第5話

 一杯目の紅茶を飲み終わり、美和子先輩が二杯目を勧めてくれた頃、嘉承頼子が、北条侯爵家の嫡男の時影先輩と桜田邸に到着した。話をつけてくれるだけかと思っていたが、自分もがっつりと関わるつもりらしい。まぁ、そんな気はしていたがな。


 緊張で頬を紅潮させた桜田夫人と一緒に応接間に入ってきた時影先輩と頼子姫に、挨拶をするために立ち上がる。響子は、姫なので、座ったままでも許されるが、上位の公爵令嬢がいるので立ちあがった。親友同士なのに、こういう「親しき仲にも礼儀あり」をきっちりと守っているところは、流石の二人だ。


「北条の君、この度は、ありがとうございます。頼子もありがとう」

「時影兄様、ご無沙汰しております。嘉承の大姫、先ほどは、どうも」


 西都の公家は、家同士が親しい間柄では、自分よりも年上の男性に、血の繋がりがなくとも、兄様やおじ様と呼ぶことが古い慣習だ。女性の場合は、姉様はともかく、おば様とお呼びすると差しさわりがあることが多いので、その限りではない。世の中には、母より年上でも「姫」と呼ばれる方が少なからずいらっしゃるせいだ。


「ああ、東久迩の大姫、ごきげんよう。文福、久しぶりだな」


 時影兄様が、私をあだ名で呼んだ。茶釜という苗字のせいで、うちは先祖代々、あだ名が文福だ。父も兄も、亡くなった祖父も、皆が文福と呼ばれるので、紛らわしくてしょうがない。


「それで、頼子姫から話は聞いたが、水の魔力持ちの闇落ちか」


 時影兄様も、頼子姫と同じで話がストレートだ。これは嘉承一族の家風なんだろう。


「はい。でも、本人には自覚がないのかもしれません」

「文福、闇落ちする者に、自覚はないよ。あれば、落ちない」


 確かにそうだが、本当に堕ちると、魔力器官が肉体を消失させて魔力に変えて暴走してしまうから、とんでもないことになる。水の魔力持ちであれば、洪水、火であれば、大火事、頼子姫くらいの魔力保有者だと火山級の大爆発、という具合だ。でも、私が対峙した黒いモノは、闇落ちではなく、間違いなく生霊だった。ということは、肉体は、まだどこかにあるはずだ。私がそう言うと、時影兄様が、少し考え込んだ。


「まだ、戻れるか」

「はい。理性を失い畜生道に落ちつつあるような魂ですが、今ならまだ間に合います。ですから、何とか救済できないかと思っています」


 私がそう言うと、時影兄様と頼子姫が顔を見合わせた。


「父が、わたくしの話を聞いて、薫さんはそう言うだろうと申しておりましたわ。この件は、薫さんに一任するそうです。わたくしと時影お兄様は、薫さんを手助けするようにと申し付かっております。ただし、闇落ちと分かった時は、速やかに手を引き、父達に委ねるというのが条件です」

「分かりました。ありがとうございます」


 私が二人に頭を下げると、時影兄様が、数珠を手渡してくれた。


「数珠が壊れたんだろう。うちには、何故かこういうのがいくつかあってな。お前にはこれがいいんじゃないかと父が言うので、持ってきた」

「時貞おじさまが見繕って下さったんですか」


 手に持たせてくれた数珠は、以前のものと同じような長い数珠で、冷たいのか熱いのかよく分からない不思議な玉が連なっていた。


「これは、紅玉ルビー?でも、熱を持っているような」

「そうだな。紅玉の数珠なんて聞いたこともないが、あるんだな。数百年前、嘉承の姫がうちに嫁いできたときに、持参したものらしいから、嘉承の火が、まだ中に残っているんだろう」


