1.同級生

 ソファに腰を下ろす香田海斗(こうだかいと)は、コーラを飲んでポテトチップスを食べながら母親の美波(みなみ)と、引っ越しについて話し合っていた。


 「確かに学校から近いけどさぁ、わざわざ事故物件のファントムに住まなくてもよくない?」


 「事故物件よりもあんたの遅刻の方が怖いわ。留年するわよ。あたしのお客さんで、家賃が安いから貧乏生活していたときに、あそこに住んでいた人がいるの。彼はぜんぜん霊感がなくて、二年も住んだのに一度も見なかったって言ってたわ。まぁ、霊感のある人たちは人影を見たとか、ラップ現象が怖いとかですぐに出て行くみたいだけど」


 海斗は朝が苦手な遅刻魔だ。今住んでいる隣町から高校まで電車に乗って約三十分。ファントムに住めば、学校まで徒歩十分。遅刻の回数が減る、これが美波の狙いだ。互いに霊感がないので、お客同様に住んでもどうせ何も見ないだろうと思っていた。


 一ヶ月の家賃は2LDKで四万円、204号室のみ三万円、と、かなり安い。何事もなければ、海斗が高校卒業するまで、べつに事故物件でも構わない。幽霊が見えなければ、どこに住んでも同じだと考えていた。それなら安いにかぎる。細かいことはまったく気にしない性格。幽霊の存在もたいして信じていない。


 ちなみに現在のアパートに住んでいる理由は、美波が務めるスナック麗(れい)に近いためだ。それに海斗が通っていた中学校も近かった。しかし、高校に入学してからは、自宅からの距離が遠くなったせいか遅刻ばかり。子供のころから朝が苦手なのは知っているが、親としては遅刻せずに高校に通ってほしい。


 「俺的には、例え見えなくても事故物件に住むのは抵抗があるけど、あのアパート、結愛(ゆめ)ちゃん家の向なんだよなぁ」


 ファントムの向かい側に建つヤシロマートを経営する八城京太郎(やしろきょうたろう)の娘、結愛には母親がいない。彼女が六歳の頃に行方不明となった。当時、警察と住民による捜索活動が行われたが、未だに見つかっていない。


 だが、この町の行方不明者は彼女だけではない。合計十一人もの人たちがある日、突然、失踪している。行方不明者の中には多額の借金があった者や、家族と不仲だった者もいるが仲の良い家族で母親の嘉代子(かよこ)が家出する理由はどこにもなかった。


 店の窓ガラスにも嘉代子の特徴を載せた写真付きのビラが貼ってあり、商店街の各店舗にも同じビラが貼ってあるのだが、はっきりとした情報や手掛かりもなく、失踪してから十年の歳月が流れた。


 結愛は嘉代子がいなくなってから店の手伝いをしたり、家事全般を行っている。つらい境遇にも負けずに一生懸命頑張る結愛に想いを寄せる海斗は、一ヶ月前に告白した。しかし、“自分だけが幸せになるなんてできないの” と、振られてしまった。嘉代子のこともあって恋をする心境にはなれないのだろう。だが諦めたわけではない。もし、近くに住めば毎日一緒に登校できる。


 「あんたが好きだって言ってた子ね」


 「うん。超かわいいんだ」


 「付き合えるといいわね」


 「そうなるように頑張るよ。母さんもいつか彼氏つくれよ。俺が社会人になったら家を出るんだし、再婚してもいいんじゃない?」


 美波は十六歳で妊娠し、高校を中退して結婚した。だが、ギャンブルでの金の使い方に嫌気が差し、海斗が三歳の頃に離婚。その後、この町に引っ越してきた。勤め先のスナック麗には、託児所もある。シングルマザーにとってはちょうどよかった。長年働いているおかげで顧客も多い。将来は自分の店を持つ、それがいまの目標だ。

 

