25.終止符

 大森は京太郎を突き飛ばし、通路を走った。


 「やるねぇ。この僕を突き飛ばすなんて」京太郎は尻もちをついた状態で、背中から拳銃を抜き、銃口に狙いを定めた。「銃は得意なんだ」しかし、気が変ったのか、「やめた。即死はつまらない。獲物は追いかけたほうがいい」と言って、拳銃を通路に放り投げた。「も~いいかい? ま~だだよ。も~いいかい? ま~だだよ」


 独り遊び。殺人は常にゲームと同じだった。誰かに殺されたくて殺人を続けていたのかもしれない……逮捕されて死刑になるまでのゲーム。


 「五十数えてあげるから、そのあいだに逃げてごらん」幼女を殺害するときは、たまに鬼ごっこをする。「楽しい狩りの始まりだ……」


 狂った殺人鬼の京太郎が数を数えているあいだに、社員通用口から飛び出した大森は、海斗たちを探す。周囲を見回したが、暗くてよく見えない。


 このあたりで身を隠せる場所は……裏山か……


 京太郎が来る前に裏山へ走る。


 そのころ、鬱蒼とした木々が生い茂る山道を三人は走っていた。脳みそがミッシングされたかのように、ぐちゃぐちゃになってしまったようだ。あまりにも驚愕の現実に頭がついていかない。


 三十年前、堀田美幸、堀田海里、河野正敏、大石道子を殺害したのは、熊谷賢三と……八城京太郎。

 

 京太郎に過去の話を聞いたとき、正敏さんが合い鍵で美幸の自宅の玄関を開けた、と言っていた。そして……正敏さんが殴られた狂気の灰皿がテーブルに置いてあったと、はっきりとそう言った。これは犯人でなければ知り得ない情報だ。

 

 桃木から聞いたと言っていたがすべて嘘。あの場で三人を殺害した犯人だから知っていた。なぜなら灰皿で正敏の顔を殴ったのは京太郎なのだから。


 信じていたのに、どうして!


 「お父さん……」と、結愛は憔悴しきった表情をして呟く。


 海斗と美波は結愛の気持ちを思うと涙が溢れてきた。

 

 走り続ける三人の背後から足音が聞こえたので、茂美に身を隠した。


 目を凝らしてそちらの方向を見ると大森だった。


 大森のことをもうひとりの犯人だと思っていた。熊谷と組んでいた元同僚。助けてくれたが、すぐに信用はできない。


 「絶対にここから動かないで」ふたりに言って立ち上がった。


 美波は行ってほしくない。

 「駄目、危ないわ」


 「敵か味方か確かめたいんだ」


 木の影から出た海斗に気づいた大森は、こちらに駆け寄ってきた。

 「大丈夫か」


 「大森さん、どうして俺達を助けたんですか? あなたは熊谷に相棒と呼ばれていた。俺はあなたを犯人だと思っていた」


 「俺が刑事だった頃、熊谷と組んで仕事をしていたのは坂上から聞いているだろう」


 「ええ」


 「もう少し上まで行ったほうが隠れられる。走りながら話す」美波と結愛に目をやった。「おまえたちも行くぞ」


 三人は大森に言われたとおり、走った。


 「三十年前にあの事件の捜査が途中で打ち切られ、納得がいかなかった。三人が殺害され、幼女は誘拐されているのに、捜査が打ち切られるなど、どう考えてもあり得ない。だから、俺はピンときたんだ。政府と警察の上層部が絡んでいるってね。

 独りで事件を調べていくうちに、熊谷が政界と繋がっていることを知った。これはきっと熊谷がこの事件に何らかの形で関わっているだろう、ということに気づいたが、これ以上、単独で捜査を続ければ、自分がこの世から消されてしまうような恐怖と不安に駆られ、この事件を追うのをやめたんだ」


 疑問を口にした。

 「だったらどうして、また事件を追うようになったんですか?」

 

 「やっぱり殺人鬼が野放しになっていることが許せなかった」


 自分たちは見当違いをしていたようだ。悪と思っていた人間が正義で、正義と思っていた人間が悪だったとは……


 「あなたが味方だということがわかりました」


 そのとき少し遠くの方から足音が迫ってきた。


 「京太郎だ。もう少し上まで上って身を隠そう」


 すべてが限界だった結愛を、海斗は負ぶった。

 「俺が守るから」


 海斗の背中に乗った結愛はひとことも発さなかった。

 「……」


 後方から聞こえる足音がこちらに迫ってくる。息を切らして逃げる彼らのうしろ追いかける京太郎の姿が見えた。


 京太郎は、奈落へと突き落とされた結愛の気持ちは無視し、斧を振りまわしながら大声を張り上げた。


「嘉代子を埋めた車庫の地面に一緒にセメントを流したよね。懐かしいねぇ、覚えてる? そうか未だに記憶が戻らないんだったね。おまえの記憶がいつ戻るんだろう、ってハラハラするのが楽しかった」


