第10話

 私が東久迩響子と嘉承頼子と一緒に、二条侯爵家の歌会の野点要員として参加する裏の理由を、嘉承、瑞祥の両公爵家はもちろん、両家のそれぞれの側近の侯爵家にも、早急に報告する必要がある。節美稲荷大社の御使い様が、はっきりと、六条院の大姫に対して、闇落ち間近と仰ったからだ。


 魔力持ちの闇落ちは、情状酌量も何も適用されない大罪。六条院のような名家がお家断絶となると、西都どころか帝国中で大騒ぎになってしまう。


 そんな物騒な話と、瑞祥先輩の少々の恋バナで、即席のお茶会を終えた。詳しい内容の報告は、時貞兄様と頼子姫に任せて、あとは、両公爵家からの指示を待つしかないという結論になったので、今日は大人しく帰宅することにする。


 三人の家は、嘉瑞山にあり、私の住んでいる喜代水寺は、全く反対の方向にあって、学園まで、三人は徒歩で、私は自転車通学だ。運動部の連中も、もう練習が終わったのか、校舎内はひっそりと静まり、自転車置き場には、私の自転車だけが残っていた。サドルにまたがると、気のせいか、やけに硬くて冷たかった。


「昨日は、先輩と東久迩と一緒にタクシーで帰ったから、置き去りにして悪かったな」


 ハンドルを撫でながら呟くと、ポン子ちゃんが、ふよふよと前に飛んできた。


「おや、意志あるモノでしたか」

「はい。うちの家にある古い自転車なんですが、祖父や父が乗っている間に、そういうモノになってしまったようで、私が譲り受けました」


 うちの寺には、やたらとこの手の類のものがあって、以前は父が、今は私が管理させられている。この自転車には、まだ付喪神と呼べるほどの力はなく、タイヤのパンクがなくなった程度で、ものすごくスピードが出るとか、坂道が楽に走れるということもない。近所のおじさん達が乗っているカブの方が断然早い。


「なるほど。大事に乗っていれば、あと一年ほどで、貴方を守る力がついてきますから、ちゃんと手入れしてあげてくださいね」


 ポン子ちゃんが、くふりと笑った。御使い様がそう仰るんなら、そうなんだろう。もとより、新しい自転車を買ってもらえるとは思っていないので、自分で稼げるようになるまでは、乗り続けるつもりだ。うちは、寺の修繕費や維持費に金がかかり過ぎて、余計なものを買う余裕はないからな。


 学園を出ると、すぐ近くに西都中央図書館がある。総督府から西側のこの辺りは、西都公達学園の幼稚舎、初等科、中等科、高等科の校舎が立ち並び、その隣に、中央図書館、西都大学と続く文教地区なので、夕方になると急に人影がなくなり、ひっそりとしてしまう。


 中央図書館も、総督府と同じアールデコ調の石造りのクラシカルで美しい建物だ。図書館には、Biblionという、いかにも図書館や本屋にありそうな名前のカフェが併設されていて、ランチタイムは総督府の職員さん達がよく利用している。私も兄も甘いものが好きなので、母が生きていた頃は、図書館の帰りにカフェでケーキやスコーンを食べさせてもらっていた。最近では、桜田ベーカリーの土曜日のパンのように、遠い記憶になってしまったが。


 桜田ベーカリーのパン、久しぶりに食べたら、本当に美味しかった。美和子先輩のことが落ち着いたら、兄を誘ってカフェでケーキを頂くのも悪くないよな。昔のように、父にスコーンを買って帰ろう。


 そんなことを思いながら、自転車をこいでいると、カフェのテラス席のウッドデッキに、何か黒っぽいのが寝そべっていて、にやにやしながら、こちらを見ているのが分かった。攻撃するような雰囲気でもないので、無視しておく。


 西都では、夕方は、正しく「逢魔が時」で、色々と出てくるので、いちいち相手をしていたらキリがない。妖は、自分より大きな妖力には、敏感だ。狸の編みぐるみの姿とはいえ、まさか節美の天狐のような上位にちょっかいをかけるだけの力のある妖は、西都にはいないはずだ。いや、正確には、若干、いるにはいるが、あの方々は、天狐にも、私にも興味の欠片もお持ちではないからな。今、自転車の荷台に括り付けた学生カバンの上に、しれっとポン子ちゃんが座っていて、珍妙なことになっているので、あの小物は、それを見て笑っているだけだろう。


