第11話
「あの、先ほど、またと仰いましたが、このお庭に悪さをするような不心得者がいたということでしょうか」
そう私が質問すると、「その、まぁそうだな」と作務衣の男が居心地悪そうに答えた。ぶっきらぼうで、愛想も何もないが、悪人ではないようだ。彼から、ここ最近の桜田家の様子を訊いてみようかと思ったところに、突然、桜田のおばさんが、ぶんぶんと手を振りながら、転がるように庭に出てきた。
「まぁ、まぁ、まぁ!薫坊ちゃん、どうしたんです?美和子の様子を見に来て下さったんですか」
誰もいないと思っていたが、おばさんが応接間にいたのか。気配に敏いと自負していたが、完全に意識が、この作務衣の男に持っていかれていたようだ。
「おばさん、連絡なく来てしまってすみません。家に帰る途中に、桜田先輩の様子が気になったので、こちらに足を向けたら、門が開いていたので、玄関先まで来れたんです。そしたら、お庭が素晴らしいので、許可なくこっちに来てしまいました」
そう言って頭を下げると、気の良いおばさんは、私の肩をばしばしと叩きながら、笑った。
「あらまぁ、うちは、坊ちゃんが生まれる前から喜代水さんには懇意にして頂いているんですから、庭ぐらい、いつでも見に来てくださいな。許可なんか坊ちゃんには要りませんよ」
おばさんは、私よりも小柄のくせに、妙に力があるのか、叩かれたところが、地味に痛い。早朝から毎日、何百ものパンを捏ねているだけあって、ふくよかな体の割に、肩と両の腕はがっちりしているので、私の腕がかなり貧弱に見えると思う。もっと鍛錬しよう。
「ありがとうございます。ここのお庭は、私の知っている庭園とは、かなり趣が違うので、面白いなと思っていたんです。気がついたら、気持ちのいい風の流れに誘われて、ふらふらと迷い込んでいました」
私達の会話の後ろで、作務衣の男が、逃げ遅れた野犬のように、ウロウロしていたが、律儀な性格なのか、無言で立ち去ることはしなかった。
「まぁ、坊ちゃんにそこまで言って頂いたら、
「ええっ、俺がですか」
やっぱり、この若い男が庭師だったか。露骨に嫌そうな顔をしているな。
「坊ちゃん、散策が終わったら、庭から直接、応接間にあがってくださいね。お茶を用意しておきますから。美和子は、おかげさまで、昨日から、ものすごく調子が良さそうなんですよ。本当になんと御礼を言ったらいいか」
ちょっと強引だったが、思いがけず、この若い庭師との時間を確保できた。おばさんが、家に戻った途端に、嫌そうにしていた顔が、はっきりと「迷惑!」と読めるほどに嫌々オーラが漂い始めた。
「えーと、片野さん。改めまして、美和子先輩の茶道部の後輩で、茶釜薫と申します」
とりあえず、自己紹介をすると、我が家の苗字を名乗ると、いつもの反応が返って来た。
「茶釜って、本名か?あだ名か?しかも茶道部?」
まぁ、こんな狸顔の茶道男子が、いかにもな苗字を名乗ると、あだ名だと思うよな。
「もとは、
冨寿原は、南都時代から続く公家の中で一番多い家名だが、多くなり過ぎて何かと紛らわしいことが増えたため、ここ数百年の間に、住所や古い役職などを苗字に変更する家が増え、冨寿原を名乗る家は西都では減少した。
「冨寿原。ああ、坊ちゃん、公家の子か」
「はい。
「それで、茶釜なのか。ものすごいセンスだな」
不愛想な庭師の片野さんは、意外にも、私の先祖の話を気に入ってくれたのか、質問をしてくれた。よし。いい徴候だ。
「本当にそうですよね。それから、何百年か経っても、お迎えが来ないので、ある日、西都の宰相閣下を訪問したそうなんです。そうしたら、「そんな話は聞いてないぞ」と言われたようでして」
「何か、いかにも嘉承公爵家って感じの話だな」
そう言いながら、片野さんは苦笑いだ。さすがは嘉承公爵家。パン屋の庭師にまで、その悪行が筒抜けだ。
幸い、鬼の嘉承家の隣には、仏の瑞祥家が常にいるので、私の先祖を不憫に思った瑞祥家の当主が、忠義の褒美にと、疎開していた場所の近くの領地を下さった。さらに、西都に戻っても不自由なことにならないようにと、大寺院の貫主のポジションも用意して下さった。ところが、「お前の先祖、うちの先祖に担がれたんだって。茶釜を名乗れって言われた時点で気づけよ。素直に何百年も信じている場合か。ぎゃはははは」等と言い、大笑いする悪魔の手前、ほいほいと戻るのも何だか悔しい、でも、瑞祥家の気遣いを無碍にすることもできない。そんな理由で、茶釜家総出で考えた挙句、貫主の座は、当時の茶釜家の当主の次男がもらうことになった。そして、茶釜の直系の長男は、代々、伯爵位と瑞祥家からもらった領地と共に、頑なに茶釜の名前を守るということになったそうだ。これが、うちがいまだに茶釜を名乗り、長男ではなく、次男が喜代水の貫主になるという伝統が出来上がった経緯だ。
