怨霊からの復讐 ――死を呼ぶ怨恨の事故物件と廃村の未解決事件簿――

紅月逢花

序章 因果応報

 二十三時過ぎ、満天の星が輝く。煌々と輝く月明かりが田舎町を照らしている。酒を提供する飲食店が建ち並ぶ場所には、店から出入りする客の姿が見られるが、そのほかの場所はゴーストタウンのように静寂だ。


 道路を走行する車両の台数も少ない。赤信号から青信号に切り替わると、サブウーファーがリズムを刻む音を響かせた乗用車が長距離トラックとすれ違った。二十代前半の男女が乗ったその乗用車は、交差点を通過し、山間の道路に入っていく方向へハンドルを切った。


 道路沿いには、事故物件として有名なファントムという名前の三階建ての白い木造アパートが建っており、バスの停留所がある。


 そして横断歩道を渡った向かい側には、ヤシロマートという名前のコンビニスタイルのスーパーが建っている。二十時に閉店なので、電光看板は点灯されていない。


 商店街へ行かなければ、コンビニエンスストアはない。だがそこも二十三時閉店。夜になると客は殆ど来ないので、店員も閉店三十分前にはレジ上げを済ませ、店のシャッターを半分下ろして閉店時間を待つ。やる気がないわけではない。客が来ないから仕方がないのだ。


 助手席に座る女が不満を口にした。

 「このド田舎マジで使えないよね。二十四時間やってるコンビニすらないんだもん。もうこんな場所うんざりだよ」

 

 「そのうちこの町を出るつもり」男は軽くため息をついた。「そうだ、ふたりでここを飛び出して同棲しようか。心機一転、都会暮らし。超楽しそう」


 「それいいね、賛成」


 「田舎にいても遊びに行く場所もないからセックスくらいしかやることがないじゃん。つまんないんだよね。なんか刺激が欲しい」


 「わかる。あたしも刺激的なことがしたい。今夜の肝試しがいい刺激になるといいんだけど」


 「お化けが出てきたら写メを友達に送信しないとな」


 「お化けなんて見たことないから、いい記念写真になるかも」笑いながら言った。「いま通り過ぎたあのアパートでも、ちょくちょく出るらしいよ。霊感が強い人は絶対に住めない物件みたい」


 「これから行くのは、あのアパートの一軒目みたいなものだ。大家は全然ちがうみたいだけど、殺人があったアパートを真似て構築するなんて変わり者だよな」


 「ホント、言えてる。事故物件になってあたりまえじゃん」


 男女の行き先は、いまでは地図にも載っていない、二十八年前に廃村となった奇霧界村(きむかいむら)だ。集落には荒廃した廃墟が建ち並んでいる。


 三十年前、ファントム奇霧界というアパートにて、女とその子供である少年と男が何者かに殺害された。その事件が起きる以前まで村は栄えていたのだが、事件後、殺害された女の怨霊が出没するようになった。同時期に幼女誘拐事件が起き、それを境にして村は衰退した。ちなみに死体も犯人も見つかっていない。


 奇霧界村まで道のりは、いましがた通り過ぎたファントムというアパートから約一時間ほど車を走らせれば到着する。さほど遠くもないので、この男女のように肝試しに訪れる若者が多い。


 「例の殺人事件の現場に入ってみたい」男は悪戯っぽい笑みを浮かべた。「ひょっとして怖い?」


 「なんだか気持ち悪いな。でも入ってみてもいいかもね。それこそ刺激を欲しているから」景色に目をやる。「なんだか森の中を走ってるみたい」


 所々に街灯が設置された山間の道路を挟むように、鬱蒼とした樹木が生い茂る。自然が創り上げた緑色のトンネルを潜っているかのようだ。


 ビルが建ち並ぶ都会から来た者なら、晴天の昼間にドライブすれば景色を楽しめるかもしれないが、ふたりは生まれも育ちもここなので、いつもどおり “ド田舎” の光景にすぎない。


 会話をしながら四十分ほど走ると、急カーブへと差し掛かった。前方には『死亡事故多発! 魔の急カーブ 死にたくなければスピード落とせ!』と、説得力のある言葉を赤いペンキで書いた看板が見えた。