「あの、御使い様、節美のお社の方が、寺に帰るのはまずいんじゃないですか」

「まぁまぁ、細かいことはお気になさらず」

「そうですか」


 編みぐるみが一体くらい、後ろに乗っていても、自転車をこぐのが辛くなるほどの重さにはならないので、それは問題ないが、ぬいぐるみを持って学校に行っている痛い男子高校生と世間に勘違いされそうだ。うちの寺の周辺では勘弁してほしい。


「御使い様、私、ぬいぐるみを持って通学している変な高校生と世間に思われそうなんですが」

「編みぐるみですよ」

「いえ、そこではなくてですね」


 世間に、喜代水寺の次男は不審者だと思われては困ると言いたいが、御使い様のお手製の編みぐるみを否定すると、ご機嫌を損ねてしまう恐れがある。天狐ともなると、確実に天災級の力を持っているから、言葉に気をつけないといけない。難しいもんだな。もう、この際、不審者でいいんじゃないかという結論に達したところに、ポン子ちゃんが、くふりと笑った。


「私の姿は、他の人には見えませんから、ご心配なく」


 先に言えよ。


 御使いといえども、天狐は妖だ。人をからかって、後ろでほくそ笑むという基本的な性質は健在らしい。


 喜代水寺のある五条まで来ると、ポン子ちゃんが、ぱふぱふと私の後頭部を叩いた。叩いたと言っても、編みぐるみなので、全く痛くはない。


「喜代水の末の子、パン屋を見に行きますよ」


 行きましょうか、ではなくて、行きますよ、なんだな。妖が人の都合なんか考えるはずはないが、桜田先輩の具合も気になるので、素直に自転車を桜田ベーカリーのある商店街に向けることにする。


 桜田ベーカリーは、夕方でも、まだ客が多く、忙しそうだ。ポン子ちゃんの言われた通りに桜田家の邸宅の方に自転車をこぐと、門が開いたままになっていた。


「その子はここに置いて、私たちは、庭に忍び込みますよ」


 ぴょんと荷台から飛び降りたポン子ちゃんの指図に従い、自転車を桜田邸の外壁に立てかけて、鍵をかけていると、ポン子ちゃんがさっさと桜田邸に侵入していくのが見えた。慌てて追いかけて声をかけ、編みぐるみを抱き上げた。


「御使い様、勝手に入るのは、不法侵入ですよ」

「まぁまぁ、細かいことはお気になさらず」

「気になるわっ!」


 思わず大きな声が出してしまってから、御使い様の姿が、世間の人には見えないことに気がついた。嘉瑞山の反対側になるこの辺りでは、嘉承一族のような力の強い魔力持ちは住んでいないので、御使い様の隠蔽術に気付く人は、皆無だろう。


「そうそう。喜代水の末の子は、たまに、そういう風に自分を出すと良いですよ」


 非礼を詫びようと姿勢を正すと、ポン子ちゃんの金色の目がにんまりと細められた。狸の編みぐるみなのに、こういう時は、狐っぽく見える。それにしても、さすがは、大社の御使い様だ。私の猫かぶりなんか、とうの昔にバレているようだ。それでも、非礼は詫びないとな。


「大きな声を出して、すみませんでした」

「細かいことは気にしませんよ」


 そして、ポン子ちゃんは、また、くふりと笑ってくれた。寛大な方で助かったと、心の底から神仏に感謝したい気持ちだ。あやうく上位の妖の機嫌を損ねて、西都に天災を齎すところだった。ところが、御使い様は、全く気にする様子もなく、私が大声を出したことをむしろ喜んでくれているように感じた。