「へぇ。お公家さんも色々と大変だな。そんな大昔のことに執着しなくてもなぁ」
「仰る通りです。先祖も子孫も、嘉承公爵家に関わると大変なんですよ」
私がそう言うと、片野さんは、始めて笑顔を見せてくれた。笑うと、更に若く見える。
「片野さん、失礼ですが、おいくつですか」
「来月で二十歳だ」
若く見えるのではなくて、本当に若かった。
「その御年齢で、
「いや、英吉利でガーデニングを学んだのは、うちの親父だ。俺は、まだ見習いで、親父の図面通りに植物を植えて、指示書通りに手入れをしているだけ」
片野さんの説明によると、英吉利では、
「曙光帝国の庭づくりと似ているようで、違うことも多くて面白いぞ。もちろん、植えるものも全く違ってて、これはアンジェリカってハーブで、こっちはベイリーフ。料理に使える」
片野さんが、私の手を取って、それぞれの葉っぱを触らせてくれた。魔力で、どんな植物か掴んではいるが、黙っておこう。うちは先祖代々、人様の親切は無碍にはしない家だからな。
「英吉利では、食用や薬用の植物を庭に植えるんですか。観賞用ではなくて?」
「もちろん、観賞用もあるぞ。国花の薔薇が一番好まれるな。ああ、でも薔薇も、実をお茶やジャムにしていたか。観賞用兼食用。合理的だよな。貴族の庭は、どこもバラ園があるそうだ。花の大きさや香りなんかを品種改良していって、新種ができたら、王家に献上して、お姫様の名前をつけたりするんだってさ」
不愛想だと思ってた片山さんだが、庭のことになると、饒舌になるようだ。
「坊ちゃん、気をつけろ。そこに棘のある茂みがある。大事なお客さんに怪我をさせたら、クビになっちまうからな」
片野さんの言う茂みは、小さな白い花を無数につけたものだった。
「棘というと、薔薇ですか」
「いや、トゲスモモだ。英吉利では黒い棘、ブラックソーンって呼ばれている。バラ科だから、まぁ薔薇の親戚みたいなもんだな。スピノーサスモモとも言って、花が終わったら、青黒い実をつける。英吉利では、その実でリキュールを作るんだと」
そう言いながら、片野さんが小さな花を私の掌に載せてくれた。ぶっきらぼうで、愛想の欠片もないと思っていたが、実は、面倒見のいい、気の良いお兄さんだった。こういう人が、くだんの嘉承一族の中にもいる。東条先輩だ。
「ありがとうございます。えーと、この木は、白樺ですか」
「おお、正解。触るだけで分かるのか。大したもんだな。美和子お嬢様の後輩ってことは、公達学園だろ。あそこに、喜代水から一人で通っているのか」
一人で、しかも自転車通学だったりするが、盲目の男子高校生が訳あり自転車で通学しているとなると、色々と説明が面倒なので、「えーと、兄と・・・」と適当なことを言ってごまかした。嘘ではない。現在形でないだけだ。
「ああ、兄ちゃんがいるのか。それなら安心だな」
片野さんは、私の曖昧な受け答えで納得してくれた。良心の呵責で、若干居心地が悪くなってきたが、私の事情は、一族の事情でもあるので、誰彼と吹聴するものではない。
「片野さん、お父さまがお庭の設計と仰いましたが、お父さまは、どういう意味を持って、それぞれの植物をお選びになったんですか」
「意味?」
「ええ、観賞用なら、薔薇と仰ったのに、棘のある小さな白い花をつける植物とか、選択が独特だなと思いまして。昔ならともかく、この現代で、薬用や食用にするには微妙なものばかりですし、実用には量が少ないですから、何でこれらの草木を植えることにしたのかなと」
片野さんの目が泳いだ。そして、先ほどまでの打ち解けた様子がかき消え、きっと私を睨んだ。
「坊ちゃんは、どう思う?」
質問に質問で返す。古典的なはぐらかし方だ。それなら、こっちもはぐらかすまでだ。
「うちは、古くて大きな寺ですから。寺社仏閣の境内にある木には、意味というか意図があります。寺の蓮池や、
「ああ、なるほどな。そういうことか。全部、水分量が多いやつだな」
見習いとはいえ、さすがは庭師だ。木の種類を少し上げただけで、すぐに気がついた。
「仰る通りです」
曙光帝国では、寺や神社などの古い木造建築のある場所には、必ずと言っていいほど、水分量が多かったり、含油率の低い木が植樹される。大火が起こったとき、本堂や七堂伽藍などへの延焼を食い止める役目を背負うそれらは、古くから火伏の木と呼ばれている。
私が頷く姿を見て、片野さんが、少し自嘲的に笑った。
「なるほどな。そういう質問か。坊ちゃん、いいこと教えてやるよ。ここの家の庭の植物な、アンジェリカも、ベイリーフも、白樺も、ブラックソーンも、意味は、全部、祓魔だよ」
桜田家の庭に植えられた植物は、西洋の
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