第8話

 眠い!


 あれから何時間もかけて、父と兄と三人がかりで曾祖父の残した記録を探したが、ヒントになるような記述は何も見つからなかった。


 ふあぁあああ。大欠伸をしているところに、背中に馴染みがあり過ぎる魔力を乗せた視線が刺さった。


「薫さん、何ですの、それは」


 振り向かなくとも、誰だか分かる。


「おはようございます、東久迩の大姫。昨日はあれから、父と兄と蔵にある祖父の日記や、寺の訪問者の記録なんかを調べていたら、明け方近くになってしまって。今日は、寝不足なんです」

「そうでしたの。それはお疲れ様です。でも、わたくしが気になるのは、薫さんではなくて、後ろなんですけど」

「後ろ?」


 くるりと振り返ってみたが、何も変わったことはない。


「私の後ろが何か?」

「薫さんの後ろに、狸の編みぐるみのようなものが浮かんでいますわよ」


 狸の編みぐるみ!


 やられた、天狐に押し付けられた、お手製のぬいぐるみのポン子ちゃんだ。今朝、起きたら消えていたから、天狐の気まぐれだと思っていたのに、私の後ろに引っ付いていたのか。どうりで、今朝、父と兄の二人がにやにやとしながら送り出してくれたはずだ。


 節美の天狐はともかく、まさか、身内までも全く油断ならないとは、どういうことなんだ。


「薫さんの動きに合わせて、その子も動いて、薫さんの目には入らないようにしているのかしら」


 別に目の前にいても、目には入らないがな。視える私の後ろを完全に気配を消して憑いて来るとは、さすが高位の妖。御使いも伊達じゃないということか。


 寝不足による疲労感で、ダラダラしていたが、感覚を少し鋭敏にすると、確かに何かが後ろに浮いているような気配がある。


「流石の高位ですね。気配は掴めたんですが、ちゃんと視えないです」

「ですから、何ですの、その子」


 そう言いながら、東久迩響子が私の後方に浮かんでいる代物に手を出すと、バチッと静電気のようなものが走った。


「痛っ」

「大丈夫ですか」


 瞬間的に素早くジャンプで後退した響子が、手を摩りながら答えた。動きが宮家の姫じゃないだろう。どこの忍びの者だ、お前は。


「静電気と同じですわ。痛かったですけど、一瞬だけです」


 つまり、触れるな、ということか。響子は不服そうだが、神も、その御使いも気まぐれで、人の子が、そのご意思をはかり知ることは不可能だ。


「何故かは分からないんですが、昨日、節美の御使い様が、うちにお出でになって、この子を貸して下さると仰って、私に押し付けてお帰りになったんですよ。ちなみに御使い様のお手製だそうです。編みぐるみというんですね。確かに毛糸で編んでありますね」


 せっせと編み針を動かして編みぐるみを作っている白い狐の姿を想像して、思わず顔がにやけてしまったのか、響子がぶすっと不満げに私の後ろを睨んでいるのが分かった。頼むから、魔力を乗せて睨まないでくれよ。静電気だけでは済まなくなるかもしれないからな。


 二人で、通学してくる生徒達の邪魔にならないように、廊下の端で話をしていたが、東久迩響子は、後輩の女子達に人気があるので、次々に挨拶をしてくる生徒達に、巨大な猫を被って挨拶をするので、全然、話が進まない。放課後に、茶室で話をするか、と思ったところに、十人ほどの華やかな生徒たちのグループが現れた。


 あれは、生徒会だ。


「ごきげんよう、東久迩の大姫、薫さん」


 生徒会長の六条院十和子ろくじょういんとわこ先輩が、いかにも旧宮家の姫といった佇まいで、挨拶をしてくれた。


「おはようございます、六条院の大姫」

「ごきげんよう、十和子お姉様」


 生徒会の役員は、全員が三年生なので、この五月の総選挙で、新たな役員が選ばれることになる。普通は、書記や会計に二年生や一年生がいて、経験者が会長や副会長にスライドするはずなのだが、今年の役員は、全員が三年生なので、総入れ替わりということで、私達の学年では、なかなかに熱心な選挙活動が行われている。


 そして、新会長の最有力候補が、全校の女生徒達の圧倒的な支持を得て立候補している嘉承頼子だ。ちなみに、嘉承頼子は、自分が当選したら、副会長には東久迩響子を据えると宣言しているので、完全な恐怖政治の始まりになる。


 そんな動きが裏にあって、響子は、高等科に入学した時から、茶道部を私に押し付けているというわけだ。


「御二人とも、茶道部の新入部員の勧誘は進んでいるのかしら。本当に心苦しいのだけど、こればかりは、学園内の決まり事ですから、特別扱いはできないの」


 六条院先輩は、静かに長い睫毛を伏せて、申し訳なさそうに仰った。


 これだ。見たか、東久迩響子。これが旧宮家の、真の姫の在りようじゃないのか。


 六条院先輩は、絵にかいたような才色兼備の優等生だ。表面的には、東久迩響子も、嘉承頼子も、この部類に入るが、あくまで、それは表面上の話だ。実際は、こいつらは、超がつくほどの武闘派なので、幼稚舎から一緒にいる男子生徒達にとっては恐怖の対象でしかない。


