24.真犯人

 三人は怨霊バスに足を踏み入れた。


 「盗んですまない……」と、運転手はポツリと呟いてから、アクセルを踏んだ。


 後部座席に美幸が座っていたことを思い出した海斗は、思わずそちらに顔を向けた。すると中間の座席に久保田が座っていたのだ。


 結愛と坂上も久保田に気づく。


 結愛は、この怨霊バスの乗客は、美幸の手提小型金庫の中身を盗んだ者たちだということを理解した。


 坂上は久保田の死を知らない。

 「何故あいつがここに……」


 海斗が言った。

 「奇霧界村のアパートで美幸のお金を盗んだから呪い殺された」


 あの部屋にある物を盗めば呪い殺されることくらい知っている。だが、問いは “何故あいつがここに” だ。呪い殺されたということは、死体であり、いまは魂だ。つまりここの乗客は全員が幽霊ということになる。


 「未解決事件が解決しないかぎり、この呪いは解けない。永遠に怨霊バスの乗客になってしまうってことか……」


 「そういうことです」

 

 海斗と結愛は、久保田と通路を挟んだ隣の座席に腰を下ろした。坂上はふたりの後方の座席に腰を下ろした。


 三人は久保田に顔を向ける。

 

 久保田の双眸には三人が映っていないようだ。


 「盗んですまなかった……すまなかった……すまなかった……」ブツブツと呟く。「逃れたい……この…苦しみから……」


 煌々と輝く月明かりに照らされている道路の先には、魔のカーブの看板が見える。無事にカーブを曲がり、しばらくすると信号機が見えた。青信号だったので、左折し、奇霧界村の集落へと入っていった。


 今夜も深い霧に覆われている。怨霊バスは停留所に停車した。


 一瞬、久保田に目をやったが、三人はすぐに視線を前方に向けた。いまの彼には何を言っても届かない。座席から腰を上げ、通路を歩き、乗車口を降りた。


 海斗と結愛は懐中電灯で道を照らす。幕の内スーパーまで歩くと、駐車場に茶色い乗用車が停まっていたのだ。しかし、車内には誰も乗っていない。


 坂上は車内を覗く。

 「大森探偵と京太郎の車は同じだ」


 「お父さんがここに来るわけないから、間違いなくあの探偵の車だよ」と返事した直後、異臭を感じた。アパートの通路で最近嗅いだ臭い……腐敗した肉のような嫌な臭いだ。


 海斗も周囲の臭いに気づく。

 「なんだか変な臭いがする」


 坂上もアパートの異臭に気づいていた。

 「死体が腐った臭い……」


 幕の内スーパーから臭っている。店舗の裏に回り、社員通用口のドアへ向かった。


 ドアの取っ手を見た坂上は、訝しげな表情を浮かべた。

 「真新しい……京太郎が取り替えたのか?」


 結愛は答えた。

 「お父さんもドアの取っ手は取り替えていないそうです」


 「だったら誰が?」と、疑問を口にしたあと、ドアの取っ手を掴んだ。施錠されていると思いきや、ドアの取っ手が回ったのだ。「開いてる」


 ドアを開けた瞬間、鼻を刺すような臭いがした。三人は前腕で鼻を覆い隠す。

 

 海斗はあまりの悪臭に顔を歪めた。

 「酷い臭い」

 

 結愛は吐きそうになった。

 「強烈……何なの?」


 坂上は確信した。

 「死体がある」


 ふたりは驚いた。何故、ここに死体が? だが坂上が言うように、腐敗した肉の臭い。つまり死体以外考えられない。

 

 海斗が手にしている懐中電灯を取った。

 「貸せ。俺が先頭を歩く」


 三人は突き当たりのドアを開けた。その瞬間、この空間よりも更に強烈な腐敗臭が漂った。ヤシロマートと同じように、事務室と休憩室が一緒になっている室内には、コンクリート製のブロックが積まれた本棚が壁に沿って置いてある。


 壁と本棚の隙間から鼠が出てきた。死んだ和真も本棚に違和感を覚えたが、鼠が出てきたので何もせずにこの部屋を出た。あのときの鼠は小さかったが、いま出てきた鼠は丸々と太っている。まるで最高の食料でもあるかのように。

 

