第2話 ◇憧れ

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◇憧れ


 入社して1年も過ぎる頃には、仕事熱心な上司に憧れるようになっていた。


 いや、恋焦がれるようになっていたのだ。


 だけど実らぬ恋と分かっていたため『憧れている』と自分の気持ちを

うまい具合に変換していた。


          ◇ ◇ ◇ ◇



 営業が出払い、契約社員の黒田花子と自分との二人になった日の、

あまりの忙しさに息つく暇もないくらい二人共一心不乱に仕事をしていた時のことだった。



 一段落ついたのか彼女が『あ~あぁ、あともう少しだわ』と言いながら

首や肩回りを動かし始めた。


 つられて私も手を休めてぼーっと一つ左隣の机を挟んだ彼女のほうに

顔を向けた。


 すると彼女が言った。


「ね、知ってる?」


「何をでしょう?」


「知らないみたいね。

 石田さんってやっぱりモテるんだねー」



「そうかもしれませんね。垢抜けてますもんね」



「ぷぷぷっ、垢ぬけて……ぶはははっ。

 秋野さんって何気にババ臭いよね、言うことが」



「黒田さん、言い過ぎですってば。……当たってるけど」



「ほら、秋野さんの同期の赤松さん、石田さんに押して押しまくり

ぶち当たって木っ端みじんに砕け散ったらしいよ」



「木っ端みじんですかぁ。怖いですね~」



「ね~、他人事だからいいけど、自分のことだったらもう会社に

来れないわよ」



「赤松さんと今日会いましたよ」


「それっ、どういう返しよ、秋野さんったら、ぷぷっ」



「彼女強い人ですね」



「そうよね、きっと辛いだろうけど。

 だけど当たって砕けられる人が私からしたら羨ましいわぁ~。

 私なんかが石田さんに告白したら周りから笑いものだもの」



 私は黒田さんの台詞を耳にした瞬間、二人の年齢差を数えていた。



 44才-28才=16才。

 16の差かぁ~。


 私は普段から親戚の18も年の離れた5才児と対等な会話をしているだけに

『大丈夫ですよ』と言いそうになった。



 そんなことを妄想していたら黒田さんに言われた。



「そこ、そこーっ、何かフォローしなさいよ」


『大丈夫ですよ』と返したかったけれど……

そして心からそう思っているけれど、ここで『大丈夫ですよ』は

言ってはいけないような気がした。



 本人がすごく気にしているようだし。



「そうですね、後もう2才若ければよかったですね」



「わははっ。

 私は秋野さんのそういうやさしいとこが好きだわ。

 さてと、皆が帰社するまでにもうひと踏ん張りしますか!」



 「……ですね」



 そっか、赤松さん石田さんに告白してたんだぁ~。




 しかし、こんなホットな話題を同期からではなく、黒田さんから

聞く私って、いいのかこんなんで。



 元々私なんか、告白する勇気なんてなかったし、今日聞いて更に

『告白なんて滅相もございません』の境地に達してしまった。


 でもあれだわ、聞けて良かった。


 万が一にも血迷わずに済んだもの。


 なんかこの日を境に、好きという気持ちを失くしたわけではないけれど、百子は以前ほど石田を意識せずフラットに仕事を進めることができるようになっていった。



 どんな理屈なんじゃ~と言いたくなるが、赤松さんが駄目なら、

自分なんて絶対駄目なのだから、好いてもらえるかもしれないという

わずかな望みも絶たれ、希望的観測がなくなったという論法だ。



 それだけで、百子の心は軽くなったのだ。

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