「ご心配ありがとうございます。何とか部員を増やす手立てを、薫さんが考えてくれていますので、大丈夫ですわ。最終手段もございますし」


 丸投げかよ。茶道部の最終手段は、卒業した瑞祥先輩に泣きついて、女子部員を増やすか、稲荷屋の茶菓子で、食い意地の張ったヤツを捕まえるという、身も蓋もない作戦だ。頼むから、この優美な生徒会長にはバラすなよ。めちゃくちゃ恥ずかしいから。


「まぁ、そうでしたの。期待していましてよ、薫さん。でも、本当に難しい時は、相談してくださいな。華道部との合併という案もありますからね」


 茶道部と同じくらい人気のない華道部だが、実は、この六条院先輩が部長をしていて、今のところ、廃部の危機はない。才色兼備で人望もある先輩には、幼稚舎や初等科の頃からの取り巻きがいるので、そのおかげで、部員数も、常に二桁のラインを保っているというわけだ。


 それに比べて、東久迩響子のファンは、あの元気な三人娘だけという、切なすぎる現実。


「薫さん、あなた、何か失礼なことを考えているのではなくて」

「いえ、全く、何のことやら」


 無駄に察しのいい響子に、いつものように返すと、六条院先輩が、微笑んだ。


「御二人は、いつも本当に、仲がよろしいのね。響子姫が生徒会の副会長になったら、薫さんも生徒会にお入りになるのかしら」


 誤解だ。こんな鬼女と仲が良いと思われては、私が十七年かけて築き上げた「人畜無害」の評判に関わる。


「いえ、そんなことは・・・」

「はい。その予定です。薫さんは、嘉承の大姫のお気に入りなので!」


 は?


 私が否定するよりも早く、東久迩響子が言い切った。いつから、私があの嘉承頼子のお気に入りになった。絶対に、生徒会で茶坊主扱いする気だろう。


「あら、そうなの。嘉承の大姫と、東久迩の大姫と、薫さんの三人が生徒会を運営してくれるのなら、わたくし達は、安心して引退できるわね」


 六条院先輩が、周りの取り巻きを振り返ると、全員が、「頼もしい限りですわ」「生徒会も安泰ですよ」などと次々に同意した。さすがは、六条院の大姫グループ、幼稚舎のころから十年以上も取り巻いているせいか、統率もばっちりだ。


 頼子と響子の茶坊主にはなる気は、さらさら無いが、西都では、三条家の大姫と並んで、西都の姫はかくありき、と評判の六条院の大姫に褒められるのは悪い気がしない。ただ、ここで、下手に御礼を述べると、東久迩響子に「あの時、薫さんが同意した」等と言われかねないので、何も言わずに、頭だけ下げることにしておく。


