第9話 噂の尾ひれ 前編

 その日の放課後のことだった。

 村一番の大通りはみんなの通学路。鬼瓦校生はそこを通ることが多い。交通量こそ多いけれど下校時間もまばらなので普段なら人だかりができることはない。だが、珍しく人が集まっていた。

 今日の図書委員は日下鈴子がなぜかいた。本来なら二組の学級委員長なのだが、下級生の図書委員が欠席のため、急遽彼女が行っていた。

 いつものようにおしゃべりしに行った徹だったが、図書室では静かにと追い出されたのだ。女子バレー部が終わるまでの暇つぶしもできないので家に帰ろうとした。

 そして謎の人だかり。はっぴ姿の人が三人、何かを話していた。

 背が低いせいで人だかりに邪魔される。横入りしようにもびっしり集まっていて無理そう。どうしたものかと思っていると、野次馬に柳瀬愛と中倉綾子が居たので、後で聞いてみようと遠巻きにした。



「あ、徹だ」

 話が終わったのか、愛が徹を見かけてやってくる。

「あらちびっ子、小さくてどこにいたかわからなかったわ」

「なんだとー!」

「あー、徹だめなんだー」

「え?」

 徹が怒ると愛がくすくす笑いながら指摘する。なんのことかわからず首を傾げると、綾子がふんと鼻で嗤う。

「さっき言われたでしょ? 怒ると鬼のトンヨクが現れるって。追い返すためには笑って福を呼ぶ」

「俺は聞いてないぞ。さっき来たんだぞ」

「えーそうだったんだー。じゃあ、徹に教えてあげるね。えっとー……」

 愛は思い出しながら話だす。


 鬼瓦には春先にかけてある鬼が下りてくる。トンヨクと呼ばれる鬼は貪欲つまり、欲望の鬼。もともとは赤鬼、青鬼、黄鬼で過ごしていたが、欲張りな黄鬼は縄張りを広げたい。なので赤鬼と青鬼を喧嘩させ、負けたほうを追い出すつもりだった。

 鬼のケンカは三日三晩続き、鬼瓦山はその衝撃で地滑りがおきたり山火事が起きたりといそがしい。それに困った鬼瓦の住職は黄鬼の企みだと鬼を諭す。すると二鬼は黄鬼をとっちめる。二対一ではかなわず逃げる黄鬼。その縄張りを赤鬼と青鬼で分けたとさ。しかし面白くないのは黄鬼。告げ口したものを探そうと変装して村へ来る。

 慌てた和尚は告げ口したのは悲しみに暮れた者だと噂を流す。笑わぬものだと噂を流した。村人みんなが笑いだし、何があっても笑い泣き。ついぞ黄鬼は和尚を見つけることができなかった。

