第3話

 嘉承頼子が茶室に現れた。中身はともかく、相変わらずゴージャスな姫だ。魔力も見事に隠してはいるが、既に強者の余裕を漂わせている。女子高生というより、歴戦の将軍のようなオーラだ。帝都の貴族の間では、生家の爵位もあって、常に「結婚相手に好ましい姫ランキング」の上位に、東久迩響子とともに名を連ねているらしい。帝都貴族は、目が見えているのに、何も見えていないようだ。こんな物騒な嫁に、もれなく、舅と義兄の魔王がついてくることが分かっていないのだろうか。人は、つくづく見たいものしか見ない生き物らしい。


「響子、緊急の内密な話って何ですの」


 嘉承頼子はいきなり話の核心をついてくるタイプだ。様式美にこだわった長々しい公家の姫の挨拶をすっ飛ばして、無駄がないところは、好感が持てる。この緊急事態に、床の間の花や掛け軸を愛でている場合ではないからな。


「薫さん、頼子にお茶を点ててあげてくださいな」


 だから、何で、緊急の内密な話に茶なんだ。響子は、いつも私を茶坊主扱いし過ぎだ。実家は寺だが、まだ坊主じゃないぞ。


「薫さんがお茶をご用意しますから、その間に事情を説明しますわ」


 そう言われると仕方がない。今日、何杯目かになる薄茶を作り、ついでに二つだけ残っていた稲荷屋の菓子を二つとも出した。三人娘は、いきなりの嘉承頼子の登場に、借りてきた猫のように大人しくなり、茶室の隅で、響子の説明を聞いていた。


 庭の鹿威しが、また間抜けた音を立てたが、二人の姫の真剣な表情を前に、いつものように、にやにやとしている者は誰もいなかった。


「それは心配だわ。すぐに父に報告します。それと、そのお守りの水晶に魔力も込めさせて頂きますわ。念のためですけど、桜田先輩のお体のことを考えると、一度、父に視てもらった方が良いかと思いますの。水の魔力持ちが相手となると、瑞祥の兄の結界よりも、嘉承の火の方が、効き目がありますわ」


 嘉承の火なら、何が相手でも効き目があるのは間違いがないが、桜田先輩を呪っている相手が怯えて、追跡することが難しくなりそうだ。そう言うと、頼子は気を悪くすることもなく、同意してくれた。


「薫さんの考えを聞かせてくださいな」

「そうですね。嘉承の火は、全てを焼き尽くす火ですから、強すぎるんです。相手が闇落ちしているのであれば仕方がありませんが、生霊になって悪さをしているレベルであれば、たとえ一時的に理性を失っていても、まだ救いはあります。ただ、先輩のお体は、私も心配なので、できれば、北条先輩か北条侯爵に診てもらえればと思います」

「なるほど。それは、良案ですわね。早速、時影お兄さまに事情を話して、協力をお願いしましょう。それと、水晶を貸してくださいな。すぐに力を込めますわ」


 嘉承頼子は、話が早くて助かる。嘉承の大姫だけあって、北条の力も借りたい放題だ。北条侯爵家は、嘉承の頭脳と呼ばれている家で、表向きは、西都大学の薬学の権威だが、実は、妖や物の怪の研究では、霊泉伯爵家と並ぶ専門家を揃えた一族だ。


「では、頼子、これ、お願いしますわね」


 上品に薄茶を飲んでいる頼子に、響子が水晶のネックレスを手渡すと、頼子の強い目力が、更に強くなり、赤みを帯びた。魔力を放出するのか。一瞬、土の響子や、魔力を持たない三人娘が心配になったが、さすがは帝国一の魔力制御を誇る嘉承公爵の長女だ。強力な魔力は、周りに放たれることも、一筋も漏れることなく、するすると水晶に込められていった。


 見事だ。

 魔力にぞくぞくする。


 思わずごくりと喉を鳴らしてしまった私を、東久迩響子が睨んでいるのを感じた。だから、視線に魔力を乗せるのは止めろ。


 嘉承頼子が、茶の礼を言って茶室を去り、私の手には、彼女の魔力が込められた水晶のネックレスが残った。三人娘を帰し、響子と二人で保健室に向かう。


「薫さん、そんなに見つめても、それは水晶で、氷砂糖ではありませんから、食べられませんわよ」

「そこまで卑しくありませんよ。これは先輩を守るために差し上げるものですからね」


 水晶から魔力が吸い出せるなら、着服しているところだ。着服といっても、元は私の数珠だが。数珠と言えば、また新しいものを父に用意してもらわないとな。黙って返事をしなかった私に響子が顔を覗き込んだ。


「あら、失礼。お気を悪くされたかしら?」

「いえ。また父に数珠を用意してもらわなくてはと思っていたんです。これで何度目か。私の数珠は、水晶で、質の良いものを父が用意してくれるのですが、経済的な負担をかけてしまうなと反省しているところです」


 私の実家は、爵位だけは伯爵で、西都でも一番の寺院で、経済的な心配は無用に見えるかもしれないが、あれだけのものを維持していくのは、なかなか骨が折れることなのだ。どこもかしこも、やたらと文化財で、ちょっとした修理にも、帝国でも名工と呼ばれる職人が必要になる上に、下手な材料は使えないということで、我が家の補修工事はいつも予算が一桁違うらしい。伯爵といっても、小さな領地しかなかったし、それさえ売ってしまった今の我が家には税収はない。


