化け物と僕
(我ながらよくあの時声をかけたよなぁ…)
あの時は、目の前の出来事があまりに非現実的すぎて。恐怖や驚きより先に好奇心が勝ってしまった。それは今でも後悔はしていない。
あれから幾つの季節が流れても、化け物の姿は変わらなかった。化け物と出会った日はまだ柔く小さかった僕の手は、いつの間にか大きな大人の手に変わっていた。
化け物と出会った頃は、僕が化け物を見上げていたのに。いつの間にか化け物が僕を見上げるようになっていた。
少しずつ、でも確かに時間が過ぎていく僕と、いつまでも変わらない、時間の止まった化け物。
いつだっただろうか。確か、化け物と出会ってまだ間もなかった頃だ。僕は、化け物に問いかけた事があった。
「…ねぇ、君の名前ってなに?」
「んー、名前かぁ。もう忘れちゃったなぁ」
自分の名前を忘れるなんて事、あるんだろうか。
もし本当に忘れてしまう事があったとして、一体どれ程の歳月が自分自身の名前すら忘れさせたのだろう。
…きっとそれは、僕が生まれて死ぬまでの一生分ではとても足りない、気の遠くなるほどの時間なのだろう。
「まぁ名前なんて呼ばれている事さえ分かればいいんだし。他に仲間もいないし化け物呼びのままでも別に困ってないよ」
化け物は特に表情を変えるわけでもなく、平然とそんな事を言ってのける。
誰にも名前を呼ばれず、自分自身ですら自分に付けられた名前を忘れてしまう。
それはあまりに悲しくはないのだろうか。
…それとも。そんな感情さえも、忘れてしまったのだろうか。
「じゃあ、他にも化け物がいたらどうするの」
「んん…。その時は、適当に1号、2号とか番号で呼ぼうか…?」
化け物があまりに平然と言ってしまうから、なんだか僕の方が悲しくなってしまって。拙い言葉を重ねてはみたけれど。
結局化け物の名前は"化け物"のまま変わらなかった。
その後も、僕と化け物との不思議な交流は続いていった。
ある時は、化け物は川辺の地面に転がっていた。
両の手をお腹の上で組み、目を閉じて妙に姿勢よく仰向けに転がっている。
寝ているのだろうかと思い、声を掛けると予想外の返答が返ってきた。
「死体ごっこをね、しているんだよ」
「死体の気持ちになってみようと思ってね。試しに棺桶の中の死体の真似をしているんだよ…」
意味がわからない。
なんでよりによって"棺桶に入った死体"の真似なんだ。せめてもっと他に色々あるだろう。
「…それ、楽しい?」
「んー、陽射しがあったかいねぇ…」
僕の質問には答えずに、化け物はのんびりと陽射しを満喫していた。…マイペースにも程がある。
またある時は、誰もいない公園の隅で教科書を広げる僕へ何処からか現れた化け物が近付いてきた。
「あれ?なにをしてるんだい?」
「勉強。…今、家に帰りたくないから」
「ふぅん…」
化け物は僕の手にした教科書を覗き込む。
「んー、そんなのより実際に見た方が分かりやすいんじゃない?」
そう言うと化け物は僕の返事も待たず一欠片の躊躇いもなく自身の服を捲り体を引き裂いた。
化け物の奇行には慣れたつもりでいたけれど、目の前の存在を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「…痛くないの?」
仮にも内臓が剥き出しの状態の相手にかける言葉ではないのだろうが、化け物は特には気にせずにこやかに笑っている。
「痛みっていうのはさぁ、結局は生き物にとって死を遠ざける為のただの防衛機能なんだよねぇ」
「だから、殺しても死なない化け物には備わってない機能なんだよ」
こうやって。けろりとした顔で信じがたいことを言ってのける目の前の存在は、やはり人間とはまるで道理が違う生物なのだとつくづく思う。
「ほら、そんなことよりさ。お勉強するんだろう?せっかく見せてあげてるんだからもっとじっくり見なよ」
「こんな機会滅多にないよ〜?」と笑いながら続ける化け物に半ば呆れながら仕方なく付き合う。
…そんな不思議な日常は、ある日あっさりと終わりを迎えた。
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