17.繋がり

 入居者の名前が書いてある張り紙を貼った室内に、マジックインキを持った紫音が立っていた。そこへふと道子が現われた。


 「入居者は死ぬか出ていったかどちらかだ。このアパートに残っている者を教えてくれないか?」


 「こいつは死んだ……で、こいつは出ていった」と、張り紙に書いてある名前を指す。


 紫音は残っている者の部屋の番号と名前を書いた。



 【ファントムの住人】

 ―1階―


 <101> 

 空室


 <102> 

 自分


 <103> 

 空室


 <104> 

 青島文夫(57歳) ※フリーカメラマン


 <105> 

 空室


 <106> 

 関内俊(24歳) 関内マム(23歳) ※新婚




 ―2階― 


 <201> 

 坂上竜司(66歳) ※フリールポライター


 <202> 

 空室

 

 <203>

 空室


 <204> 

 香坂美波(38歳) 香坂海斗(18歳) ※キーパーソン

 

 <205> 

 空室


 <206> 

 空室




 ―3階―


 <301> 

 空室


 <302> 

 熊谷賢三(67歳) ※30年前の事件を担当した元刑事


 <301> 

 空室


 <304> 

 久保田のりお(40歳) ※漫画家


 <305> 

 空室


 <306> 

 空室

 


 新しく張り紙を書き直した。

 「いつの間にか引越した連中も多いようだ。私を含めて七人か」


 「死んじゃう前に引越したほうが利口」


 「そのとおりだ」106号室の関内俊と関内マムに目をやる。「このふたり……」


 「死期が近い。死相が見えた」


 「そうか、お前にも見えたか」袖から苺キャンディを取り出し、道子に渡した。「食え」


 「ありがとう」


 苺キャンディを受け取った道子は、くるりと通路を向き、「ケンケンパ、ケンケンパ」と、壁をすり抜けて出て行った。


 紫音は寝室を出て、リビングルームへ行き、テーブルに座った。水晶玉に手を翳し、仄かに光り放つ水晶玉を見つめる。


 「ふたりの亡骸はどこにある……」


 奇霧界村に行って霊視をしても、靄がかかって肝心なことが見えない。水晶の中も同じ。怒りの念がすべてを隠してしまっている。ファントム奇霧界に近づく者、このアパートでも、皆殺しにする気か……


 重苦しい溜息をついた直後、玄関のチャイムが鳴った。


 「おや? 客か?」テーブルから立ち上がり、「はいはい、いま出るからな」玄関に向かい、ドアを開けた。


 海斗と結愛が挨拶する。

 「こんにちは、紫音さん」


 「おまえたちか」


 海斗は真剣な面持ちで言った。

 「こんにちは、紫音さん。見てもらいたい画像と、お話したいことがあります」


 「入れ」


 ふたりはリビングルームに入り、床に置いた座布団の上に腰を下ろした。


 紫音はふたりにお茶を出し、腰を下ろした。


 「で? 話とは?」


 海斗は、体験したことを話した。


 道子が出てきた夢、零時に怨霊バスに乗り奇霧界村へ行ったこと、そして死者の記憶の中に入り込んだこと、自分たちが体験した現実離れした話をすべて打ち明けた。


 「道子は夢の中で紫音さん信頼で結ばれていると言っていました」


 「ああそうだ。水晶玉では見えないこともある。言うなれば情報提供者といったところだろうか。類稀な霊能力を持った子供だった」


 「まるで道子の生前を知っているような口ぶりですね」スマートフォンに収めた道子と晶子が写った画像を見せた。そして真摯な面持ちで訊いた。「紫音さんは大石晶子なんじゃないんですか? つまり道子の母親なのでは?」


 「まるで尋問だな」


 「隠し事はしないで真実を教えてほしいだけです」


 結愛は言った。

 「紫音さんは晶子さんと目がそっくりです。晶子さんは道子ちゃんを失い、気が狂ってしまったと、お父さんから聞いています。だから、もしかしたら違うかもしれないって、海斗と話し合いましたが、画像を見れば見るほど、晶子さんと紫音さんが似ているとしか思えなくて」


 「悪いが私の若い頃のほうが美人だった」真剣なふたりとは対照的な悪戯っぽい笑みを浮かべた。「でも確かに似ているかもしれんな」


 海斗は語気を強めた。

 「こっちは真剣に訊いているんです。ちゃんと答えてください。紫音さんだって遺骨を見つけたいですよね」


 眉根を寄せた。

 「ああ、おまえたち以上にな。だがなおまえたちは、あのふたりの亡骸を見つけさえすればいい。余計な詮索はするな」


 「俺たちだって必死なんです。美幸から解放されかぎり学校にも行けないし、なにより彼らの亡骸を引き合わせてあげたい。あんな惨い頃され方をしてかわいそうだ」


 暫し紫音は考えた。そして真実を教えることにした。

 「私は晶子ではない。私は若い頃から占い師であり霊能力者だ。道子が死んでから晶子をファントム奇霧界から引越しさせたあと、精神科に入院させたのは私だ。そして……その三年後、晶子は首を吊って死んだ。晶子はもうこの世にいない」