「お察ししますわ。うちも、先祖が臣籍降下をした領地を持たない旧宮家ですから」


 期せずして、響子とため息がシンクロしてしまい、二人で苦笑いになった。世知辛い。


「それより、今は、美和子先輩のことですわ」


 全く、その通り。幸い、嘉承頼子が、北条侯爵家に掛け合い、この放課後には北条先輩か侯爵が桜田先輩のご自宅に様子を見に来て下さることになっている。それに、このネックレスがあれば、間違いなく生霊から先輩を守ることが出来る。


「嘉承の大姫のことを誤解していましたよ」

「あら、そうですの?」

「ええ、もっと傍若無人で、俺様で、魔王様な感じかと」

「それは、頼子の長兄でしょう。あの子は違いますわよ。それに、女性に向かって俺様はないですわ」


 確かに。都の大貴族の姫は、「俺」とは言わないな。わたくし様か。でも、響子は、魔王様の部分は否定しなかった。やっぱり、嘉承頼子は、わたくし様の魔王様なんだな。


 そんなとりとめのない会話をしているうちに、保健室についた。保健室には、水野先生という、名前通りの水の魔力持ちの養護教諭がいる。いかにも水な先生は、おっとりとしていて、話し方もゆっくりだ。


「ちょうど良かったわ。桜田さんが、さっき起きたところよ」


 先生の後ろに、まだ顔色は悪いが、落ち着いたように見える先輩が立っていた。桜田美和子先輩は、もともと色白だったが、今は、顔色の悪さで青白い感じだ。すっかりと痩せ細り、以前の先輩とは別人のようだ。


「先輩、これ、薫さんのお茶です。お菓子も一緒に持ってきましたので、召し上がってください」

「あら、そんな。保健室でいいのかしら」

「全く問題なしよ。桜田さん、あなた貧血じゃないの。過度なダイエットはダメよ」


 人の良い水野先生が、先輩を窘めるように言って、お菓子を食べるように勧めた。ダイエットと思ってくれているなら、そういうことにしておいたほうがいい。響子と二人で、先輩に頷いてみせると、先輩が遠慮がちにお菓子とお茶を口にしてくれた。


「美味しい。やっぱり薫さんのお茶と稲荷屋さんのお菓子は最高の組み合わせだわ」


 そう言って桜田先輩が涙ぐんだ。稲荷屋の菓子と同列に並べてもらえるのは光栄だな。何と言っても、宮内省御用達で、代々の皇帝陛下もお好きなのは帝国では常識だ。西都でも二大公爵家をはじめ、どこの公家でも毎週のように稲荷屋の配達の車が出入りしている。うちは、寺で、檀家から頂くことが多いので、そこは大助かりだ。


 先輩が、稲荷屋の桜餅を食べ終え、美味しそうに私のお茶を飲み干すと、ほんの少し、頬に赤みが戻ったように見えた。


「ああ、気分が良くなったわ。ありがとう。やっぱり学校に来て良かった。先生、お世話になりました。ありがとうございます」


 先輩がそう言って立ち上がり、水野先生に御礼を言ったので、響子と二人で先輩を家に送ることを申し出た。


「ああ、そうね。桜田さん、二人に送ってもらいなさい。その方が先生も安心だわ。タクシーを呼んであげるから、正面玄関で待っててね。支払いは、ここの生徒思いの学園長先生が喜んで出して下さるから大丈夫よ」


 水野先生が、響子に目配せをした。公達学園の学園長は、響子の父親だ。どうせ経費処理されるだろうから、ここは有難く、曙光帝国文部省のお世話になっておこう。


 すっかりと体が弱ってしまった先輩に合わせて、ゆっくりと歩く。響子が先輩のカバンを持ち、私が先輩に腕を貸した。保健室から正面玄関に向かう道々、先輩は、何度も私と響子に謝った。桜田先輩は、いつもこうだ。周りに細やかな気配りをしてくれる優しい人だ。こんな人に、どこをどう間違えば、生霊が憑くのか。生霊が何か思い違いでもしているのだろうか。それなら、なおのこと、捕まえて話をしないとな。間違いが分かれば、あっさりと引いてくれそうな気もする。


「ああ、そう言えば、大事なものをお渡ししないと」


 生霊に思いが至ったところで、制服のブレザーのポケットにしまっていた水晶のネックレスを先輩に手渡した。


「先輩、これから、このネックレスを肌身離さずに身に着けてもらえませんか」

「美和子先輩、薫さんが先輩に何かよくないものが憑いていると仰るんです。薫さんの霊感は、先輩もご存知でしょう。それで、これは薫さんの水晶に、嘉承頼子の魔力を込めたもので、強力なお守りですから、この一件が落着するまで、どうか身に着けてくださいませんか」


 響子のストレートな説明に、桜田先輩は、一瞬ぎょっとした表情を見せたが、すぐに、頷いて、水晶のネックレスを首からぶら下げてくれた。


「あら、不思議。何だか安心する温もりがあるわね、これ」


 そして、桜田先輩が、少しの間、俯いて、何か決意したように口を開いた。


「響子さん、薫さん、私の家、河童に呪われていると思うの」


瞬間、三人の間に居心地の悪い空気が流れ、東久迩響子が、制服のブレザーの裾をぎゅっと握っているのが分かった。あの鹿威しの音に笑いをこらえる時と同じ仕草だ。何かと緊張していたら、出て来た言葉が、河童の呪いではそうなるよな。



 ・・・というか、河童の呪いって、何だよ、それ。

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