「あら、もう授業が始まるわね。それでは、わたくし達は、お先に失礼するわね。ごきげんよう」


 六条院の大姫が、そう言って足早に去ると、その取り巻き、またの名を生徒会の役員たちも、次々に「ごきげんよう」と挨拶をして大姫の後を追った。


「そんなに慌てなくても、まだ、30分くらいはあるんじゃないかしら」

「優等生は、何事も30分前行動が基本なのでは」

「まぁ。それは、ちょっと大変そうですわねぇ」


 急に人がいなくなった廊下で、響子と首を傾げていると、後ろに強大な魔力を感じた。振り返らなくても、この魔力は、嘉承公爵家の烈火の姫こと、頼子だ。


「ごきげんよう。薫さん、その後ろで浮いている、おかしな代物はなんですの?」


 そして、やっぱり、今日も藪をつつくことなく、ストレートに攻めて来る。


「ごきげんよう、嘉承の大姫。昨晩、節美様の御使い様からお預かりした、狸のポン子ちゃんですよ」


 私が答えると、からからと楽しそうに笑った。


「狸を狐から預かるなんて、面白いわね」


 そう言いながら、狸のポン子ちゃんに手を伸ばした。


「姫、危ないですから・・・」


 響子のように、静電気に当たると思い、急いで注意をしようとしたが、それよりも早く頼子姫の手がポン子ちゃんを掴んだ。


「あら、編みぐるみなのね。よく出来ていること。これ、何の意味がありますの?」


 驚く私と響子の前で、頼子が面白そうにポン子ちゃんを抱き上げた。頼子の質問に、響子が答えられるはずもなく、私の方を見たが、私だって、意味が分からない。


 そもそも、何で狐が狸の編みぐるみを作っているのか。ましてや、何で、それが私の後ろでぷかぷかと浮いているのか。


 そして何より分からないのが、もう一つ。


「あら、そう言えば、六条院の十和子お姉様と、取り巻きの皆さんには、ポン子ちゃんは、見えていなかったのかしら」


 それだ。六条院先輩も、生徒会の先輩方も、誰も、ポン子ちゃんのことを言わなかった。普通なら、頼子のように、何かと訊ねてくるのではないのか。


「奥ゆかしい方だから、あえて薫さんに恥をかかせないように言及しなかったのかしら」

「いや、それにしては、皆さん、平然とし過ぎでしたよ。ちょっとでも、にやにやしているのであれば、分かりますけど」


 私と響子の会話を聞いて、頼子がポン子ちゃんを腕に抱えたまま、柳眉を寄せた。


「それよりも、この臭いは何ですの?」

「匂い?」


 私と響子が首を傾げると、頼子が呆れたように言った。


「ウソでしょう。こんなひどいのに、二人とも気づいていないの?淀んだ溝川のような、饐えた臭いね」


 淀んだ溝川。頼子の口から出て来た例えに、昨日、対峙した生霊が思い浮かんだ。響子も瞠目して、私の方を見た。


「薫さん、どういうこと?もしかして、昨日の、薫さんが捕まえ損ねた生霊は、六条院のお姉様に関係があるということなのかしら」


 捕まえ損ねたと、あえて傷に塩を塗らなくてもいいとは思うが、まさにその通りなので仕方がない。


「まだ分かりませんが、手掛かりなのかもしれません。嘉承の大姫、ポン子ちゃんを渡してもらえますか」

「ええ、どうぞ」


 嘉承頼子も、桜田先輩や、私の兄と同じように、丁寧に私の手を取って、ポン子ちゃんを渡してくれた。超武闘派の割に、こういうところは、意外に細やかな気配りができる姫のようだ。


「御使い様、人形のふりをしている場合ではないです。六条院の大姫が、今回の生霊や、悪夢の呪いと関係があるんですか」


 目がちょっと離れて、間抜けた顔の狸のポン子ちゃんは、今は完全に人形にしか見えない。


「御使い様!」

「ぷはぁ。ああ、臭かった。いやですねぇ。あんなもの凄い瘴気を出して」


 私が再度、呼びかけると、狸のポン子ちゃんが反応した。御使い様は、西都では節美稲荷大社で奉られている宇迦之御霊大神様の眷属なので、穢れをお嫌いになる。


「六条院の大姫が、桜田先輩に憑りついていた生霊なんですか」

「さぁ。私に訊かれても、人の子は皆、同じですから、誰が誰かまでは、分かりませんよ。でも、いつもパンと清酒を持ってきてくれる家の子に悪さをしていたのは、あの水の魔力の子ですねぇ。水は、淀んでしまうと、すぐに腐りますから、早く浄化した方が良いですよ。」


 くふくふと笑う狸のポン子ちゃん。その声は、間違いなく、昨日の天狐のものだ。


「御使い様、東久迩家の長女、響子と申します。突然、話しかける御無礼をお許しください。先ほど、その水の魔力の人の子と、取り巻きの集団には、御使い様が見えていないようでしたが、それは、全員が、その可憐な御姿を拝見できないほどに、穢れに染まっているということなのでしょうか」


 東久迩響子は、育ちはいいが、嘘つきだ。編みぐるみの狸のポン子のどこらへんをどう見れば、可憐な御姿という表現になるのか分からない。


 頼子の腕から抜け出して、ぷかぷかと宙に浮かんだポン子ちゃんが、響子の言葉に反応して、ふっと私達に視線を向ける。毛糸で編まれた黒い目が、金色になっていた。また、くふりと楽しそうに笑う姿に、ぞわりと鳥肌が立つ。高位の妖の強大な妖力。私では、確実に相手にもならない、絶対強者だ。


「あんな闇落ち間近な穢れたものの近くにおりますと、宇迦様に叱られますからねぇ。一時、避難していたんですよ」


 闇落ち間近。全く気がつかなかった。六条院の大姫の魔力はそこまで強くなかったはずだ。私や、制御が得意で気配に敏い響子が気がつかないということがありうるんだろうか。


「あの、御使い様、先ほど、わたくしが、ポン子ちゃんに手を出しましたら、静電気で罰せられましたのに、ここにいる嘉承家の長女、頼子には、何もなかったのは何故か、伺ってもよろしいでしょうか」


 東久迩響子、この緊急事態に、その質問は何だよ。


「あの、もしや、わたくしも穢れているのでしょうか」


 恐る恐る御使い様に尋ねる響子に、「そこかよ」と突っ込みたくなる。確かに響子は昔から質が悪いから、多少は穢れを背負っているかもしれないな。もう手遅れじゃないのか。


「ああ、そうではなくて、わたしも、魔王の家の子には、それなりに忖度をしませんと、身の危険を感じますのでねぇ」


 ぷかぷかと浮かぶ狸の編みぐるみが、くふりと天狐の声で自嘲気味に笑った。一瞬、思考が止まった私達三人の頭上の遥かに高いところで、五月晴れを喜ぶように雲雀がのどかに歌っていた。



 ・・・神の御使いが忖度していいのかよ。


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