 「この急カーブ、三十年前に奇霧界村で殺人事件が起きてから、事故って死ぬヤツが多いんだろ?」速度を落とした。「だけどこんなところで事故を起こすなんて、俺からしてみれば考えられない。どれだけスピード出してたんだ? フツーは出さないよな。安全運転をしていれば防げる事故だ」


 「だよね。事故を起こした人はみんな死んでる。今年に入って事故の件数は三件だっけ? 毎年必ず五件は起きるよね」


 「まだ七月なのにけっこうな件数だよな。今年は五件どころじゃないかもな」


 山間の道路を抜けると、前方には信号機があり、直進、右折、左折、と、三方向に分かれている。そこを左折すると奇霧界村がある。男は目的地に向かうため、ハンドルを左に切った。


 すぐに奇霧界村が見えはじめた。徐々に月が雲に覆い隠され、夜空を彩る星々までもが消えていった。その後、周囲は霧に覆われた。不気味な雰囲気が漂う。


 廃墟が建ち並ぶ集落へ入っていくと、道路が遠ざかり、やがて街灯の明かりも見えなくなった。ここにも街灯は設置されいるが、当然のことながら電気が通っていないので点灯していない。


 ヘッドライトの光を頼りにゆっくりと走行し、幕の内スーパーと書かれた古びた看板のある小さな駐車場へと停車させた。乗用車のエンジンを切った男は、懐中電灯を手にし、女と車から降り立った。


 スーパー入り口には、シャッターが下ろされていた。その周囲にある店舗のシャッターは壊れてプロジェクタースクリーンのようにぶら下がっていたので、シャッターとしての機能を果たしていない。


 男は、幕の内スーパーに歩み寄り、ガラス窓越しから懐中電灯を照らして店内を覗いてみた。店内には当時使っていた陳列棚が放置されていた。レジもそのままだったが、どうせ中身は空き巣に取られているだろうと思い、たいして興味は湧かなかった。


 女は、店の名前がドアにペイントされた店舗を指した。

 「スナック悠々だって。時代を感じる。うちの町のスナック麗(れい)よりクソダサい。まるで昔の火曜サスペンス劇場みたい」


 「そりゃそうだ。三十年以上前だからな」


 まるで過去にタイムスリップしたかのようだ。すべて当時のまま、時が止まっている。


 ふたりは殺人事件の起きたアパート、ファントム奇霧界へと歩を進ませた。荒廃した家屋の合間を歩いていくとアパートが見えた。古びているが外観は事故物件のアパートとそっくりだった。


 そのとき、突然、アパートの前に白いワンピースを着た幼い女の子が現われた。右手には赤い傘を持ち、赤い長靴を履いている。


 女には見えているが、男には見えていない。


 女の子は、アパートの裏へと入っていった。


 「いまの見た!?」咄嗟にアパートを指した。「いまそこに、小さな女の子が立っていた!」


 「俺には何も見えなかった。目の錯覚じゃない?」


 あまりにも鮮明に見えたので首を傾げた。

 「そうなのかな? 確かにいたのに……」


 「もしつぎ見えたら写メ撮ってみろよ」


 アパートの外壁に沿って設置された錆びた階段の前に来た。女は、いましがた見えた幼い女の子が気になったのでアパートの裏を覗き込んでみた。すると、草叢に埋もれた木製の看板が見えた。


 目を凝らして看板に書かれた文字を読むと、『ハイキングコース』と書かれていた。生長した雑草やそのほかの植物が茂っており、とても入れる場所ではないし、入りたくないので男の許へ戻った。


 「やっぱり、気のせいだったのかな?」


 男は錆びた鉄骨階段に足を乗せた。

 「行ってみようぜ」


 あまりにも錆びているので、階段を上るのを躊躇う。

 「上っている最中に崩壊しないよね?」


 階段を数回ほどドンドンと強く踏んで確かめてみる。

 「大丈夫だと思う。ふたり一緒に同じところに立たなければ」


 ふたりは階段を上った。その直後、いましがた女が見た幼い女の子がアパートの下に現われた。


 「今夜はふたり死ぬ……あたしの体探しはまた今度……」と、ふたりの後ろ姿を眺めながらぽつりと呟き、ケンケンパをしながら、煙のようにこの場から姿を消した。


 ふたりは階段を上りきって、通路に立つと、手前の201号室の取っ手に目をやった。もし施錠されていれば、空き巣によって取っ手は壊されているはずだ。錆びてはいるが、無傷。つまり施錠されていない。町に建つアパートのファントムと、当時ここを管理していた大家は異なるので、現在、誰も管理している者がいない。


