第6話

 話を聞くと、河童の呪いが移る。伝染性のある河童の呪いなんて、そんな荒唐無稽な話を、美和子先輩と桜田夫人は、どうして、頑なに信じて、ここまで怯えているのか。全くもって、理解に苦しむ。


「呪いの伝染なんて、そんなこと、ありえますの?」

「そうですわねぇ、あるとしたら、よくある末代まで呪ってやる、みたいな話かしら。例えば、うちのご先祖は、人も人外も入り混じって、色んなところから呪いを受けていたそうで、その対象者は、迷惑なことに、嘉承一族全体ですのよ」


 二人の姫が上品に、何やら不穏な会話をし始めた。人と人外から家ごと呪われて、何でけろっとしているんだよ、嘉承頼子。それだと、自分も対象者になるだろう。それに、末代まで呪われる話なんて、話じゃないからな。


「頼子姫、そこに嘉承のような例外中の例外を持ってこられると、話が続かなくなるから」


 さすがの時影兄様も、たまらず突っ込んだ。


 時影兄様の話によると、呪いを移すというのは可能なようだ。


「先ほどの頼子姫の話のように、対象者の範囲を広げることは可能ではあるんです。ただ、そういうことが出来る術者は、限られていますし、それこそ命懸けになりますから、成功する可能性は低いです。ましてや、嘉承家のような時代をいくつも経ても続くような呪いとなると、特級の妖や、超上位の魔力持ちレベルの力がないと、一時いっとき、呪いが発動したところで、そう長く続くものではないし、呪い自体も不完全で、直ぐに消えるものなのですよ」


 時影兄様は、無表情で淡々と話しをするので、女性と子供には怖がられることが多いが、こういう事態では、話に信憑性を持たせるようで、応接室にいた全員が、真剣に話を聞いていた。


「そうなると、河童の呪いというのは考えにくいんですよ」


 時影兄様の言葉に、私と頼子姫は頷いたが、響子は、不思議そうにしていた。


「あら、どうしてですの?」

「河童には、そんな妖力がないからですよ」


 兄様の言葉に、嘉承頼子が微笑みながら、響子の方を向いた。


「嫌ですわ、響子、河童でしてよ。せめて九尾の狐くらいの力を使ってもらわないと、呪いなんて効きませんわよ」


 九尾の狐は、特級、傾国レベルの大妖だ。「せめて」なんて言葉と一緒に表現する存在ではない。そもそものところで、あの物騒な姫の生家と、西都の一般家庭の憂いを同列で考えるのは、害虫退治に原子爆弾を使うようなレベルで間違っている。


「頼ちゃんは、ちょっと黙っていようか。今は、呪いの話だからね」


 時影兄様が珍しく表情らしきものを顔に浮かべて、頼子姫を内輪の集まりの時のように、頼ちゃんと呼んで注意をした。


「あら、おほほほ」と、二人の姫は檜扇を開いて、口元を隠しで上品に笑った。まったく、いつもコレだ。西都の姫達は、爵位・老若問わず、皆、都合が悪くなると、檜扇を開いて笑う。公卿は、そこを突っ込んではいけないという古からの慣習だ。納得がいかない。


「ちょっと話が逸れてしまいましたが、美和子先輩が仰った、呪いが移るというのは、どういう感じなんでしょう。話を聞いた者が美和子先輩と同じ呪いを受けるということですか」


 私の質問に、美和子先輩は、母親の方を見た。桜田夫人は、言いたいようだが、娘の手前、逡巡しているようだ。


「先輩、お気持ちは有難いです。でも、私は、血筋的にというか、魔力的には、これでも火なので、呪いは受けにくい体質なんです。受けても父に祓ってもらえますから、どうぞお気になさらずに」

「それは、私も同じだな」

「わたくしも」


 頼子姫と時影先輩は、真っ当な火の魔力持ちで、私は異端ではあるが、一応、火の魔力持ちだ。火は、四つの魔力の中で、一番、呪いを受けにくいと言われている。


「あら、わたくし、土ですから、ダメなのかしら。でも、最悪は、頼子の家に行って嘉承公爵閣下に、焼いてもらえばいい話じゃありませんの?」


 響子は、桜田親子を心配させないように、気軽な感じで言うが、土の魔力は、吸収性という側面を持つので、確かに、呪いの内容が分からない以上は、不安が残る。


「それなら、こうしませんか。先ずは、呪いが移るという部分の説明だけしてください。要は、その呪いの中身というか、具体的な話を聞かない限りは移らないわけでしょう。念のため、響子姫には、頼子姫の火を纏ってもらえば安心です」


