第13話

 二条侯爵家の歌会は、帝国の貴族社会で、数百年もの間、高い人気を誇る社交イベントで、参加すること自体が名誉とされている。遷都前は、皇帝陛下が欠かさずにご出席されていて、遷都後は、ご自身がご出席されない時には、必ず、皇后陛下や皇弟殿下など、近いご身内を代理で派遣される。


 今回は、久しぶりに皇帝陛下が、東宮殿下とご一緒に参加されるので、陛下のお気に入りの姪の瑞祥の大姫様はもちろんのこと、瑞祥彰人先輩と双子の弟君、瑞祥一族の四侯爵家の当主と次代が全員参加する。そして、何と嘉承公爵とお世継ぎの敦人先輩が、側近の四侯爵家の当代と次代と参加するらしい。さすがは皇帝陛下の御威光だ。陛下ご本人が、次期皇帝の東宮殿下をお連れになって、わざわざ帝都からお越しになるからには、嘉承公爵家としても顔を出さないわけにはいかない。ただし、ご挨拶を終えると、さっさと撤収というのが、代々の皇帝陛下と嘉承公爵との沈黙の合意事項らしい。相変わらず、呆れるほどに我が道を行く家だ。


 でも、全ての不浄を焼き払う【業火】の達人の長人様が会場におられるのは、心強い。その長人様が、ご子息の敦人先輩と側近の四侯爵と一緒にお見えになる。鬼に金棒どころか、西都中の妖が一斉に攻撃して来ても確実に勝てる実力を持った集団だ。


「魔王様がいらっしゃいますかぁ。はっきり言って、こんな雅な場所には、全く似つかわしくないですねぇ」


 ポン子ちゃんが面白そうにくふりと笑った。今日は魔力持ちが多いので、隠遁の術もあまり効き目がないはずだが大丈夫なんだろうか。本人(本狸?本狐?)に尋ねると「問題ありませんよ」と気にする様子もない。


「私の姿が視えるのは、高位の魔力持ちだけですから、せめて魔王様の側近くらいの力がないと、視えないはずですよ」

「私の魔力は、どう考えても四侯爵より遥かに少ないですが、ちゃんと御姿は視えていますが」


 それに、私と同じような魔力量の東久迩響子にも、御使い様の姿は視えていた。


「ええ、私、選り好みするタイプなんです」

「そうですか。それはありがとうございます」


 神の御使いが差別なんかしていいのか。腑に落ちないが、妖の絡んだことに腑に落ちたためしはない。


「いえいえ、御礼ならお酒でいいですよ」


 まだ言うか。神の御使いが、無心なんかしてもいいのかよ。


「御使い様、うちは寺ですから、お酒を飲む者なんかいませんよ。お揚げの差し入れくらいなら出来ますけど」

「ああ、揚げは豆腐屋が持ってきますから、間に合っています」


 豆腐屋も信者だったか。節美稲荷大社には、熱心な信者が多くて、つくづく羨ましい話だ。


「それは残念です。うちの兄の作る稲荷寿司は、なかなか美味しいと思うんですけどね」

「おや、そこまで言われたら、喜代水の子たちの気持ちは無碍にはできませんねぇ。それでは、稲荷寿司で手を打ちましょう」


 ぽん、とポン子ちゃんが嬉しそうに手を叩いた。そこまで言ったつもりはないけどな。いや、ちょっと待て。寺の息子が神社に貢いでもいいのか。


「まぁまぁ、細かいことはお気になさらず」


 私の心を読んだのか、いつもの御使い様の口癖が出たところで、ずっと喋っているわけにもいかないので、他の野点要員の方々と合流した。御使い様の仰る通り、私の後ろを見て訝しむような人は皆無だった。


 すぐに先に到着していた東久迩響子が近寄って来た。


「薫さん、ごきげんよう」


 そう言うと、私の後ろに向かって小声で「おはようございます。本日はよろしくお願いします」と素早く挨拶をした。響子、お前も選り好みされているんだから、後で、何か貢げよ。


 私の視線に気づいた響子が「何ですの」と訊いてきたので、事情を話すと、意外にも響子は感激した様子だった。


「まぁ、それは、ありがたい話じゃありませんの。両親と一緒に、早々にお社に御礼に伺いますわ」


 御礼は酒がいいらしいぞ。それも五十本。頑張れ、東久迩家。


 私と響子がぼそぼそと話をしていると、野点のリーダーらしき年配のご婦人が、ぱんぱんと手を叩いて、皆の視線を集めた。


「皆様、ごきげんよう。本日、野点の世話役を二条様より申し付かった土山ですわ。よろしくお願いしますわね。早速ですが、今日は、公達学園高等科の茶道部のお二人がお手伝いに来て下さっていますの。東久迩の大姫と、喜代水の二の君、前に来て、皆様にご挨拶をお願いしますわ」


 いきなり寝耳に水の展開だ。確かに、二条侯爵には、野点要員として参加させて欲しいと頼子姫経由で頼んでおいたが、こんなに大袈裟な紹介は頼んでいない。


 数十対の目が私と響子を見ている。化け猫級の猫かぶり響子は、動じることもなく、すんなりと皆の前に出て綺麗な礼をした。


「皆様、東久迩家の響子でございます。まだまだ稚拙なお作法しかできず、お恥ずかしい限りですが、本日は、少しでも皆様のお役に立てるように、精いっぱい半東を務めますので、よろしくお願いします」


 東久迩響子。こいつは、昔から質が悪いが、外面は誰よりも上手く取り繕う。まるで完璧な旧宮家の姫のようだ。見掛け倒しで、中身はとんだ暴力女だがな。詐欺師の響子の挨拶が終わったところで、皆が私の方を見た。ま、流れ的には、そうなるよな。


