黄砂
子どもが靴を片方なくして、家に戻ってきた。
学校からの帰り道、泥にはまって脱げてしまったのだという。きょうは雨降りだから足元に注意するよう、よく言っておいたのにこれだ。
近年この時期になると、黄砂がひどく飛ぶようになった。
晴れた日でも空がぼんやりとかすみ、目がチカチカする。たんが絡んで、ノドがいがらっぽくなる。マスクなしではとてもいられない。
雨の日ともなると、もっとひどい。
地面に積もった砂が雨水でこねられ、粘りけのある泥になる。雨が降れば降るほど泥は粘りけを増し、なかなか流れていかない。
結果、道路には泥の膜ができ、歩くたびにがっぽがっぽと音がするようになる。音がするくらいならまだいいが、水たまりができるようなへこんだ場所は、やっかいな泥だまりとなる。そういうところは泥の層が厚いから、へたに踏みこんでしまうと足を取られ大人でもなかなか抜け出せない。しまいには靴を脱いで放置するしかなくなる。子どもが靴を取られたのも、そのせいだった。
つぎの日、わたしは子どもといっしょに埋まった靴を取りにいった。昨日とは打って変わって天気がよく、泥だまりは乾いてカチカチになっていた。そうなったらなったで、はんぶん泥に埋まった靴は引っぱったくらいではびくともしない。
わたしと子どもはしゃがみこんで、靴のまわりの泥を指でほじって取り出そうとした。熊手とかスコップとか、そういうものを持ってくればよかったのだけれど、いまさら取りに帰るのもめんどうだし、乾いているのは表面だけで奥の方は生乾きだったから、指でもなんとか掘れなくはなかった。
そうして子どもと地面を掘っているうちに、わたしはふと、既視感をおぼえた。
あれはいつだったか――そうだ、去年の夏だ。わたしたちは、化石が出ることで有名な山あいの町へ、化石を掘りにいったのだ。
よく晴れて、とても暑い日だった。日焼け対策は万全のつもりだったけれど、日差しのつよさは思った以上だった。採集場になっている河原には木も生えておらず、日よけになるようなものは何もない。盆地だからか風も吹かず、やたらと蒸した。
わたしも最初はやる気まんまんだったが、すぐに暑さでへたばり、カタツムリみたいな巻き貝の化石をいくつか掘り出しただけで、日かげの涼しい場所に退散した。
貝の化石は、ここでは掘ればいくらでも出てくるたぐいのもので珍しくもない。事実、掘り出す途中で割れてしまった化石のかけらは放置され、河原のいたるところに落ちている。
はやばやと脱落したわたしとは違い、子どもは休みもとらず長いこと掘りつづけていた。こういうときの子どもの集中力には感心させられる。わたしは水分をしっかりとるように言い、あとは好きにさせた。そのかいあって、ついには珍しいサメの歯の化石を掘り当てたのだ。
サメの歯が出たと知ると、まわりで掘っていた人たちがわらわらと集まってきて、ほめたり、子どものそばの地面を掘り返したり、何度もここに来ているという常連の男性も、うらやましそうに子どもの掘り当てたサメの歯を見ていた。
自治体で出している化石採集のしおりによると、サメの歯の珍しさは五つ星中の四つ星で、その上には哺乳類の化石など博物館級のお宝しかない。かなり貴重なものらしかった。わたしの掘った巻き貝はありふれた一つ星だから、比べものにならない。
サメの歯は小指の爪ほどの大きさで、三角形の矢じりみたいなかたちをしている。灰白色のエナメル質がつやつやと輝き、何千万年も土に埋まっていたとは思えないみずみずしさだった。
それはいまでは透明なプラスチックの箱におさまって、家の飾り棚の目立つところに据えられているのだが、わたしは靴を掘りながらそのことを思い出し、たぶん子どもも、思い出しているのにちがいなかった。
靴はほどなく抜けた。化石を掘るのにくらべたら、かんたんな作業だった。抜けたところには靴底のもようが、判で押したみたいにくっきりと残っていた。
帰りの道すがら、
「今年も化石掘り、行こうか?」とわたしがいうと、子どもはコクコクとうなずくものの、どこかうわの空で、頭は別のことでいっぱいらしかった。
しばらくして、
「あの足あとも、いつか化石になるのかなあ?」と子どもがいった。
なるほど、そんなことを考えていたのか。
また雨が降ったら、足あとはたぶん溶けてなくなってしまうだろう。しかし降るまえに、あたらしい砂がおおいかぶさって地層となり、百万年だか一千万年だか未来に化石となってふたたび地上にあらわれ、そのころにはもう人類は滅びているだろうけれど、その時代の知的生物が掘り出して棚に飾るかもしれない。
そんな空想にふけりながら、
「うん、なるかもしれないね」とわたしがいうと、子どもはとつぜん、わあっと奇妙な声をあげて、指にひっかけた靴をぐるぐると回しながら、うれしそうに家の方へ駆けていった。
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