 嘉承の【烈火】の姫の魔力を突き破り、発動するような呪いなんか、そうはないだろう。そんな強力なものなら、先輩は、とっくに絶命しているはずだ。私の提案に、先輩が渋々ながらも同意してくれた。


「皆さん、ご迷惑をかけてすみません。それから、本当にありがとうございます」


 桜田夫人が、目に涙を浮かべて頭を下げた。美和子先輩のことが心配なんだろう。そんな母の想いを無碍にするような先輩ではない。


「お話します。でも、本当に気をつけてくださいね」


 桜田先輩が、不安そうに、それでも、持ち前の誠実さと慎重さで、語ってくれたところによると、それは3か月前に始まったという。


 桜田ベーカリーは、駅前の商店街の一番端、住宅街との境にある。角地を利用した小さいながらも明るい店で、地元では、美味しいパン屋として人気がある。美和子の祖父の代から学園の給食にパンを納める仕事を始め、収入が安定したのを機に、父の代で、事業拡張を始めた。それは主に、父の弟である叔父によって推進され、順調に桜田ベーカリーは業績を伸ばしていった。叔父は、職人肌で信心深い父や兄と異なり、母親に似たのか、饒舌で明るく人付き合いの上手い男だった。


 叔父は、家業には興味がないと、大学を卒業すると直ぐに大手の不動産会社に就職し、西都に戻って来ることはなかった。


 ところが、美和子が西都公達学園の中等科に上がった頃に、ふらりと西都に戻ってきて、桜田ベーカリーの事業拡張案を祖父と父に持ちかけてきた。祖父は、過ぎたる野望は身を滅ぼすと一蹴したが、祖母と父がとりなして、金銭的援助はしないという条件で一軒だけなら、と祖父が譲歩した。


 叔父は、そこで諦めることもなく、大手の不動産会社で培った営業力で、さっさと銀行の融資を取り付け、喜代水五条駅前の本店よりも大きな店を西都駅前にオープンさせてしまった。


 桜田ベーカリーは、店こそ小さいが、公達学園の業者として、西都では、かなり知名度がある。在籍中の学生たちだけではなく、父兄や職員、卒業生の数などを考えると、かなりの数の潜在的顧客がいる。ここに目をつけた叔父に商才があることは、当初、反対していた祖父さえも認めざるをえなかった。給食や、購買のパンとして慣れ親しんでいる桜田ベーカリーがカフェを併設した店を西都駅前にオープンさせたと知ると、多くの卒業生が足を運んだ。


「懐かしいなぁ。たまに食べたくなるんだけど、五条まで出向く時間がなくて」


 というのが、西都駅前店の客の感想だった。そして、それが叔父の狙いだった。


 その後、叔父は、その商才を発揮し、どんどん事業を発展させ、美和子が高等科に上がる頃には、業績は、すでに祖父の代よりも10倍を超える大きさになっていた。その手口は、デパートの地下や駅前での出店や、物産展など、稲荷屋ドルチェ・ヴォルぺの二大看板で帝国一の菓子屋になったフォックス・ホールディング社の展開をことごとく真似たもので、元大手不動産会社の営業という経験から、徹底的に立地にこだわった。そして、その頃から、業績と比例するように美和子の父との諍いも増えていった。


 ある日、美和子が聞いたことがないような、父の怒鳴り声が聞こえた。父と叔父の間で、何かかなり激しい口論があったらしい。


「父は、普段は、大人しくて、声を荒げるような人ではないんですが、昔から、お稲荷様関連のことは絶対に譲らないところがありまして」

「えーと、美和子先輩、お稲荷様ですか。河童の話じゃなかったんですか」


 話が違うぞと思い、質問すると、隣にいた響子に、檜扇で膝をぴしりと叩かれた。黙って聞いていろ、ということらしいが、地味に痛い。


「ええ、坊ちゃん。河童ですよ。義弟のあまりに急激な店舗数の増大計画には、私達も、ずっと心配していていました。それは、銀行の借り入れ額が増えているからなんですが、私達は、パン屋だからと、そちらの方は義弟に任せていたんです」


 桜田夫人が説明してくれたが、よく分からない。


「ある日、西都の飲食関係の事業主の集まりがありまして、稲荷屋さんのご主人が、帰りに節美様に参拝に行こうと、うちの主人を誘って下さったんです。そうすると、参拝中に、御使い様が現れて、西国銀行に行って、銀行の融資を調べるようにと仰せになりまして」