 「この裏が気になる。鼠が出てきたってことは、この裏に通り道があるということ」坂上は本棚に積んであるコンクリート製のブロックを除けようとしたが、セメントで固められていたので動かせない。「本棚ごと移動させるしかない」


 海斗と結愛も本棚に手を置いた。


 「せーの、で、これを動かす」と、坂上は指示した。


 ふたりは返事する。

 「はい」

 

 坂上は「せーの」と、合図すると、ふたりも力を込めて、本棚を移動させた。その瞬間、夥しい数の蠅とゴキブリが飛び出してきた。


 虫嫌いの結愛は悲鳴を上げた。

 「きゃあぁぁぁぁ!」


 「結愛、大丈夫だ、ゴキブリと蠅には人は殺せない」と、言った坂上の勘は正しかった。本棚の裏には、人が通れるほどの大きな穴がぽっかりと開いていたのだ。そこから、鼠の鳴き声が聞こえた。


 坂上は懐中電灯で穴を照らした。するとそこには、腐敗した女の死体が二体と、男の死体が一体、転がっていたのだ。


 「なるほど……麗子から聞いた “おもしろい隠し部屋” とはこのことだったのか。おまえたちは見ないほうがいい」と、ひとりで隠し部屋に入った。


 死体を確認する。


 ひとりは道子に苺キャンディをあげていた佐藤タエ。そしてもうひとりは精神が病んでいた山岡美沙。魁斗に取り憑かれたふたりはここに連れてこられたのだろう。


 男の死体は新しい。うつ伏せの死体はぱっくりと頭部が割れている。顔を確認した坂上は驚愕した。熊谷賢三―――


 隠し部屋から出てきた坂上はふたりに死体の正体を教える。

 

 海斗は言った。

 「まさか、犯人同士の仲間割れ?」


 「相棒って呼んでいたのにか?」


 「所詮、殺人鬼同士。気に入らなければ殺すのでは? 美幸の息子、魁斗もここに埋められているかも……」


 「隠し部屋に埋めたらならここだろう。あとは美幸だ。“鏡の水面” これを探し出せばふたりの遺骨を引き合わせられる」


 そのとき、女の声が聞こえたような気がした。


 海斗は耳を澄ます。

 「なんか声がする」


 部屋から出た三人は、通路へ飛び出した。


 その瞬間、「誰か! 助けて! ここから出してぇ!」と、美波の声が聞こえたのだ。


 驚いた海斗は目を見開いた。

 「母さん!?」


 「お父さんも一緒かもしれない! 犯人に捕まったんだよ!」結愛は美波の声がする方向へ行こうとした。「早く助けないと!」


 「急ぐぞ」と、坂上はバックヤードのドアを開けた。


 壁に埋め込まれるように設置された業務用の冷蔵庫の前には、昔店舗で使われていた陳列棚が置かれ、扉を塞いでいた。


 冷蔵室に閉じ込められている美波は大声を上げた。

 「誰かいるの!? ここから出して! 扉が開かないの! 助けて!」


 海斗は返事した。

 「俺だ! 海斗だ! いま出してあげるから安心して!」


 「か、海斗!?」泣きながら扉を叩いた。「お願い、早くここから出して!」


 海斗と坂上は急いで陳列棚を除けた。海斗が冷蔵庫の扉を開けると、泣き腫らした目をした美波が出てきた。首には絞められた痕がついている。


 「その首……まさか犯人に?」


 熊谷にも絞められているが、彼は死んでいる。

 「……」何も言わずに号泣した。


 「お父さんは!? お父さんはどこなの!?」と、京太郎を心配した結愛は美波に訊く。


 美波は化け物を見るような目で、彼らの背後を見る。その直後、坂上が倒れた。彼の背中には斧が突き刺さっていた。


 ふたりは咄嗟に後方を見る。


 薄ら笑いを浮かべた京太郎が立っていたのだ。坂上の背中に突き刺した斧を抜き取った。

 「探したかい? 父さんはここだよ」


 状況を理解できなかった。何故、あの優しい父が斧を手にしているのか……こんな現実受け入れられるはずがない。

 「どうして……」悲鳴を上げた。「どうして!」


 海斗も信じることができない。

 「おじさん……」


 美波は声を張った。

 「逃げるの! 殺される!」


 「美波さん、生きてたんだね。これだから大人の首は嫌いだよ。子供なら容易く死んでくれるのに。ちょっと絞め方が甘かったかな? 

