第9話

 狸のポン子ちゃんは、また、ぷかぷかと浮きながら、私の後ろを付いてくることにしたようだ。この編みぐるみは、御使い様の「目」の役割をしているのではないかと思う。何の目的で、神の御使いでもある高位の妖が、私の周りを視ているのかは分からないが、それこそ、いつも父が言うように、人とは異なる理の世界で生きている存在のご意思を、ただ人が推し量ることは不可能だ。


「ぶふっ」


 いきなり、嘉承頼子が吹き出し、大笑いを始めた。


 あれから、放課後に茶室で話をしようということに落ち着き、茶室につどった客のために茶を点てていると、嘉承頼子の名家の姫とは思えない大笑いが響いた。


 今更なので、怒る気もないが、今日も響子は私に亭主役を押し付けた。亭主のサポートをする半東はんとうを務めてくれるのなら問題はないが、いつもちゃっかりと客になるのが東久迩響子という質の悪い姫だ。


 正客しょうきゃくは、私と一番関係が深くて年長者の時影兄様、正客と一緒に現れたので相客あいきゃくともいえるが、次客じきゃくが嘉承頼子で、末客まっきゃくが東久迩響子。今日は三人娘がいないんだから、手伝えよな。


「ごめんなさい、薫さん。でも、あの鹿威し、壊れているのではなくて?」

「後ろに狸の人形を浮かべた亭主の文福が、真顔でお茶を点てているだけに、あの音は反則だな」


 頼子の言葉に、時影兄様も同意するが、兄様はいつも無表情なので、問題ないんじゃないか。


「あの鹿威し、この茶室を造ってもらったときに、一緒に設えてもらったんです。どこにでもある普通のものなのに、何であんなトボけた音になるのか、全く分かりませんのよ」


 響子が苦笑いをしながら、二人に説明をしている間に、さっさと茶を用意してしまおう。時影兄様も、頼子姫も、茶道の心得はないと言いながら、その所作には全く躊躇いが無い。


 これが公家の子女の多い公達学園の茶道部の抱える問題だ。皆、茶席がどう進行されるかは、子供の頃から、見知って、十分に経験を積んでいるので、実社会で招待を受けても全く問題がない。今更、学校の部活動で練習しなくても、というわけだ。


 華道部も、人気のない部活動だが、それでも、家に花を飾るというのは、日々の生活に潤いを与えるし、師について練習するほどに腕もセンスも磨かれていくので、地味ながら、毎年、最低限の部員数をキープできている。ましてや、あの結束の固い六条院グループが華道部の中心メンバーなので、当分は安泰だろう。


 その六条院グループの話をするために、西都大学から、時影兄様に来てもらったが、今、兄様は、頼子姫とともに、私が点てたお茶を楽しんでいる。今日の菓子は、稲荷屋の唐衣からころもという名のついた小さく丸めた餡を紫と白の求肥の皮でくるんだ可愛らしいものだ。上部にちょこんと杜若かきつばたの焼き印が入っている。「唐衣、着つつなれにし」という有名な歌を詠んだ、南条侯爵家に所縁のある、臣籍降下した某宮家の色男にちなんだお菓子だそうで、帝国では、桜餅や鶯餅の後に出回る春のお菓子だ。


 ちなみに似たような時期に開花する藤の花は、旧い公家の家紋で使われていることが多いため、西都では避けられる。特注品ではよく使われるのは、藤の花だが、一般に店頭に出回るこの季節のお菓子は杜若や菖蒲などが多い。


「あら、可憐なお菓子ね。これは菖蒲かしら」


 嘉承頼子が、菓子皿を持ち上げ、嬉しそうに言った。こういう姿は、いつもの将軍様オーラが消えて、それなりに、公家の姫らしく見える。


「唐衣という名前のついたお菓子なので、杜若ですね。名前がないと、私も菖蒲かと思いますけど。菖蒲といえば、二条の歌会には、姫は出席されるんですか」


 この時期になると、菖蒲と藤の花で紫色に染まる帝国一の庭園を持つ二条侯爵家が歌会を催す。これは千年以上の歴史を持つ格式の高い行事で、公家の中でもこの歌会に招待されることは、名誉とされている。遷都後の150年ほどは、皇帝や皇后の参加が少なくなっていたが、それでも、東宮は必ず、皇帝の代理として参加するため、帝都の貴族もこぞって参加する。