 そんな中、旅の侍がへらへら笑う村人にバカにされていると怒ったのだ。

 黄鬼はそいつでいいと、頭から飲み込んだとさ。


「ふーん。なるほど。そんな話か」

 話し終えた愛に拍手する徹。彼女は身振り手振りを添えて話してくれたのでわかりやすかった。

「なんか、大城の? 演劇サークルの四月の新人歓迎を兼ねているらしいわ。でも演劇なんてよくやるわ。人前で恥ずかしく無いのかしら」

「恥ずかしさに慣れる研修じゃないか? 去年も確かこの時期にあったような。でも、その時は公民館を借りて敬老会の人が来てたぞ。今年はゲリラライブか」

「ゲリラライブねえ。物は言い様。最初はテキ屋か何かかと思ったわ。愛も高杉も騙されやすそうだし、ほいほいついていっちゃだめよ?」

「「はーい」」

 二人は素直に返事をするので、皮肉のつもりが本当に心配になる綾子だった。



「なんか怒ると鬼が来るんだとさ」

「鬼か。ふふ。鬼ならさっきまでうじゃうじゃいたけどな」

 女子バレーの練習が終わった後、徹は高尾春樹相手に例の話をした。

 春樹は男子バレー部なのだが人数が足りずに練習が出来ず、女子バレーの手伝いをしていて、その終わりにこうしてバドミントンをするのだ。

「誰が鬼だ? ったく」

 女子バレー部の遠藤澪も居残ってバドミントンのラケットを素振りする。

「いえいえ、めっそうもござません」

 聞かれていたと春樹は取り繕う。

「にしてもよ、鬼の話たぁ、鬼瓦っぽいよな」

 幽霊は怖いが鬼は平気らしい澪がコートに入る。彼女は常にジャージの体育会系女子。徹は遠慮なく左右に打つ。

「んー、でもよお、なんかおかしくないか?」

「何が?」

 左に振られたシャトルに飛びつく徹。次は右に来るのが定石。しかし、軽く真ん中にトス。急ブレーキをかけてそっと返す。こういう時、小柄だと小回りが利く。

「だってさ、どうやって和尚さんは鬼が来てるってわかったんだ?」

 澪は前のめりに突っ込むが、徹は遠くに返して追いつけない。

「いまの無理だー。うーん……。言われてみれば変だな。和尚さんだから?」

「あー、それはあるかも。三枚のお札とかも山姥を和尚さんは見破ってるもんな」

「いやいや、やべーのがついてきてるんだからわかるだろ。変装しててもわかるってこったろ? なんだろ」

「村だから、よそ者がわかるとか?」

「だったら最後に食われた侍だってそうじゃね? 侍は鬼だと思われなかった理由はなんだ?」

 三人は頭にクエスチョンを浮かべる。ただ、内容的におとぎ話程度だ。多少の矛盾があってもさして問題はないと納得する。そろそろ頃合いと、片付け始めた。



「いでで、いでーっての! なにすんだ、このたこすけ!」

 教室に入るやいなや、徹は急にほほを抓られた。

「うむ、これは本物だ」

 ほほをさすりながら川島誠が告げる。よくよく見るとほほをさする男子が複数見受けられる。いったい今度は何が流行ったのかと健介に声をかける。

「よう健介。いったいなにが起きたんだ?」

「……それがさ、鬼が紛れ込んでるかもって噂が流れてさ」

「鬼? 紛れてるって、鬼がどうしてまた学校に?」

「ああ。なんか飼育小屋でスズメの死体があって、それが鬼の仕業じゃないかって」

「……どうせ猫だろ? つか、鬼ならにわとりとかウサギ狙わないか?」

「今飼育小屋はなんもいねーんだよ。それなのに小屋の中にだ。俺も不審者のせいだと思うけどさ、下級生が鬼だ鬼だって聞かないんだ」

 昨今の無農薬農業の人気のせいか、田んぼにカモやアヒルが放たれることが増えた。そしてしばらくすると肉屋に並ぶ。そんな鬼瓦では学校での飼育がなくなり、今は小屋だけ存在していた。

「あー、なるほどな。黄鬼が争いを起こすためになんかやってるってやつか」

「徹も見たのか? 昨日のお芝居。そのせいなのかな」

「いでえ!」

 何も知らずに入って来た男子がまた被害に遭う。

「で、なんで男子だけ? 女子は?」

「鬼は男だけなんだとさ。昔話でも鬼婆とかはいるけどおにおんなは聞かないからかな? なんか違うか? ゲームにキジョっていたようなきがするし、雪女も鬼みたいなもんだろ」

「ん-、ま、そのうち収まるだろ」

 一応の理由がわかったと徹は席に着く。人の噂と同じくしばらくしたらきっと……。




 今日は図書室に小鬼が居らず、優しい相原奈々が居た。徹たちはのびのびとおしゃべりをしていた。

「教室入ったら急にほほ抓られたぜ。ったく迷惑な噂だぞ」

「へー、そんな噂あるんだ」

「え? だって……」

 言いかけて言葉を飲み込む。彼女はイジメにあって保健室登校をしていた。教室での噂を知らないのだ。

「下級生の子が教えてくれたわ。黒い蛇をもてなすために小動物を生贄にするの。で、どこかに誘い込んで閉じ込める。そうすることで災厄を封じ込める。今日のスズメの話はそういう理由だって」