 結愛は号泣した。

 

 嘉代子は京太郎に殺されていた。


 両手で耳を塞いだ結愛は、海斗の背中から転倒した。海斗は結愛の手を引き、起き上がらせ、ふたたび走った。


 「逃げないと、殺される」酷な台詞だが、京太郎に掴まれば斧で八つ裂きにされる。


 斧を振り回しながら高笑いし、追いかけてくる。


 「あのときにおまえも殺しておくべきだった! 大人になりやがって! 嘉代子と一緒だ! 僕は自分の子供が欲しかった! 自分の子供に悪戯したかったんだ。どうしても悪戯したかった!」大声で喚き散らしたあと、真顔で訊いてきた。「海斗君とは……したの?」


 京太郎は斧を結愛に向かって投げ飛ばした。

 「死ね! あっはっは!」

 

 「危ない!」と、大森が咄嗟に結愛の前に出た。


 勢いよく飛んできた斧が大森の胸に突き刺さった。夥しい血液が流れるのと同時に、彼は大地に倒れた。


 「楽しい、楽しい、人間狩りだよ~」

 

 大森の死を見たせいで失われた記憶の断片が蘇った。

 

 十年前―――


 涼しくて心地よい昼下がり。六歳の結愛は茶の間でうたた寝をしていた。


 それから数時間後、ふと目を覚ますと、京太郎にスカートを捲りあげられていた。悲鳴を上げてスカートを手で押さえ、京太郎を突き離そうとした。だが子供の結愛にはどうすることもできなかった。


 暴れる結愛を押さえつけて下着を剥ぎ取ろうとしたそのとき、予定より早く帰ってきた嘉代子が茶の間に入り、知ってはならない京太郎の本性を見てしまったのだ。


 嘉代子と結婚したのは子供を作るため。大人の女には興味がない。労働のような義務だと思いこなしていたセックスも限界だった。そろそろ嘉代子も殺そうと思っていたので丁度よい機会だった。結愛を助けようとした嘉代子は花瓶で頭部を殴りつけられ、即死する。


 母親の死。それも父親に殺害される。


 あまりにもショッキングな光景に気絶した。


 その後、目を覚ましたときには記憶は無かった。自分が何故、京太郎に殺害されなかったのか、その理由はわからない。

 

 「あのころの車庫の地面は土だったから、嘉代子を遺棄した。そのあと楽しみながらおまえを殺そうと思ったら目を覚ました。そうしたら予想外の記憶喪失だ。それが僕にとっておもしろかった。遊びでおまえに付き合うことにした。いい父を演じ、毎日が役者だ」


 記憶が戻った結愛は悲鳴を上げ、我を失い、山道を駆け登っていった。

 「お母さん!」


 海斗と美波は結愛を追った。


 京太郎は大笑いした。

 「楽しかったよ! 僕はかわいそうな被害者、そしていい父親。世間は殺人鬼である僕に同情してくれる! その滑稽な光景にいつも腹の中で失笑していた。桃木もずっとこの僕を親友だと信じて疑わなかった! 世の中どいつもこいつも馬鹿ばかりだ!」大森の胸に刺さった斧を抜く。「楽しかったよ、仲良しの親子を演じるのもね。だけど、もそろそろ飽きちゃったんだ」


 号泣する結愛は走り続けた。どこに向かっているのかなんて、そんなことはどうでもよかった。どうすればよいのかわからずに、ただ走り続けた。

 

 いつの間にか鬱蒼とした木々を抜け、大きな池のある場所に出た。その水面は底が見えないほど濁っており、不気味な雰囲気を漂わせていた。


 池の辺(ほとり)に目をやると、なんと和真のスマートフォンが落ちていたのだ。


 それを見てはっとした。


 「鏡の水面……」


 美波は、スマートフォンを拾い上げようとした海斗に言った。

 「池に近寄ったら危ない。落ちたら、這い上がれない気がする……」


 京太郎は大森の血が付着した斧をペロリと舐め、三人がいる泉の辺に歩を進めた。

 「底なしの池……昔はね、澄んだ池だったんだ。美幸を捨てた頃から、異様に濁り出したんだよ。ここは彼女のお気に入りの場所でね、“鏡の水面”って呼んでいた。

 晴れた日には、澄んだ水面に綺麗な青空が反映されるんだって。それが鏡みたいに綺麗とか何とか言っていたけど、ぜんぜん興味なかった」


 「聞きたくない! 何かもかも、聞きたくないの!」と、狂った泣き声を上げた結愛は、意識を失った。


 美波が大声を張り上げた。

 「どうして、こんなことができるのよ!」


 冷静に答える。

 「どうしてって訊かれても……衝動かな。狼人間が血を求めるのと一緒だ。僕の中に棲む怪物が言うんだ。子供の血が欲しいってね……」


 「狂ってる!」


 「そんなことはとっくに知ってるよ」京太郎は美波に向かって斧を振り下ろそうとした。「お喋りは厭きた。そろそろ死ね」


 「危ない!」と、海斗は咄嗟に美波に覆い被さった。

 

