いた身代を建て直そうという心積もりだったみたいなんだけどね。いつのまにか、相手は、その異母妹の娘と仲良くなっちゃったみたい。まぁ、実篤の甘ちゃんが諸悪の根源だけど、母親とその異母妹の間のドロドロした関係に巻き込まれた十和子姫は不憫だよねぇ」


 六条院先輩に婚約者候補がいたのか。嘉承頼子から聞いた話とは、ちょっと違うな。


「西条侯爵、質問よろしいでしょうか」


 火の矢が出て来ると怖いので、神妙に姿勢を正して右手を上げてみた。


「うん、いいよ。何?」

「あの、その六条院十和子先輩の婚約者候補だった方というのは、瑞祥彰人先輩ではないんですよね?」


 私の質問に、長人様が大笑いをして、敦人兄様は明らかに不機嫌になった。


「文福、俺が闇落ちするような姫を、彰に近づけると思うのか」

「失礼しました。噂では一条侯爵が六条院先輩を推しているということだったので」

「お前は、世俗の垢にまみれずに、喜代水寺で精進してろ」


 敦人兄様には怒られたが、彰人先輩には、うちの茶道部の将来がかかっている。ご婚約という噂が流れようものなら、入部希望の部員の数が激減してしまう恐れがあるからな。


「敦ちゃん、薫君、話を逸らさないでね。今は、彰ちゃんじゃなくて、六条院十和子姫、じゃなかった、もう男爵じゃないから、十和子嬢か。その十和子嬢の婚約者候補の話ね。これ、写真。名前は片野久かたのひさし君だよ。22才で、今年、帝都大学を卒業して、この春から、家族が経営している鉄道会社にお勤めしてる。なかなかの好青年でしょ」


 西条侯爵が、緋毛氈に数枚の写真を置くと、嘉承一族が、これまた行儀よく、一枚一枚、横へ横へと手渡していく。最後は私だ。


「ほら、文福の倅」


 隣に座っていた長人様が、私の手を取って写真を渡してくれた。


「今日は、あまり来たことのない二条邸で、面識のない人間が大勢いるから、魔力の消耗が激しいだろう。大丈夫か」

「はい、ありがとうございます。最近は、普通に生活する分には魔力を使い切ることはないんですが、仰る通りで、不慣れな場所と、人の動きが多いところは、ちょっと疲れます」


 長人様は、私が魔力で視ていることや、私が視力を失った原因の特異な魔力について、よくご存知で、火の魔力持ちの宗家の当主として、昔から何かと気を配って下さる。恐ろしいほどの強大な魔力を持つ方だが、その根底は、いつも穏やかで優しい紳士だ。


 長人様が渡して下さった写真を視ようと魔力を練ろうとすると「ほらよ!」と敦人兄様が、もう一方の掌に何かを乗せてくれた。ほんのりと温かい赤い仁丹のような粒は、敦人兄様の魔力が練られたものだった。


「え、これ、頂けるんですか」

「おう。慣れない場所だと疲れるんだろ。さっさと飲んどけ」


 嘉承の火の魔力粒。火の魔力持ちにとっては、極上の魔力が練られた垂涎の品だ。


「あ、ありがとうございます」


 思いがけず、とんでもないものが手に入ってしまった。紅玉の長数珠をくれた北条家といい、あっさりと膨大な魔力を水晶のネックレスに込めてくれた頼子姫といい、嘉承一族は気前が良すぎる。それほどまでに、魔力に無頓着になれるほど、魔力があるということだろうな。羨ましい話だ。それなら、遠慮なく頂いておいても罰は当たらないはずだ。


 そう思って、敦人兄様の火の魔力粒を飲むと、瞬間、体温が上がり、一気に全身の魔力が滾った。こんな極小の魔力粒なのに、ここまで強いと、むしろ体に悪い代物なんじゃないか。そう思いながら、もう一方の手にある写真を視ようとすると、魔力があっと言う前に練られて、いつもよりも数段、はっきりとしたイメージが脳裏に浮かんだ。効き過ぎる。嘉承の直系の火の魔力は、私には毒かもしれない。妙な副作用とか、大丈夫なんだろうな。


 写真のスーツ姿の若い男は、にっこりと微笑んでいた。西条侯爵の言う通り、なかなかの好青年だ。そう思ったところで、何かが引っかかった。


 いや、待て。この顔、どこかで会っていないか。


「ああっ、片野さん!西条侯爵、この方、片野さんって仰いましたよね」

「うん。薫君、知ってた?ああ、そっか。桜田ベーカリーは、喜代水五条にあるから、ご近所さんだもんね。桜田家に、その久君の弟の和真かずま君がいるでしょ」

「はい。下の名前はお聞きしてませんが、片野さんという二十歳の庭師さんです」


 驚いた。庭師の片野さんは、良い人だが不愛想で、こんな好青年風ではないが、兄弟と言われてみれば、雰囲気が似ている。あの人、実は鉄道会社のお坊ちゃんだったのか。何で、そんなお坊ちゃんが、パン屋で庭師なんかしているんだろう。


「あれ。そういえば、片野さんのお父様は、英吉利に留学して、造園を学んだランドスケープアーキテクトとかいうお仕事をされているんじゃなかったんですか」

「薫君、ご近所事情に詳しいね。先に言ってくれたら、こっちの調べる手間が省けたのに。うん、そうだよ。若いころ、六条院の奥方の異母妹と恋愛関係にあったんだよ。公家の血を引くとはいえ、認知されていないし、中学も出ているかどうか怪しい相手では、手広く事業をしている片野家の嫁に相応しくないと結婚を反対されてね。片野和久かずひさ氏は、ああ、久君と和真君の父君のことだけど、強引に英吉利留学をさせられたんだよ。和久氏は、その腹いせに大学を勝手に退学して、造園業にドはまりしていったらしい。片野家は、和久氏が経営学を修めて帰国すると思っていたから、大揉めしたみたいだよ」


 片野さんの父君の昔の恋人の異母姉が、六条院先輩の母君。複雑な相関図が出来上がりそうな話だ。でも、確かに、節美の御使い様の仰る通り、裏に金と色恋があった。神の御使いが、そこまで俗世のことに精通していいのかと思うが、父の言う通り、我々とは違う理の中で生きる方々のことを理解するのは只人には土台無理な話だ。


「この久さんが、六条院先輩と婚約するはずが、異母妹さんの娘さんと婚約したんですか」

「婚約はしてないよ。もともと、六条院家とも、十和子嬢が大学を卒業するころには、久君が仕事に慣れてバリバリと働いているだろうから、その頃にきちんと話をまとめましょう、みたいな家同士の会話だからね。桜田ベーカリーのお嬢さんとは、普通に友達として仲良くしているだけなのに、その母親が色々と余計なことを十和子嬢に吹き込むもんだからねぇ」


 西条侯爵が、書類入れから、また数枚の写真を並べながら言った。


「桜田ベーカリーのお嬢さん?」

「うん、そうだよ。これが、その六条院の奥方の異母妹ね」


 緋毛氈に置かれた数枚の古い写真には、痩せ細る前の桜田美和子先輩によく似た若い女性が、庭師の片野さんによく似た若い男性と並んで写っていた。


 間違いない。桜田のおばさんだ。

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