第14話

博實ひろみ、報告を頼む」

「うん、なー君、頼まれたっ」


 小学生のような返事をする西条侯爵家の当主のおかげで、見事に緊張感が解けた。宗家の当主がなー君。いかにもお公家な瑞祥家と違い、いつも嘉承家は、こういうノリだ。


「えーと、先ず、六条院の方から報告するね」


 あれからまだ数日しか経っていないというのに、もう調べてきたのか。さすがは嘉承の眼と呼ばれる西条家だ。


「六条院家は、今は表向き、当主の六条院実篤さねあつ、奥方の貴和子きわこ、大姫の十和子とわこの三人家族だね。皆も覚えていると思うんだけど、実篤の実父の六条院男爵が一昨年、亡くなったでしょ。実篤には、取り立てた功績もないから、もう爵位が戻って来ることはないだろうね」


 旧宮家というのは、先祖を辿れば、この国の皇帝に行きつく高貴な出自ではあるものの、皇位継承争い等の内乱の芽を摘むため、次期皇帝である東宮の兄弟姉妹は、東宮が皇位を継ぐ前に臣籍降下をするのが慣わしだ。過去1400年遡っても例外はない。そして辛いのが、臣籍降下した直後は、公爵位をもらえるが、子、孫へと代替わりしていくと侯爵、伯爵と、爵位が下がっていく。つまり六代目は爵位を持たない一般市民となる。それが当代の六条院実篤氏、十和子先輩の父君だ。


 東久迩響子の家も全く同じだが、響子の家は、代々、優秀な教育者を輩出していて、教師や文部省の役人も多い。特に、曾祖父、祖父、父の公達学園への功労が認められ、今は、子爵位を持っている。一般市民の息女の十和子先輩と、子爵令嬢の響子。旧宮家同士で昔から親しくしていると響子は言っていたが、こういう微妙な関係のうえ、十和子先輩に闇落ちの危険性がある今は、さすがの鬼女も距離を置くべきだ。


「爵位なんか、面倒なだけなのにな」


 長人様の嫡男の嘉承の君こと敦人兄様がうんざりした風に言うと、私以外の全員は苦笑いをし、周りに生温い空気が流れた。敦人兄様は、文部両道で、気前と面倒見の良い理想のリーダーだが、実はめちゃくちゃ面倒くさがりで、彼が唯一本気で取り組んでいることは、弟の瑞祥彰人先輩を可愛がることだけ。それ以外は何でも適当にやり過ごしているらしい。尋常ではない魔力の保有者で、風の魔力持ちの間では、既に長人様を越えているのではないかと噂されているほどの力を持った方なのに、実にもったいない話だ。


「面倒ではあるが、それに執着している者の方が多いのが事実だからな」

「そんな連中に群がって来られるのも面倒ですよ。父様、俺の代になったら、爵位返上していいですか」

「ああ、姫の了解があれば、という条件付きなら、好きにして構わん」


 いや、そこの高貴な親子、ちょっと待て。千年を超える歴史を持つ大公爵位を返上という国家の安寧を揺るがしかねない強烈な話を、こんな気軽に、それも側近でもない赤の他人の私だっている席で話していいのか。西都や領地で反対運動とか暴動とか起きるんじゃないのか。思わず固まってしまった私の前で、呆れたように南条侯爵が言った。


「なー君、そんなこと、マザコンの敦ちゃんが、大姫様に言えると思う?」

「はああぁ?佳比古よしひこおじさま、聞き捨てなりませんね。誰がマザコンですか」


 そうだった。弟を愛でる以外に、敦人兄様は、実母の瑞祥家の大姫様の前で全力で猫を被っていた。まったく、西都の公家は、どこもかしこも猫かぶりだらけだ。


 皆の豪快な笑いが【風壁】の中で響く中、敦人兄様はぶすっとして、長人様は、大笑いしている側近達を見て楽しそうにしていた。昔から薄々感じていたが、今、確信した。この一族には、緊張感というのが欠片もない。闇落ち間近な水の魔力持ちが近くにいるかもしれないのに、この軽い空気感は何なんだ。