 男は試しに取っ手を回してみた。やはり思ったとおり簡単に開いたので、ふたりは玄関に足を踏み入れた。正面のドアを開けてみると、トイレだった。和式だったので、ここでも時代を感じた。


 玄関通路の正面にある木目調のドアは、リビングルームへ繋がるドア。そしてそのドアを挟んだ左右にもドアがあったので、開けてみた。内部は七畳くらいの大きさの部屋だった。何も置かれていなかったので、リビングルームも同じだろうと思ったがとりあえず侵入してみた。やはり家具ひとつ置かれていなかった。


 「きっと殺人事件あとすぐに引っ越ししたんだよ。あたしも殺人事件があった部屋の近くには住みたくない」女はリビングから出た。「この部屋から去っていった人が例え夜逃げでも、当時は管理されていたんだから全部片付けられていてあたりまえだよ」


 ふたりは通路に出て、202号室の室内を見てみたが、こちらの部屋にも何も置かれていなかった。


 男はつまらさそうに言った。

 「204号室も同じかな」


 「何もないかも」

 

 男は204号室のドアの取っ手を捻って、玄関の中を懐中電灯で照らした。すると、埃まみれのパンプスと紳士物のスニーカーが二足、置きっぱなしにされていたのだ。


 「マジかよ……当時殺された人たちの靴なのか?」男はスマートフォンのカメラを室内に向けて撮影し始めた。「ファントム奇霧界の204号室に侵入しました」


 「なんでこの部屋だけそのままなんだろう?」


 「さあな」


 まずはリビングルームのドアを開けて侵入した。中心にはテーブルが設置されており、そのテーブルに沿ってソファーがL字に置かれていた。テレビも家具もそのままだ。


 部屋の片隅に設置されている台所へ歩を進めると、その奥には木目調のドアがあった。開けてみると、脱衣所と洗面台とバスルームのドアが見えた。


 女は食器棚を覗いた。すごい数の食器が収納されている。その中にひときわ形のよいワイングラスがあったので、手にしてみるとバカラグラスだった。


 「ちょっとこれ」二脚セットだったので、両方手にした。「質屋に持って行こうかな」


 「おまえ物好きだね。殺人事件のあった部屋だぜ。それ、被害者のだよ」


 「金になればどうでもいいよ」


 「さすが俺の彼女、空き巣に向いてる。いまノージョブなんだし、仕事にすれば?」


 「空き巣が仕事」笑った。「超ウケる」


 男はふたたびリビングルームに懐中電灯を向けた。そのとき、テーブルの下が広範囲に渡り茶色く変色していたことに気づく。


 「これってもしかして、血痕じゃない?」


 それを見た瞬間、顔を強張らせた。しかし、手にしている二脚のワイングラスは食器棚に返さない。

 「早くここを出よう」


 「そうだな」


 ふたりは通路に出た。リビングルームの両端にあった部屋が気になったので、開けてみると、ここも当時のままの寝室だった。少年の寝室と、鏡台が置かれた女の寝室。


 女の寝室を懐中電灯で照らしながら撮影していると、錆びた小型手提金庫がベッドの下に放置されているのが見えた。鍵が壊されていたので、中身はどうせ空き巣にでも捕られているだろう、見るだけ無駄だと思い、204号室をあとにし、通路へと出た。

 

 ふたりは通路を歩いて、階段を降りようとした。そのとき女が何者かに腕を握られた。


 この空間にいるのはふたりだけ……


 恐る恐る視線を下ろすと、赤いマニキュアが塗られた爪と、ふやけた手が見えた。


 驚いた女は、「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」と、悲鳴を上げた。


 ふたりは咄嗟に後方へと体を向けた。


 するとそこには、半袖のブラウスを着てタイトスカートを穿いたずぶ濡れの女が立っていたのだ。首には絞められたような痣が付いており、濡れた長い黒髪がべったりと顔に張り付いている。髪の合間から充血した双眸をこちらに向け、鬼の形相でふたりを睨みつけていた。