 数百年前の嘉承の姫が持っていた紅玉の数珠。恐ろしい代物が出てきたな。


「そんな大事なものを頂いてもいいんですか。また壊すかもしれませんよ」

「使わないものを持っていても仕方がない。壊れたら、その時が、それの寿命だったということだろう」


 時影兄様は、穏やかで優しい性格の人だが、いかんせん、表情筋が仕事をしないタイプの人なので、喜怒哀楽が全く読めないので怖いと言われる。私は、時影兄様の表情ではなく、オーラを視ているので怖いと思ったことは一度もない。それが態度に出ているせいか、小さな頃から、可愛がってもらい、よく遊んでもらった記憶がある。


「文福、変成岩って知っているか。堆積岩が地殻変動などで、マグマから流出した溶液に触れて、熱や圧力を受けると、組織が変化し再結晶化するんだ。そして、その過程で新しい鉱物が生まれる。その中の一つが紅玉だ。とどのつまりが、それは岩だな」


 これは、時影兄様なりに高価なものをもらって恐縮している私の気持ちを解そうとして気を使ってくれているんだろう。不器用で、ちょっと分かりにくいが、心の底まで澄んだ優しい人だと思う。


「兄様、ありがとうございます。そういうことなら、遠慮なく使わせて頂きます」

「うん、そうしてくれ。火の姫の魔力を持っているから、以前の水晶よりも、お前とは相性がいいはずだ」


 頷くと、気のせいかもしれないが、時影兄様が微笑んでくれたように感じた。


 そして、勝野さんが、追加のポットとティーカップを応接間に運び入れ、桜田夫人が頼子姫と兄様用に紅茶を用意している間に、兄様が、辺りを見回した。


「ふむ。家には何もないな。場所ではなく、人に憑くタイプか。文福、お前の見立てはどうだ」

「同じです。家ではなく、人ですね。標的が美和子先輩だけなのか、他にもいるのか。そこはまだ分かりませんが」

「なるほどな。桜田さん、ちょっとだけ、立ってもらえないか。問題なければ、文福が視た生霊とやらの残滓が悪さをしていないか調べたい」


 時影兄様に言われて、不安な顔つきになった美和子先輩を、両脇で頼子姫と響子が支えるようにして一緒に立ちあがった。


「すぐに済みますので、心配しなくても大丈夫です」


 そう言うと、兄様の右手の周りに白い炎が現れた。白い火か。あの年齢で素晴らしいな。火の魔力は、保有量だけでなく、どの魔力よりも制御がものを言う。高位の火の魔力は、赤ではなく、白。そして、最上位が青だ。青い火が出せるようになると、全てを焼き払い、全てを完全浄化する【業火】が使えるようになる。が、これは、一瞬でも制御が甘くなると、途端に魔力切れを起こす。それが、未熟な術者だったりすると魔力器官を傷める恐れがある。今の時代において、【業火】が完璧に使えるのは、頼子姫の父君の嘉承長人公爵だけだと言われている。火の魔力持ちの頂点に君臨する西条侯爵家と北条侯爵家の当代も【業火】の使い手と言われるが、長人様と違い、不完全で、炎が白い【忌火】になることの方が多いらしい。


 やっぱり、嘉承は魔王の系譜だ。


 そんな一族を千年以上に渡り傍で支えている侯爵家の一つが、時影兄様の北条侯爵家だ。時影兄様の白い炎が、美和子先輩の頭から足元まですっぽりと覆う。魔力スキャンか。


 魔力スキャンは、自分の魔力を対象者に流し、引っかかりなどの違和感から霊障の残滓を探る方法だ。魔力を持つ医師は、これで病巣を探知することもできるらしい。


「よし、問題ないようだ」


 時影兄様の言葉に、応接室の中に、ほっとした空気が流れた。美和子先輩は、緊張が安堵に変わり、疲れが押し寄せたのか、ふらりとソファに倒れるように座り込んだ。響子と頼子姫が、先輩の両脇で背中や腕を摩って、いたわりの言葉をかけた。