「皆、うるさいよっ!佳比古、風のお前が、火に油を注がなくていいんだよ。なー君も敦ちゃんも無駄話せずに、ちゃんと聞くこと!余計な口も挟まないでね。はいっ、続けるよ」


 西条侯爵は、小柄で童顔という西条家の特徴を見事に継承している風貌の御方だが、その外見とは違い、宗家の当主と次代に向かって、「余計な口を挟むな」と言い切るほどに豪胆な性格の持ち主のようだ。さすがは火の家の当主、気が強い。嘉承と側近四家は、血筋も近いせいか、ぷりぷりと怒っている西条侯爵に嘉承頼子が重なる。


「ちょっと、文福の子。何がおかしいの?」


 気がつかないうちに笑みがこぼれていたのか、不機嫌な西条侯爵に睨まれてしまった。


「いえ、あの。爵位がないということは、もう禄もないということなので、六条院家はどうやって生活しているのかなと。まさか、あの六条院家が、一家総出で、封筒貼りとか、造花を作ったりとか内職なんかしているのかなぁと・・・」


 とっさに口から出た言い訳に、「神仏に仕える者が嘘は良くない」という父の言葉が浮かんだ。もちろん、父の言葉は正しいし、反論する気はさらさらないが、目の前の魔王と愉快な仲間たちの前では、神仏もご理解下さるはずだ。御使い様だって、即座に避難するくらいの集団だしな。


「そう、そこだよ。いいところに気がついたね。さすがは文福の息子」


 西条侯爵が、機嫌良さげに笑顔で頷いてくれたので、ほっとしていると、また南条侯爵が面白そうに笑った。


「あの六条院のたおやかで美しい奥方と姫が内職。ないない。それはない。あったとしたら、この胸が張り裂ける前に、南条がお二人を引き取らせて頂こう」

「佳比古、実篤も引き受けてやれ」


 胸に手を当て、芝居がかったように宣言する南条侯爵に、長人様がしれっと仰った。


「あぁ、残念。なー君、南条家の博愛と奉仕の精神は、女性限定だよ。六条院実篤には悪いけど、うちの信仰に反することはできないよ」

「どういう信仰だ、それは」


 時影兄様の父君の北条侯爵家の時貞おじさまが呆れたように言うと、「スケコマシ教!」と全員の声が揃って、それが直ちに大爆笑を誘った。そこに、次の瞬間、ほんの一秒ほどで、全員の額の前に、めらめらと燃え上がる火矢が浮かんだ。獲物に狙いを定めると仕留めるまで追跡するという火の魔力で練られた、絶対に外れない矢、それが西条家の奥義、【火箭ひせん】だ。


 まったく、嘉承一族ときたら、脱線し放題で、いつも全員が全力でふざけている。あげくに、こんな超絶上級魔法を、顔色を変えることなく、普通に出してくる始末だ。


「うん、皆、素直に話を聞いてくれるみたいで嬉しいよ。ああ、それと、文福の子、今時、封筒貼りとか造花作りの内職とかないから。君、いつの時代の生まれ?隣国の安い人件費で、廉価な商品が入って来たからね。そういう仕事は、とっくの昔になくなっちゃってるよ」


 口からぱっと出ただけだから、それはそうだろうな。呆れたように笑う西条侯爵に、苦笑いを返して、恐縮したように頭を下げた。ふざけた一族ではあるが、この宗家と側近の四家だけで、帝国の武力を集めて総攻撃をしても返り討ちにできると言われるほどの実力集団だ。従順な態度を見せておくのが一番だ。


 ひとしきり笑い終わったところで、皆の顔つきと雰囲気が変わった。その鋭い気で肌がひりひりする。そんな中、西条侯爵によって報告された内容は、私の想像の遥か上をいく話だった。