「薫さん、わたくしは嘉承でしてよ」


 私の質問に、頼子姫が伝家の宝刀を持ちだした。歌会の中心は、主催者の二条侯爵家、そして、その主君にあたる瑞祥公爵家と、最側近の一条侯爵家だ。この三家に風雅なことで勝てる家はいない。嘉承公爵家とその側近の四侯爵家は、どちらかというと、荒事が得意で、いつもと戦っている・・・らしい。


 西都では、ありとあらゆることに「嘉承ですから」という摩訶不思議な言い訳が成り立ってしまう。つまり、頼子姫は、歌を詠むのは苦手なので、参加しないということか。


「嘉承一族で、二条の歌会に参加するのは、南条侯爵家くらいだな。その南条も、女性の参加者が少ないと参加しないくらいだ」


 ・・・南条侯爵家、目的意識が明確過ぎる。


「薫さんは、参加されますの?」

「いえ、私は次男で寺を継ぐ立場なので、そういう社交ごとは、伯父と兄が請け負うんです」


 兄は、私と同じで、見た目はポンポコ狸だが、あれでなかなかに雅なところがあって、歌も詠むのが上手いし、楽器も得意だ。爵位を引き継いだ伯父には子供がいないので、いずれは兄が養子縁組して、伯爵家を継ぐことになる。そのため、うちでは、社交は全て伯父と兄が引き受けることになっている。


「わたくしは参加するんですけど、十和子お姉様のところに一人で近づくのは、闇落ち間近という御使い様のお言葉の後では、不安ですわ」


 普段、強気な響子だが、決して自分を過大評価しないところは流石だと思う。闇落ちしていないのであれば、まだチャンスはあるが、いつ完全に闇落ちするか分からない。そうなると、我々の手には負えなくなってしまう。そんな相手なら、下手に足手まといになるよりも、最初から、嘉承公爵家に委ねた方が賢明だ。


「そうなんだがな、大姫。普段、寄り付きもしない嘉承公爵家の大姫が、北条の私と出たら、余計な耳目を集めてしまうことになる。西都の公家だけの集まりなら、嘉承の殿にお願いして、出席者の口を閉ざすことが出来るが、あれだけの大きな歌会になると、帝都からも貴族が押し寄せるからな。我々の目的は、まだ生霊レベルで踏みとどまっている魔力持ちを諭して、正気を取り戻させることだから、後々、彼女や、その家族が生きづらくなるような状況は避けた方が良いかと思う」


 時影兄様の言う通りだ。闇落ちが出た家は、魔力持ちは全員、魔力器官を潰され、爵位剥奪。事実上のお取り潰しになり、その後は、世間の白い目や、罵詈雑言に耐え暮らしていくという生き地獄になる。ましてや、六条院家のような領地を持たない旧宮家では、経済的にも困窮するだろう。


「それにしても、あの六条院家の十和子お姉様が生霊の正体なんて、にわかには信じられませんわね。お姉様は、水の魔力をお持ちですから、ここだけの話、うちのちい兄様の婚約者にと、一条侯爵家が強力に推している方なんですの」

「まぁ。こんな事情がなければ、諸手を挙げて祝福したいお相手ではありますわね」


 ちい兄様というのは、頼子姫の次兄の瑞祥彰人先輩のことだ。確かに、公家文化の頂点に君臨する瑞祥公爵家の次期当主のお相手となると、並大抵の姫には務まらないだろう。そういう点では、魔力的にも、家柄、美貌、教養、頭脳、何をとっても、六条院先輩なら、響子の言う通り、申し分のないお相手だ。こんな事情がなければ、という条件がついてしまうが。