 その直後、突如、鬼の形相の美幸が池から現われ、京太郎を羽交い締めにした。

 「おまえだったのか!」


 京太郎は瞬時に池に沈められた。水面にはゴボゴボ……と気泡が浮き上がり、やがてそれも消えた。


 美幸の亡骸はこの池の底にある。そして海斗の亡骸は幕の内スーパーの隠し部屋にある。すべてが終ったように思えたそのとき、池から美幸が這い上がり、海斗のTシャツを鷲掴みにしたのだ。凄まじい力で池に引きずり込もうとする。


 美波は叫んだ。

 「やめて―――!」


 このままでは池の底だ。美波に向かって手を伸ばす。

 「母さん!」


 「ゴボゴボ……迎えに来た……」


 「待て、美幸!」と、死んだと思っていた坂上が、茂みの中から紫音と共に現われた。坂上は手にしている頭蓋骨を美幸に差し出した。「おまえの魁斗はこっちだ」


 その瞬間、悍ましい姿の美幸の体から、魂が抜け出したのだ。その体は骨となり、池に沈んでいった。魂の美幸は生前の美しい姿に戻った。そして、魁斗の頭蓋骨からも彼の魂が抜け出し、生前の姿で現われた。ふたりは歩み寄り、固く抱きしめ合い、一筋の光となって、空へと消えていった。


 ふたりが消えると、奇霧界村を覆っていた霧は晴れた。紫音は空を眺めた。


 今頃、兄さんも天国へ行っただろう……


 「紫音」と、道子が現われた。身体が光に覆われている。


 「おまえも行くべき場所へ行くがいい」


 紫音に抱きついた。たくさんの思い出がある。いまで共に美幸たちの亡骸と自分の骨を探していたが、美幸の怒りと憎しみという闇によってすべてが隠され見ることができなかった。ようやく成仏するときが来たのだ。だけれど、やはり寂しい。

 「いままでありがとう」


 目に涙が浮かんだ。紫音にとっても道子はかわいかった。これからは死ぬまで独りだ。若い頃から結婚にも子育てにも興味がなかった。しかし、長いあいだ道子と生活を共にし思ったことは、子供のいる人生も悪くない。

 「こっちこそ、楽しかった」


 「これからどうするの?」


 晶子が生きていた頃は都会で占い師をしていた。テレビにも出演したこともあり、本も執筆したこともある、よく当たると有名だった。この未解決事件の真相を明らかにするためにここに住んでいたが、田舎は肌に合わない。また都会で占い師として活躍する。

 「人生、もう一花咲かせるさ」


 「紫音らしい。いつかまた会える。誰もが行く場所へ行く。またね、紫音」


 「ああ、またな」


 約三十年間、共にいた。寂しいが道子が成仏したことを喜ぶべきだ。道子も天国で晶子と再会するだろう。私たちは永遠の別れではない。また会える。また三人でお喋りしよう。


 そう……私が命を全うしたときに……


 「道子も救われた。魁斗と同じ場所に埋められていた……これで何もかも終った」と、坂上も空を見上げた。


 すべてを見届けたあと気を失い倒れた。京太郎に斧で切りつけられた背中が。ぱっくりと開いて出血している。やっとの思いで魁斗の遺骨を掘り起こし、ここまでやって来たのだ。


 「安心しろ。もうすぐパトカーと救急車が来る」


 紫音は気絶している結愛に歩み寄った。


 坂上が負った怪我は時間の経過と共に治癒する。だが、結愛の心の傷は……立ち直れるのだろうか……兄が犯人の名前を知っていても間接的に絵で伝えようとした理由は、京太郎が犯人だったからだ。結愛のことを思うと、愛する者や自分が殺害されているというのに直接伝えられなかった。


 優しい兄さんらしい……


 海斗は紫音に顔を向けた。

 「俺が支えます。結愛ちゃんは大事な友達だから」


 「そうしてやれ。彼女には誠の友達が必要だ」


 その直後、パトカーのサイレン音と救急車のピーポー音が聞こえた。


 警察は、京太郎の遺体と美幸の白骨を池から引きあげた。そして幕の内スーパーの休憩室の隠し部屋に遺棄されていた魁斗の白骨と道子の白骨も掘り起こされた。正敏の白骨はこの裏山から見つかった。三十年前に熊谷らによって隠蔽された未解決殺人事件に終止符を打つ。


 警察は八城家の車庫の床下から嘉代子の白骨を発見した。怨霊バスの乗客たちの死体は見つからないが、美幸が消えたいま、彼らの魂も成仏したことだろう。

 


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