第4話

 はっきり言う。私は猫を被っている。本当は、こういうヒネた性格だが、実家の仕事柄、生まれた時から、周りに敬語で丁寧に話す人しかいなかったので、私も父や兄と同じような話し方をする。あの人達は本物のおっとりさんだが、本当の私は口が悪い。そして、今、その素で叫びたい。


 河童じゃねーよっ!


 どこがどうして、そんな突拍子もないファンシーな結論になるんだよ。あれは、生霊だ。しかも、かなり粘着質で、昏いところにいるやつだ。


「桜田先輩、その、どうして河童に呪われていると思うんですか。私は、間違いなく生霊だと思うんですが」

「そうなの。じゃあ、河童の生霊なのね」


 河童に生霊も何もねーよ。河童から、とっとと離れろ。


「いえ、河童は生霊にならなくても、堂々とそのままで悪さをする連中ですから、河童の生霊説というのは、同意しがたいといいますか・・・」


 17年被り続けて取れなくなった巨大な猫が、今、ずり落ちてくるようだ。でも絶対に、東久迩響子の前では、素は出せない。嘉承頼子が圧倒的な力で正面突破してくる武将としたら、東久迩響子は搦め手を攻略してくる知将タイプだ。こういうタイプに弱みを握られたら、一生ものの不覚になる。専属の茶坊主として扱き使われる未来しかない。


「妖というのは、私達とは異なる理の中で存在しているので、どんなに人に恨みを持つようなことがあっても、生霊にはならないはずなんです。そもそのところで・・・」


 私の反応に、不服そうな表情をしていた桜田先輩に、響子が割って入った。


「先輩、頼子が北条家に協力を要請してくれましたから、そこで北条の意見も伺いましょう。あの家は、帝国でも一番の妖の研究者の集まりですし。薫さんのところは、人の霊魂を扱うお商売で、系統が違いますから、見解も異なるのでしょう」


 霊魂を扱うお商売って何だ、響子。うちは寺だ、寺。


「まぁ、頼子姫には何から何までお世話になって申し訳ないわ」


 桜田先輩が申し訳なさそうに胸元の水晶に手をやった。


「あの子の家は、それが家業ですから、気に病む必要はありませんわ」


 公爵は家業なのか。確かに、西国統治は嘉承公爵家が、皇帝陛下から遷都後の156年の間、任されているが、あれを家業と片付けるのは、ここにいる居残り宮家の大姫くらいだな。


「まぁ、それは、なんだか不敬な感じがするわ」

「頼子は、あら、そうねって笑い飛ばしますわ。あの家の方々って、先祖代々、だいたいそういう感じですから」


 嘉承公爵家の先祖のことは、うちの寺にある古文書で魔王のごとき悪辣な振る舞いが書かれているので、今さら考えたくもないが、あの嘉承頼子なら、気を悪くした様子もなく笑い飛ばすに違いない。頼子が、豪快に笑う様子を想像すると、頬が緩む。嘉承頼子は、豪快で愉快で痛快な姫だ。見ていて気持ちがいい。見えないけどな。


 話が落ち着いたところで、タクシーが学園の正面玄関に到着した。先輩が運転手に告げた住所は、最近開発された閑静な住宅地を抜けた先にある、ここから10分もかからない駅前のようだ。西都の一番の高級住宅地は、嘉瑞山という公家の中でも、古くからある名家が集まったところで、ゆるやかな丘のような場所の頂には、あの二大公爵家がある。そしてそれを囲むように、それぞれの側近の四家、八侯爵家が並び、その更に外、丘なので下になるが、二大公爵に縁戚として繋がるそれぞれ十三家が並ぶ。あの山は、いつも瑞祥の当代公爵の結界が張られているために、招待がないものは、門にも辿り着けない。


 桜田先輩のご自宅は、学園を挟んで、その嘉承山と反対側になる場所で、私の家にも近い。それなら、なおさら河童はないと思う。寺の近所で河童が悪さしていようものなら、確実にうちのたちが黙っていないはずだ。


 よく似た建売の並ぶ、静かな住宅街を駅に向かって進み、数分先は喜代水五条駅というころで、先輩が運転手に声をかけて、タクシーが止まった。西都で人気のパン屋、桜田ベーカリーの前だ。