「いや、六条院の大姫は、彰ちゃんの好みではないらしい。ここだけの話、敦ちゃんから教えてもらったんだが、彰ちゃんは、昔から、三条の姫が好みらしい」


「「三条の菖蒲あやめお姉様!」」


 二人の姫の声が重なった。にまにましながら、「どういうことですの」「もっと詳しく」と時影兄様に詰め寄ろうとする二人だったが、ここは、一応、茶席だ。それなりに振る舞ってもらいたい。


「こほん!」


 咳ばらいをして、三人の注意を引き戻した。


「ああ、薫さん、ごめんなさい。これ、瑞祥の領地のお茶ですわね。学生のお稽古なのに、良い等級のお茶をお使いになっているのね。薫さんの点て方がお上手だからかしら」


 驚いた。頼子姫は、節美の御使いも恐れる魔王の系譜の姫なのに、お茶の味が分かるらしい。東久迩響子からは聞いたことがない感想だ。


「ええ、彰人先輩の差し入れの特級のお茶なんですよ」

「そう、その彰人先輩ですわ。彰人先輩は、三条の大姫様がお好みなんですの。素敵ですわ。三条のお姉様は、華やかで、賢くて、お優しくて、私、小さい時から憧れておりますの」


 東久迩響子が、興奮したように、両頬に手を当ててまくし立てた。だから、せっかく私が軌道修正しようとしたのに、話を恋バナに戻すな。


「姫、ここだけの話、ということで、お願いする。つい口が滑ってしまった。文福にお茶に毒を盛られる前に、話を六条院の大姫に戻そうか」


 時影兄様が、私の意を正しく汲んで、隣で盛り上がっている頼子姫と響子姫を抑えてくれた。あの二人を抑えるとは、兄様は、サーカスで猛獣使いのアルバイトが出来るんじゃないだろうか。私の呆れた視線を避けるように、二人の姫が例の檜扇を取り出して、おほほほと笑いながら、居ずまいを正した。


「問題は、六条院の大姫と桜田先輩との接点なんですよ。学年は同じでも、旧宮家の姫と、中等科から入学して来られた先輩に、どういう接点があるのか」

「ああ、薫さん、それは、生徒会よ。十和子お姉様は、生徒会長で、華道部の部長だし、美和子先輩は茶道部の部長だから、部の予算とか、そういった会議で一緒になることはあったと思うわ」


 そうか。そう言われれば、そうだな。六条院先輩も、茶道部の窮状をよくご存知のようだったし。


「それでも生徒会の会議くらいの接点で、あの六条院の大姫が生霊になるなんて考えられないわね」

「他に何かあったのは間違いないようだな」


 うーんと四人で考え込んでいるところに、カクゥォーンヌゥという間抜けた音が茶室に響いた。あの鹿威し、部員が増えて部の予算が潤沢になったら、絶対に取り替える。


 真剣に考えていたところに、とぼけた横やりが入ったので、茶室の空気が緩んだ。


「もう。全く分かりませんわ」


 東久迩響子が、諦めたように肩をすくめると、私の後ろでご陽気にぷかぷかと浮いていた狸のポン子ちゃんが、畳の上に降りて来た。目は、黒い毛糸から、金の天狐の目に変わっている。


「いやですねぇ。人が堕ちる理由なんて、簡単じゃないですか。古今東西、どんな善人だろうが、金や色恋が絡むと、とんでもなく人が変わってしまうものですよ。佳人も鬼になりますし」