 今は爵位を持たないとはいえ、六条院家は、公爵から五代に渡って何もしていなかったわけではない。臣籍降下した時に支給された支度金と、領地を持たない貴族の禄が内裏から定期的に入る間に、土地を買い、海外資本の事業に投資して、資産を順調に増やしていったらしい。宮家の人間は、一様に世間知らずで、市井に下りた時点でカモにされることが多く、ほとんどが六代目で爵位が消滅する前に、生活に困窮しているそうだ。いまだに爵位を持っているのは、霊泉伯爵家や東久迩子爵家に代表されるような研究や教育などのアカデミックな部門で帝国の文化的発展に貢献し、その功績で叙爵を受け、没落を回避した家がほとんどで、六条院家のように事業に成功して財を成した家というのは、ほんの僅かしかいない。


「六条院家は、爵位はともかく、経済的には何の憂いもない状態だったんだよ。ところが、一昨年に男爵が亡くなってからというもの、事業に失敗したり、家令に横領されたり、詐欺まがいの契約を持ち込まれたりして、この二年で、財産のほとんどを失っているよ。もちろん、爵位ももう無いしね」

「あら~、実篤君、気位は天に届くほど高いけど、労働意欲は地の底を這いずり回るようなロクでもないお坊ちゃんだったからねぇ。それが、ロクでもないおじさんになっちゃったわけか」


 南条侯爵が、呆れたように言った。本当にその通りだ・・・と思った瞬間、南条侯爵の額に火の矢がぷすりと刺さった。


「あだだだだだだだっ。ちょっと!博實、何してくれるんだよっ」

「佳比古、うるさい。余計な口は挟まないでって言っておいたはずだよ」


 実年齢よりも若く見え、中性的な可愛い雰囲気を持つ西条侯爵だが、なかなか容赦がない。南条侯爵の前髪が、軽く焦げているような気がする。実際には見えないし、南条家は元々、色白で茶髪という色素の薄い人達が多いので、焦げて茶色いのか元々の明るい色なのか微妙なところだ。二人の侯爵のやりとりに呆気にとられていると、敦人兄様がこちらを見ているのに気がついた。


「すまんな、文福。うちは、こんな連中ばっかりだ」

「いえ、大丈夫です」


 まだ私の目の前に浮かんでいる西条侯爵の火の矢が怖くて、簡潔に応えた。敦人兄様の前の火の矢も刺さるんじゃないかと、他人ごとながら冷や冷やする。ところが、敦人兄様は、全く怯える様子もなく、その父親の長人様に至っては、いきなり、火の矢をがっつりと素手で掴んだ。


「博實、必要な口は挟むぞ」


 一人で動揺している私の前で、嘉承親子は、いたって冷静だ。


「裕福なうちに、慈善団体に寄付したり、有望な若い起業家や芸術家のパトロンにでもなっていたら、元宮家の六条院は、確実に男爵位くらいならもらえただろう。佳比古の言う通りの気位の高い人物だったら、金があれば、先ず、爵位を取り戻すことを考えるんじゃないのか」


「それだよ、なー君。詐欺まがいの契約で騙されたって言ったでしょ。六条院家が所有していた土地なんだけど、なかなかの好立地が一つあってね。駅に近い便利なところで、結構な大きさもあって、普通に売れば、実篤が働かなくても、二十年くらいは暮らせる額が手元に残ったはずなんだけどね。そこに新しい形態の老人向けサービス事業の経営に参画するという計画が家令経由で持ち込まれたんだよ。これが、そのパンフレットなんだけど、詐欺の割にちゃんとしてるよね」


 私達の前に上質の紙で印刷された冊子が置かれた。先ず、長人様が手を伸ばし、それを左右の敦人兄様と東条家の当主と一緒に見始めたので、私達も同じように二、三人ずつで冊子の内容を検めた。永遠のクソガキ気質で、悪態ばかりついている嘉承一族なのに、仲間でシェアする時は、揉めないどころか、妙に行儀がいいんだな。何だか初等科のクラスにいるようだ。