 殺害された当時のまま化けて出てきた怨霊は、水の中で息を吐いたかのような「ゴボゴボ……」という声と共に、濁った水を吐き出した。ここに姿を現す直前まで泥水の中にいたかのようだ。


 性別を判別できない悍ましい声で言葉を発した。

 「ゴボゴボ……殺す……守る……殺す」


 まさかこの世に幽霊が存在するとは思っていなかった。初めて目にする怨霊に男も驚愕した。都市伝説みたいなものだと思っていた浅はかな考えを後悔する。


 「マジかよ……」


 怨霊の手を振り払おうとするが、凄まじい力で掴まれているため、どうすることもできない。

 「いやぁ! 放して!」


 血相を変えた男は、「さっさとグラスを返すんだ!」と、叫ぶように言いながら、女を置いて階段を駆け下り、乗用車へ向かって全力疾走した。「盗んだおまえが悪い! 死にたくない! 死にたくない! 俺は無関係だ! 呪い殺される前に逃げるんだ!」


 「置いて行かないでぇ! おまえが肝試しに誘ったくせに!」と、男に向かって叫ぶが、彼はそれを無視して走り続けていた。恐怖のあまりに失禁した女は、怨霊に握られていない方の手に持つグラスを差し出した。「ごめんなさい! ごめんなさい! 返すから許して!」


 怨霊がグラスを一脚手にした瞬間、女はバランスを崩し、階段から転倒した。勢いよく転がり落ち、大地に頭を叩き付けられ、頸椎が折れたゴキッという音と同時に、ワイングラスが割れる音が響いた。女の首は、雑巾を絞ったかのようにおかしな方向へと捩れ、目を見開いたまま絶命した。


 瞳孔が開いた眼球に映し出されていたのは、乗用車へと駆けてゆく男の後ろ姿。その眼はまるで、あのクソ野郎! 道連れにしてやる、と言っているかのようだった。


 女を見捨てた薄情な男は、急いで乗用車に乗り、エンジンをかけた。手を震わせながらハンドルを握って、急発進した。奇霧界村から遠ざかりたい。速度を上げ、道路を走行する。


 恐怖により心拍が上がっていた。落ち着かせるために、音楽を鳴らす。しばらく走って、少しだけ気分が落ち着いた。女を置いてきたことへの罪悪感はない。やむを得ない状況だった。二人そろって死ぬより、どちらか一人助かればそれでよい。そのどちらかは自分だ、と思っていた。


 その後、奇霧界村から遠ざかったので、速度を落とそうとしたが、金縛りにかかったかのように足が動かない。


 「なんだよ、何でだよ!?」と、青ざめた顔で慌てた。


 突然、CDからラジオへと切り替わり、ザザザザ―――という音が車内に響いた。


 スピーカーから、いましがた聞いたあの悍ましい声が聞こえた。

 「ゴボゴボ……ゴボゴボ……」


 後方に人の気配を感じたので、バックミラーに目をやった。真っ赤に充血した双眸の怨霊が後部座席に座っていたのだ。


 「ゴボゴボ……」口から水が溢れた。「守る……殺す……」


 「俺が何をしたって言うんだ!」


 「殺す……」


 もうすぐ魔の急カーブだ。だがアクセルを踏んだままの足を動かすことができない。それどころか、アクセルを踏み込んでいく。足を浮かせることができないまま、速度が120キロに到達した。


 「助けてくれぇ!」


 悲鳴を上げた直後、魔のカーブへ突入した。ハンドルを切ったが、回りきれずにガードレールに衝突し、乗用車が大破した。それと同時に運転席のドアが外れた。


 怨霊から逃げるために慌ててエンジンをかけたので、シートベルトは着用していなかった。勢いよく外へ放り出された男は、アスファルトに叩き付けられ、置き去りにした女よりも無残な最期を遂げた。


 

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