「へー、そんな話があるんだ。でも、よくありそうな怪談昔話だよな。俺も三枚のお札が好きだぞ。お札でトラップ発動! 鬼婆を何とかしてそのうちに逃げる!」

「私も読んだことあるわ。私が怖かった話は天守閣に封じられたお姫様の話かしら。お殿様に命じられてお化けのお城に行って、そこのお姫様がその勇気を讃えつつも脅しをかけるの。固い布を褒美に取らせて、帰ってみるとそれはお殿様の鎧の一部。ものすごい力で引きちぎったっていう、力を見せつける話ね」

「話が通じる分、脅し方も凝ってて怖いな」

 本が落ちる音がした。二人はびくっと振り返る。

「だれ?」

 問いかけるも返事はない。徹は落ちた本を拾いに行く。本棚は高く、日差しを避ける立地から昼間でも暗い。いつも無駄話をするのは怖さを紛らわせるためでもあり、普段引っ込み思案な奈々がよくしゃべるのもそれが理由。

 二人だけの放課後の図書室、物音に誘われた一人と、それを待つ一人。振り返るともう一人が居なくなり、前を向くと見知らぬ誰かが間近に居る。そんな映画を思い出し徹は振り返る。大丈夫。奈々は心配そうに彼を見ている。ほっとして落ちている本を拾おうと手を伸ばす。すると本棚の向こうから手がにゅっと出る。

「ぎゃああ!」

「きゃあ!」

 ふいの手に声を上げる徹。それは背後からも目の前からも響く。

「びっくりした。脅かさないでよ」

 そこには真奈が居た。彼女は胸元を押さえて徹を見下ろしていた。

「なんだ、真奈か。驚いた……」

「もう、しっかりしなさいよね。徹はびびりなんだから」

「違うぞ。急に手が出るから。それに真奈だって悲鳴上げてたぞ」

「私は……そりゃ、急に手が出てきたら驚くわよ」

 真奈は本を拾うと本棚に戻す。

「居たんなら言えばいいのに」

「私は今来たところよ」

「え、じゃあ誰が落としたんだ、この本」

「……本の虫とか?」

「なんだよ、それ。本の虫ってなると御崎さんかな?」

「そうじゃなくて、本の虫が悪さするの。誰も見てない時にこっそり本棚から本を押し出して顔を出す。ムカデみたいな妖怪」

「そんな話まであるのか!?」

「んーん、今考えた。さっき、入れ違いで誰か出ていったわ。急いでたし、多分その子が落としたのね」

「脅かさないでくれよ」

 徹は真奈にからかわれただけと安心していた。

「さてと、そろそろ体育館に行くかな」

 即興の怪談を聞いたせいで図書室に居づらくなった徹は体育館へと向かった。いつもより早い移動に真奈は怖がりと彼を笑っていたのが癪だが……。



「みんな噂好きだよな。雀が死んだら蛇への生贄、男子が来たら鬼かもしれない、本が落ちたら本から虫が沸いて出てきた」

 徹は体育館用のモップで床掃除しながらぶつくさ言う。今日は春樹がサッカーの練習を手伝っており、代わりに千夏がボールを磨いていた。

「あれ? 本の虫の話なんて初耳なんだけど? どこで聞いたの?」

「え? これは……智樹が言ってたんだけどな、本棚に置きっぱなしで時間が経つと栞がムカデになって這い出てくるんだってさ。だから古本屋とかはたまに本を干すんだ。虫干しって言うらしいぞ」