 冊子の内容は、西都の郊外にある新興住宅街にシニア向けのコミュニティー、村のようなものを造るという壮大な話だった。生活に必要なサービスやサポート体制が全て徒歩圏内にあって、そこにある建物は、バリアフリーが基本。日々の移動には、無料のバス、村の外に出る場合は、村が所有する大型のセダンを運転手付きで利用することが出来る。村の中では、車を所有する必要がないため、歩くのがどうしても遅くなってしまうシニア世代も安全に外出が出来るし、駐車スペースが必要ないため、その分の土地の有効活用が可能になる。シニア世代が一番気になる健康面は、村にあるクリニックに常駐の医師の他、西都の嘉承病院から専門医が毎週派遣されるとあった。村のようで、村でないのは、そこを管理するのが行政ではなく、法人団体というところだ。


「嘘なのが惜しいくらいの理想郷だな」


 長人様が顎を指で摩りながら仰ると、西条侯爵が頷いた。


「うん。先ず、これを西都の郊外で始めて、データを取って、それを元に改善点を模索しながら全国に展開して、憂いのないシニアライフを推進するって計画だよ。西都の試作のシニア村で叙勲は間違いないだろうし、それを全国に広めて成功したら、国や社会に大きな貢献だから、確実に男爵位くらいはもらえる話だよね」


 西条侯爵の言葉に、北条侯爵と南条侯爵が、「それは間違いないな」「詐欺師って凄いねぇ」と感想を漏らした。


「でも、全部、嘘なんだろ。第一、嘉承病院から派遣される専門医って何だ。設備がないと、派遣されても治療は出来んぞ」


 それまで黙っていた東条侯爵が、不機嫌そうに言うと「誠護は小児科なんだから、老人向け医療サービスは関係ないでしょ」と、西条侯爵が突っ込んだ。西条侯爵は、どうも風には当たりが強いようだ。


 風の東条侯爵が小児科医として勤務している嘉承病院は、長人様が院長を務めている西都の大病院だ。長人様自身が外科医、東条と同じ風の魔力を持つ南条侯爵が内科医で、私立なのに、帝国で最多の医師が勤めるほか、看護師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、介護士なども多く、常に最新の設備を誇る、天下の大公爵家の信念と財力が具現化されたような場所だ。西都大学の医学部と看護学部の卒業生が、毎年ごっそり就職するので、トップの座は将来も揺らぐことはないだろう。


「で、くだんの家令に爵位という人参を鼻先にぶら下げられて、こんな冊子やら事業計画なんかを出して来られたら、世間知らずの公家の坊ちゃんは、ころっと騙されちゃうよね。その桃源郷の構想には、六条院家の持っていた土地の周辺を買収するというのがベースにあってね。実篤は、唯一残っていた良い土地を売って、その儲けを開発会社の役員として全て投資するという話に乗ってしまったんだよ」


「えっ、全部ですか。一部でも手元に残しておいたら生活が助かるのに」


 しまった。驚きのあまり、余計な口を挟んでしまった。そう思ったが火の矢は、いつのまにか消えていたようだ。


「文福の子は、堅実に育っているようで嬉しいよ。これは詐欺だから、そもそものところで、実篤がもらえる金なんか一銭もないんだよ。だから、家令が全部投資しろって唆したんだよ。高配当とか、経営権をちらつかせたりして、ごかましたんだろうね。で、これがその土地の売買契約書ね」


 西条侯爵が、一枚の紙を私達の全員が見えるように、真ん中に置いた。そして、そこにあった土地の購入者には、よく知った名前があった。


 桜田不動産。桜田美和子の叔父の会社だ。


 こうして、六条院家と桜田家が繋がった。

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