 「結婚はもうこりごり」苦笑いした。「入籍は簡単なの。籍を抜くときがストレスなのよ。いまは仕事人間よ」


 「その仕事だけど、ファントムに住んだらスナックから遠くなるけど大丈夫なの?」


 「送迎があるから問題ないわ」


 行方不明者が多いので、夜の商売の美波を心配する。

 「ならいいけど」

 

 「さぁ、あした学校に行ったら、明後日から夏休み。遅刻しないで行きなさいよ」


 適当に返事した。

 「はいはい」


 翌日、明日から夏休みということもあり遅刻せずに登校した海斗は、一年二組の教室へ入った。自分の席に着くと、友達の横峰和真(よこみねかずま)に話しかけられた。


 「おはよ、珍しい。きょうは遅刻じゃない」


 「さすがにきょうくらいは」


 「あしたから夏休みだしな。で、さっそくなんだけど、明後日の夜、暇? 兄ちゃんと池谷(いけたに)先輩の車で肝試しスポットに行くんだよ。なんてゆうか、キューピッド役で」


 1歳年上の和真の兄 淳也(じゅんや)と、その同級生の池谷はこの高校の卒業生だ。


 「キューピッド役?」尋ねた。「なになに、どういうこと?」


 野々村凛香(ののむらりんか)と、和真の彼女である本木沙也加(もときさやか)が、二人の許にやって来た。


 凛香がズイッと前に出た。

 「それについては、あたしが説明してあげる。沙也加と和真と遊んでいるときに、たまたま淳也君と一緒にいた池谷君に一目惚れしちゃったの。かっこよすぎてヤバい。仲良くなりたいから、淳也君に頼んで肝試しに誘ってもらったの。肝試しって、ちょっとしたことでも悲鳴あげて抱きつくことができるじゃん。なんか一気に距離が縮まって、トントン拍子で付き合えそう」


 海斗は呆れた。

 「フツーにデートした方がいいと思うけど」


 「だって、憧れの池谷先輩に抱きつきたいんだもん」


 沙也加が誘う。

 「海斗も一緒に来る?」


 肝試しの場所は察しが付いたが、とりあえず訊いてみた。

 「あの奇霧界村だろ?」


 「うん、そうだよ。このド田舎で肝試しスポットと言えば、そこしかないじゃん。でもおもしろそうでしょ?」


 「ある意味、もっとおもしろい話があるんだ」悪戯っぽい笑みを浮かべて、みんなに言いたかった話を切り出した。「じつは俺、あの事故物件ファントムに住むことになりそうなんだ」


 「え!? マジで!?」と、三人が驚きの声を上げた直後、教室に結愛が入ってきたので、沙也加が手招きした。「おはよう結愛、ちょっと聞いて、海斗がファントムに住むかもしれないんだって」


 「じゃあ家の近所になるんだね」と言いながら、艶やかなロングヘアを耳にかけて、自分の机のフックに鞄をかけてから、こちらにやって来た。

 

 もっと驚くかと思ったのに、あまり表情を変えなかったので、不思議に思った沙也加は尋ねた。

 「事故物件だよ、なんでビビらないの?」


 結愛は答えた。

 「あのアパートの入居者が、うちの店にけっこう来るの。見える人は、気持ち悪くて住めないから、すぐに出て行く。でも見えない人や、人影を見たくらいなら、けっこう住み続けている人多いんだよね。ホラーを描いてる漫画家が六年は住んでるよ。部屋を買い取ったみたい」


 「買い取る? 嘘でしょ?」


 「家賃も安いけど、買い取り金額も安いの。一部屋八十万。204号室だけ五十万だった」


 「けっきょく幽霊が出るから安いんでしょ?」


 「あのアパートが建ったのが十五年前なの。そのときは立て続けに幽霊が出たらしい。たまたま見える人たちが借りていたんだと思う。当時は殺人事件があったアパートに瓜二つっていうこともあって、事故物件って噂が広まったの。それからどんどん値段が下がって、いまではあり得ないくらい格安になったってわけ」