 突かれたり脅かされたりとイライラしていた徹は少しぐらい誰かに仕返ししてやれと、脚色して話す。怖い話が苦手な澪ならきっと怖がるだろうとにやけてしまう。

「ふーん」

 しかし、澪はラケットを素振りしながらどこ吹く風。

「怖くない?」

「そらまあ、怖くないだろ。マホチンだったら虫嫌いだし怖がるだろうけど」

「いや、それがさ、実はそのムカデっていうのが、人に噛みついてさ、毒を持ってるんだよ」

「ムカデにかまれたら毒なくてもやばいっしょ。徹、今適当に作ったんでしょ」

 千夏がポンとボールで徹の頭を叩く。

「はい、すんません」

 話を盛るのも才能が居ると、徹は頬をかいた。



「だーかーら! 本当なんだってば! 本からむかでがにょろ~って出て、それであたし、噛まれたんだってば!」

 その日は雨のせいで昼の休みにサッカー無し。徹が図書室に行こうとしたところで廊下から井上美憂の声がした。

 三組のおしゃべりおばさんこと井上美憂。意地悪でいじめっ子な彼女はクラス替えのたびに割り振りで教員を悩ませると言われる鬼瓦一の意地悪な子。

「なんだなんだ?」

 見つかると色々言われそうなので遠巻きにして様子をうかがう。

「古い本の挟まれたままのしおりがほんの終わりを知りたくて、ムカデに姿を変えて人を襲うのよ」

 昨日、秒で看破された自分の嘘を熱心に騙っている美憂に徹は騙された人が居ると笑ってしまう。

「ははは、それは嘘だぞ。俺が昨日作ったんだけどさ」

 いつもなら美憂に話しかけるのは悪口三倍返しされるので敬遠しているが、さすがに嘘が嘘のまま広がるのも困るので訂正しに行く。

「は? なにいってんの? あたしは本当に噛まれたの。っていうか、御崎さんも噛まれたし」

「え? 御崎さんが……?」

 御崎澄子は鬼瓦一の美少女とされる女の子。鬼瓦の有力な四家の一つ、御崎家の娘で祭事を執り行うことが多い。普段は本を読んでおりミステリアスな雰囲気のある真相の元令嬢だ。

「いやいやいや、そんなはずないだろ」

 慌てる徹だが、美憂は自信満々に続ける。そんな彼女の鼻には何かに噛まれたような跡がある。急いで席で本を読んでいる澄子に声をかけに行く。

「な、なあ御崎さん、本当に本に、じゃなかった、栞に噛まれたのか?」

「あら、高杉君、ごきげんよう。あわただしいわね」

 長いさらさらの黒髪をかきあげ、横目で見る。そういう仕草は本当に美少女然なのだが、古本屋で立ち読みしていたり、本の出張貸し出し返却をさせられている徹からするとただの猫かぶり。

「そうねえ……」

 しばらく頬杖をつきながら外を見る。

「実はね、この前図書室から借りた本なんだけどね? 前の借りた人がずーっと借りてたのよ。一週借りたらまた次の週も借りて、また返したら借りて……。多分、その人もムカデに呪われてずーっと同じ本に囚われているのかも」

「そんなことって……」

「私もね、ほら……」

 貸し出しカードに同じ名前が二週にわたって続いている。御崎澄子と。

「嘘……」

 また髪をかきあげる。頬に赤い跡がいくつかある。それはまるでムカデの噛み跡……。

「わわ、わ、わ……嘘が本当になっちゃったぞ……」

 うろたえる徹。あとずさり、椅子が膝裏にあたってかくんと座り込む。頭を抱える徹はそのまま机にうつ伏せる。

 昨日、軽はずみで作った嘘が、すぐばれた他愛のないはずの嘘が、美憂の鼻、澄子の頬に噛みついていた。

 まさか自分が嘘をついたから? それが本当になって人を襲った?

「御崎さん、ごめん、俺のせいで……、井上も……俺のせいで……」

 うわごとのように呟く徹。そんな彼の肩を叩くのは……。

「高杉君、そこ僕の席……」

 そこは鬼瓦一椅子を取られる男子、若竹武則の席だった。

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