 でもねぇ、生きてるのか死んでるのわからなかったから、陳列棚でドアを押さえて、出られなくしたんだけど、海斗君たちがここに来るなんて想定外だった。美波さんが骨になるまでここに閉じ込めておきたかったのに。残念だよ」


 台所で熊谷の頭部を斧で叩き割ったその後―――


 “僕は犯罪者になってしまうんでしょうか……” その言葉の続きを訊いた美波は凍りついた。“なんてね……もう何人も殺してきているから警察には行けないんだ” 美幸たちを殺害し、道子を誘拐したのも京太郎だったのだ、と、いうことがわかった。

 

 真実を知った美波は京太郎に首を絞められ、気絶した。熊谷の死体と共にトランクに乗せられ、熊谷は本棚の裏へ、そして美波はバックヤードの冷蔵室へと押し込められたのだ。


 「殺人鬼の血が流れる熊谷と共に美幸たちを殺した。あまりにもあっけない最後だった。両親もみんな……人間は簡単に壊れる脆い玩具だ」熊谷殺害の動機を話す。「あの男のバカさ加減にはうんざりしててね、消えてほしかった。勝手にドアの取っ手を付け替えやがって……」


 幼い頃から両親に虐待を受け、学校でも虐めを受けていた。心の安まる場所はどこにもなかった。そのストレスは自分よりも非力な動物に向けられた。悲鳴を上げる動物を解体しているうちに、両親をこの世から消したくなった。


 酒を飲むたびに暴力を振るう父親、自分の支配下にいないと気が済まない母親。このふたりがいなくなれば、自分が自分として生きていける。彼らが寝ているあいだに絞殺し、部屋の中を荒らした。


 強盗に殺害されたとされ、両親を失った悲劇の中学生となった。ふたりも殺害したのに、誰も気づかない。それどころか同情され、優しくされる。


 ありのまま生きる―――虐待を受けていたせいなのか、性癖が狂った。同年代の女子には何も感じない。小さな女の子に性的興奮を覚えるようになった。


 高校一年生の頃、初めて幼女を誘拐し、殺害した。動物と同じように解体し、母親が息子の自分よりも大事にしていた家庭菜園を楽しむための畑に埋めた。試しにトマトの苗を植えてみた。すると母親が作っていたトマトよりも真っ赤なトマトが生った。子供は最高の肥料だ……


 その後は高校でも優等生を演じ、真面目で優しい好青年と呼ばれるようになった。誰も真実を知らない……善人の皮を被った殺人鬼であることを……


 桃木ですらゲームの駒。いつか “バレる” かもしれない……そのスリルがたまらなかった。このスリルがなければ生きている実感が持てない。


 同じように狂った性癖を持つ熊谷との出会いは必然だった。誘拐した幼女を山に連れて行ったとき、女の死体を犯す熊谷の姿を見た。


 すぐに意気投合した。ある意味運命共同体だったが、この男は頭が悪い。発情期の猿のほうがマシだと思うことが何度かあった。熊谷を殺害するもの時間の問題だった。所詮は殺人鬼同士。本物の友情なんてものはない。互いの性癖のために組んでいたようなものだ。


 「結愛……いますぐ殺してあげるよ」


 と、京太郎が斧を振り下ろそうとした瞬間、探偵の大森が現われた。彼は京太郎の脇の下に手を入れて組み付いた。

 「早く逃げろ!」


 海斗は結愛の手を引いて、美波と共にバックヤードから飛び出した。


 動揺する結愛は、足がもつれて転倒する。

 「お父さん……どうして?……どうしてなの?」


 海斗と美波は結愛の腕を抱え、社員通用口から外に出た。


 身を隠すにはどこがいい? アパートの部屋で鍵をかけて身を隠す? いやだめだ。斧でドアの取っ手を壊されたら終わりだ。


 それなら、裏山しかない。鬱蒼とした木々の中に身を隠せば、簡単には見つからない。

 

 ハイキングコースと書かれた看板の向こうを目指した。

 「行こう」

 

 「どうして……どうして!」結愛は精神的ショックで何も考えられない。「どうして、どうして……」


 神様なんていやしないのか―――結愛と美波を守らなければ。


 とにかくいまは逃げる。逃げなければ殺される。海斗と美波は、結愛を支えながら裏山へと走った。

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