22.現金

 早朝五時、海斗のスマートフォンの着信が鳴った。


 同じベッドで寝ているふたりは、はっと目を覚ます。恐る恐るスマートフォンの画面を見ると、受信した相手は横峯和真だった――――


 以前、美幸が現われて以来、寝室のドアには必ず鍵を掛けているが、彼女によって開けられた穴が未だに空いたままになっている。


 その穴から視線を感じた。まさか……と、恐る恐る視線をそちらに向けると、真っ赤に充血した眼が海斗を凝視していたのだ。


 目が合った。

 「来た……」


 ドアの木目調が様々な人の顔へと変化し、苦悶しながら口をパクパクと動かしていた。


 「か、顔が……」


 結愛はベッドの上で鳴り続ける着信音に怯える。

 「どうしよう……」


 意を決し、スマートフォンを手にし、通話ボタンを押した。


 「ゴボゴボ……コポコポ……魁斗、迎えに、迎えに来た……ゴボゴボ……コポ」


 大声を張って、否定する。

 「俺はあんたの息子じゃない! あんたの息子じゃないんだ!」


 ドアに開いた穴から海斗を凝視している。

 「魁斗、これ……ゴボゴボ……コポ……こ…れ…」


 「消えてくれ、消えてくれ! もう二度と来ないでくれ!」


 「これ、こ…れ……」床に物を置く音が聞こえた。「これ……ゴボゴボ……コポ……」


 “これ”そう言って美幸はリビングから消えた。


 海斗は鍵を外し、ドアをそっと開けてみた。


 なんとそこには手提小型金庫が置かれていたのだ。


 「これってもしかして……現金が入っていたあのケース……」海斗はケースを開けてみた。やはり中には札がびっしりと入っていた。「これを届けにここへ?」


 「それ、どうするの?」


 「俺は、俺は……あいつの息子じゃない!」頭を抱えた。「いらないよ! あんたの息子じゃないんだ!」


 「紫音さんに渡したらどう? このお金を管理できるのは紫音さんだけだと思う」


 「それが一番いいよな」


 「いまから紫音さんの部屋に行ってみよう」


 スマートフォンのアドレス帳から紫音の番号を選択した。数秒後、紫音が電話に出た。

 「もしもし……どうした?」


 美幸が現われ、手提小型金庫をこの部屋に置いていったことを伝えると、すぐに来い、と、言われたので、二人は紫音の部屋に向かった。


 廊下に出ると、異臭を感じた。なんだか腐敗した肉のような……奇妙な匂いだ。最近、このアパートはなんだか異様な臭いがする。

 

 紫音は犯人を泳がせたい、と、言っていた。つまり警察はまだ呼ぶなということ。各階で何人死んでいるのだろう。夏の気温だ。腐敗も早い。そのうち蠅の巣窟になりそうだ。

 

 一階に降り立ち、紫音の部屋のチャイムを鳴らす。

 

 ドアを開けた紫音は、海斗が手にしている手提小型金庫を見て、目を見開いた。

 「美幸の霊気を感じる……」


 「そうです。美幸のです」


 「奇霧界村の部屋から持ってきたのか!?」


 「いえ、まさか」

 

 否定したので、安心した。

 「早く入れ」


 リビングルームに入り、座布団の上に腰を下ろした。


 「今朝、美幸が現れて、これを置いていきました」


 海斗を試すような質問をする。

 「大金だぞ、使おうとは思わなかったのか?」


 首を横に振った。美幸の記憶の断片で、生前の彼女を見ている。使う気になどなれない。それに自分は盗人ではない。

 「とんでもない。だって怖いし、怨霊となる前、息子のために必死で貯めたお金なんですよ」


 「ふふ……」軽く笑った。「やはり、お前はいい子だな」


 「そんなことないですよ」


 「無事にふたりの亡骸を一緒にできたら、この金を恵まれない子供達の為に全額募金しよう。生前の美幸なら、きっと喜ぶはずだ。本来は心優しい女なのだから」


 笑みを浮かべた。

 「それはいい考えだと思います」


 腰を上げた紫音は、手提小型金庫を手にし、リビングルームを出た。「来い」と、寝室のドアを開けた。


 寝室に入ったふたりは、壁に貼ってある住人の名前を書いた張り紙に驚いた。

 「これは……」


 301号室の大森の名前を指した。

 「ちょっとした情報だが、こいつが乗っている自動車の色は茶色」


 結愛はあからさまに嫌な顔をした。

 「うちの車と同じ色……」


 「じつは車種も同じ。店長さんも気の毒にな」


 「最悪……」


 紫音は、引き出しから紫水晶の細石(さざれ)をテグスに通して作った鎖を手提小型金庫に巻き付けた。


 「私の気を込めたものだ。これを巻いたほうが安全だ。このケースには非常に強い念を感じるからな」


 そのとき、道子が現れた。


 道子が紫音に伝える。

 「304号室に住んでいた久保田のりおが死んだ……」


 死因を訊く。

 「久保田が? 美幸に取り憑かれたのか?」


 デスクの上に置いた手提小型金庫を指した。

 「それを盗んだから」


 「残念だ……あいつまでこの金に手を出すとは……」


 海斗と結愛はショックを隠しきれなかった。決して悪い人ではなかったが、和真たちと同じように現金に目が眩んだ。


 海斗はぽつりと言った。

 「どうして盗んだりしたんだよ……」


 「久保田さんにまで死んでほしくなかった」


 手提小型金庫は紫音に渡した。ここに長居しては美幸が現われるので、ふたりは自宅に戻った。リビングルームのソファに腰を下ろし、手軽なお茶漬けで朝食を済ませる。その後、結愛はどうしても気になることを打ち明けた。


 「もう一度、奇霧界村に行こうと思うの」


 「どうして?」


 「幕の内スーパーの新しいドアの取っ手がどうしても気になる。だってお父さんは取り替えていないっていっていた」

 

 確かにそれに関しては自分も気になる。

 「そうだね、行ってみよう。うちに破壊中電がひとつしかないから、結愛ちゃんの自宅にないかな?」


 「うちの車庫にあるよ。奇霧界村に行く前に寄っていこう」怨霊バスは恐ろしい体験をしているのでもうこりごりだ。「タクシーはお金がかかるし、事情を話してお父さんに連れて行ってもらおう」


 「取っ手が新しいなんておじさんだって気になるはずだから、むしろ話したほうがいいかもね」


 京太郎が仕事を終えたあと、奇霧界村に連れて行ってもらう。美幸さえ現われなければ普通に過ごせる。疲れを取るためにも、夜まで休むことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る