23.斧

 二十時過ぎ、京太郎がヤシロマートの店舗でレジ上げと商品の補充をしているあいだに、美波は台所でクリームシチューを作っていた。


 味見をする。

 「美味しい」

 

 海斗と結愛も呼んである。美幸が現われるかもしれない。だけれど、たまに一緒に食事をとりたい。


 洋食が好きな海斗の喜ぶ顔を思い浮かべながら、ガスの火を止めた。


 もう一品作ろうとして、冷蔵庫を覗いたとき、玄関のドアが開いたような音がしたので、仕事を終えた京太郎だろうと思った。だがいつもよりずいぶんと早い。


 突然、背後から京太郎ではない男の声がした。

 「いいケツだな、京太郎の女か? 女の魅力がわからねえあいつには勿体無いケツだ」


 驚いた美波は慌てて振り返った。するとそこには熊谷賢三が立っていたのだ。美波は熊谷と面識がないため、この男が何者であるかを知らない。

 

 「あなた誰なの!?」


 生体よりも美人な女の死体に性的興奮を感じる。美波を殺害するつもりで歩み寄った。

 「いい匂いだな、俺もシチュー好きだぜ。だけど、あんたの身体のほうが旨そうだ」


 身の危険を感じた。助けを呼ぶために大声を出したが、店舗にいる京太郎は来ない。

 「来ないで! 京太郎さん! 京太郎さん!」


 熊谷は美幸に襲い掛かり、床に押し倒し、哄笑した。

 「楽しませてくれよ! 関内マムみてえに簡単に死なれちゃつまんねえからな!」


 殺される! 悲鳴を上げた。

 「京太郎さん、助けて!」


 美幸の首を絞める。

 「助けは来ない残念だったな」


 苦しい!


 顔が紅潮したそのとき、糸が切れた傀儡のように熊谷の顔が美幸の胸にのし掛かった。頭部がぱっくりと割れ、止めどなく血が溢れ出す。美幸の顔や衣服が熊谷の血に染まった。慌てて熊谷を押しのけた。


 前方には斧を持った京太郎が立っていた。


 見開いた熊谷の双眸……死んでいる。血塗れの死体を目の前にして腰が抜けた。動くことができずに身震いする。


 美幸の悲鳴が聞こえたので、倉庫から斧を持ち出し、この場に戻ったのだ。

 「美波さん……僕……」立ち竦む。「警察に行きます」屈んで頭を抱えた。「殺す気はなかったんだ。どうしていいかわからなくて、気づいたら斧を振り下ろしていた」


 「あたしも一緒に行く。もし京太郎さんがいなかったら、あたしは今頃、殺されていた。あなたはあたしを守ってくれた」


 「美波さん……」深刻な表情を浮かべて、涙を零した。「僕は犯罪者になってしまうんでしょうか……」




◇・・・◇・・・◇





 二十一時頃、一緒に食事をとろう、と、美波から電話があった。ここに戻らずに奇霧界村に行けるように海斗は懐中電灯を手にした。その後、八城家に向かうため、アパートを出た。すると、偶然、紫音に会った。


 海斗が尋ねた。

 「どこに行くんですか?」


 「コンビニだ。軽い運動にもなる。で、お前はどこへ?」


 「結愛ちゃんの自宅です。たまにみんなで食べようってことになって。美幸が現われなければいいんですが……」と、不安を口にした。


 「もし美幸が現われたらすぐに連絡しろ。わかったな」


 「はい」


 海斗たちは横断歩道を渡り、紫音はコンビニがある商店街へと歩いていった。自宅に着いた結愛は、車庫のシャッターが開けっ放しになっていることに気づく。田舎とはいえ、シャッターくらい閉めなければ不用心だ。


 シャッターを閉めようとした結愛は車庫の前に立った。乗用車がない。


 「あれ? どうしてだろう?」


 「それこそ、紫音さんと同じようにコンビニにでも行ったんじゃない? 母さん、コンビニ限定のおやつが好きだから」


 「それはないと思う。うちにも賞味期限間近なおやつもあるし、それを食べると思うんだけど……」首を傾げた。「まあいいや。家の中で待とう。せっかくだから懐中電灯を用意する」


 結愛は自分たちが立つ場所を指した。

 「これ、ボコボコでしょ。セメントがうまく流れなかったの。お父さんは不器用なの」


 確かに凹凸がある。よく見ると、子供用のスニーカーの足跡まであった。


 「結愛ちゃんとおじさんでやったの?」


 「そうなの。お母さんが失踪してから半年が経った頃、何かしていないと落ち着かなかったお父さんとあたしでやったの。夜に作業したせいで、足跡がついているのに気づかなかったの」


 大事な人がいなくなれば誰でも落ち着かない。

 「でも俺がやるより上手だ」


 結愛は、車庫の片隅に置いてある使っていないクーラーボックスに歩み寄った。クーラーボックスを開けると、日用大工品と懐中電灯がひとつ入っている。


 「ふたつあったはずなのに、ひとつしかない。壊れちゃったのかな?」と、懐中電灯を手にした。


 ふたりは車庫から出て、自宅に向かった。玄関のドアの取っ手を回そうとしたが、鍵がかっていた。チャイムを押しても応答がない。


 結愛はスマートフォンを手にして、京太郎に電話したが、出ないので、スマートフォンの電話を切った。

 「ご飯食べる約束をしていたのに、どこに行っちゃったの?」


 海斗も美波に電話してみたが、電話に出ない。

 「こっちも出ない」


 不安に駆られた。

 「ふたり揃って電話に出ないなんておかしい。何かあったのかな……」


 ふたりは車庫から出た。店舗の正面へ出ると、坂上の姿が見えた。向こうもこちらに気づいたようで、横断歩道を渡り、歩み寄ってきた。

 

 「何してるんだ?」


 海斗が答えた。

 「久しぶりに一緒にご飯を食べる約束をしたんですが、鍵もかかってるし、電話にも出ないんです」


 「何かあったんじゃないのか?」


 「俺たちも心配で……」


 と、会話をしていたそのとき、何故か怨霊バスが忽然とバス停に現われた。初めて怨霊バスを見た坂上は目を見開いた。こんなものは都市伝説だと思っていた。

 

 「噂によると……零時に現われるらしいが……」

 

 海斗はスマートフォンの画面で時間を見る。二十一時半。

 「どうして、こんな時間に……」


 結愛ははっとする。

 「もしかして……乗れってことじゃない?」


 坂上は横断歩道へ向かう。

 「乗ってみよう。もしかしたら京太郎と美波の居場所がわかるかもしれない」


 「このタイミングで現われるって、まるであたしたちを迎えに来たみたい」


 海斗はズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、紫音に電話した。

 「もしもし? 海斗です」


 「どうした?」


 怨霊バスが迎えに来ていることと、京太郎と美波に連絡が取れないことを伝えた。紫音は道子が導いていると考えた。だが、奇霧界村まではここから約一時間。いまから二時間経過してもふたりと連絡が取れない場合は警察に通報する、と紫音に言われた。電話を切った海斗は会話の内容をふたりに伝えた。


 



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