「ここなの。両親が店にいるから、挨拶をさせてちょうだい。今日は本当に助かったわ」


 私が先に降りて、まだ足元があやしい先輩の手を取って降車を助けた。


「先輩、桜田ベーカリーのお嬢さんだったんですか」


 家の近くの駅前にありながら、何年も来ることがなかったパン屋の懐かしい店構えを眺めた。全然、変わっていないな。


「あら、薫さん、ご存知なかったの?有名じゃない」


 桜田ベーカリーは、西都公達学園の給食用のパンを納めている業者なので、うちの学園の生徒は誰でも知っている。


 二年前まで、曙光帝国では土曜日も学校があり、私達が高等科にあがる時に週休二日制になった。初等科にいた頃は、半日で終わる土曜日が大好きだった。兄と一緒に帰宅する途中で、母とこの店の前で待ち合わせ、昼食用のパンを買ってもらうのが毎週の楽しみだったからだ。母は、この季節は、いつも桜の塩漬けが上にのった小ぶりのあんぱんを好んでいくつも買っていた。


「桜田ベーカリーは、学園では有名ですけど、美和子先輩が、この店のお嬢さんだとは知らなかったんですよ。うちの実家も有名ですけど、私がそこの次男だと、皆が知っているわけではないのと同じですよ」


 私が苦笑しながら、響子の降車も手伝って、先輩と自分のカバンを持つと、先輩と響子が笑った。


「それはどうかしら。皆、薫さんが喜代水寺のご子息だと知っているはずよ」

「そうね。初等科は、夏の林間学校の宿舎で喜代水さんには、お世話になっているから、初等科から学園にいる生徒なら知ってるわよね」


 響子に笑顔で同意する先輩は、学園を出た時よりも、元気になっている。嘉承頼子の火の魔力で作ったお守りが効き始めたんだろう。嘉承の火は、魔を寄せ付けない。火に魔力が振り切れている頼子の【烈火】は破邪の炎だ。魔力持ちとはいえ、ただの人の子が、魔王を生み出す一族に勝てるはずがない。河童は言うまでもないがな。


「まぁまぁまぁ!喜代水の薫坊ちゃん!」


 突然、店から四十代と思しき婦人が飛び出してきて、私の名前を呼んだ。桜田ベーカリーの店主夫人で、今日、初めて知ったが、桜田先輩の母君だ。


「おばさん、ご無沙汰しております」


 毎週のようにパンを爆買いしていた母の子なので、桜田夫人は、まだ私のことを覚えていたらしい。でも、薫坊ちゃんは止めて欲しい。後ろで響子がにやにやしているのが分かった。


「美和子、学校に行っていたの?大丈夫なの?」

「うん。クラブに顔だけ出したかったんだけど、やっぱり気分が悪くなって、こちらの響子さんと薫さんに送って頂いちゃったわ」


 先輩の説明に、桜田夫人が恐縮しきった様子で、何度も頭を下げた。


「まぁ、学園長のお嬢さんと、喜代水の薫坊ちゃんに、とんだご迷惑を」

「いえいえ、先輩が心配で勝手について来ただけですので」


 響子が桜田夫人に、穏やかな笑顔で答えた。東久迩響子、こいつは質が悪いが、昔から、家柄と察しと所作と、外面も良い。中身は、とんだ反社だけどな。そのうち、確実に検非違使の厄介になると私は思っている。


「冷えますから、家に。狭いところですけど、どうぞ、お茶でも飲んでいってください」


 夫人がそう言いながら案内してくれた先にある家は、狭いなんてものじゃなかった。豪邸だ。


 桜田ベーカリーは、稲荷屋ほどではないが、今の店主、美和子先輩の父君が三代目で、百年ほど続いている老舗だ。ただ、この西都では数百年続いている店舗が少なくないので、百年では本当の老舗扱いにはならない。この辺りでは、長らく、気の良いおじさんが始めた駅前のパン屋という存在だったが、今の店主の代になってから、店舗数が増え、今では西都の外を出て、各地に店を持つ優良企業に成長した。店主の弟、先輩の叔父が、不動産業をしていて、立地条件の良いところに、カフェの併設された店を構えるという策が見事に成功しているらしい。


 何故、寺の息子がこんなに世情に通じているかというと、兄のせいだ。兄は、私が被っている猫そのものだ。おっとりとしていて、誰にも丁寧で優しい。色々な人とすぐに打ち解け、様々な話を聞いてくる。兄こそが、うちの寺を継ぐべき存在だと思うが、我が家は代々、長男が爵位、次男が寺を継ぐことになっている。