「皆様、ごきげんよう。喜代水の貫主が次男、薫にございます。本日は、このような華やかなお席で、半人前の腕しかない私が、お茶を点てることをお許し頂き、誠にありがとうございます」


 十七年被り続けた私の猫も巨大化した。本来なら、私も年齢的にも、この歌会の関り的にも響子と同じく半東となるはずが、事前に一人は亭主でと言われている。今回は、瑞祥一族どころか、嘉承一族も出席するとあって、若い娘を持つ両親たちの気合が入っているらしい。これは、いつもの通り、うちの兄からの情報だ。野点部隊の中にも、少し席を外して、挨拶という名の「娘の売り込み」に行きたい人達が多いらしく、皆、嬉々として、私がお茶を点てることを認めて下さった。


 二条侯爵家の庭は、帝国の至宝の名に恥じない見事な庭園で、しかも広大だ。桜が終わったこの時期になると、藤の花と菖蒲が、そこかしこに、咲き競うかのように見事な姿を見せる。藤の花を家紋にしている公家が西都では多く、藤は最も好まれている花だ。我が家の家紋もそうだ。数百年前の当主の日記によると、茶釜を名乗れと、悪魔の宰相に言われた時に、家紋もと言われたそうだが、そこは固辞したそうだ。いや、名前こそ断れよ、うちの先祖。


 今日の野点は、藤棚や菖蒲池がよく見えるところ四か所に緋毛氈ひもうせんを敷き、亭主に選ばれた四名が、それぞれ茶を点てて、客をもてなす。客は、二条邸の広大な庭園の花々を愛でながら、お茶を飲んだり、歌を詠んだり、酒を飲んだり、軽食やお菓子をつまんだりしながら歓談したりと優雅なものだ。


 私は、美しい白藤が咲き誇る藤棚の下の茶席を任された。響子が、半東役の女性達と楽しそうに茶席の用意をしていた。ああやっていれば、名家の姫なのに、つくづく残念な姫だ。そう思って視ていると、響子がきっと私の方に睨みを飛ばしながらやって来た。あの姫には悪口センサーでも備わっているのだろうか。


 私が慌てて、響子から視線を外し、炉の準備で忙しいふりをしていると、響子が藤棚を見ながら声をかけてきた。


「白藤に緋毛氈。見事な紅白のコントラストですわね。薫さん、緋毛氈には魔除けの意味があるってご存知でした?」

「ええ。もちろん。それが寺社仏閣の廊下に敷かれている理由ですから」

「あら、わたくしとしたことが。釈迦に説法でしたわね」


 寺関連で返してくる東久迩響子は、質が悪いが、そこそこウイットには飛んでいる。


「薫さん、嘉承一族が総動員ですから、きっと大丈夫ですわよね」


 そう言った響子の声には不安そうな響きがあった。いくら普段、強気な暴力姫でも、確かに、闇落ちと対峙となると怖いよな。私には北条家から頂いた紅玉の数珠があるし、何と言っても節美の御使い様がそばにいらっしゃるから心強いが、響子の気持ちはよく分かる。


「大丈夫ですよ。今日は、宇迦様公認の魔王がお見えですからねぇ。どんな瘴気も焼き払うでしょう。私も気をつけないと、自慢の尻尾が焦げるかもしれませんねぇ」


 ポン子ちゃんが、金の目の御使い様モードになって、のんびりと、お天気の話をするかのような気軽さで仰った。


「あら、御使い様、それは大変ですわね。どうぞ、お気をつけあそばして下さい」


 少々、胡散臭いところもある御使い様だが、さすがに西都一の信者を持つ大社の神の使いの言葉は重い。響子が、安心したように、茶菓子の準備をしてくると言って、他の半東の女性達のいる裏方に戻って行った。隣でぷかぷか浮いているポン子ちゃんに自然に頭が下がった。


「御使い様、ありがとうございます」

「はて、何のことやら」


 その後、また、一人で道具を確認していると、後ろからふいに誰かが声をかけてきた。


「よお、文福の息子、久しぶりだな」


 この声は、くだんの悪魔の宰相の子孫。


「長人おじさま、大変ご無沙汰しております」


 気配に敏い私だが、完全に魔力を消している長人様の気配は察知できない。ポン子ちゃんの姿もいつの間にか消えている。振り返って挨拶をすると、嘉承一族の当代と次代がずらりと並んでいた。


 い・・・いかつい。同じ公爵家なのに、瑞祥一族とのこの差は何だ。ポン子ちゃんも消えるよな。


「おう。親父も兄貴も元気にしているか。お前が亭主役なのか。なら、茶をもらっていくか」


 そう言いながら、私が返事をする間もなく、嘉承一族の宗主が腰をおろしたので、全員が同じように座り込んでしまった。頼子姫も含めて、総勢11名。


「それぞれに一杯ずつ頼む。こいつらと、茶碗の共用は勘弁してくれ」


 連続で11杯。朝から腕が攣りそうな予感しかない。


「いきなり現れて、11杯は酷い話だよね。半東の皆さんも準備が大変だよ。織比古、皆さんのお手伝いをして差し上げなさい」


 げっそりしているところに、南条侯爵家の当主の佳比古おじさまが、息子の織比古先輩を裏方に追いやると、ほどなくして裏から「きゃあああ♡」という黄色い悲鳴が聞こえた。さすがは、南条家の次代。


「よし。これで当分、邪魔は入らんな」


 長人様がそう仰ると、突然、周りの空気が変わった。これは、風の魔力持ちが使う【風壁】だ。

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