「北条先輩ありがとうございました」

「ああ。それで、生霊に憑りつかれている理由なんだが、何か思い当たることはあるか」


 桜田夫人が、心配そうにミルクがたっぷり入った紅茶を先輩に渡しながら、視線を時影兄様と美和子先輩の間を何度も行き来させた。


「桜田夫人、何か?」

「あの、北条様、これは河童の祟りなんです」


 ・・・。


 桜田夫人の言葉に、応接室に居心地の悪い沈黙が流れた。


 また河童か。何でこの親子は、そこまで頑なに河童にこだわるんだ。思わず立ち上がりそうになったが、ぐっ拳を握って堪えた。時影兄様と頼子姫も、桜田夫人の予想の斜め上を行く返答に、言葉が継げないようだ。


「河童ですか。どうして桜田さんは、河童が原因と考えるのか、理由を聞かせてもらえないでしょうか」


 それもそうだな。桜田親子が河童にこだわる理由を聞くのが一番だ。さすがは時影兄様、いつものことながら冷静だ。今は、やつれてしまっているが、以前の美和子先輩によく似た、ふくよかで人の良さそうな桜田夫人が、こくこくと首肯した。


「はい。お恥ずかしい話なのですが、主人の弟が、ある地方にある河童塚という、何やら曰くのある古い塚を壊してしまったんです」


 河童塚。何か面倒くさそうな話が出てきたぞ。


「義弟は不動産業を営んでいまして、うちのベーカリーの店舗は、全部、義弟が手掛けているんです。この西都のお店と、公達学園に納めているパンの売り上げだけで、親子三人で暮らしていける収入がありますし、それに、百年近く良いお商売を続けられるのは、全て節美稲荷のご加護だからと、主人は事業の拡大には興味がないんです」


 西都の飲食系の商売をしている者の多くは、節美稲荷大社を熱心に信心していて、くだんの稲荷屋など、朝礼代わりに毎朝、従業員全員で参拝しているくらいだ。やっぱり桜田ベーカリーも、信徒だったか。


「でも、義弟は、野心家というか、この数年でいくつもの店舗をオープンさせていまして、それは喜ぶべき話なんでしょうが、立地の良いところを確保するために、少々強引すぎるところがあるようで、主人と揉めることが増えてきたんです」


 お稲荷さんを熱心に信心しているようなパン屋の主人なら、古い塚を壊してまで店舗を増やしたいとは思わないだろう。ところが、桜田ベーカリーの主人の弟は、兄貴は美味いパンを焼いていればいい、俺が、店と売り上げを増やしてやるからと、この本店以外の経営を牛耳っているらしかった。


「なるほど。お話は分かりましたが、それなら、塚を壊した業者や、指示をした弟さんの方に呪いがいくはずですよね。何で無関係の姪に呪いがいくのか。そこがありえないんですよ」


 時影兄様の言う通りだ。そもそものところで、河童は、そこまで執念深くない。あいつらは、人の子と遊びたくて、川に引っ張り込んだりという悪戯をするくらいが精いっぱいだ。意外に気が利く奴らで、日照りが続くと、龍に雨を降らしてくれと頼まれもしないのに、わざわざ口利きしてくれるくらいだ。うちの寺にも何百年も住んでいるがいるが、野菜や果物との交換で、割と気軽に頼まれごとをしてくれる気の良い連中だ。


「先輩、河童に呪われているかもしれないというのは、何か具体的な、霊障のようなものがあるんですか。例えば、夜になると金縛りにあって眠れないとか」


 先輩が学園に来なくなってから一ヶ月だ。河童の呪い等という荒唐無稽な話で、この西都で生まれ育った者が寝込むはずがない。生粋の西都民は、妖には慣れている。もし何かあれば、それこそ信心している節美に相談に行くなり、うちの寺に来ればいい。うちで手に負えないような面倒なものは、【業火】で長人様に焼き払ってもらえば、あっさり片付く。


 私が疑問を口にすると、頼子姫、響子、時影兄様の三人も頷いた。


「確かに、そうですわね」

「先輩、何があったんですの?」

「話してもらえれば、必ず力になりますよ」


 兄様の言葉が響いたのか、桜田親子は顔を見合わせた。そして、夫人が意を決して話しをしようとすると、美和子先輩が遮った。


「お母さん、止めて。河童の呪いが皆さんに移ってしまうわ」


 いや、それはない。私が河童なら、この三人と対峙するくらいなら、間違いなく逃げる。

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