 ふたりは目を見開いた。


 海斗は尋ねた。

 「紫音さん、あなたはいったい……」


 「私と晶子は双子の姉妹だ。大切な妹。だからこそお前達以上に犯人が憎い。紫音という名は、仕事で使っている名前だ。おまえの母さんにも源氏名があるだろう。私の本当の名前は河野靖子(やすこ)だ。晶子の旦那は道子が生まれて間もなくして、仕事中に不慮の事故で死んだ」


 やはり結愛が想像していたとおり、晶子の旦那は亡くなっていた。

 「河野正敏は紫音さんのお兄さんなんですね?」


 「ああ、そうだ」


 海斗は尋ねた。

 「どうしてそんな重要なことを黙っていたんですか?」


 「美幸の事件とは関係ないからだ。しかし道子がおまえたちを導いた。道子に従おう」

 

 「魁斗の父親はいまどこにいるんですか?」


 答えた。

 「美幸は男運が悪くてな。元夫はギャンブル依存症で酒癖も悪かった。養育費も慰謝料も払わずに離婚届だけ書き残して失踪した。その後、美幸は男性不信だったが兄さんと出逢って恋に落ちた。兄さんは真面目で心優しい男だった」


 離婚の理由も美波と同じだった。

 「苦労したんだな」

 

 「晶子も美幸もシングルマザーだったから気があったのだろう。生前の美幸と会ったことがある。絶世の美人で思いやりのある女だった」


 海斗は紫音にスマートフォンを渡し、収めた全ての画像を見せた。

 「美幸のアルバムにあった写真です」

 

 晶子に接客されながらも美幸を凝視している坂上竜司と、美幸を独占してご満悦な熊谷賢三の写真の画像を見た紫音は顔色を変えた。

 「ここに住んでいる熊谷と坂上だな」


 「はい。母さんの勤務先のスナック麗という店で撮った写真だと思います」名刺の画像を見せた。「間違いないですよ」


 「スナック麗……晶子はこの店で働いていたのか」画像の晶子の顔を見つめた。「残念ながら私には坂上と熊谷の接点がわからない。晶子には水商売をしていると聞いていたが、店の名前までは聞いてなかった。だからと言って不仲だったわけじゃない。互いに生活していた土地が違う。会うのは年に三回程度。仕事の話は抜きにして、楽しく酒を飲んだものだ」


 坂上について教えた。

 「手の甲のちょうど親指の下あたりに大きなほくろがあるんです」絆創膏を貼ってある坂上の手を指す。「以前、このアパートで合ったときは隠してなかったのに、今朝会ったときは、この写真同様に絆創膏を貼ってほくろを隠していました。本当に何も知らないんですか?」


 「……」紫音は話を逸らすように言った。「スナック麗に行ってみるといい。私にはやらなければならないことがある。それはおまえたちに任せよう」


 「久保田さんもこの未解決事件を調べているんだ。何か知ってないかな?」ふと思った。「そう言えば、最近、久保田さんを見かけてない」


 道子は何も言ってなかった。生きていることは間違いない。だが、海斗の言うとおり見かけていない。


 そのとき、水晶玉が仄かに光った。紫音は慌てて駆け寄ると、そこに道子の顔が浮き上がった。

 

 「生きてる……だけど衰弱してる。彼は伝えようとしている。それがもう終った。彼の部屋に行ってみて」


 「どういう意味だ?」


 「急いで……」


 海斗は尋ねた。

 「久保田さんの身に何かあったんですか?」


 「わからん、行ってみなくては」


 「急がなきゃ」と、結愛は立ち上がった。


 三人は急いで304号室に向かった。チャイムを鳴らしてみても久保田は出てこない。試しにドアの取っ手を回してみると、施錠されていなかった。

 

 玄関に入った紫音は、大声で久保田を呼んだ。

 「おい! 久保田! いるなら返事しろ!」


 返事がないのでリビングルームに入った。すると壁一面に幾つもの手が描かれていた。すべての手にほくろが描かれており、そのほくろの上にバッテンが描かれている。


 目出し帽を被った男の絵も描かれ、とくに目元は鮮明に描かれていた。漫画家としてそれなりにキャリアが長いので画力がある。正敏は久保田の手を借り、癒えることのない無念さと、犯人を伝えようとしていた。


 海斗は床に落ちている原稿用紙を拾い上げて描かれている絵を見る。やはり……壁に描かれている手と同様に本物のほくろとは違う。それこそ、美幸の記憶の中で見た犯人の手にあったほくろもマジックインキで書かれているように思えたが、これも……

 

 紫音もその絵を見つめた。


 兄はまるで犯人を知っているかのようだ。それなら何故、犯人の名前や顔を久保田に描かせなかった? 犯人の名前を言えない理由でもあるというのか? 美幸や魁斗、そして自分を殺した殺人鬼だ。何を躊躇う必要がある。


