薪割

 暗い座敷に、髪を丸髷まるまげに結い、白い着物を着た女がすわっている。

 どういうわけか、わたしはその女が死ぬのを手伝うことになった。

 そこは三畳か四畳くらいの狭苦しい座敷で、窓は障子がぴったりと閉じられ外の様子はうかがえなかったが、かなりの夜更けらしかった。


 座敷は行灯あんどんがひとつ、隅に灯っているだけでほかには何もない。女は座敷の真ん中あたりに座ぶとんも敷かず、畳にじかに正座していた。障子が行灯の明かりを受けて、ぼうっと白く浮き上がってみえる。


 女は行灯を背にしており、顔はよく分からなかったけれど、年はたぶん二十とか二十五とかそれくらいで、ずいぶんと若いように思われた。

 部屋のなかは妙に生暖かかった。女の汗とおしろいの入り混じった甘い匂いが、かすかに感じられる。

 戸を締め切っているから風が吹くわけがないのに、ときたま行灯の明かりがゆらりと揺れて、髪に挿した女のかんざしが鈍く光った。

 


 どういう理由なのかは知らないが、女の決意は堅いらしい。

 わたしはできれば女が死ぬのを手伝いたくなかったけれど、他人には他人の事情があることだし、せめて苦しまないようにいかせてやろうと思った。


 女は大きな木槌きづちをわたしに手渡し、自分はノミを持って刃先を胸のあたりに押し当てると、

「こうして構えておりますから、木槌で打ち込んでいただけると楽に死ねるそうでございます」

 と、かぼそい声でいった。

 ずいぶん変な死に方だなと思ったが、女がそう言うのなら、やらないわけにはいかない。なにより女を無事に送ってやることが、わたしの使命なのだから。


「じゃあいきますよ」

 とわたしがいうと、女は黙ってうなずき、ノミを構えたままからだを上向きにそらして目を閉じた。

 わたしはひとつ深呼吸して狙いをつけると、木槌を大きく振りかぶって女の胸にノミを打ち込んだ。


 ノミの刃先は、薪割まきわりがうまくいったときのように大した抵抗もなく、するりと女のからだに吸い込まれた。が、女は苦しむばかりでなかなか死ななかった。女の口からは、こぽこぽと、湯の吹きこぼれるような音が漏れ出ている。

 打ち込みの深さが足りなかったのかもしれない。たぶんまだ、命を奪う大事な部分までとどいていないのだ。


 わたしはあわてて二度三度とノミを打ち込んだ。するとからだの奥のほうで、グニャリと弾力のあるものに突き当たった。おそらくそれが大動脈だとか、女の命を奪う重要な器官なのだろう。


 わたしはなんとかそれを突き破ろうとしたのだが、女が苦しんでのたうち回るからなかなか狙いがつけられなかったし、死にかけの年寄りのぼろぼろになった血管とは違い、女はまだ若く、おそらく健康でもあるから、血管はおそろしく頑丈で弾力がある。ノミはその弾力にはじき返されてしまうのだ。


 あるいはノミが、じゅうぶんには研がれていなかったのかもしれない。

 わたしは女がこれ以上苦しむのを見ていられなかったから、必死になって木槌を振り回したが、打っても、打っても、わたしはどうしても、そのグニャグニャしたものを突き破ることができなかった。

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