「母が亡くなった時に、私は、父に縋りついて泣きじゃくるだけだったんですけど、兄は、葬儀に来てくれた方々にちゃんと挨拶をしたり、お手伝いをして忙しくしていたんです。母が死んでしまったのに、兄は悲しくないのかと、むっとしていました。でも、葬儀の数日後に、兄が母の部屋で、声も出さずに静かに泣いている姿を見てしまったんです」


 もう暗くなっていた時間だったが、電気もつけずに、ぽつんと母の暗い部屋に座って、あのいつも穏やかに笑っている兄が静かに一人で泣いていた。ああ、兄が悲しくないはずがなかった。私が、兄から泣く機会を奪ってしまったから、泣けなかったのだ。今でもあの日のことを思い出すと、兄に土下座したいような衝動にかられてしまう。


 あの日から、私は、兄のように振る舞うようになってしまった。


「でも、あなたは、あの子ではないですからねぇ。貫主も、同じ子が二人いても楽しくはないと思いますけどねぇ」


 男か女か分からない中性的な声で、のんびりと喋る御使いの天狐は、危機感も何もない。その悠然とした態度が、変に作用したのか、今まで誰にも話したことがない話をしてしまった。


「まぁ、細かいことはお気になさらず。さ、パン屋の様子を見に行きますよ」


 数千年生きる神の御使いにとっては、私の生きて来た17年など気にする必要もない瞬く間のような時間なんだろう。でも、そう取ってくれた方がこちらとしても助かる。


 人目を憚る様子を微塵もみせずに、編みぐるみが門をくぐり、さっさと庭の方に向かうのを、慌てて追いかけた。ポン子ちゃんの姿は人には見つからないし、私は見つかっても、一応、桜田家と我が家には長い付き合いがあるので、警察に突き出されることはないだろう。とは、思うものの、親しき仲にも礼儀は大事だ。誰もいないが、とりあえず挨拶はしておこう。


「こんにちは。お邪魔します」


 桜田邸の庭は、今日も見事だった。刈られたばかりの草木の匂いが鼻腔をくすぐる。二条家ほどの広さや豪華さはないが、青々をした芝生が広がり、家から見えるところに、開花時期の異なる草花を植えて、常に何か楽しめるように工夫しているらしい。帝国の伝統的な庭園というよりも、どこか異国情緒のある庭には、帝国にはない草花が植えられているようだ。ポン子ちゃんが、しれっと四阿あずまやに座り込んだので、私もその横に腰を下ろす。


「綺麗なお庭ですね」

「そうですねぇ。英吉利えげれすまで勉強に行ってましたからねぇ」

「誰がです?御使い様は、ここの庭師をご存知なんですか」


 私が、質問をすると、ポン子ちゃんの目は、元の黒色に戻ってしまった。答えるつもりはないということか。


 せっかく来たのに、庭を楽しんで帰るだけ、というのも違う気がして、美和子先輩の様子を訊くため、玄関に向かおうと立ち上がった私の背中に、鋭い声が飛んできた。


「そこを動くなっ」


 声のした方に振り返ると、作務衣姿の若い男だった。くだんの庭師かと思ったが、それにしては年齢が若いようにも思う。


「私は、桜田先輩の部活の後輩です。先輩の様子を伺いに来たんですけど、お庭が素晴らしいので、拝見させてもらっていまして・・・」

「ウソをつくな。お前が、どうやって、見るんだよ」


 まぁ、普通は、そう思うよな。


「私は、本当に桜田先輩の後輩なんです。それは、先輩か、桜田のおばさんに確認をお願いします。それと、お庭を拝見というのは、言葉のあやでして、実際は、刈られたばかりの芝生や、切りそろえられた前栽や、庭の草花の香りを楽しんでいました」


 本当は、魔力を使って視ているというのが正しいが、そこまで言う必要はないだろう。私が、公達学園高等科の制服を着ていることに気がついたのか、男が、少し、居心地悪そうに身じろぎした。


「そうか。その、すまん。馬鹿にしたわけじゃなくてな。また、不審者が入り込んで、庭で悪さしているのかと思って、ついカッとなって・・・本当にごめんな」

「いえ、細かいことはお気になさらず」


 そう言ってから気がついた。

 どうやら、私は節美の天狐に、かなり影響されているらしい。

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