4.神


 ◆


 頭。頭。頭。頭。頭。

 とうとう祟出人死村たたりでひとしぬむらに辿り着いた二人を待ち受けていたものは、地面いっぱいに広がる村民達の土下座であった。


「……何を考えている?」

降参ごめんねしているのやも」

 断罪の言葉に屍山血川が応じる。

 土下座の村民たちはすぐに動ける状態ではないが、断罪は油断しない。刀こそ抜き払ってはいないが、柄に手をかけ、すぐに抜刀できるように構えている。

 やがて、村民たちの中央で禿頭を晒している老人が頭を下げたまま口を開いた。


「我々に戦う意思はございません」

「ほう」

 老人を暗い目で見下しながら断罪が応じる。


「殺戮刑事殿、我らの神にお会い頂きたく思います」

「貴様らの親玉ならば小生を懐柔出来るとみたのか?それとも、あの婆婆でも小生を殺せぬと見て、最大戦力を小生にぶつけるつもりか?」

 口ごもった老人が二の句を継ぐよりも早く、断罪は「構わん」と頷いた。


「貴様らのほうから親玉に会わせてくれるというのならば丁度良い。殺人教祖か殺人教唆かはわからんが、その神とやらを殺して終わりだ」

「あんまり人の信仰ちゅきぴ弾圧わるく言うのは良くないでござるよ?」

「殺戮刑事に良く言われたいなら、犯罪をしないべきだろうな」

「まあ、それはそうでござるが……」

 老人だけを立ち上がらせ、その先導で二人は村の奥へと進んでいく。

 祟出人死村たたりでひとしぬむらニュータウンですら、平成の面影を色濃く残す古い町並みであったが、木造住宅が立ち並び、土が剥き出しの舗装されていない地面の祟出人死村の本村を見れば、古いを通り越して文明に対する拒絶があるのではないかとすら思える。

 その奥に小さな神社があった。

 二メートルほどの大きさの石造りの鳥居があり、その境内にはやはり石造りの本殿だけがある。それがその神社の全てであった。手水舎やら社務所やらはない。狭い神社であるからというのもあるだろうが、神社を広げるための土地は周囲に余っている。人間の介入する余地のない純粋に神の住まう場所、そのような印象をこの小さい神社から受ける。鳥居を見上げれば、大して目立ちはしないがその鳥居に宝石が埋め込まれていることに気づく。


「この神社が出来てから五十年になります」

 鳥居の外で、老人が言った。

「歴史の浅いことだな」

「神の存在は古文書によれば数百年前から語られています……我らの祖先に石の恵みをもたらしていたが、悪しき旅人の剣によって封印された、と。そして五十年前に私達は旅人の剣が神を解き放ち、そしてこの社を立てて祀り申し上げております」