 壁に絵を描き続ける久保田に歩み寄った。

 「兄さん……辛いよな……。でもな…自分を責めるな。兄さんが悪いんじゃない。犯人の名前を教えてくれ」


 久保田は返事しない。首にかけた数珠玉ネックレスをはずし、鞭のように久保田の背中に弾かせた。


 「兄さん! 久保田を開放しろ!」


 すると、久保田の背中から正敏が出てきた。紫音の顔を一瞥し、その場から姿を消した。


 憑依されていた久保田は床に倒れそうになったが、海斗が体を支えた。

 「大丈夫ですか!」


 久保田が目を覚ました。自分の身に何が起きたのわからない。壁一面に描かれた絵に驚き、目だけで室内を見回した。その後、体を起こそうとしたが、眩暈を感じ、ふらついた。


 正敏に憑依される前のことを話す。

 「洗面所の鏡に、顔面と頭部が崩壊した男が映った。あれは間違いなく殺害された河野正敏だ。ヤツが俺に乗り移った瞬間から、まったく記憶がない」頭を押さえた。「具合わりぃ。頭痛は酷いし、眩暈もする」


 紫音が言った。

 「脱水症状だ。病院に行ったほうがいい」


 「必要ない。休んでいる暇も余裕もない。脱水症状で体内から水が抜けたんだ。水を飲めば治る」


 紫音は呆れた。

 「そう単純ではないと思うが、もしくたばっても自己責任だな」


 久保田は、床に落ちた原稿用紙を拾い上げ、肩を揺らして小さく笑った。

 「俺の絵だ。これらは直接作品に使おう。具合悪かろうと何だろうと、憑依されてよかったぜ。いい絵が手に入った。水飲んで一眠りしたら仕事する」寝室に向かう。「絵を見たら適当に出て行ってくれ」


 変わり者だ……海斗は返事した。

 「わかりました」


 紫音が気になる原稿用紙を見つけたので拾い上げた。

 「これを見てみろ」


 二人は原稿用紙を見た。


 漫画同様にコマ分けされた原稿用紙に描かれた奇妙な絵。

 

 一コマ目には、生前の美幸と坂上が椅子に腰を下ろしている様子が描かれている。


 二コマ目には、美幸の肩に手を置く坂上。その手の親指の下には絆創膏が貼ってある。


 三コマ目には、絆創膏を外した坂上の手が描かれていた。


 その絆創膏の下に隠されたほくろは少し盛り上がっており、桃木のほくろと同じくらいの大きさだ。


 壁に描かれた目出し帽を被った犯人の手の甲にあるほくろは、画力のない者が描いたかのように立体感がなく、この原稿用紙に描かれたものとは明らかに違う。


 海斗は疑問をいだいた。

 「犯人が桃木さんと坂上さんになりすまし、ふたりに罪をなすりつけようとしているとしか思えない」


 結愛が言った。

 「犯人がわかれば警察の捜査により、死体を遺棄した場所が特定され、遺骨が見つかる」


 そのとき、海斗のスマートフォンの着信音が鳴った。


 美波からだった。


 スマートフォンを耳に当てる。


 「もしもし、母さんよ。大至急来てほしいの」


 「どうしたんだよ」


 今朝、郵便受けに入っていた茶封筒とその中身について教えた。そのあと画像を送信してきた。


 その画像を見た紫音は目を見開いた。

 「これは念写……この写真に写っている男の手の甲のほくろも、まるで描いたかのような……」もうひとつの画像には同封されていたビラ。「“本当に桃木か?”」


 ここの壁に描かれた絵と同じだと海斗は思った。

 「襲われるほんの一瞬に見たら、ほくろに見えるかもしれない。それと遠くから見た場合」


 結愛は推理した。

 「本当に手の甲にほくろのある人物が犯人だったら絶対に隠すはず。犯人は誰かに見られたときのことを考えて、あえてほくろを描いた。そうすれば桃木さんと坂上さんに罪をなすりつけることができる。だけど、美幸の家に行くまでのあいだ、運よく誰にも見られなかった。その代わり亡くなる直前の美幸さんがそのほくろを見てしまったせいで、桃木さんが呪い殺された」


 慧眼を持つ紫音が推理する。

 「いや……犯人にとって誤算だったんじゃないか? 本当は誰かに見られたかった。顔は目出し帽で隠れているからわからない、となれば……警察は身体的な特徴を手掛かりとするはずだ。これだけ特徴的なほくろはそうない。犯人を決定づけるには、もってこいだろう。狡猾で卑劣な連中だ」


 「母さんが送信してくれたこの写真の実物を見てみたい。送り主も気になるし」


 「それは私も同感だ」


 「それなら、いまからあたしの家に行こう」


 紫音と晶子と正敏が血の繋がった実の兄妹であることを誰にも言わない約束をし、結愛の自宅へと向かった。

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