「御使い様というと、白い狐ですか」

「その通りです」


 銀行の融資って、節美様も御使い様も、やけに世情に詳しくていらっしゃるな。さすがは、数多の商人たちに崇められているだけの御方ということか。そこまで神が人の子に関与していいのかという疑問はあるが、魔都西都は、何百年、いや、何千年も、そういう事例には事欠かない土地だ。


「節美のお稲荷様が、古い塚を壊してまで店を増やす必要なんかない。足るを知らない者には、これ以上の加護は不要、と仰せになったと御使い様が教えてくださいました」


 なるほど。節美様は、熱心な信徒には、優しいが、全ての神がそうであるように、厳しい方でもある。うちは寺なので、少々、異なるが、足ることを知らないというのは、仏教でいうところの貪瞋痴とんしんちにつながるものがある。三大煩悩のことで、貪が、物欲、金銭欲、名誉欲などの欲をさす。三大煩悩「貪瞋痴」は全ての人が必ず持ち合わせていて、それを細かく分類していくと、除夜の鐘で有名な数の百八つになるというわけだ。つまり、美和子先輩の叔父上の、その煩悩をコントロール出来ていない姿が、目に余ったということか。


「それで、主人が西国銀行に出向いて確認をしたら、店とこの家と土地を担保に融資をしていると言われたんです」

「そのことで、口論になったというわけですか」


 確かに、実弟とはいえ、知らない間に、自分の家や土地が抵当に入れられたとあっては、さすがの温厚な桜田ベーカリーのおじさんも声を荒げたくなるよな。


「ううん、お父さんが怒ったのは、叔父さんが、そんな迷信をビジネスに持ち込むなって言ったからなの。お父さんは、他のことは大らかなんだけど、節美様のことだけは、疑うような発言や悪く言ったりすると、絶対に許さないのよ。絶対によ」


 ・・・お稲荷様の悪口を言わない弟だったら、家と土地は抵当に入れてもいいのか、おじさん。節美様への信徒の愛が重すぎる。


 うちの檀家連中も、その半分でもいいから推してくれたら、修繕費用の心配も減るのにな。いつも絢爛豪華な節美様のお社を思い出すと溜息が出た。


「それで、調べたら、建設中の新規のお店が、昔からある河童塚というのを壊して建てているということも分かったの」


 全てが節美様の御使い様から聞いた通りだったので、先輩一家は、慌てて、節美稲荷大社の宮司に事情を話し、壊した塚のあった場所に、禰宜や巫女も大勢連れて一緒に行ってもらったそうだ。そして、新たな塚を用意し、お祓いをしてもらった。ところが、それについて、弟が、勝手に店の横に塚を立てた、と怒り心頭で家に乗り込んできたそうだ。勝手に兄の家と土地を抵当に入れた口が何を言うかということで、桜田兄弟の仲は、縁を切るという話にまで悪化してしまった。


 そして、その日を境に、桜田家の若いお手伝いさんが、悪夢を見始めた。


 それが、河童の呪いだという。


 ・・・全然訳が分からない。ここは、響子に扇でひっぱたかれても、質問させてもらおう。


「先輩、おばさん、それだと呪われるのは、弟さんというのが筋ですよね。何で、血縁もないお手伝いさんなんですか」

「それが私達にも分からないのよ、薫さん。ただ、分かっているのは、その悪夢の内容を誰かに言うと、もう悪夢は見なくなるの。でも、聞いた人が、代わりに悪夢を見るのよ。それも、その続きを含めてね」


 何だ、それは。悪夢のスウェーデンリレーか。


「つまり、悪夢が移る際に、悪夢の内容が、メドレー式に、少しずつ進むということですか。例えば、一番最初に呪いを受けた人が、悪夢の一話を見たら、次の人は、一話と二話、そして、その次の人は一話、二話、三話という風に」


 時影兄様が、桜田親子に尋ねると、二人が、正にその通りと言わんばかりに、こくこくと大きく何度も頷いた。


「そうなんです、北条先輩。だから、最後にこの悪夢を見た人には、本当に恐ろしいことが起きてしまうんじゃないかと思って」


 そう言うと、美和子先輩が、泣き出した。


 ああ、そういうことか。このどこまでも優しい人は、他の誰かに悪夢を見せまいと、自分の中で留めておこうと一人で耐え続け、そしてこんな風になるまで、やつれてしまったわけか。


 我慢できずに号泣した先輩を桜田夫人が抱きしめ、その姿を見た東久迩響子と嘉承頼子が、音もなく、すっと立ちあがった。


「どこの外道だか知りませんけど、これは許しがたい所業ですわね」

「その通りですわ、響子。天誅を喰らわせますわよ」


 そして二人の姫の手にあった檜扇が、ぽきりと折れた。


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