「ほう、私達、か」

「ええ、霊的な存在すらも刺し穿つ妖刀……その邪悪な剣に縫い留められていた神を発見し、私達自身の手でその妖刀を抜き、神を封印から解き放ったのです」

「ずいぶん、物理的な神だな」

「ええ……ですが、貴方様もその存在は感じておられるでしょう?」

 断罪の膝が僅かに震えていた。

 その存在感だけで人間を焼殺してしまえるようなひりつく熱さを、本殿の奥から断罪は感じていた。


「妖刀とやらはどこにあるのでござるか?」

 脳天気な声で屍山血川が尋ねる。

「厳重に戒め、村の隅に社を建てて祀っております」

「破壊しないでござる?」

「神が仰るには、我に傷をつけた希少な武器であるから大切に祀っておくように、と」

「ははあ、自身を封じた妖刀を大切に取っておくとは、心の広い神様でござるなぁ」 

「ええ、大変お優しい御方です」

「それは申し訳ないな」

 身体の震えを殺意で抑え込み、断罪が言った。


「貴様らのお優しい神を殺すことになる」

「なりませんよ」

 世に何の不安もないような顔で、老人が微笑む。

 断罪は鼻を鳴らし、鳥居をくぐった。

 少し遅れて、屍山血川が続く。

 人の世界と神の世界は、然程大きくもない鳥居で分けられ、ほんの数十センチ背後にあるはずの人の世界がもう二度と帰れない場所であるかのように遠い。

 村には音があった。

 人の会話があり、木々のざわめきがあり、小鳥や小動物の鳴き声があった。

 鳥居をくぐった瞬間に、それがもう無かった。

 耳が痛くなるほどの静寂だけが境内にはある。

 鳥居だけが神の世界への入口で、鳥居以外からは音すらもそこに入ることが出来ないらしい。


 音のない世界で、断罪の鼓動がやけに高鳴る。

 自身の感じた恐怖を脳に伝える言葉を臓器は持たない。故に、その働きで引き返せと訴えているのだろう。

「チッ」

 臓器の言葉なき訴えを、理性が舌打ちで切り捨てる。

 あるいは理性の反応ではなく、生存本能を超えた殺戮本能の言葉かもしれない。

 いずれにしよ、断罪にここで引くという選択肢はない。

 今日は二人分お預けを食らっているのだ。膨れ上がる自身の殺戮欲求を満たすためならば、神であろうとも殺さなければならない。


「キュンにござるか、断罪殿?」

「ときめいているとも」

 鼓動の高鳴りを抑えず、断罪は本殿へと向かう。

 石造りの社は、その扉までもが石で出来ている。

 そのあちこちにやはり宝石が輝いている。

 開けはしない、斬って捨ててやる。

 断罪がそう思って、刀を抜き払った瞬間――扉が一人で開いた。

 石造りの光が差し込まぬような分厚い壁に覆われた社の中に一柱の存在があった。


 一見して、それが人ではないと気づくだろう。

 巨大な頭部であった。

 目の位置も右目は耳の横についているが、左目は口の横、頬の位置にあっておかしい。鼻は上下逆で、先ほど口と見たものは、良く見れば、開閉していない。ただ口のあるべき場所に引かれた真っ直ぐな横線の穴である。耳だけが形は子どもの落書きのようであるが、ちゃんとした位置についているのが逆に違和感を覚える。手は四本、指の数はその手ごとに、それぞれ異なっている。足は二本、それぞれで太さが異なる。そして胴体は無く、手足はそれぞれ頭部から直接生えていた。


 悪趣味な福笑いをした結果生まれたのか、あるいは人間を見たことのない不器用な存在が伝聞だけで人間を形作ったか、それともこの程度の出来ならば人間として通用するだろうと興味のない上位存在が思ったのか、答えはわからないが、二人の前に立っていたのはつまるところそういう存在であった。


「ようこそ」

 口は一切動いていない。

 だが、その声がその存在から放たれたのは間違いないだろう。

 想像よりも友好的な声だった。

 出会った人間と五分で友人になれる、そんな朗らかな声をしている。

 それが不気味だった。


「刀を仕舞ってほしい、私は君に害意がない」

「外で貴様の信者であろう老婆に襲われたが」

「ああ、それは申し訳ない」

 声色は変わらない。どこまでも明るい声が続く。

 全ての感情が同じであるのならば、感情が存在しないことと同じだ。


「けれど生き残ることが出来たから、私は君に興味を持つことが出来た。結果的には良かったということになる。それよりも私から君に提案があるんだ」

 どこまでも声だけが明るい。

 そこに会話相手の感情を介する心がない。

 どこまでも自分の都合だけで言葉が続いている。


「私はこの祟出人死村たたりでひとしぬむらの村民に日本中から人間を集めてきてもらっている。最初は村民を食べていたのだけれど、どうも狭い範囲の人間は無限には湧いてこないらし「くだらんいけ――」い。次に村の範囲に巨大な牧場を作ってもらおうと思ったのだけれど、人間社会は接する場所が増えるほど面倒事が生じるらしい。牧場程の広さになると、私の食事に邪魔が入るらしいからそれも諦めた。結局、村人は牧場を村を覆う柵として利用することとなった。村は文明が少ないけれど、牧場は文明が多くて人間が安心するらしい。下手に山の中に逃げ込まれるよりも良いらしいけれど、「自白か、安心して貴――」私はそもそも人間を逃さないで欲しいと思っている。結局、日本中から人をさらってもらっている。これはかなり上手くいった。それに狭い村で育った人間よりも、広い場所でのびのびと育った人間の方が美味しいんだ。君たちのような人間が訪れたのもかなり久しぶりのことだしね。ああ、済まない話が長くなってしまった。本題なんだが、私は生贄を捧げてくる村人にお礼として、私の力を分けてあげているんだ「つまり貴様も小――」君が戦ったらしい人間には足の速さを与えたが、大抵は私が残した部分を宝石にして与えている。封印される前は私の石なぞ大した役には立たなかったのだけれど、時が流れて私の与えた力ではなく、石そのものが社会で通じる財という力になったのだから驚きだ。さて、というわけで強い人間。君もこの村に移住して私のために食事を集めてくれないかな。君のために力を与えよう。人を殺すのが好きならば、身体能力を強化してあげるよ。勿論、ちょっと頭の中に宝石を埋め込ませてもらうけどね。これがあれば、私の力を伝えやすいから。いつでも人間を処分出来るし、急にお腹が減ったときには来てもらうことが出来――」


