16.ほくろ
早朝五時半。
どんよりとした鈍色の空。雨が降りそうだ。寒くて目を覚ましたふたりは、驚くことにアパートのバス停の前にいたのだ。
どうなっているのか状況を把握できなかった。炎上したバスの中にいたはずなのに……
「バスの運転手が美幸のお金を盗んだから起きた事故。だけど単独事故だったはずだ。あの乗客たちは何なんだ……」
「それはわからないけど、和真君たちもお金を盗んで美幸に呪われ、魔のカーブで事故死した……知りたくない真実もある……」
彼らが死んだ真相を知ったふたりは、しばし無言でアパートへ歩を進めた。すると106号室からスウェットを着た二十代の男が出てきた。
彼らと距離が縮まると、ヤシロマートを利用する関内俊が結愛に挨拶した。
「おはよう」
このふたりは美幸を見たことはないのだろうか?
「おはようございます」
海斗はさりげなく訊いてみた。
「ここに住んでいる人から幽霊が出るって聞いたんですけど、見た事ありますか?」
「俺たち霊感とかないから、見たことないよ」
意外だった。まだ見てない人もいる。
「そうですか……」
「君は見たのかい?」
嘘をついた。
「いいえ、俺も霊感ないんですよ」
「それじゃあ、俺はこれからジョギングだから」
彼との距離が開いた直後、A4サイズの茶封筒を持った坂上が階段を降りてきた。機嫌が悪いのか目を合わせずにふたりを無視し、通り過ぎた。
きょうはあの写真と同様に、右手の甲にはほくろを隠すように絆創膏が貼ってあった。前回会ったときはほくろを隠していなかった。
まるで、美幸から逃れようとしているように思えた。だったら何故ここに住む? わざわざ自ら危険飛び込むような事をする必要などないはず、と疑問が湧いた。
海斗は言った。
「仕事前のジョギングで早起きするのはわかる。だけど坂上さんはこんな時間にどこに行くんだ?」
「気になるよね」
ふたりは階段を上るふりをして坂上の様子を窺う。彼は104号室のフリーカメラマンの青島の自宅玄関のチャイムを鳴らし、ドアを蹴飛ばした。
「青島ぁ! 出てこいコラァ!」凄まじい剣幕で捲し立てる。「いるのは知っているんだ! 殺すぞ!」
怒鳴り声に驚いたふたりはそっと様子を見る。
青島がドアを開けた。
「いま何時だと思っている? 近所迷惑だ」
「ほとんどの住人が出ていった。気にする必要はない」
「お隣さんはまだ住んでいる」
「そんな事はどうでもいいんだよ」茶封筒を青島にぶつけた。「どういうつもりだ!?」
「俺が郵便受けに入れたのがバレたか?」
「当たり前だ! てめえの他に誰がいる! 二度と同じことするんじゃねえぞ!」
「だったら警察にでも言って見ろよ」
顔を強張らせた。
「嫌な野郎だ」
口元を緩ませた。青島には余裕がある。
「警察に言えない理由は?」
「単純に警察が大嫌いだからだ。美幸のときも金魚の糞みたいに俺の周りをうろつきやがって。俺は……美幸をやっちゃいない。誰も殺していない」
「だったらこの写真をしっかり見たよな? そして俺からのメッセージも読んだよな?」
「“本当にお前か?”と書いてあった。俺を疑っているのか? ふざけるな! クソ野郎!」
「この写真は念写だ。そこに隠されたヒントに俺は気づいた。ルポライターは利口なはずだろ。それともお前が馬鹿なのか?」小さく笑った。
そのとき、坂上と同じ茶封筒を手にした熊谷が階段から降りてきた。
「こんな朝早くに何やっている」と、ふたり声をかけた。
海斗は誤魔化した。
「ジョギングから帰ってきました。104号室から大声が聞こえたので吃驚してしまって……」
「あいつも青島にようがあったんだな」鋭い目を向けた。「さっさと部屋に戻れ」
これ以上、ここにいると怪しまれるので自宅に戻った。
104号室に歩を進めた熊谷は、坂上の後方から話しかけた。
「もう用は済んだか? まさか、お前がここに住んでいるとはな。自ら危険に飛び込むとは」と、言い、104号室へと入っていった。
「もうこんなことするな、いいな」と、青島に念を押した坂上は通路を歩いた。
俺がここに住む理由は誰にもわからない。わかってたまるものか。
「クソ……邪魔な奴らばかり集まりやがって。いっそうのこと邪魔な奴は、消えてしまえばいいのに。なあ……美幸……おまえもそう思うだろう……」口元に笑みを浮かべた。
◇・・・◇・・・◇
六時半にセットしていた目覚まし時計が鳴った。布団にもぐっていた京太郎は、目覚まし時計を止めた。
そのころ仕事で深夜三時に帰ってきた美波は、結愛の寝室で眠っていた。だが、最近は眠れない日もある。やはり海斗と結愛が心配なのだ。
パジャマからスウェットに着替えた京太郎は、新聞を取りに行くために、玄関を出て、郵便受けの扉を開けた。すると、新聞と一緒にA4サイズの茶封筒が入っていた。取り出して見てみると、送り主は書かれていない。
茶封筒の中に入っているビラを取り出した。それを見た瞬間、手からそれが滑り落ちた。
茶封筒の中にまだ何か入っていたので、取り出してみると不思議な白黒写真だった。青島が大事に保管していた道子の念写。首を絞める瞬間手が映っている。その手には親指の下に印象的な大きなほくろ。
「本当に桃木か? この道子の念写を見ろ」と、京太郎の背後にいた美波が紙を拾い上げて読んだ。
京太郎ははっとし、美幸を見た。
「起きたんですか?」
「ええ、寝ていましたが、息子のことを考えると、最近眠れなくて」京太郎が手にしている写真に目をやった。「なにこれ? この写真、気味悪いわ。黒い靄がかかっててまるで心霊写真みたい。悪質だわ。いったい誰がこんなことを?」
美波は道子を知らない。但し、桃木のことは、ちらりと京太郎から聞いた。だがその桃木の手の甲にほくろがあったことは知らない。
京太郎は説明した。
「誘拐された道子ちゃんは類い希な霊能力を持っていたらしくて、これをポストに入れた人物は、これを道子ちゃんの念写だと思っているのでしょう。僕はその手の話はいまいち信用できない。
桃木にも右手の甲のほくろがありましたから、犯人を桃木だと思っているのかもしれない。どうやってこの写真を入手したのかはわかりませんが」
紙を京太郎に渡す。
「でも、“本当に桃木か?”って疑問形よ。この送り主は桃木さんではなく違う人物が犯人なのでは? と、言いたいのかも」
「わかりません。どっちにしろ悪質です」
「もし続くようなら警察に言ったほうがいい」
京太郎と美波は玄関に入った。
「三十年前の事件のときに警察が嫌いになりまして……でもエスカレートするようなら相談してみるしかないでしょう」
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