 以前の美和子先輩のような、ふくよかで優し気な桜田夫人は、私達を応接間に案内すると、迎え出てくれた年配の家政婦に、大至急、お茶の用意をするように頼んだ。桜田家の応接間は、南向きの一面が高い天井から床にかけて、全てガラスになっていて、見事に手入れされた美しい庭園がが見張らせる素晴らしいものだった。庭の美しさといえば、西都では嘉瑞山の二条家が有名だが、ここは、二条の庭園に並び立つことができるのではないかというレベルだ。


「見事なお庭ですね。二条侯爵家にも引けを取らない美しさですわ」


 響子も同じことを思っていたようだ。嘉瑞山の公家には、面白い習慣があって、どこの子供でも、庭に勝手に入ってもお咎めがない。まぁ、くだんの結界があるから、嘉瑞山に辿り着ける子供という前提があるが。子供達に人気がある庭は、広大な果樹園を持つ四条家だ。そして、その隣にある二条家の庭は、帝国で最も美しい庭と言われ、四季折々の花が咲き、帝国で最も盛況な歌会の会場となる。


「二条様と並ぶだなんて、とんでもない。うちは二条様に比べたら、すごく狭いですから、その分、手をかけることが出来るだけですよ。出入りの庭師が優秀なんです」


 桜田夫人は、本気で恐縮している様子だったが、二条侯爵邸の庭園は、土の魔力持ち以外に、精霊やら妖やら、色々と絡んでいる上に、三条侯爵家など、瑞祥一族の水の魔力持ちが、時々、気まぐれに魔力水を放水していく。はっきり言って、あの庭園は、千年を超える「反則技」の集大成だ。ここの庭が、魔力を持たない庭師の手によるものなら、その庭師は、間違いなく天才だ。


「お母さん、北条侯爵家からも、お客様がお見えになる予定なの」

「ええっ、北条侯爵様っ。ちょっと美和子ちゃん、それを早く言ってちょうだい」


 桜田夫人は、驚いた声をあげて、あたふたとし始めた。西都民は、何故か昔から、嘉承公爵家と妖には普通に接しているくせに、瑞祥公爵家と嘉承と瑞祥の側近侯爵家の前では、必要以上に恐縮する。嘉承公爵家が妖と同等の扱いを受けているのは何故かと、帝都から来ていた短期留学生たちは、一様に質問をするが、「まぁ、嘉承公爵家なんでね」としか答えられる者はいない。実際のところ、それが正解だと思う。


「勝野さん、大変よ。北条侯爵家からお客様がお見えになるそうなの。どうしましょう。玄関と廊下をお掃除しないと。ああ、応接間には、もうお客様がいるから、お掃除できないわ。どうしましょう」


 パニック状態になった桜田夫人が、紅茶の入ったポットとティーカップをワゴンで運んできた年配の家政婦らしき婦人に告げた。勝野さんと呼ばれた年配の婦人は、桜田夫人の動揺には慣れているのか、「困りましたねぇ、奥様」と全く困った様子もなく、すました顔で、ポットとカップを手際よくテーブルに並べてくれた。


「おばさん、落ち着いてください。お掃除なんかしなくても、十分綺麗じゃないですか。北条侯爵家の方でしたら、問題ないですよ。あの家は、先祖代々、学者の家ですから、とにかく本や資料が多くて、ごちゃっとしているんです。廊下や階段にも本が積まれているような家ですから、この家の綺麗さにびっくりすると思いますよ」


 本当は、本だけじゃなくて、何か得体のしれないものも沢山あるが、それを言う必要はないだろう。


「薫坊ちゃん、本当ですか」

「ええ、本当です」


 うちは、北条侯爵家と一緒に、あまり公表できない仕事をすることが多いから、北条の家は、子供の頃から、自分の家のように知っている。


 少し落ち着きを取り戻した桜田夫人に、坊ちゃん呼びは止めてくれるように頼もうかと考えていると、先輩が紅茶の入ったカップを丁寧に手渡してくれた。先輩は、私が魔力を使って視ていることを知っているが、それでも、いつも、さりげなく気を使ってくれる。


「薫さん、お口に合うといいんだけど」


 そう言って渡されたカップから、少し柑橘系が混じった紅茶の香りがした。


「アールグレイですわね。素敵な香り」


 響子が嬉しそうに言った。私の点てた茶は、褒めたことがないのに。顔には出さずに、ちょっとむっとして、一口飲むと、華やかな紅茶の香りとともに、独特の渋みとコクが口の中で広がった。


 ダージリンのアールグレイか。贅沢だな。

 この豪邸といい、見事な庭園といい、桜田家は、相当に羽振りが良いようだ。

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