「いい加減にしろッ!」

 断罪の刀が神を横薙ぎに裂いた。

 やはり、斬った感触がない

 裂かれた煙のように、神の姿はまどろみ、そして元に戻っていく。

 残像か、いや――その姿はまだ、社の中にある。


「人の力は通用しないよ――自分で言うのも難だし、そもそも種族が違うのだからそれが偉いとか悪いとかそういうのでもないけれど、私は――」

 その言葉には応じない。

 断罪は神を滅多斬りにし続ける。

 だが、その刃は全く神に届いていない。

 縦、横、袈裟、突き――あらゆる斬撃で神を襲うが、すぐ目の前にいる神に届かない。それでも攻撃の手を止めることはない。


「神だからね」

 複数本の指を有する神の手が、拳を形作り――そしてその形を一切失いどろりと溶けて、一つの粘土のようになった。その粘土がひとりでに刀の形になり、そして宝石のきらめきと共に断罪に斬撃を放つ。

 人間は肉体に縛られるが、神は肉体から解き放たれているらしい。

 全ての手が刀へと変わり、それでも断罪に有効打を与えられないと見れば、頭部から新たな腕が生まれ、それは断罪を襲う刀になった。

 一本、一本が切れ味鋭く、疾く、そしてその斬撃は人間では想像できないほどに奇怪である。前から、後ろから、下から、右から、左から、あらゆる方向から断罪を襲う斬撃。そもそも、これだけの攻撃が出来るのならば刀である必要はない、ただ拳を増やして殴るだけでも十分だろう。それでも断罪の刀に応じて神がその手を刀に変えたのは、ただ目の前の人間が刀を使っていたから――それだけに違いない。


 一太刀でも自身の攻撃が通用していたならば、断罪は神を斬殺していただろう。だが、自身の攻撃は一切通用せず、神の攻撃は衰えない。


「糞ッ!」「がッ!」「あッ!」「ざッ!」

 やがて、断罪は攻撃することすら出来なくなった。

 神の刀は受けることすらも出来ない。

 ひたすらに手数を増し続ける神の攻撃を前に、ただ回避に集中する。


「……君が私に仕えてくれないのは残念だけれど、しようがない。人間にしては強いから丁寧に調理してもらって美味しく食べよう。アレ……?」

 神の目は動かない。

 それはあくまでも自身の姿を人間にみせるためのアバターに過ぎない。

 だが神の感覚器官が察していた。先程まで雄の人間と共にいたもう一人の人間の姿がない。


「逃げたのかな」

「さて……な……」

「別に出ようと思えば出られるから、君も逃げたいなら逃げられるよ……もっとも鳥居の外は私の力を与えた村人に包囲されているけれど」

「フンッ……敵を……前にして……逃げられる……ものか……」

「そういう若さは悪徳ではあるが、美徳でもあると思うよ。若いほうが可食部位が多いし、肉質が柔らかくて美味しいからね」

「ハッ、小生は殺戮刑事……常に殺す側よ」

 手に力が入らない。

 それでも断罪は虚勢を張り、刀を構える。

 殺戮刑事断罪乱、殺意こそが自身の存在証明である。

 であるならば、自身の殺意にだけは嘘をつくことは出来ない。


 その時、断罪の背後――鳥居の方角から声がした。


「断罪殿~!!これを使うでござる」

 風を切って、何かが投擲された音がする。

 振り返らずに、断罪はそれを手に取った。


「それは……私を封じていた……」

 どこまでも神の声は明るく、その感情を滲ませない。

 だが、断罪は気にしない。

 痛めつけてやれば、さすがの神も悲鳴を上げるだろう。


「……妖刀泥棒だな、屍山血川!」

 断罪の手には、妖しげな気を立ち昇らせる刀が握られていた。


「お礼を先に言って欲しいでござる~」


【つづく】

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