 凛香が言った。

 「どっちにしても気持ち悪いよ。ファントムの前にバス停あるの知ってるよね? 最終は十時だけど、零時に奇霧界村に行く怨霊バスが忽然と現われるらしいよ」

 

 「それこそ、都市伝説みたいなものだよ」軽く笑った。「あたしバス停を確認したことあるもん。周囲に何もない廃村に向かうバスなんてないよ。そもそもあの付近にバス停はない。当然、廃村になる前まではあったみたいだよ。いまは廃村を突っ切て、最終駅のバスターミナルまで行っちゃうよ」


 「ちがう、ちがう。いつも来るわけじゃない。ときどき零時に現われるの。そのバスにはこの町の行方不明者十一人が乗っているらしいよ」と言ったあと、はっとした。結愛の母親は行方不明者だ。「ごめん……」


 「いいの、気にしないで。あたしも、もしかしたらお母さんが乗ってるんじゃないかって、子供のころに思ったことがある。それがあのバス停の時刻を確認した理由なの。でも実際に怖いのは、怨霊バスよりも事故物件よりも、こんな田舎町なのに行方不明者の数が多いってことだよ」


 「たしかに異常だよね。魔のカーブでも死にすぎだし」


 「とにかく肝試しにいくなら気をつけてね」昨夜、凛香から肝試しに誘われたが、断っている。理由は、殺人事件があった場所へ行く気になれないから。「それこそ魔のカーブは慎重にね。それじゃあ、もうそろそろ先生が来るから席に着くね」

 

 「うん」返事したあと、海斗に訊いた。「で、肝試しに行くの? 行かないの? どっち?」


 「うちの母さんって、思い立ったら即行動だから、あしたさっそく物件を見に行くんだ。不動産会社に問い合わせたら、審査なしですぐに引っ越しができるって言われたから、忙しいと思う。たぶん、行けないよ」


 アウトドア好きの和真が、結愛と海斗を誘った。

 「肝試しから返ってきたらキャンプに行こうぜ」


 「いいね、行きたい」海斗が返事すると、結愛は首を横に振った。「あたしはいい」


 誘っても結愛が来ることはない。それはわかっていても、友達として誘う。本当は一緒に楽しみたいけど、彼女の事情を知っているので、無理は言わない。

 「わかったよ」

 

 教室のドアが開き、担任の女教師が入ってきた。全員が慌ただしく席に着くと、教師は教壇に上がり、出席簿と成績表を教卓に置いた。


 「あら珍しい」海斗を見る。「遅刻じゃないのね」


 「一応、きょうくらいは……」


 「夏休み明けの二学期は遅刻ゼロを目指してね」


 結愛と通学できるなら、遅刻はしない自信がある。

 「はい」


 海斗が返事すると、教師は真面目な面持ちで話を切り出した。夏休みなどの長期休みでは気分が浮かれがちなので、全員に忠告した。


 「三日前に起きた例の急カーブでの死亡事故は、廃村の帰りに起きています。みんなも知ってのとおり、あそこは殺人が起きた場所です。被害者の死体は未だに見つかっていません。先生は目に見えない存在というものがあると思っています。被害者は死にたくて死んだわけではありません。夏休みに行かないように。絶対に近づいたらだめです」


 隣同士の席の凛香と沙也加は顔を見合わせ、口元に笑みを浮かべた。


 沙也加が凛香に小声で言う。

 「行くけどね」


 あしたから高校初の夏休み。あすの夜は憧れの池谷先輩と会える。教師の忠告なんて気にしない。青春真っ只中、いまが楽しければそれでよい。

 「行っちゃうけどねぇ」


 いくら注意しても、田舎で唯一の肝試しスポットだ。遊ぶ場所も少ないし、若者はスリルを求めて廃村へ行く。海斗もたいして教師の話は聞かずに上の空。ガラス越しの景色を眺めた。

 

 やっとあした夏休みだ。赤点もなかったから補修もない。ファントムに引っ越せば毎日結愛に会える、と、期待に胸を躍らせた。


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