「金や色恋ですか」

「ええ、もしくは、その両方」

「なるほど。勉強になります」


 私が頭を下げると、狸のポン子ちゃんの中にいる天狐が、楽しそうにくふりと笑った。


「お社で千年ほど、宇迦様と一緒に参拝に来る人の子たちを観察しておりますからね」


 確かに、人間観察を千年以上もやっている存在の言葉は重い。


「御使い様、この度は、本当にありがとうございます。父に頼んで御礼の品を用意してもらって、家令とお社に伺いますので」

「いえいえいえいえっ!何を仰りますやら。うちのお社に、魔王様に来て頂いては困ります。ましてや、お宅の家人だけは、絶対の絶対にっ。連れて来ないでくださいねっ!」


 嘉承頼子が頭を下げてお礼を言うと、狸のポン子ちゃんの手足が焦ったようにパタパタと高速で動いた。嘉承公爵家は、節美のお稲荷様公認の魔王の棲む家らしい。


「あ、でも、何か頂けるんなら、宇迦様のお好きな、嘉承の御領地のお酒でお願いします」


 お礼は嘉承の領地で造る酒がいいのか。ちゃっかりしているというか、古いお社の御使いともなると、何でも知っているんだな。


「はい。かしこまりました。嘉承のお酒をご用意して、稲荷屋さんに頼んでお社に届けてもらうようにします」

「あ、それ。それがいいですね。そうしてください」


 訝し気な頼子姫の言葉に、ポン子ちゃんがこくこくと頷いた。そして、すぐに、また金色の目が毛糸の黒い目に戻り、私の後ろに戻って行った。何だか、やけに人間臭い妖だな。時影兄様よりも、よっぽど表情が豊かで、コミュニケーション能力があるんじゃないか。


「文福、お前、今、何か失礼なことを考えているんじゃないか」

「いえ、とんでもない。寺で生まれ育った私には、金も色恋の問題も難しいなと思っただけですよ」


 時影兄様の不意打ちに、ぎくりとしながらも、何とかごまかすと、響子が口を挟んでくれた。こういう時はありがたい。


「ということは、やっぱり色恋かしら?」

「お金じゃありませんの?美和子先輩の叔父様が、強引な土地買収をしているという話だったでしょう」

「でも、十和子お姉様の六条院の家も、わたくしの東久迩家と同じで領地を持たない旧宮家ですわよ」


 鬼姫達の会話に時影兄様が加わった。勇者か。


「領地とまではいかなくとも、何かしらの土地を持っていたということもあるんじゃないか。英喜ひできに頼んで、桜田と六条院の両方の裏を調べてもらうか」


 英喜というのは、西条侯爵家の次期当主で、頼子姫の長兄の嘉承敦人の側近だ。西条侯爵家は、代々、嘉承一族の中で隠密行動を得意としている変わった公家だ。うちの兄も似たようなところがあるが、西条先輩のそれは、もはや天賦の才といえる特技で、人当たりの良さを前面に押し出し、色んな話を聞き出す達人だ。体形に恵まれた大柄な嘉承一族の中にあって、西条家は、皆、比較的、細身で小柄な人が多いせいか、警戒心を相手に与えにくいというのもある。嘉承一族の中では、脳筋の東条家が一番ヤバいと世間では言われているが、本当にヤバいのは西条というのが事情通の見解だ。これは、もちろん、西条ほどではないが、やけに事情通なうちの兄からの情報だ。


「お願いします。時影兄様」

「両家ともに、西都では知られた家だから、西条だったら、ものの数日で全て調べてくるはずだ。その前に、二条の歌会があるが、文福、ちょっと参加して六条院の姫に接触してくれないか」


 時影兄様の思いがけない提案に、「無理です!」と脊髄反射で答えたが、闇落ち間近という緊急事態の前では、どんな言い訳も通用しなかった。


 そして、私は、時影兄様と嘉承頼子の口利きで、二条歌会の野点要員という名目で、帝国で一番盛況な歌会に参加することになった。ちなみに、頼子と響子は、半東をするという。どうにも当てになりそうにない手伝い役だが、仕方がない。


 ちょっとげっそりとした私の後ろで、狸のポン子ちゃんも嬉しそうに宣言した。


「それじゃあ、私も行きましょうかねぇ」



 ・・・何でだよっ。

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